第一編 出会い 第六話 宿題は教育課題になりました
土曜の朝のチャイムは、大体ろくな知らせを持ってこない。
開けると、むつみちゃんと母親の早苗さんが立っていた。早苗さんの手には饅頭の包み。もう断りにくい。
「急にごめんね。むつみが、どうしてもって」
「ロボさん、いる?」
娘のほうが早かった。
「いるけど、どうした?」
「学校で自由研究のテーマを決めるの。機械の本を読んだんだけど、本だと音がしないから」
「音がしない」
「壊れかけた機械の音が、どうして直るのか知りたい」
いい質問だった。俺は饅頭を受け取って二人を通した。断る理由は、包み紙の中に収納された。
畳を拭いていたアルトが正座する。
「ようこそ、いらっしゃいませ」
「アルト。宿題、見てやってくれ」
「承知しました。教育課題として受け付けます」
「大げさにするなよ」
むつみちゃんは既にノートを開いていた。題名は『ロボさんの膝の音のなぞ』。俺の家電の故障が、学校へ提出されるらしい。
◇
アルトは腕の外側のカバーだけを外した。見えるのは量産品と同じ形の関節だ。奥の機構には、別の覆いが残っていた。
「ここが肘、こちらが手首です。動かす前には手を離してください」
むつみちゃんは触っていいか聞いてから触った。いい子だった。俺なら先に型番を見ている。
「なんで機械って壊れるんですか?」
「使うと、擦れたり、少しずつ形が変わったりするからです」
「使わなかったら壊れない?」
「使わなくても、別の壊れ方をします。錆びたり、動かなくなったり」
「じゃあ、どうしたらいいの?」
「変わったところに、早く気づいてあげてください」
俺は茶を淹れる手を止めた。
工業高校の先生が、似たことを言っていた。『答えを知ってる顔をするな。まず音を聞け』。十一年前、退屈な実習の最後に聞いた言葉だ。
覚えていないつもりだった言葉が、案外、手の中に残っている。
むつみちゃんの質問は、途中から難しくなった。
「ロボさん、どこの工場で生まれたの?」
「遠くの工場です」
「海の向こう?」
「その可能性もあります」
「自分でも知らないの?」
アルトは小さく頷いた。
「記録のないところがあります」
むつみちゃんは少し考えて、その質問には丸をつけなかった。
「じゃあ、わかるところからやろう」
俺より上手い。
◇
道具箱から、交換した古いジョイントを出した。外した部品は、店長が持たせてくれていた。
「この隙間が、使っているうちに少し広がったんだよ」
俺が軸を揺らすと、小さく音がした。
「動くたびに、ここが当たってた。お店の人が合う部品に替えて、力が変にかからないよう締め直したから、静かになった」
むつみちゃんは耳を近づけた。
「これ、痛い音?」
「人間と同じ痛みかは、わかんないな。でも、放っておかないほうがいい音だ」
「機械は、壊れる前に音で言い訳をします」
アルトが言った。
「聞いてくれる方がいれば、間に合うことがあります」
「聞く人がいなかったら?」
「黙って壊れることもあります」
むつみちゃんは鉛筆を置いた。
「うちの父ちゃんのところにも、いっぱいある。今度聞いてもらう」
壊れた機械を、自分一人で直すとは言わなかった。そこもいいと思った。
ノートには丸と矢印、部品の小さな図が増えていく。俺が普段、端紙に描く図に似ていた。始まりはみんな、このくらいなのかもしれない。
「ヒロさんのお仕事も、音を聞くの?」
「主に傷を見る。部品の検査だよ」
「探偵みたい」
「もっと地味。何時間も同じようなものを見る」
「わたし、五分で飽きる」
「それは健康でよろしい」
言いながら、俺は図の矢印を一本直した。むつみちゃんは、なぜ直すのかを聞いた。そこからまた話が始まり、茶は少し冷めた。
◇
むつみちゃんがアルトの指を数えている間、早苗さんが声を落とした。
「そのロボさん、本当にゴミ置き場にいたの?」
「ええ。回収に出されてて」
「もったいないね。こんなに丁寧な子なのに」
機械ではなく、子だった。
「そういえば、集会所の裏のポンプも変な音がするの。業者さんは交換だって。広瀬さん、あれはどうなのかしら」
「まだ、ちゃんと見てないんです。前を通るときに聞いたくらいで」
「そうなのね」
その『そうなのね』には、先の予定が含まれていた。
むつみちゃんも顔を上げた。
「ポンプも言い訳してる?」
「してるかもしれないな」
「じゃあ、聞いてあげなきゃね」
「……そうだな」
俺は饅頭を三つ目に伸ばした。その返事が何に使われるのか、深く考えなかった。
帰り際、むつみちゃんは玄関で振り返った。
「ロボさんは、ヒロさんのこと好きなの?」
小学生の直球には、逃げる場所がない。
「はい。任務として」
「それ、両方でいいんだよ」
「両方、ですか」
「パパに聞いたことあるの。ママが好きだから一緒にいるのか、家族だからかって。『両方』って言ってた」
アルトは黙った。むつみちゃんは答えを待たず、早苗さんと手を繋いで帰っていった。
「……勉強になりました」
玄関でアルトが言った。
「教える側じゃなかったのか、お前」
「本日の教育効果は、双方にありました」
「便利な報告だな」
◇
片付けながら、アルトが尋ねた。
「来週も受け付けてよろしいですか」
「次の宿題まで決まってるのか?」
「ロボさんの耳の謎、だそうです」
「耳はないだろ」
「その点から始めます」
俺は少し考えた。休日がまた埋まる。断れない性格を利用されている気もする。だが、ノートの丸と矢印を思い出すと、断る理由のほうが頼りなかった。
「午前中だけな。自由研究は、あの子が自分でまとめること」
「承知しました。答えを書きすぎないようにします」
月曜の朝、むつみちゃんが登校前にノートを見せに来た。
『ロボさんは音で言い訳をする。ヒロさんは聞いてあげる。二人はなかよし』
「……研究の結論、それか」
「違うの?」
俺は背後の青い目を見た。
「違わないけどさ」
むつみちゃんは満足そうにノートを閉じた。俺たちの関係は、小学生の字で決定された。
【観測記録 アルト】
むつみ様から、「両方」という回答を得た。任務と、それ以外を分けなくてもよい可能性がある。
新しい分類を作成。「なかよし」。最初の登録は、開発者殿と私。
次回の宿題では、私が答えを書かない。待つことも教育に含まれる。
(第六話・了)




