餞別
大阪遠征を終え、新たな旅へ向けた準備も、いよいよ大詰めとなりました。
今回は、澪の実家を訪れ、次の目的地である諏訪へ向かうための支度を整えるお話です。
旅立ちの前だからこそ交わされる言葉や、託される想い。
少し穏やかな時間の中にも、次の物語へと繋がる大切な一歩が描かれています。
それでは、第82話『餞別』をお楽しみください。
翌朝、携帯のコール音で目が覚めた。
実際にはコールしていたわけではなく、メッセージが送られてきていた。
朝一にメッセージを送ってくるなんて珍しいと思ったら、澪からの連絡だった。
起きたら自宅のほうまで来てほしいといった旨のメッセージだ。
大きなミニバンを出すのも億劫だし、いつもの車はメンテナンスに出していたので、バイクで向かうことにした。
定期的にエンジンをかけるようにはしていたが、実際に走らせるのは久々だった。
クローゼットの奥の方にジャケットとヘルメット、グローブが収納してあるので、取り出すのに手間取ってしまった。
久々に鼓動と風を感じながら澪の自宅に向かう。
普段からあまり荷物を持たないこともあって、ヒップバッグ一つでお邪魔することになった。
ものの十数分程度で澪の自宅まで到着する。
インターホンを鳴らすと、インターホンでの応答ではなく、直接ドアを開いて澪が出てきた。
「おはようございます。」
「ああ、おはよう。何か急用だったか?」
「はい、両親が、たまには会って話がしたいって言い始めまして…。」
「しばらく遠征ばっかりだったからな、ちょっとお邪魔していくことにしよう。」
そう言って、玄関にある駐車場にバイクを置かせてもらい、家に入らせてもらう。
リビングには澪の両親がくつろいでいた。
「おはようございます。お邪魔します。」
「おはよう、境くん。最近は忙しいみたいだね。」
「はい、仕事じゃないのが少し残念ですが。」
そう言って笑いあう。
忙しいのは良いことではあるのだが、実入りのいい仕事の方が嬉しいのは確かだった。
「病院の方も相変わらず忙しそうですね。」
「病院は暇な方が平和なんだけどね。なかなかそうもいかないもので…。」
景一さんの言う通り、病院が暇だということは健康な人が多いということになるので、喜ばしいことだ。
だが、現実的には病院が暇になるということは無く、一般市民の健康状態も劇的に改善されることは無いようだった。
そんな忙しい生活をされているはずなのだが、景一さんも真由さんも元気で健康的なのだ。
自分も静流も、あの夫婦だけは何故あんなに元気なのか分からなかった。
もはや、天原家七不思議のひとつとしてカウントしたい。
「そうそう、澪から大阪での出来事を少し聞いたよ。興味深い話だね。」
「はい、自分にとっても不思議体験でした。」
そう、自分は陽向や恒一さんのお仕事に巻き込まれる形でオカルトに関わることがあったので、比較的オカルト耐性は高い。
なのだが、龍などという幻獣と出会うことがあるなんてことは想像したこともなかった。
実現してしまったのが嬉しいと言っていいのか、何と言っていいのかといった状況である。
景一さんもオカルトには興味があるらしい。
紬ちゃんのお父さんほどではないが、景一さんも医学の傍ら民俗学も勉強していたそうで、その一つとしてオカルトも興味があるそうだ。
澪から概要は聞いているようで、明日からの遠征よりもそちらの方の話が弾んだ。
その時の様子を細かく説明すると、一先ずは満足したのか、大阪遠征の時の話はひと段落した。
丁度良いタイミングだったので、明日からの諏訪の方に出かける話をすることにした。
「もしかすると聞いているかもしれませんが、また明日から少し泊りで出かけることになりまして。」
「ああ、諏訪の方に行くんだね。ちょうどその話をしておこうと思っていたんだ。」
景一さんがアイコンタクトで真由さんに何かを依頼する。
そうすると、真由さんがどこかの鍵を持って来た。
乗り物の鍵のようには見えず、雰囲気的には建物の鍵かと思われた。
「丁度、諏訪湖の近くに別荘があってね、丁度良いのでそこを使ってもらえるかい?」
「それは有難いですが、良いんですか?」
「ああ、しばらく掃除もしていないから、掃除とかモノの整理もお願いしたいんだよ。」
なるほど、そういった下心というか、使用して良いという理由付けもあったのだと思った。
それくらいでいいなら是非にということで、鍵を受け取った。
別荘のサイズはよくわかっていないが、景一さんの事なので巨大な建物な気がする。
軽い気持ちで整理や掃除を請負ってしまったが、それでよかったのか、後になって悩んでしまう。
少し顎に手を当てて考えていると、澪が“どうしましたか”といった表情でこちらを見る。
そう、今回は澪と野乃花ちゃんもいるので、掃除については二人に任せいようと思った。
野乃花ちゃんもそうだが、澪も大変掃除が好きなので、力仕事以外の細かい部分は任せようと思った。
「境くん、僕たちは全面的に信用しているから、多少は羽目を外してもらっていいんだよ。」
その言葉の裏がちらりと見えた気がして、少しぞっとした。
親公認という、普通に考えるとありがたい…のだが、期待値が高いのは別の意味で怖かった。
そんな会話を交わしながら、気が付くと夕方になっていた。
そこは真由さんに是非と言われ、夕食まで一緒させてもらってから帰ることになった。
「境くん、この本に目を通しておきなさい。」
「何でしょう?」
「諏訪神社の歴史や、民俗学で見た諏訪の事が記されている資料だよ。きっと役に立つ。」
景一さんから、かなり分厚い本を受け取った。
受け取ったそれをカバンに入れようとしていると、真由さんから声を掛けられた。
「今回は静流くんと、野乃花ちゃんも一緒らしいわね。」
真由さんと静流、野乃花ちゃんはあまり接点がないかと思っていたので意外だった。
「あの二人も一緒なら色々と楽しめると思うから、澪も一緒に楽しんでらっしゃい。」
結果的には、一緒に行って楽しんで来いという話だったが、言葉の含みかたからして、少しは羽目を外せということのようだ。
確かに、澪との関係も長くはなってきているが、これといった進展がないと言われればそうだ。
色々とややこしい話もあるのだが、折角出かけるのであれば、精いっぱい楽しんでほしいという親心も分かる。
最近、色々としてくれているという認識はあるので、今回は澪が楽しめることを重視することにした。
帰り道で静流に連絡し、景一さんから別荘を借りれたことを伝えた。
別荘の方での食事の準備については、本人たっての希望で静流に任せることになった。
親父さんがBBQが好きな人で、それを静流も引き継いでいるのは知っていたので、何か考えがあるのだろう。
楽しみな部分が大きくはあるのだが、少し落ち着いたころに本来の目的を思い出した。
諏訪大社の近くで伝承などを確認して、関係スポットを回るような計画をしている。
その伝承の詳細については、文献などから読み解くことができなかったので、現地の人に聞く予定とした。
陽向が居たら、諏訪大社の神主さんに、恒一さんのネットワークで確認することができたと思う。
ただ、今回は体調的に致し方ないので、自分たちだけで調査することになる。
陽向は陽向で色々とやっていると思うので、こちらは此方で情報を集めてから、陽向に共有するという予定になっている。
「さて、ちゃんと情報を整理できるような体勢にしておかないとな。」
そう言って、明日に備えて早めに休むことにした。
—— 新たな土地、そこに在る出会いは、すぐそこまで迫っていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は、諏訪遠征へ向けた準備回となりました。
景一さんや真由さんとの会話を通じて、澪の家族との信頼関係や、境たちを送り出す大人たちの想いを描いてみました。
別荘の鍵、本、そして何気ない言葉の一つひとつが、彼らに贈られた「餞別」になっていれば嬉しく思います。
次回からはいよいよ諏訪への旅が始まります。
大阪編とはまた違った空気の中で、新たな神との出会い、そして新たな物語が少しずつ動き始めます。
引き続き、お付き合いいただければ幸いです。




