24.
『草四郎くんは、周平さんに気に入られたみたい。私たちと一緒に働くことになる』
キツネのいうことは本当だったらしい。
草四郎に再び、谷さんから招集がかかった。
「今度はセイさんも同席させてください」
草四郎が言うと受話器の向こうから、笑声が返ってきた。
「ははは、草四郎くんは怖がり屋さんだな……お守りが必要か」
いちいち気に障る男だった。
前回の勉強会のあと、草四郎が醜態を晒したこと。それをキツネから聞いていたのだろう。
「まぁいいよ。連れてこい。昼飯をご馳走する」
その日は日曜日。ぼくの休日だった。
「愛想笑いをしろとまではいわないが。谷さんのやることを、いちいち正面から受け止めるな。身が持たないぞ」
ぼくは草四郎にそう言い聞かせた。
これは自分への戒めでもある。
待ち合わせは正午、草四郎の最寄り駅で。
「やあ、おまたせ」
今回は谷さん自ら車を運転してきた。
その車は、無骨なワンボックスだった。少し意外だ。
「よろしくお願いします」
ぼくと草四郎は後部座席に、並んで座った。
「きょうは、面を付けてないんですね」
素顔の谷さんに向かって、無遠慮に草四郎が言った。
「ハッ、職務質問で止められたくないからな」
さすがに日中の街中では、ウサギの面はかぶらないらしい。
そして、ぼくらもアガミの装束ではなく普段着を着ている。
それも谷さんからの指定だった。
きょうは物騒な勉強会の日ではないらしい。
しかし助手席には、何やら大きな旅行カバンが置かれている。
なにに使うのだろう。少し嫌な予感がする。
車は赤坂で止まった。
「ここは……?」
「昼飯をおごるといっただろう」
ポカンと口を開ける、ぼくらに谷さんが笑いかける。
そこは焼肉屋だった。
ファミリー向けの店ではない。
出版社勤務の谷さんが、接待で使うのに相応しい高級店だ。
駐車場を見渡せば、高級車だらけだ。
ぼくらの乗ってきた、ワゴン車だけが浮いていた。
黒一色の大理石調のインテリア。
床には人工の池がしつらえられ、橋まで掛かっていた。
ひとことでいうならば、いけ好かない店だ。
谷さんは個室を予約していた。
寒々しさを感じるほどに広い部屋だ。
「じゃあ、お任せで三人。いや、五人前頼む」
そして谷さんはビールを頼んだ。
「草四郎くんは、お茶でいいのか。セイくん、君は何を飲む?」
「ぼくもウーロン茶で。帰りの運転、代わりますよ」
「構わず飲めよ。迎えを頼むから」
和やかな食事会の始まり。
しかしぼくら二人は、とてもそんな気分にはなれない。
「…………」
草四郎の顔が固い。谷さんを見る目は無礼寸前の鋭さだった。
「この店にはよく来るんですか?」
会話の接ぎ穂を求めて、谷さんに尋ねてみた。
「いいや、今日がはじめてだ」
「なんでまた。こんな高そうな店を……」
自分でいうのもなんだが、ぼくら二人には量を食わせておけばよいのである。
肉に金箔が乗ってきそうなこんな店。場違いもいいところだ。
「座標の都合。この店がピッタリだった」
座標?
そのとき料理が運ばれてきたので、その意味を聞きそびれてしまった。
こんなに見事にさしの入った肉と、繊細に盛られたキムチは初めて見た。
谷さんはテーブルの盤が見えなくなるほど、料理を注文した。
しかし、メニューが焼肉で良かった。
肉を網に乗せる。焼けるのを待つ。ひっくり返す。
少しは間が持ちそうだ。
「では乾杯」
谷さんがグラスを持ち上げる。
しかし、なんの乾杯なのか。
「先日、後始末を頼んだ件ですが。その後なにか分かりましたか?」
店員がいなくなってすぐ、ぼくは谷さんに尋ねた。
「はて、後始末?」
「ぼくを襲ったチンピラたちの出所ですよ」
これには谷さんも苦笑する。
「何かと思えば……いきなりそれか」
「こんな時でもないと、あなたとゆっくり話せませんから」
五島万の編集者としての谷さんとは、ホスピタルで顔を合わせている。
術士としての谷さんとは、あのバーで会って以来だ。
「目下調査中だよ」
つまり何も分かっていないということなのか。分かっていてもこちらに伝える気がないのか。
「谷さんのことを少しだけ疑ってます」
「なぜ?」
「あいつらを使って、ぼくを試そうとしたんじゃないかと」
谷さんは、ぼくのその言葉を聞いてむせるほど笑った。
「そんな面倒くさい真似するかよ。きみの実力を計りたいのなら、直接殴ればいい。そうだろ?」
「草四郎相手にしたようにですか?」
網の上で、手つかずの肉が焦げていく。
おっとっと。
あわてて皿へ掬い上げる。
うまい肉だ。しかし小骨がささったように喉につかえる。
ウサギの面は付けていない。
だが今日の谷さんは、コウガミの術士の顔をしていた。
口元に微笑を浮かべながらも、その目は冷たい。
彼と向き合っていると、捉えどころのない不安を搔き立てられる。
「人聞きの悪いことをいうな。あれは暴力じゃない」
そして谷さんは余計な一言を付け加える。
「軟弱な箱入り息子には、多少刺激が強すぎたかもしれないがね」
なんとでも言って下さい、と草四郎が言った。
「あれが指導というならば、それこそ無用です。ぼくにコウガミの術は必要ない」
「カミサマに守られて、セイくんと仲良しこよしのお遊戯会……それで何になる?その気になれば、きみは高く飛べるはずなのに。狭い鳥かごの中で、その羽を腐らせようとしている」
「あなたに、アガミの何が分かるんですか?」
「知ってるよ。前にも言っただろう。俺はアガミのことに詳しいんだ」
「…………」
草四郎はその先の質問をためらった。
ミカさんの予言の力。それは扱いによっては、無用の争いを生み出しかねない。危険な力だ。
だから、我々はそれを一族の間だけに留めておいた。
谷さんにそれを伝えたは、誰なのか。
裏切り者探す、というのは大げさすぎるが。身内を落ち度を、暴くようなことはしたくない。
そんなぼくらの心のうちなど、お見通しなのだろう。
谷さんはあっさりと、その内通者の名前を明かした。
「俺に君たちの守り神のことを教えてくれたのは、渋沢 一 (しぶさわ はじめ)氏だ。それだけじゃない。ただの小学生だった俺を見つけ出して、コウガミと引き合わせてくれたのも彼だった」
渋沢一。
それは十五年前に亡くなった、ぼくの父。
そして草四郎の兄だ。
谷さんはマイペースを崩さない。
「で、締めは何にする?冷麺か、ビビンバか……あっ、クッパもいいな」
「ぼくらはビビンバで。あと、飲み物のお代わりをお願いします」
ぼくは無理やりふつうの顔を作った。虚勢を張るというやつだ。
「デザートはバニラアイスでいいか?」
「はい」
草四郎が頷いた。これも右に同じのやせ我慢だ。
「驚きましたよ。谷さんがうちの父を知っていたなんて……父はどんな人だったんですか?」
父が亡くなった時ぼくは幼かった。正直、父に関する記憶は遠い。
ぼくより三つ下の草四郎は尚のことだろう。
「顔は草四郎くんに瓜二つ。性格はセイくん寄りだな」
目を細め、懐かしそうな顔をする。ふつうの昔話をするように。
「俺に最初に術を教えてくれた人だ。つまりこれは恩返しみたいなものだよ。ハジメさんから受け継いだものを草四郎くんに返したい」
この男に人情噺は似合わない。
それにアガミの双子先輩は、谷さんと父の繋がりを知らないようだ。その断絶にはなにか訳があるのだろう。
「あんた、何を企んでるんだ?」
草四郎は駆け引きなど出来ない。
しかし、谷さんは草四郎の不躾な言葉に怒りはしなかった。
「前に話した通りだ。君たちの神様の力を借りたい。いずれくるときに備えるために」
ここで、ぼくが口を挟む。
「過大評価ですよ。ミカさんの言葉はそんな便利なもんじゃない。ミカさんの歌から、現実を掬い取るのは至難の業です。砂利の中から砂金を取るほうが、まだ易しい」
巷の占いとは、まるで違う。
ミカさんは、こちらの望むものをポンと出してくれはしない。
「父がまだ子供だったあなたに、何を吹き込んだのは知らないが……。これ以上、お役に立てそうもありません」
カラン。
グラスに匙があたる涼やかな音。
谷さんは、アイスクリームを綺麗に食べ終えた。
彼は決して、悠然とした表情を崩さない。
「俺には予言の力なんてない。しかし、明日の天気予報よりも確実なことがある」
谷さんは、ぼくを見た。
「近い将来、君は死ぬことになる」
食ってかかったのは、ぼくではなく草四郎だ。
「何を根拠に、そんなことを! ?」
「ご本人が一番わかってんだろ?アガミの腐れ花」
端的に、谷さんはぼくをそう呼んだ。
ぼくは術士として、大きな欠陥を抱えている。
初対面の時に、彼はぼくが舞うのを見ている。
その時に見抜いたのか。
それとも父の死を見て、その累が息子に及ぶことが分かっていたのか。
「嵐が来るぞ。傷を負ったものが生き残れるほど、甘くない」
嵐とはなんだ?
十日町が呼びだした"マ”を言っているのだろうか。
「さて、そろそろ時間だな」
谷さんがそう言った途端だ。
空気が変わった。
ミカさんが、実体となって躍り出た。
草四郎の馬のミカさんだ。
そして、ぼくには聴こえぬ声をあげる。
なにかが、ここに近づいている。
「さあ、食事は終わり。社会科見学のはじまりだ」
楊枝で歯の隙間をつつきながら、のんびりと谷さんがいう。
「高い肉おごってやったんだ。何があっても吐くんじゃないぞ」
風が押し寄せてくる。
異常な圧力に、そんな錯覚を覚えた。
ダン!
ちょうつがいが千切れるほどの勢いで、ドアが開いた。
男が二人。
転げるように、ぼく達のいる個室に入ってきた。
二人は揃いの黒いスーツを着ている。
「……!」
思わずぼくらは息をのむ。
猛烈な違和感。しぐさだが
一目で分かる。彼らは人間ではない。
それは実体を持たない影だ。
そこに乱雑に人の皮を被せてあった。
異様に長い腕は、ダランと膝の下まで垂れている。
そして彼らの顔面には眼球がない。ただ黒い穴が空いているだけだ。
反射的にぼくと草四郎は構えをとった。
草四郎は、人指し指を折り曲げ口にくわえた。
指笛だ。子供じみてはいるしぐさだが、彼の鍵は笛なのだ。いつも携帯している篠笛は谷さんの車に置いてきてしまった。これで代用するよりない。
ぼくは椅子を蹴って立ち上がった。
前傾姿勢を取り、右の手のひらを広げる。
勢い余って、テーブルの上の皿を払い落としてしまう。
「不作法だな。社会科”見学“と言っただろう?座っていろよ」
そして谷さんが動いた。
いつの間にか、彼はウサギの面を付けていた。
ぼくらまであと一歩。影たちの手が伸びる。
谷さんは無造作に、ハエを払うように軽く左手を動かした。
放たれたのは手裏剣?
いやそれは、名刺程の大きさの術符だった。
谷さんは上着の内ポケットにそれを忍ばせていた。
「…………」
同時にその唇から短い術言が紡がれる。
紙で作られている術符に、刃の煌めきが宿る。
術符は、一体の"マ"の胸に吸い込まれるように突き刺さった。
効果は顕著に現れた。
パン!
破裂音が響く。
水風船が破れたようだった。
かりそめの皮膚は突き破れ、影たちの内側から黒い水が吹き出した。
生暖かい飛沫が、ぼくら三人を濡らす。
その水はひどい臭いがした。
肉の腐った臭いだ。
思わず催した吐き気を、必死で押し止める。
まだ一体、敵は残っている。
その体は軟体動物のように、柔らかい。己の体も支えきれないほどだ。
前進しようとして、敵は倒れこんだ。
先ほどまで肉が焼かれていた鉄板には、熱が残っている。そこに化物は顔から突っ込んだ。
この異形は熱さを感じる最低限の触覚さえ、持ち合わせて居ない。
影は倒れこんだまま、その手を谷さんに向けて伸ばした。
その手には、ぬらりとした水掻きがついている。ゾッと。
谷さんは、武器を変えた。
次に彼がポケットから、引き出したのは大判のスカーフだ。
馬蹄の柄の派手なスカーフ。それに強い香をまとわせてあった。
谷さんは、それをヒュッと鞭のように一ふりした。
スカーフが触れたとたん、化物の頭部が弾け飛んだ。
二体の化物は形を失い、あとにはただ黒い汚水が残った。
床に落ちていた一枚呪符を拾い上げてみる。
谷さんが投擲し、化け物の息の根を止めたものだ。
それはすでに刃の光を失い、ただの紙に戻っていた。
あっという間の出来事だった。
「お疲れ様でーす」
緊張感などまるでない、間延びした挨拶。
騒動が終わるのを見計らったように、男がひとり入って来た。
今度はちゃんとした人間だ。
ジーンズ姿の、ぼくと同年代の若者だ。
やや地黒。頬にニキビの痕が目立つ。テレビに出ている、なんとかとかいう漫才師に少し似ている。
テーブルが倒れ、ひどい悪臭が立ち込めているこの部屋。
しかしこのあり様を見ても、男に驚いた様子は無い。
「ずいぶんと遅かったな。しかも仕上がりが甘い。おかげで汚れてしまった」
谷さんが唇をとがらかせる。
「複雑な形は、固まりにくいんですよ。あなたのオーダーが悪い」
男が言い返す。
仕上がり。
この泥人形二体組み立てたのは、この男なのか。
無形の闇にいったん形を与え、それを無に帰す。
ぼくらもミカさんの力を借りて、やっていることだ。
だが、こんな乱暴な方法は取らない。
「すいませんね。渋滞にはまっちゃって。先のインターで事故があったらしくって」
若者も谷さんも、どこまでも軽い調子だ。
ふたりにとってこんな荒事は日常なんだろうか。
「タカセと申します。おふたりのことは、谷さんからよく伺ってます」
よろしくお願いします。と彼は言った。
臭気と、谷さんの戦闘の苛烈さを目の当たりにした衝撃。
草四郎は顔を青ざめさせていた。ぼくも似たり寄ったりのひどい面だろう。
「彼は勉強会のメンバーです。あの時は猫の面をかぶっていた」
声で分かりましたと、草四郎がぼくに耳打ちする。
そしてタカセは、ぼくらの方に向き直った。
「さぁ次が詰まってます。ちゃっちゃと行きましょう」
パンパンと手を打って、彼はぼくらを促した。




