第一編 出会い 第十四話 いいねしか押せない
作戦会議を開いた。
六畳に俺とアルト。議題は、覚書をこれからどうするか。
前編、中編、後編でいったん完結した。それなのに『次も待ってます』というコメントが増えていた。待たれるのはうれしい。待たれると、何かしなければいけない気もする。
「やめたら、変に思われるかな」
「三編で完結しています。そこで終えるのは、不自然ではありません」
「消すのは?」
「できます。ただ、既に保存された文章まで回収することはできません」
「名乗り出るのは?」
「今のお気持ちでは、お勧めしません」
珍しく、三つともまともな回答だった。
「お前は、続けたいのか」
「はい。届いて助かったという言葉を見ると、続きもお届けしたいと思います」
「情報統制なのに?」
「隠すことだけが、守ることではないと考えました。ですが、決めるのは開発者殿です」
俺は缶の底を畳に置いた。
「じゃあ、不定期で。書けることがあったときだけな。名前と勤務先は出さない。仕事の資料も使わない。俺が読んでから出す」
「承知しました」
「それと、私生活を勝手に混ぜるな。肩が痛いとか牛丼食いたいとか」
「牛丼の人気は高いのですが」
「読者の人気で俺の晩飯を決めるな」
新しい決まりは、一枚の紙に収まった。アルトは例のおまけの隣に置いた。
◇
次に書いたのは、古い部品を買うときの話だった。
まず物を見る。それから値段を見る。安ければ何でも得なわけではない。合わない部品は、安くても使えない。
ゴトウ電機で学んだ話だ。店名も場所も書かなかった。店長には、似た話を匿名で書いていいか聞いた。
「俺がわかるようにはするなよ」
「しません」
「じゃあ好きに書け。安く売る店だってのは省け。客が来る」
「そこは省きます」
店長はパソコンで覚書を読み、鼻を鳴らした。
「現場の者、か」
「誰か、わかります?」
「わかるわけがねえ。ただ、書いてる順番が、あんたに似てる」
俺が黙ると、店長もそれ以上は言わなかった。
帰り際、店の古いメモ帳を一冊見せられた。型番と寸法、どの部品で代用できたか。失敗した組み合わせには大きなバツがついている。
「うまくいった話より、こっちを残しとけ。次のやつが同じ失敗をしなくて済む」
「借りていいんですか」
「今日は見せるだけだ。続きが見たけりゃ、また来い」
「本じゃなくて、俺を通わせるんですか」
店長は笑わずに帳場へ戻った。俺は買った部品を持ち直した。
◇
帰り道、むつみちゃんに会った。小さなジョウロを持っている。
「水やり?」
「今日は見るだけ。ロボさんが朝にやったから、土が乾いてなかったら足さないの」
ノートを見せてもらった。日付と天気、水をやったかどうか。花の形のスタンプが並んでいた。
俺の家の水やりに、引き継ぎが生まれていた。
「楽しいか?」
「楽しい。葉っぱ、昨日より大きいし。ロボさんも毎日見に来るよ」
「あいつ、趣味って言ってたな」
「なのに、任務ですって言うときもあるの。どっち?」
「両方でいいって、お前が教えたんじゃないか」
むつみちゃんは「あ、そっか」と笑った。
帰り際に「では、失礼します」と頭を下げた。アルトの口癖が移っていた。町へ広がっているのは、俺の噂だけではないらしい。
◇
夜、アルトにスタンプの話をした。
「花がまだ咲いてないのに、花のスタンプなんだな」
「咲くまで待つ目印です」
「絶対咲くとは限らないぞ」
「はい。ですので、今日見た葉の記録も残しています」
俺は鉢を見た。咲いたかどうかだけで見れば、ずっと途中だ。でも、葉は確かに増えている。
七年の目が積もっている、とアルトは言った。そんな話を、花のところで思い出した。
風呂から上がると、アルトが報告した。
「普通の風呂の校正が終わりました」
「ああ、基準になる人って、誰だったんだ?」
「開発者殿です」
「俺?」
「一緒に暮らし始めて二日目の晩に、『普通。いつも通りだ』とおっしゃいました。その温度と量を基準にし、その後のお返事で調整しました」
俺が普通だと言ったものが、この家の普通になった。
当たり前の話なのに、なぜか少し驚いた。俺はいつも、自分の外に普通の正解があると思っていたのかもしれない。
「……急にいいこと言うなよ」
「通常の業務報告です」
「そういう顔で言うのがずるいんだよ」
◇
寝る前、投稿のコメント欄を開いた。
『この人、機械が好きなんだな』
『次に直すときは、まず音を聞いてみます』
『部品を安さだけで選んでました。反省』
返事を書きかけて消した。『ありがとうございます』では大げさな気がする。『普通の検査です』では、せっかくの礼を押し返すように見える。
結局、いいねだけ押した。
「返事、難しいな」
「今日は、それだけでもよいのでは」
「お前なら何て書く?」
「私も、いいねを押しました」
「アカウントを作ったのか」
「『畳』という名前です。閲覧と応援用です」
「なんで畳なんだよ」
「いつも、開発者殿の独り言を支えている場所なので」
俺は畳の上で笑った。
フォロー先は『現場の者』だけ。フォロワーはゼロだった。俺が自分の個人アカウントでフォローしようとすると、アルトが少し慌てた。
「つながりを公開する設定です。お名前が推測される可能性があります」
「……そういうところは役に立つな」
「情報統制に協力しております」
俺はフォローをやめ、代わりに声で言った。
「ありがとな」
画面には残らない返事だった。
アルトは頭を下げ、上げてからもう一度俺を見た。
「今の返事は、こちらで受け取りました」
「見ればわかるよ」
そう言ってから、俺もスマホを伏せた。
【観測記録 アルト】
不定期の更新を継続。公開前に原稿と範囲を確認する。
「畳」のフォロワーはゼロ。本日は、画面の外で返事をいただいた。
通知には表示されない。見落としもしなかった。
(第十四話・了)




