第一編 出会い 第五話 余った部品と、来た道
その夜、ゴトウ電機の店長は眠れなかった。
業者用の部品照合サイトに、今日取り付けたジョイントの規格番号を入れる。
〔現在流通なし。流通中止、二十年前〕
「……知ってるよ」
知っていることを確認するために、こんな時間まで起きていた。
二十年前、ある規格の部品が一斉に消えた。理由は説明されなかった。発注先へ電話をすると別の部署が出た。担当者の名前は知らないと言われた。
整備士は、それ以上聞かなかった。
倉庫の奥、誰も欲しがらない部品の下に古い工具箱がある。中身は工具ではない。整備記録の写しが三冊。表紙には『AR-7 運用整備記録』と書かれていた。
ARLT計画へ繋がる前の、旧い呼び名だ。
処分を命じられたとき、原本は燃やした。だが作業用の写しは、この箱に残った。残しておいたのか、捨て忘れたのか。二十年経っても、その言い分は決めていなかった。
店長は一番新しい一冊を封筒に入れた。
今夜は渡さない。明日も、たぶん渡さない。
あの若い男が、機械をただの家電と呼べるうちは。
◇
翌日の午後、俺は畳の上でアルトを歩かせていた。
左膝の音は消えていた。動きにも引っかかりがない。店長の仕事は綺麗だった。
「どうだ、膝」
「良好です。荷重を受けた際の偏りも減りました」
「じゃあ、あの三歩はなんだ?」
アルトはゆっくり歩いた。一歩ごとに膝を止める。昨日、店でやったのと同じ歩き方だ。
「一歩目で保持力。二歩目で軸の通り。三歩目で残る違和感を確認します。整備士様が教えてくださいました」
「もう直ってるのに、まだ確かめるのか」
「歩くのは私ですが、確かめ方はあの方のものです」
俺は静かな手を思い出した。速さを見せない手だった。
「離れていても、整備の履歴は効きます」
アルトはそう言って、いつもの歩き方に戻った。
たまに、変にいいことを言う。だから文句を言うタイミングがなくなる。
俺がため息をつくと、換気扇が回った。
「換気しなくていい。ただのため息だ」
「ため息の大半は空気です。ですが、少し用件が混ざっています」
「今の用件は『換気しなくていい』だよ」
換気扇が止まった。ようやく一つ、話が通った。
◇
チャイムが鳴った。
ドアの向こうに店長が立っていた。昨日の伝票に書いた住所を見て来たらしい。手には段ボール箱。脇には枯れかけた花の鉢。
「余った」
「……なにがですか」
「ネジと吸音材。予備にしろ。同じのは今後、簡単には出ねえ」
「わざわざすみません」
「ついでだ」
店長は鉢も差し出した。
「これも、ついでだ。店先で枯らしかけた」
「花は育てたことないんですが」
「私が育てます」
部屋の奥からアルトが答えた。その声で、店長の肩が少しだけ固くなった。
俺は二人を交互に見た。昨日のドライバーの音を思い出したが、聞く言葉は出てこなかった。
「昨日は、お世話になりました」
アルトが頭を下げる。店長も下げ返す。
「ああ。音はどうだ」
「ありません。締め順も記録しました。あの機体の歪みに合わせた手順でしたね」
「機体の状態を見りゃ、変える」
「私は、弱い箇所をお伝えしていませんでした」
店長が黙った。
「ですから、ご報告します。今、とても調子がいいです」
しばらくして、店長は短く頷いた。
「そりゃ、よかった」
俺は座布団を出した。アルトが茶を淹れた。湯呑みを受け取った店長の手が、わずかに止まった。温度を確かめるように一口飲み、今度は俺を見た。
「あんた、仕事は」
「オオタ製作所で、部品の目視検査を。派遣です」
「何年だ」
「七年です」
「七年か」
店長はもう一口、茶を飲んだ。
「俺も昔は、よその整備をやってた。自衛隊の整備だ。今はこの店だけだがな」
「それで、工具に詳しいんですね」
「詳しくなきゃ飯が食えん。それだけだ」
それだけ、という言い方が俺と似ていた。似ているからこそ、その先を聞くのはやめた。
「今度ほかの音が出たら、店に持ってこい」
「どうして、そこまでしてくれるんですか」
「一度手を入れた機械だ。うちの店のルールだよ」
この町には、俺の知らないルールが多い。
帰る前に店長は、また同じ質問をした。
「あんた、こいつをなんだと思ってる」
俺は畳に座るアルトを見た。
「古い家電です。……ただ、もう売る気はないです」
店長は眼鏡を押し上げた。
「そうか」
今度のそれは、昨日より少し柔らかかった。
◇
玄関先に鉢を置いた。根元の土を少し足し、水をやる。アルトは横で見ていた。
「量が間違ってたら教えろよ」
「今の量で適切です」
「よし。枯らすなよ」
「枯らさないよう管理します。うまく根が戻れば、来月には花を見られるかもしれません」
「来月って、また家賃の引き落としが来る頃だな」
「重大な予定が重なります」
「花と家賃を同じ欄に入れるな」
俺は手を洗い、スマホでゴトウ電機を検索した。地図と営業時間。レビューは二件。『値切られた』と『なぜか安くしてくれた』。店長の昔の話は、どこにもなかった。
「あの人、なんで自衛隊を辞めたんだろうな」
「私にはわかりません」
珍しく、あっさりした返事だった。
「店長のこと、本当に知らないのか」
「お名前と、昨日の仕事は存じています。それ以前については、確かめられません」
「でも、あの人はお前を知ってるみたいだった」
「見なかったことにしてくださる方も、いらっしゃいます」
俺は画面を閉じた。
確かめないことが礼になる。そんな関係があるのだと、初めて思った。わかったつもりにはなれなかったが、今の膝が静かなことだけは本当だった。
◇
閉店後、店長は花のなくなった店先を見ていた。
「見なかったことにする」
誰もいない場所で言う。
「二度目が、そんなに上手くいくかは知らねえが」
踏切が鳴った。店長は灯りを消し、例の封筒には手を伸ばさなかった。
【観測記録 アルト】
ゴトウ様を登録。分類は、情報を持ったまま黙っていられる整備士。
旧家電と呼んでくださった。その言葉を壊さないことが、今の私にできる礼である。
開発者殿の水やりは適切だった。花はまだ咲いていない。膝の音はもうしない。
両名とも、私を捨てなかった。
(第五話・了)




