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花とペン  作者: 井上マイ
21/68

21.

 そして数日後。

 作業着の男たちが、このホスピタルを訪ねてきた。

「ピアノの下取りに伺いましたー」

 ニレイさんが手配したらしい。

 やたらと広いホスピタル。

 一階奥には、ピアノが置かれた防音室がある。

「え、俺はピアノなんて弾けないよ。事故で、指を落とす前からね」

 家主であるニレイさんのお言葉だ。

 酔狂買ってしまったらしい。

 誰にも弾かれることなく、調律はガタガタ、ホコリをたんまり被った古ピアノ。

 ようやく処分する気になったということだ。

 整理整頓。良いことだ。

 次は蟻塚の如く、ホスピタルのあちこちに積み上がった書籍の整理もしてほしい。


 しかしその翌日、今度は別の配送業者が巨大な荷物を届けにきた。

「設置場所はこちらで宜しいでしょうかー?」

 あれよあれよという間に、業者は荷物を防音室へと運び込み、梱包をとき、組み立てを始めた。

 巨大な荷物は、ピカピカのドラムセットだった。

「パンパカパン、ひと月早いサンタクロース参上ー」

 気の抜けるような、口ファンファーレ。

 ニレイさんだ。

「いい子にしてる、セイくんにプレゼントだ」

「はい ?」

 このドラムセットは、ぼくへのプレゼントだとニレイさんはいった。 

「一体いくらしたんです?こんな凄いもの、いただけませんよ!」

 クラクラしてきた。

 ニレイさんの気まぐれはいつものことだ。にしても、これは大きすぎる。

 有名メーカー、中でも名品と呼ばれるシリーズの六点セット。シェルの鮮やかなターコイズカラーは特注だろう。プロ仕様の逸品だ。

 ぼくが丸井の赤いカードの24回払いで買った、それでもお値打ち品のドラムセット……その何倍の値段がするんだろう?

「譜面台もセットになって、お値段驚きの、4,880円プラス送料だ」

 エヘン、とニレイさんが胸を張る。

「これが5,000円?5,000ドルの間違いじゃないんですか?」

 いや、5000ドルでもまだ安いかもしれない。

「このドラムは中古品だからね」

 ニレイさんが、その安さの訳を教えてくれた。

「持ち主が置き場に困っててさ。うちに経験者がいるって話したら、是非持っていってくれってね」

 丸きりタダで貰ったんでは悪いと、ニレイさんはその人に昼飯をご馳走した。

 松花堂弁当とビール小瓶。そして10%のサービス料で、4,880円。

 そのドラムの譲り手は、高名な女性演歌歌手だった。

 このドラムセットの元々の持ち主は、その歌手の二十歳になる一人息子だ。

 母親から買って貰ったはいいが、ろくに叩けるようになる前にへこたれてしまった。

「どら息子のくせに、ドラムとの相性はよくなかったみたいだ」

 ニレイさんは、下手なシャレを飛ばした。

「本当にぼくが、使わせて貰っていいんですか?」

 ぼくが趣味程度に触るには、もったいないほど立派なものだ。

「うん、好きに使ってくれ」

「ありがとうございます」

 しかしぼくが礼を言った途端、ニレイさんがニヤッとした。

「でも、すまん。プレゼントというのは嘘だ。これはタダじゃない」

 4,880円プラス送料。

 ニレイさんに払えばいいのか?そのくらいなら、ぼくにも出せないことはない。

「財布をとってきますね」

 だが、ニレイさんは首を横に振った。

「いや、もうお代は勝手にいただいてある」

 そう言われても、ぼくは何も払った覚えはない。

「楽器というのは、官能的だね」

 奥の寝室から、サキさんが起き出してきた。

「この大小のドラム、青いドレスを来た美女が並び立っているようじゃないか。彼女たちの白い皮膚に、木の棒を持ったセイくんが打ちすえる…うん、この喩えはいかんな。直さいが過ぎて品がない」

 サキさんも、ドラムセットが届く件は承知していたらしい。

「セイくん、悪いが演奏の前にひと仕事だ。昨日おっちゃんとふたりで、取材に行ってきた。メモをまとめるのを手伝ってくれ」

「了解です」

 五島万は、ノンフィクション作家ではない。

 けれど、取材には小まめに出る。

「本当のところを知っておかないと、落ち着いて嘘が書けないだろう?」

 というのが、ニレイさんの持論だ。

 だがニレイさんとサキさんが二人連れ立って、出かけるなんて珍しい。


「うわ……」

 変な声が出てしまった。

 取材メモが書き付けられたノートを開けば、知っている固有名詞が飛び込んできた。

「お前さんの、昔の大将に会ってきた」

 あっけらかんと、サキさんが言った。

 ふたりが取材に出かけたのは、レコード会社。

 取材相手は、ぼくが以前所属していたバンドだ。

 五島万は現在、ポピュラーミュージック雑誌で連載などは持っていない。

 レコード会社にも音楽事務所にも、コネなどない。

 だが、諸手をあげて大歓迎された。

「高いお茶を出して貰った。社員も三人出てきたぜ」

 サキさんはいったが、歓迎されたのはニレイさんの方だ。

 ニレイさんには小説家である前に、有名人なのだ。

 デビュー前のバンドは当然売り出しに必死だ。

 そこに飛び込んで来た有名俳優。

 どんなチャンスかもしれないと、掴みたくもなったんだろう。

 ぼくは、長いため息をついた。

「イタズラの相手は、ぼくだけにしておいて下さい。彼らは真面目にやってるんです。からかっちゃいけません」

「人聞きが悪いな。冷やかしなんかじゃない。せっかく取材をしたんだ。ちゃんと書くさ」

 フンと、サキさんが鼻をならす。

「書く?何をですか?」

 思わず、無遠慮に尋ね返してしまった。

「小説に決まってるだろう。五島万は小説家なんだ」

 サキさんが、胸を張って言い切った。

 バンドメンバーをモデルに、長編小説を書き下ろす。

 ふたりは、本気でやるつもりらしい。

「彼らと話していたら、自然といい画が浮かんできたんだ」

 のほほんとした口調でニレイさんがいった。

 しかし、どんな着想を得たというのだろう?

 聞くのが怖い。


 ぼくはボイスレコーダーに納められた音声を、文字に起こしていった。

 行ったり来たり戻ったり。ふつうの清書の何倍も時間がかかる。

 ふたりはとても真面目に取材を行っていた。 

 俳優であり、人を引き込む魅力をもつニレイさん。

 五島万になる前は、ゴーストライターとして多方面の仕事を請け負っていたサキさん。

 ふたりの手際の良さ、的確さには、驚かされる。

 メインのインタビュアはニレイさん。

 サキさんはメモを書き付けながら、時折口を挟む。

 このバンドをふたりが知って、まだ数日。

 しかし楽曲をよく聴き込み、彼らのことを予習していた。

 この二人は、きちんと話を聞いてくれる。

 バンドメンバー四人は、膝を乗り出すようにして夢中で、話始めていた。

 取材メモに書き付けられた内容も、テープから再生される声も、遠くに感じた。

 半年前まで自分が、このバンドの中にいたとは思えない。

 彼らは新米ながらも、本物のロックスターだった。


 このテープの内容そのまま出しても、良質なインタビュー記事なりそうだ。 

 だがこれからアリアも加えて、これを小説の題材として俎上に乗せる。

 ぐにゃぐにゃ、グチャグチャ変えられていく。

「バンド名も、メンバーの名前も、そのまま使用する許可をもらった」

 サキさんは封筒の中から、作り立てホヤホヤの念書を出して見せてくれた。

 あーあーあ。何を書かれても知らないぞ。

 嘆息するよりない。

 五島万が、バンドのイメージ向上となるような、さわやかな青春小説なんて書くものか。

 きっとバンドメンバー四人は、ヤクザと戦う羽目になったり、連続殺人事件に巻き込まれたり、一人の女性を巡って愛憎劇を繰り広げたりすることになるだろう。

「セイくん、ごめんな」

 なぜかニレイさんがぼくに頭を下げる。

「脱退者の君の出番はなしだ。契約上作ってあげられない」

 残念そうに、ニレイさんが言った。

「お構い無く」

 ホッとした。

「バンドマンなんて、頭空っぽのスケコマシのクズばかりだと思ってたんだが……例外もいるんだな」

 サキさんは彼等のことを気に入ったようだった。

「特にリーダーの子がいいね。三島が好きなんだってさ。最高じゃないか」

 本を読むか人間か、読まないか人間か。

 この人の判断基準は、そこにしかない。一貫している。


 インタビューを終えたあと、ニレイはバンドメンバー四人を飲みに誘った。

 下戸のサキさんも同行した。

 そこでニレイさんは自分の元で、ぼくがアシスタントとして働いていることを明かした。

 四人は驚いた。

 でもこれで謎が解けた。

 なんでニレイさんという有名俳優が、無名の新人である彼らを選んで取材にきたのか?

 しかも、小説のモデルになって欲しいと申し込まれた。あり得ない。

 元メンバー・渋沢征の推薦があったからなのか。

 彼らは喜んだ。

 脱退後もぼくは、こんな形で応援してくれている。

 そう誤解したのだ。

「辞めた君にわだかまりがないと知って、一番喜んでたのは、ドラムの子だ」

 ニレイさんが教えてくれた。

 自分が前任者のぼくを追い出してしまったと、後ろめたかったらしい。

 まったく、そんなことはないのに。

「ベースとギターのふたりも、嬉しがっていたよ。きみが、新しい夢を見つけたことを……小説家という夢をな」

 またこサキさんが、身を乗り出す。

 だからそれは誤解だ!


 リーダーの"彼”はぼくの近況を聞いても、別段何も言わなかった。

 ただ苦笑ともつかないものを、唇の端に浮かべただけだ。

 ぼくは"彼”に近づいた理由を、最後まで明かさなかった。

 けれど、"彼”は最後に気付いた。

 ぼくが"彼”の夢を利用して、別の目的を遂げたことを。

 "彼"はニレイさんとサキさんに対して同情していたのかもしれない。彼らは新たなぼくの宿り木だ。


「お前さんの思い出話を肴に、大層盛り上がってきた」

 良いこと沢山聞いちゃったーと、サキさんがいう。

 ぼくの話は、小説に使わないのに。蛇足というものである。

「セイくんのウソつき。モテてたらしいじゃないか。『俺から目当てで入って来た子も、みんなセイに流れちゃうんだ』って、ギターの子が言ってたぜ」

「ないない。ありません」

 否定しておく。

「二十人の暴走族を相手に一人で立ち回って、全員ボコボコにのしちまったんだって?」

「嘘ですよ」

 ぼくはジャッキー・チェンじゃない。

 喧嘩相手の人数は、たった五人だ。

 バンドマンは目立つ。おまけにひょろっとスマートだ。

 舐められて、よく不良に絡まれる。ぼくは多少手荒い、バンドの外交担当だった。

「ライブ前夜に寝違えて、腕が上がらなくなって、ドラマーじゃなくダンサーとしてステージに上がったってのは、本当か?」

「……黙秘します」

 それは本当だ。確かにライブハウスの小さなステージでぼくは踊った。

 もちろんアガミの踊りではない。

 大体手も上がらないのだ。まともに踊れる訳はない。完全におふざけだ。

 しかしすぐに退場させられた。観客がざわめき過ぎて、支障が出たからだ。

 お客さんには、ライブの感想を聞くためのアンケートが配られる。

 その日アンケートは、フニフニ盆踊りを踊っていたぼくの感想で占められてしまった。

 "彼”に怒られた。この悪乗りのアイデアを出したのは自分のくせに。

 くだらないことを沢山した。

「青春だねえ」

 ニレイさんがしみじみという。

 その一言でまとめられてしまえば、そういうことだったのかもしれない。

「ドラムセットは、小説のアイデア料だ。セイくんが、彼らと引き合わせてくれたんだもの」

 そしてこれはオマケだよと、ニレイさんはポケットから、紙を取り出した。

「みんなから君への手紙だ。安心しろ。俺たちも中を読んでない」

 取材も何も関係ない。

 ぼくのだけのためのメッセージだと、サキさんが言った。

「一人で読んで、ポロポロ泣くといい」

 ひひひ、とサキさんが笑う。

 破り取られたノートの1ページ。裏表びっしりと寄せ書きがしてあった。

『水くさいぞ、いつでも会いに来い!』

『ライブ見に来い。俺たちの進化を見せつけちゃる!』

 これはギターとベースの字だ。

『先輩のパッションを受け継いで、叩いて、叩いて、叩きまくるぜ!』

 新しいドラマーも書いてくれた。気を使わせてしまって申し訳ない。

『目指せ、小説日本一!!』

『セイの本が出たら、絶対買う』

 この辺りのメッセージには、苦笑いするより他はない。

 そして飲みの席も終盤になったんだろう。

 いい加減酔っぱらって来たのか、ページの裏側は当初の趣旨から離れた言葉も目立つ。

『行くぜ!3年以内に武道館』

『目指せ、売り上げ十億枚』

『俺たちの音楽で、革命を起こす』

『売れてアイドルと付き合いたいー』

 こらこら、これは神社の絵馬じゃない。

 リーダーの彼からの言葉もあった。

 思い出した。こんな字を書く人だった。

『これからもドラム続けろよ』

 散々何を書こうか迷って、そしてこれだけを書いたのだろう。


 それから、貰ったばかりのドラムを少し叩いた。

 手は、おぼえている。

 けれど、あのときの異常な熱は、ぼくの中から消えている。

 いまはただ、気楽に楽しい。

 全部後ろに捨てきたつもりだった。

 しかし、まだぼくの中に淡く残るものがある。


 今のぼくはあの時とは違う。

 五島万の仕事に、あの時ほど自分の気持ちを乗せることもない。

 ぼくが成長したからではない。

 任された役割の違いだろう。

 いまのぼくは清書係だ。五島万の三人と同じステージに立つ必要はない。

 けれど、サキさんはこんなことを言った。

「音楽は暴力だ。衝撃で人を打ちのめす。文学は毒だ。じんわり人を蝕んでいく」

 ぼくの体にも毒は回りつつあるんだろうか?


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 先日、アリアはぼくらと一緒に銀ブラを楽しんだ。

 しかしあの日以来、また練習室に閉じこもりきりだ。

 あんな風通しの悪い、殺風景な部屋で働いて寝て……体と心にいい訳がない。

 アリアにはひとりでも気軽に、外を歩けるようになって欲しい。

 しばらく考えて、思い付いた。

 ぼくは春香堂に出かけていった。

 孝三叔父が専務を務める、老舗の香屋さんである。

 用があるのは、孝三叔父のいる表の店舗ではない。裏の事務所だ。

「何でこれが必要なの?」

 ぼくの用向きを聞いた、事務のおば様が首をかしげる。

「まさかセイくん、いかがわしいことに使うつもりじゃないんでしょうね」

 睨まれてしまった。

 いかがわしい?どんな想像をされたんだろう。

「ぼくのところの先生が、小説を書くのに必要な資料なんです」

 これで押し切った。


 メガネをかけた、アリアを見て思い付いた。

 春光堂で手に入れたのは、女子事務員服だ。

 紺色のベストにタイトスカート。そこに白いブラウスを合わせる。靴はペタンコのナースサンダル。そしてストッキングも必須だ。

 小道具として、ネームプレートとアームカバーもつけてやる。

 髪をひっつめに結えば、中小企業の事務員さんの完成だ。


 アリアが外に出たくない理由の第一は、人が怖いからだ。

 彼女は無用の人間に、声をかけられやすい。

 彼女を家出少女と間違えた補導員。ナンパ目的の野郎。芸能事務所のスカウトマン。バンバンバンバン引っ掛かる。

 自衛隊の勧誘員にしか呼び止められない、ぼくとはえらい違いだ。

「もういい。外は怖い」

 と、アリアはすっかり挫けてしまった訳である。

 そこで、この服の登場だ。

 ちょっとそこの銀行までお使い、という風情の事務員さん。

 事務員さんを、補導したり、ナンパしたり、スカウトする人はそうはいないだろう。 

 念には念を入れ、アリアのために名刺も作った。

 身分の提示を求められた時に、気軽に人に見せられるものが必要かもしれない。

『(有)オフィス・ニレイ 文芸部員 日比野 亞璃亞』

 名刺の文面はこうだ。

 アリアにサキさん、そしてぼくも、会計上の都合でニレイさんの個人事務所所属ということになっている。つまりこの名刺に嘘はない。

「部員?平社員ってことじゃないか。なんだ、遠慮なんかして。専務でも、元帥でも好きに名乗れよ」

 社長のニレイさんにいちゃもんをつけられたが却下だ。そんなところで、目立ってどうする。

 サキさんはサキさんで、厄介だ。

 アリアが気兼ねなく、外に出るとなったら俄然心配になってきたようだ。


「外で知らない人に声をかけられたら『いま仕事中なんで』と言って断れ」

「はいはい」

「変質者に襲われたら、大声で『助けて』と叫ぶんだ」

「はいはい」

「護身用の警棒とスプレーは必ず携帯しておけ」

「はいはい」

「暗い道は歩くな。大通りを歩け」

 途中から適当な相槌を打つのも面倒になったんだろう。

 アリアは呆れ顔だ。

 しかしサキさんの注意は終わらない。

「道に迷ったら恥ずかしがらず、お巡りさんに聞け。財布を落としたときのために、靴の中に千円くらい仕込んでおけ。困ったことがあったら、電話しろ。俺かセイくんが大体いる。俺たちが不在の時は、谷くんのポケベルを鳴らせ。門限は20時だ。絶対守れ」

「…………」

 更に続くサキさんのお説教を、アリアは右から左へ受け流していた。

「ちゃんと聞いてるのか! ?だいたいお前さんというやつは…」

「ところでサキくん、わたしどこに出かければいいんだろう?」

 行きたいところなんて、特にないとアリアは言った。

「……いっしょにデパートにでもいくか。ちゃんとしたバッグをひとつ買いに行こう」

「うん」

 サキさんも大概、アリアに甘い。


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