第一編 出会い 第四話 店の隅で整備士が凍った
問題は駆動系だった。
アルトを持ち帰った翌週から、左膝が妙な音を立てるようになった。金属が擦れる音より深い。節の奥で何かが鳴っている。
「アルト、膝、なんか言ってないか」
「通常の歩行に支障はありません。なお、交換の必要はございます」
「問題ない顔で問題を報告するな」
「第三ジョイントに摩耗があります。接続寸法は市販品に近いのですが、内部の仕様が異なります」
俺がゴミ置き場で見たのは外側だけだった。規格品だと思った関節の内側に、規格ではないものが入っている。
「ジャンク屋にあるかな」
「互換品は使用できます。選定条件をお渡しします」
翌朝、隣の棟のむつみちゃんが部屋の前で待っていた。小学五年生。ランドセルの肩ひもを両手で掴み、俺を見上げた。
「ヒロさん、ロボさんの膝が鳴ってたよ。大丈夫?」
「これから直すところ」
「うちの父ちゃん、解体屋で働いてるから、部品もらえるか聞いてみようか」
「ありがとう。でも、まず店で探してみるよ」
むつみちゃんは頷いた。「直ったら教えてね」と言い残して走っていく。家電一体の膝を、町の子どもが心配している。
俺も、売値より修理代を先に考えるようになっていた。
◇
駅裏の踏切を渡った先に、ゴトウ電機はあった。
看板の「電」の字が、正座しているみたいにどっしりしている。店内には配線が垂れ、床には家電の残骸が難解な秩序で並んでいた。
初老の店長が帳場から顔を上げた。短く刈った髪に、度の強い眼鏡。
「売るのか、買うのか」
「買うほうです。探してる部品があるんですが」
「聞くだけならタダだ。見せな」
メモを渡すと、店長の目が止まった。
型番ではなく、寸法と必要な精度を書いた紙だ。アルトの説明を聞き、俺が並べ直しておいた。
「……この数字、どこから持ってきた」
「うちの古いロボットです。ライフメイト10型のつもりだったんですが」
店長は返事をせず奥へ入り、ジョイントを一つ持ってきた。
「これなら合うかもしれん。二千円だ」
「安いですね」
「長く置いてあった。棚を空けたい」
そう言いながら、店長は商品ではなく俺を見ていた。
「ただし、本体を見てからだ。合わないものは売れん」
「明日、持ってきます」
その日は取り置きだけ頼んだ。新品ならもっと高い。中古でも、二千円では安すぎる気がした。
帰ってアルトに話すと、青い目が少し暗くなった。
「その価格には、理由があると思われます」
「棚を空けたいって言ってたぞ」
「寸法を見ただけで、部品を出されたのですね」
「心当たりがあるのか?」
「確認できるものはありません」
否定ではなかった。俺はその違いを、聞かなかったことにした。
◇
翌日、アルトは整備依頼書を出してきた。
型式欄に『ARLT零号機』とある。
「情報統制どこ行った」
「差し替えます」
次の紙は『ライフメイト10型』になった。ただし、仕様欄が問題だった。
〔定格出力 公開可能な範囲〕
〔駆動系 同上〕
〔重量 同上〕
〔製造年 同上〕
「公開可能な範囲がゼロじゃねえか」
「白紙は最上級の情報管理です」
「修理を頼む側の態度じゃないんだよ」
結局、依頼書は渡さず、口で説明することにした。アルトを台車に乗せて店まで運ぶ。膝の負担を減らすためだと言うと、本人は俺に荷物を引かせることに最後まで反対していた。
「開発者殿に重いものを持たせるわけには」
「今はお前が、その重いものなんだよ」
店長は作業台に乗ったアルトを見て、最初は普通の顔をしていた。
「古いな。外装なら、うちにも三体ある」
「最近、うちに来たんです」
「じゃあ、中を見せろ」
特殊ネジに合う工具を、店長は迷わず選んだ。
カバーが外れた。
店の隅で、整備士が凍った。
工具差しからドライバーが落ちた。カツンという音のあと、誰も動かなかった。店長は配線を見ている。関節を見ている。腕部カバーの内側にある、小さな刻印を見ている。
「……若いの。こいつを動かしたのは」
「充電したら、勝手に起きました」
「そうか」
それ以上、聞かなかった。
工具を拾い、椅子に腰を下ろす。最初のネジに手をかけるまで、さらに十秒かかった。整備屋の十秒は、やけに長い。
「どこで拾った」
「ゴミ置き場です。回収に出されていて。管理人さんに断ってもらいました」
「回収か」
店長はアルトの中を見たまま、もう一度そう言った。
「この中身を見たのは初めてか」
「はい。うちの工具じゃ開きませんでした」
「……部品は合う。だが交換は俺がやる」
「自分でやれませんか。手先には少し自信が」
「目視検査と、こいつの整備は別の仕事だ」
言い返せなかった。俺は見えるものを見ていた。店長は見えないところまで知っている顔だった。
「工賃を入れて三千円でいい」
「それでも安くないですか」
「値上げしてほしい客は初めてだな」
俺は黙って待つことにした。
◇
整備の間、店先で雨宿りをした。
古い看板の塗装の下に、さらに古い文字が透けていた。何度か店の名前が変わったのかもしれない。読める部分を探していると、奥からラチェットの音がした。
回す。止める。確かめる。また回す。
速いのに、急いでいない音だった。
呼ばれて戻ると、アルトが低い試験台の上で三歩歩いた。一歩目で膝を止め、二歩目で軸を確かめ、三歩目で振り返る。店長は頷いた。
あの音は、もうしていなかった。
帰り際、店長がタバコを一本差し出した。俺が断ると、自分の耳に挟んだ。
「あんたは、あれをなんだと思ってる」
「……古い家電、ですかね」
「そうか」
店長はアルトを見て、それから俺を見た。
「何も聞かねえよ。聞かねえのが、うちの店のルールだ」
「ありがとうございます」
アルトも頭を下げた。店長は、機械に向かって同じ深さで頭を下げた。
◇
俺たちが帰ったあと、店長は帳場に座った。
開いた帳簿には、売上三千円。部品二千円、工賃千円。それだけを書いた。
鍵のかかった引き出しから、古い整備手帳を出す。二十年前の字が並ぶページを、しばらく開けずにいた。
やがて開いた頁の端には、こう書いてあった。
『この頁は閉じる。理由は聞かないことにする』
店長はその下に、今日の日付を足した。
『左膝、交換。歩行確認、三歩』
耳のタバコには、結局火をつけなかった。
「……旧家電がよ」
作業台に向かって、小さく言った。
「昔の整備屋を困らせて、なんになる」
答えるものはなかった。
翌朝、店長はいつもより三十分早く店を開けた。あの試験台は、既に綺麗に拭いてあった。
(第四話・了)




