↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

7/21

第一編 出会い 第七話 伝言は速い

回覧板が来た。


防災訓練と花壇当番と集会所の掃除。いつもの黄色い表紙に、いつもより多く付箋が貼ってあった。


『広瀬さんちのロボさん、宿題を見てくれたんですって』

『うちの子も一緒にお願いしたいわ』

『丁寧な子ね。挨拶ができてる』

『子って呼ぶのね。でも、わかる』

『集会所のポンプのことも、聞いてみたいです』


五枚で、俺の静かな生活が傾いていた。


むつみちゃんが学校で話し、母親たちに伝わり、そのあと回覧板が追いついたらしい。紙より先に内容が届く。町内の通信速度を甘く見ていた。


「アルト、見ろ」


「評判が上昇しています」


「喜ぶ方向じゃないんだよ。俺は静かに暮らしたいの」


「評判は防御工事です」


「また工事か」


「知らない人には声をかけにくい。知っている人にはかけられます。困ったとき、開発者殿が一人にならずに済みます」


正論の出し方がずるい。


「困る用事も増えてるんだが」


「そちらは、受付の調整が必要です」


「先にそっちを調整しろ」


◇


集会所の掲示板を見に行くと、同じ話題の紙が増えていた。『ロボさんは、うちの子より礼儀正しい』。どこの家の子が比較に使われたのか、聞かないでおこうと思った。


家に戻って、アルトに尋ねた。


「お前、子って呼ばれていいのか」


「子は育ててもらえる立場です。悪くありません」


「守る側なんじゃなかったか?」


「守られることと、両立できるそうです」


むつみちゃんの授業が、もう役に立っていた。


夕方、ドアを叩く音がした。自治会長の田島さんだった。定年まで役所で働いていた人で、玄関先の立ち話にも議題がある。


「広瀬くん。散水ポンプの件なんだけどね」


「……はい」


「設置から十年で、このところ出が悪い。交換すると三十万だそうなんだ。予算の承認を待っている間に、夏が来る」


あのポンプは少し前から、動く前に二度咳をしていた。下の継ぎ目が怪しいと思っていたが、思っただけだ。


「みんなが、広瀬くんならわかるんじゃないかって」


「部品の検査をしてるだけですよ。直せるとは限りません」


「見ることはできる?」


「状態を確かめるくらいなら。ただ、電気の工事や大きな交換は業者さんに頼んでください」


田島さんの目が明るくなった。


「わかった。無理なものは無理でいい。まず、見てもらえるだけで助かるよ」


断ろうとして、条件付きで引き受けていた。俺の返事はよく、こういう形になる。


日曜に下見をすることになった。直すかどうかは、そのあとだ。念のため二度言った。


田島さんも二度頷いた。帰り際にはアルトに「よろしく頼むよ」と声をかけた。アルトは深く頭を下げた。


帰った直後、早苗さんが買い物袋を提げて通りかかった。


「広瀬さん、来週の顔見せ会、来られる?」


「俺、七年住んでますけど」


「新しく入った方も来るのよ。広瀬さんのことも、ちゃんと紹介したいし」


「紹介は、そんなに」


「静かな人ほど、紹介しがいがあるの」


理由として強すぎた。


◇


夜、俺は予定を確認した。


ポンプの下見。顔見せ会。むつみちゃんの宿題。休日の白い部分が、だいぶ減っている。


「これ、防御工事で合ってるか?」


「人間関係は生活の基盤です。点検は必要かと」


「俺の休日を点検日と呼ぶな」


「では、顔見せ会のあとに休息を確保します」


「その会でお前、何するつもりだ」


「挨拶です。名刺は持ちません」


「作ってないよな?」


「下書きのみです」


俺は手を出した。アルトが一枚の紙を差し出す。


『生活環境最適化担当』


「家政ロボでいいだろ!」


「外部向けの呼称に修正します。敬礼も控えます」


「敬礼する気だったのか」


「丁寧な挨拶の候補でした」


こいつの候補は、いつも一段大きい。先に聞いておいてよかった。


紙を返すと、アルトは丁寧に畳んだ。大事なものをしまうような動作だった。


「名刺、欲しいのか?」


「必要ではありません」


「欲しいかを聞いてる」


少し間があった。


「名前を渡せるのは、便利だと思いました」


俺は返事に困った。あの消去されたという名前が、頭をよぎった。


「だったら、アルトって名乗ればいい。肩書きはなくていいから」


「承知しました」


今度はすぐに返ってきた。


◇


寝る前、表の立て札を見に出た。


雨の日の注意書きの隣に、花壇当番の小さな案内が増えていた。管理人に頼まれたのだという。字はやっぱり綺麗だった。


「見本とか、あるのか」


「ゴトウ電機の看板を参考にしました」


「あの正座してる字か」


「はい。長く同じ場所にある字は、安心されるようです」


頼まれて書いて、町の字を真似する。妙なロボットが、妙なりに馴染んでいる。


俺はため息をついた。今夜は換気が始まらなかった。


「用件はありませんでしたか」


「ないよ。別に嫌だったわけじゃない」


「記録します」


「全部、記録するなよ」


部屋に戻ると、玄関先の花に新しい葉が出ていた。アルトが鉢の向きをわずかに変える。


「水やり、楽しいか?」


「必要な作業です」


「そうじゃなくて」


「……次の葉が出るのを待っています。必要な水は、もう足りているのですが」


「それ、趣味でいいんじゃないか」


アルトは鉢を見た。


「では、水やりと観察を趣味に登録します」


「登録しないと始まらないのか」


「登録する前に、始まっていたようです」


俺は少し笑った。


明日の下見で、また休日が減る。それでも、布団に入るときの気分はそれほど悪くなかった。


部屋は静かだった。傘は乾いていた。要点は三行に収まりそうだった。


誰の普通なのか、だんだんわからなくなってきた。


【観測記録 アルト】


ポンプは下見の予定。復旧の約束はまだしていない。受付と約束を区別するよう、開発者殿から指示を受けた。


顔見せ会では「アルト」と名乗る。肩書きは不要。


花の次の葉を待っている。待つ理由が、また一つ増えた。


(第七話・了)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。