だらしない探偵がちゃんと探偵でした。最悪です。
朝日が差し込む探偵事務所。
僕はソファーに寝そべり、だらしなく転がっている探偵を見て、嘆息した。
「またソファで寝て……依頼人が来たらどうするんですか」
「別にいいじゃないか。個人事業主なんだし、自由だよ、自由」
「またそんなこと言って……」
そのときだった。玄関のチャイムが鳴った。軽快な音だ。
「橋田さん、依頼人です」
「んー……ワタル、代わりに聞いといて」
「起きてください。探偵でしょう」
「そうだった。うっかりしてた」
「うっかりで職業を忘れないでください」
適当なことを抜かす橋田さんの腕を雑誌でつつくも、返ってくるのは間の抜けた声だった。
僕はもう一度息をついて、立ち上がった。
「どうぞ」
お茶を差し出せば、依頼人は「……ありがとうございます」とおずおずと受け取った。
派手ではないが、丁寧に身なりを整えた女性だった。
ミルクティー色というのか、セミロングの髪を後ろでゆるい三つ編みにしている。
薄ピンクを基調としたレーストップスに、ホワイトのハイウエストスカートを履いていて、全体的に可愛らしい雰囲気だ。
見たところ、20代前半といったところか。
「申し遅れました。私、相沢美咲といいます」
「相沢さんですね」
相沢さんは居住まいを正した。
「あの、依頼内容をお伝えしても……?」
橋田さんは答えない。ただ、ソファに沈んで、ぬるいコーヒーに口をつけた。
代わりに僕が口を開く。
「お願いします」
僕がそう言うと、相沢さんはほっとしたように僕に喋りかけた。
「あの、私、恋人がいるんですけど……。最近、なんだか様子がおかしくて。そわそわしてるっていうか、嬉しそうっていうか、浮かれてる感じで……。前に比べて明らかにスマホを触る時間が増えてて。スマホ眺めてニヤニヤしたり、なんか明らかにおかしいんです」
「それは、いつ頃からですか」
「一ヶ月ほど前です。自分でも変だなって思ったのが、同じ時期から、毎週火曜日に、どこかへ通っているみたいなんです」
「毎週火曜日、ですか」
「はい。仕事が終わったあと、いつもより二時間くらい帰りが遅くて」
「行き先は?」
「わかりません。聞いても、ちょっと用事って」
「……確かに、気になる行動ではありますね」
「私、もしかしたら浮気かもしれないって思って。
ぜひ調べてほしいんです」
僕は橋田さんを見た。橋田さんは、めんどくさそうにコーヒーをすすった。
「浮気調査ねえ。だいたい見たくないもん見るだけだぞ」
「それでもいいんです!私、真実が知りたいだけなんです」
「今の恋人関係が反故になっても?」
「それでも構いません。というか、今回はその真偽を明らかにするために来ました」
浮気調査?くだらない。僕も橋田さんと同意見だった。
傷つくだけ損だ。
そう思ったのに、依頼人の膝の上で握られた指先が、白くなるほど力んでいるのが見えた。
橋田さんは僕をちらりと見た。
「……ワタル、意外とこういうのに弱いよな」
「弱くありません」
「今、瞬きが増えた」
「増えてません」
橋田さんはさも面白いといった様子で唇を綻ばせ僕を見つめ、それからゆっくりと相沢さんに視線を戻した。
橋田さんはカップを机に置いた。
音は思ったよりも静かだった。
さっきまで半分眠っていた目が、相沢さんをまっすぐ捉える。
「分かった。その依頼、受けよう」
数時間後、僕は橋田さんと一緒にターゲットが出てくるのを待っていた。
「張り込みといえばあんぱんと牛乳だろ」
「なんてベタな。僕に押し付けないでください。いりません」
「うう、ワタルは今日も冷たいなあ……」
よよよ、と嘘泣きをする探偵を無視して、僕はとある一角にあるビルの玄関を見つめた。
もういつ出てきてもおかしくない時間だ。
「来た。いくぞ、ワタル」
「え?あ……」
自動ドアが開いて、いつの間にかスーツ姿の男性が出てきていた。
いつ見つけたのだろう。気付かなかった。
僕は慌てて橋田さんについていく。橋田さんの目は別人のように鋭くなっていた。
「橋田さん、ほんとにあの人なんですか?」
「身長、体格、いつも着ているスーツ。写真と動画で確認済みだ」
「たしかに似てますけど」
早足で歩きながら、橋田さんについていく。
橋田さんはグレーのYシャツにジーンズ、マスクとラフな格好だ。僕も、淡い紺のシャツに黒いパンツ、マスク。
『こういうのは普通が一番目立たないんだよ』とは橋田さんの言葉だ。
僕は橋田さんについていく。
橋田さんは壁伝いに、窓張りのビルをしきりに確認しているようだった。
「何してるんですか?」
橋田さんは無言で窓の一部を指さした。そこには、ターゲットの姿が写っている。
あ、と声が漏れそうになった。
そうか──コンビニのガラス、車の窓、店の看板。反射で相手を追っていた。
橋田さんは、ぼさっと歩いているようで、ちゃんと相手の歩幅、目線、立ち止まり方を見ていた。
気付かれないような絶妙な距離感。相手の視界の把握。相手が立ち止まる前に察知して人混みに紛れる。
僕はそれに慌ててついていく。
いつものだらしない背中なのに、見ている場所だけは妙に正確で、僕は眉根を寄せた。
「……意外と、ちゃんと探偵なんですね」
「意外とは余計だなあ」
橋田さんは苦笑した。目線はターゲットから外さないまま。
やがて、ターゲットは駅前の大きな交差点に差し掛かった。
ターゲットは青信号を難なく渡り、交差点の向こう側に進んでいた。だが、信号は、もうすでに点滅しかけている。
「橋田さん、赤信号になりそうですよ!」
「いや待て、急ぐな。走ると目立つだろ」
「でも……!」
ターゲットの姿が人影に紛れて、途切れ途切れにしか見えなくなる。
しまった、このままだと見失ってしまう……!
僕が慌てて駆け出そうとした、その時だった。
腕に強い衝撃が走る。
掴まれてるんだ、と一瞬遅れて気付いた。
振り返れば、橋田さんが僕の腕を掴んでいた。
「離れるなよ、助手くん」
橋田さんはにやっと笑った。
ぱっと顔に熱が集まる。
先日、熱に浮かされた橋田さんに、腕を掴まれた記憶が蘇る。
違う、これはそういうんじゃないのに。
橋田さん以外に、こんな……。
やってしまった。判断を誤ったんだ。息がぐっと詰まる。
「こ、子供扱いしないでください!」
僕は奥歯を噛み締め、顔を背けた。
視線をターゲットに戻そうとしたが、その姿は雑踏に紛れて、完全に見えなくなってしまっていた。
信号はもう赤に変わっていた。
「橋田さん、ターゲットが……」
「まあ見とけって」
ゆるい口調だが、目線は鋭く雑踏に向けたままだ。
僕は雑踏に目を凝らした。どこにもターゲットらしき姿はいない。
青になり、人々が歩き出す。
「ドラッグストア近くの街灯の下」
見れば、ターゲットと思しき男性がまさにドラッグストアに入ろうとしているところだった。
思い出した、あの場所は事前調査でターゲットがよく通う店だった。
橋田さん、雑踏を見てるんじゃなくて、ドラッグストアを見てたんだ。
腹の底が冷えて、唇を噛んだ。
ターゲットがドラッグストアから出てくるところを待ち伏せて、僕らは歩き出した。
やがて、ターゲットは一つの店に入っていった。
「あれって……」
豪華なジュエリーショップ。僕はある直感が頭をよぎった。
数日後。
「まさか、婚約指輪を準備していたなんて……。全然考えつきませんでした。色んな店に下見に行っていたなんて。サプライズのつもりだったんですね。私ったら、余計なことを……」
頬をうっすらと染め、少し照れたようにそう言う相沢さんの指には、真新しい指輪が嵌められていた。
「余計なんてことありませんよ。疑えば疑うほど、うちみたいなのが潤……いてっ」
テーブルの下でこっそり足を踏むと、隣から情けない声が漏れた。
「無事プロポーズされたようで、良かったです」
「はい!おかげさまで心置きなくプロポーズを受けることができました。本当にありがとうございます」
幸せそうな相沢さんの顔を見ていると、なんだか僕はお腹がちょっとむずがゆくなった。
緩みそうになる頬を包んで、表情を元に戻す。
嬉しそうに事務所を後にする相沢さんを見た。
言わなかっただけで、疑われる。
そのことが、なぜか少しだけ喉の奥に残った。
僕は橋田さんに声をかけた。
「…………すみませんでした」
「ん?なんの話?」
橋田さんは呑気そうに雑誌を眺めている。
「………あのとき、信号で……」
「あぁ、あれ?いいっていって。誰でも失敗する生き物なんだからさ。俺も昔は散々やらかして〜……」
「その話は結構です」
「え〜?ひっどいなあ」
またソファにごろりと寝転ぶ橋田さんに呆れた目を向けながら、僕はひっそりと今回の橋田さんを思い返していた。
………まあ、認めてやらなくもない、かも。
ここまで読んでくださりありがとうございました!
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次のお話では、橋田さんが渡を手当てします。よかったらぜひ。




