第百六十話:照会
静かな時間だった。
言葉にしていないものが、まだ残っている。
あと一歩。
踏み込めば届く距離。
その時だった。
扉が、叩かれる。
控えめに。
だが、はっきりと。
「……失礼いたします」
侍従が、一歩踏み込む。
その表情は、硬い。
「陛下」
一拍。
「隣国ヴェルクスより、使者が到着しております」
空気が、変わる。
一瞬で。
「……通せ」
グランディルが、短く言う。
数秒後。
扉が開く。
現れるのは、整った装いの男。
徽章は、見慣れぬもの。
だが。
格式は高い。
「アスティリア王、グランディル陛下」
形式的な礼。
「ヴェルクス王国より、正式な照会を預かっております」
差し出される、一通の書簡。
逃げ場のない形で。
「……」
グランディルが受け取る。
開く。
視線が走る。
そして。
止まる。
「……ほう」
低く、呟く。
その一言で、場の温度が下がる。
「読み上げよ」
侍従が受け取る。
「――ヴェルクス王国は、貴国に対し照会する」
一拍。
「帝国宰相レオナール・ヴァイスに類する知識及び思考を有する人物の所在について」
沈黙。
完全な。
「当該人物が存在する場合」
一拍。
「国際均衡の観点より、身柄の引き渡し、もしくは共同管理を求める」
言葉が、落ちる。
冷たく。
理屈だけで構成されたような文章。
「……」
誰も、動かない。
だが。
全員が理解する。
これは偶然ではない。
知っている。
誰かが。
流したのだ。
この情報を。
リディアへと、視線が集まる。
逃げ場はない。
完全に。
“対象”として。
沈黙の中。
「……」
ユリウスが、ゆっくりと前に出る。
視線は、書簡へ。
そして。
「……その国のやり方は、よく知っています」
静かに、言う。
感情は抑えている。
だが。
完全ではない。
その一言に、重みが乗る。
「……ほう」
使者の視線が、動く。
ユリウスへ。
観察するように。
「貴方は……」
一拍。
「ヴァイスの血筋、ですか」
空気が、さらに冷える。
「……確かに、私はその国で育ちました」
ユリウスは、静かに言う。
「恩があることも、否定はいたしません」
一拍。
視線が、使者へ向く。
「ですが」
わずかに、声が落ちる。
「それとこれとは、別です」
はっきりと、言い切る。
揺るがない。
「父上を差し出す理由にはなりません」
空気が、張り詰める。
完全に。
線が、引かれた。
沈黙が、張り詰める。
ユリウスの言葉が、線を引いた。
その上に。
さらに、重ねるように。
「……ならば」
アランが、一歩前に出る。
迷いはない。
もう、引かないと決めたからだ。
視線は、使者へ。
真正面から。
「王太子として、答える」
その一言で。
場の空気が変わる。
個人ではない。
国家の言葉になる。
「その要求は、受けられない」
はっきりと、言い切る。
迷いなく。
揺るがず。
「……」
使者が、わずかに目を細める。
だが、アランは続ける。
「理由は二つ」
一拍。
「第一に」
「当該人物は、我が国の貴族である」
リディアへ、わずかに視線を向ける。
それから戻す。
「よって、他国の要求により身柄を引き渡す義務はない」
理で、断る。
隙なく。
「第二に」
一歩、踏み込む。
「彼女は“物”ではない」
言葉が、落ちる。
強く。
「共同管理などという発想自体」
「人としての尊厳を欠く」
断言だった。
揺るがない。
「……」
空気が、静まる。
だが。
まだ終わらない。
「そして」
一拍。
視線が、さらに鋭くなる。
「それでも尚、求めるのであれば」
低く。
だが、明確に。
「それは外交ではなく、圧力だ」
線を引く。
はっきりと。
「我が国は、それに屈しない」
言い切る。
完全に。
王太子として。
その場に立っていた。
「……」
沈黙。
だが。
今度のそれは。
押し返した後の静けさだった。
沈黙の中。
グランディルが、ゆっくりと口を開く。
「……妙だな」
低く、落ちる。
その一言で。
空気の質が変わる。
「……何が、でございますか」
使者が問う。
だが。
グランディルは答えない。
視線を、巡らせる。
この場にいる者全員へ。
「この場で行われた会話は」
一拍。
「極めて限定された者しか知らぬ」
事実を、置く。
静かに。
「にも関わらず」
さらに続ける。
「貴国は“レオナールに類する存在”と」
「極めて正確に言い当てている」
言葉が、落ちる。
重く。
「……さて」
一拍。
視線が、使者に戻る。
「どこから、その情報を得た?」
逃げ場のない問い。
場が、凍る。
今度は。
別の意味で。




