神酌
諏訪の霧の中で、建御名方神と向き合う境。
盃を交わしながら語られるのは、神代という名の意味と、その一族に託された役割。
そして、境自身に隠された新たな謎でした。
第八十九話『神酌』、お楽しみいただければ幸いです。
その徳利は古くから使われているのだろう、全体的に使い込まれた傷み方をしていた。
それを持ち出してくれたということは、腹を割って話をしようということだと思う。
差し出された盃は片手に収まるサイズのもので、こちらも徳利と同じく焼き物のようだった。
所謂、備前焼というやつだろうか、趣があって、自分も欲しいなと思ってしまった。
「酒の方はいけるクチか?」
答えを聞くまでもなく、盃の半分くらいまでが酒で満たされる。
匂いからして、やはり日本酒のようだ。
想像でしかないが、御神酒として供えられているものなのかなと思った。
「最近、吞めるようになったばかりですが、人並みだと思います。」
「口調を改める必要はない、先ほどまでの方が神代らしくて好ましいぞ。」
そう言って笑って見せる。
確かに、先ほどの歴代榊と話している時は、言葉が少し崩れていたと思う。
というのも、色々と思うことが多く、少し感情が前に出てしまったのだ。
ただ、そちらの方が良いと言ってもらえたことで、先ほどまでと同じく崩した言葉遣いに戻すことにした。
「わかった、その方が助かる。」
「そうだ、その遠慮のなさこそが神代らしさであろうよ。」
自分のご先祖様とも話をしていたことがあるのだろう。
神代らしさという表現をされたということは、過去に会ったであろう、ご先祖様も同じような感じだったのだと思う。
遠慮がないというのは、確かに思い当たる部分がある。
父については何とも思わないが、祖父については自由人でどこに行っても遠慮がない人だった。
いつも放浪していて、あまり会うことは無かったのだが、“遠慮のなさ”と言われて真っ先に思い出した。
「歴代の榊もそうだったんだが、神代という名前に何かがあるんだろうか?」
「そうだな、神代というのは、役割についた名前と考えるとよい。」
「役割?」
「そうだ、その字の如くではあるが、神に代わり得る存在というのが、私の理解となる。」
これまた大きく出てきたなという印象だ。
神に代わり得るということは、神々が神代を、自分たちと同じ地平で判断できる存在だと見ていることになる。
神々に取って代わるという話ではないだろう。神の手が届かない場所でも、神代がいれば役割を果たせるという意味なのだと思う。
何か根拠があるような感じなので、そこについても尋ねておくことにした。
「建御名方神は、自分のご先祖様に会ったことが?」
「ある。お主の祖父とも話したことがあるぞ。」
「うちの爺さんと?」
「うむ、あれは過去の神代の中でも、癖の強い者だったな。」
そう言って、楽しそうに笑う。
自分でも祖父は癖の強い人物だと思っているので、建御名方神の言い分もよく分かる。
神様ともなると色々と余裕があるのか、祖父の事を思い出して笑ってしまったようだった。
「過去に何度か、神代が手を下した話がある。」
「手を下すというのは…どういうことだ?」
「先ほど言っていた“悪人”、悪意を持つものを退けた例がいくつかある。」
先の榊の話にあった悪人について、この世界を掌握しようとしていたということなので、それを阻止したということだろう。
どういった力で、どういった方法で、それを阻止することができたのか、少し気になった。
それも、事例として複数あるということだ。
幾つかの例については教えてもらいたかったので、後程聞いてみようと考えていた。
「基本的には、干渉しようとしているものを分断するという考え方になる。」
「世界を掌握するというのは、何か他の世界が干渉するということ…ということか?」
「そうだ、他の世界から、この世に干渉している者がいたのだ。」
顎に手を当て、少し思い出すような仕草をする。
自分に教えるのに、どの例を用いるかを考えているのだろう。
神というものは尊大なイメージがあったが、建御名方神については、この土地を訪れるものには優しくあるように見える。
こんな小さなことでも、ちゃんと考えてくれていると思うと、少し申し訳ない気もしていた。
「詳しい方法はわからぬが、お主の祖父も一度やっておるな?」
「爺さんが?」
あの風来坊の爺さんが、そこまで大きなことをこなしていたとは思えなかった。
が、神が嘘をつく理由も道理もない。
その言葉を素直に受け止めることにして、次の例を求めることにした。
「そこは、爺さんを捕まえて聞いてみる。」
「そうだな、後は諏訪の世が終わった頃の話は知っておいた方が良いだろう。」
諏訪氏が武田によって滅ぼされたのは、戦国時代の初め頃だったはずだ。
そのころにも同じように、他の世界からの干渉が発生していたということだ。
諏訪氏の事を考えると、この土地を護ってきた建御名方神としては色々と忙しかっただろう。
その中でも、印象に残っているということは、余程印象的な出来事があったのだと思う。
「諏訪の世が終わったと言っても、諏訪の信仰が薄れたわけではない。なので私の力が衰えることは無かった。」
「なのに神代が動いたというのは?」
「信仰は薄れておらずとも、世は乱れたのだ。その裏で暗躍されると私の力も行き届かなくなる。」
少し悔しそうに、手に持っていた盃の酒を飲み干す。
自分の領域を侵蝕しようとされたのに、力が行き届かないということは誰かにそれを任せる必要があったということだ。
その相手が自分のご先祖様だったわけだが、建御名方神としては自らの力で何とかしたかったことだろう。
「その時の神代は、他の世とつながる扉を断ち切ったと言っておった。」
「空間とか次元を断ち切るということだろうか?」
「そこは私にも分からぬ。お主の祖父であれば何か知っているのではないか?」
「確かに、言う通りだ。」
そのあたりの細かいところは祖父に聞くのが良いだろう。
少なくとも、建御名方神の話から、神代の一族としては他の世からの干渉を調整する役割なのだろう。
そう言った部分は分かるが、“測れぬ”ということを言われたのが気になり続けていた。
役割も能力も知っているのであれば、測ることは可能だろう。
ご先祖様と比較して推測することもできると思う。
だが、榊は“測れぬ”という表現をしていた。
これは言葉をその通りに捉えればよいと、そう感じていた。
「それと、先の榊が言ってた測れないというのは?」
「そうだな、普通、神代は何らかの力を受け継ぐ。」
「先に言っていた役割の達成のため…か?」
建御名方神は大きく頷いた。
自分の予想と建御名方神の話したいことが一致しているのだろう。
そして、少し目を閉じて続きを話し始める。
「ただ、お主の向こうには、色々な影や空気が漂っておるのだ。」
「よく分からないが、何かが取り憑いているようなものか?」
「そこまで詳しいことはわからぬ。ただな、私の知っている者の空気を複数纏っておるのだ。」
少し困ったように言葉を紡いだ。
建御名方神の知っている者ということは、何らかの神々だということだろう。
その空気を纏っていると表現される。
神降ろしでもしていると言いたいのだろうか。
そんな話を両親から聞いたことは無い。祖父母についても同様だ。
建御名方神の困った様子から見ても、自分の場合は色々と例外が多いのだろう。
「私だけではなく、各地の神々を訪れるとよい。」
「そうすることで、何かわかるのだろうか…?」
「少なくとも、お主の中にある、私でも見切れないそれが何か、その糸口くらいはつかめるであろう。」
そう言って、自分の盃にも酒を注ぎ足してくれた。
お互いに、ここまでだなという感じで微笑みあい、最後の盃を飲み干して会話を終えた。
建御名方神と八坂刀売神は過去の榊に囲まれるような状態で後ろに下がっていく。
そして、最後に会話した老人の榊が、静流に何かを渡していた。
何かのコインのようだが、自分からは少し見えなかった。
ただ、静流にしては珍しく、かなり慌てているような素振りだったので、後で聞いてみようと思う。
そして、その榊も下がると、一同は霧の中に消えて行った。
建御名方神が最後に一言“旅をせよ”とつぶやいたのは、自分だけに聞こえていたようだった。
—— 神とのサシ呑みで得た答えと、新たな謎。それは暗闇の中に、進むべき道を照らしていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
今回は、神代家の役割や過去の出来事など、シリーズの根幹に関わる内容を少しずつ明かす回となりました。
一方で、境自身については、答えよりも新たな謎が増えた形になっています。
そして、静流が受け取った"何か"についても、今後少しずつ描いていく予定です。
次回は、少し緩める予定にしています(笑)
引き続き、お付き合いいただけると嬉しいです。




