兆候
大阪遠征を終え、ようやく日常へ。
……と言いたいところですが、どうやら今回も、それだけでは終わらないようです。
今回は、次の物語へ向けた静かな導入回。
大学図書館での調べものをきっかけに、新たな土地へと繋がる小さな"兆候"が見え始めます。
少し落ち着いた空気の日常回となっていますので、彼ららしいやり取りも含めて楽しんでいただければ幸いです。
それでは、第81話『兆候』をお楽しみください。
翌朝、目を覚ましたら目の前に眠っている澪が居て驚いた。
はっきりしない頭を掻きながら昨日の事を思い出す。
皆の策にのせられる形で、澪の隣で眠ってしまったようだ。
澪を起こさないように、そっと事務所の方に降りていく。
事務所の方は事務所の方で惨憺たるものだった。
誰だ、真琴さんに日本酒を与えたのは…。
数少ない足の踏み場をたどってコーヒーメーカーの前までたどり着く。
コーヒーを淹れていると、静流が目を覚ましたようだ。
「おはよう、境。」
「ああ、おはよう。それよりアレを与えたのは誰だ…?」
「野乃花ちゃんが棚の中にあったのを見つけてね…。」
「…なるほど。」
野乃花ちゃんの事だから、いつも通り“いいもの見つけた~”くらいのノリで出してきたのだろう。
容易に想像できてしまうのに、簡単に見つかるところに一升瓶を置いていた自分のミスだ。
流石の静流も少し頭が重いらしい。
「境、今日はこの後暇だよね?」
「ああ、何かあったか?」
「いや、ちょっと調べたい事があるから、大学の図書館に行こうかと思ってね。」
珍しく、静流から予定を提案してきたので、それに乗っておくことにした。
自分も先日の龍神の事が気になっていたので、民俗学とかの資料を調べようと思っていたので丁度いい。
調べものとなると、澪にも協力してもらった方が良いだろう。
頻繁に図書館を利用するので、どんな本がどのあたりにあるのか覚えてしまったらしい。
なので、調べ物をするときは澪にフォローしてもらうと、スムーズに進む。
「澪にもちょっと協力してもらうか。」
「そうだね、念のため、皆の予定も聞いておこうか。」
そんな話をしながらコーヒーを淹れて、テーブルの方に戻った。
作業用デスクの椅子に座り、クライアント用の椅子を静流に勧める。
ソファの方は死屍累々といった感じだったので、こちらのデスクの方に避難した形だ。
最近、いつもの喫茶店に行っていないので、そろそろコーヒー豆を仕入れなければなどと話していると澪が降りてきた。
当然の反応ではあるが、部屋の様子を見て少し驚く。
だが、床に置かれた一升瓶を見て、事情を察したのか、デスクの近くにあった椅子まで退避して腰を掛けた。
「おはようございます。いつものをやっちゃったんですね。」
「そうなんだよ、野乃花ちゃんに見つかっちゃってねぇ。」
澪が苦笑いしながら言っている話に、静流が答える。
もう、恒例行事になってしまっているので、いつもの、なんて言い方になってしまう。
その、いつもの様子を見て、もうしばらくそっとしておくことにしたようだ。
「澪は、この後、何か予定はあるか?」
「いえ、どうしました?」
不思議そうに首を傾げる。
確かに、自分から予定を聞くことは少なかったかも知れない。
澪がこちらに合わせてくれるので、甘えてしまっているのだろう。
「静流と大学図書館に行こうって話になったんだ。」
「調べものですか?」
「ああ、先日のダムでの一件が気になってな。」
「ということは、民俗学か何かでしょうか?」
その通り、とジェスチャーで伝え、調べ物のフォローをお願いする。
澪も図書館の話が出た所で既に察していたようで、二つ返事で付き合ってくれることになった。
そこからしばらく雑談していると、陽向、野乃花ちゃん、真琴さんの順で目が覚めた。
それぞれ頭の重さを感じたり、真琴さんに至っては二日酔いの様相だった。
「皆は今日はどうするのかな?」
あえて、静流が空気を読まないような話をした。
いつもの静流の事を考えると、現状を動かすためにわざとだろう。
「私は今日はパスで…。」
「俺も姐さん送ったら帰るわ…。」
真琴さんが頭を押さえながら手を振る。それに合わせるように陽向も軽く手を振っていた。
二人とも結構酒が残っているのか、頭が重そうにしている。
静流もそれについては分かっているのか、そりゃそうだよねという顔をしている。
「私はひま~!」
何故か一人だけ元気な野乃花ちゃんが手を挙げた。
今回の事件の犯人なのだが、無邪気を絵にかいたような笑顔なのでツッコミも入れづらい。
「野乃花ちゃんは暇なんだね。境たちと大学の図書館に行くけどどうする?」
「行くよ~!」
ということで、静流と野乃花ちゃん、澪に自分の四人で大学に向かうことになった。
それが決まったくらいのところで、真琴さんが力尽きそうになっていたので、経口補水液を渡す。
陽向に予備の経口補水液とスポーツドリンクを渡しておく。
真琴さんを家まで送るにしても大変だろうなと思ってしまった。
二人を見送ってから、大学に向かう。
夏休みの大学は講義のある時に比べると空いていたが、サークル活動をしている学生がたくさんいた。
スポーツ系も多いのだが、文化系のサークルの方が多いイメージだ。
夏になると色々とイベントもあるので、どうしても人は多くなるのだろう。
かといって、図書館に人が多いかと言われると、レポートのある時期などと比べると閑散としていた。
図書館に入ると、見覚えのある司書さんがいた。
職員なのでとっくに成人されているとは思うのだが、どうも妹っぽさが抜けない印象的な人だ。
野乃花ちゃんだと、二人が並ぶと雰囲気的に野乃花ちゃんがお姉さんに見える。
その司書さんに、民俗学のコーナーを教えてもらって、皆でそちらに向かった。
「静流は何を調べに?」
「ああ、俺は大阪の街を見た時に気になったから、昔の大阪の出来事を調べようと思ってるんだ。」
「なるほど。何か発見があったら教えてくれ。」
「わかった。境の方は何を調べるの?」
「自分の方は土地神の関係をな。」
調べ物の内容を簡単に話すと、静流が少し考えこんだ。
何か思うところがあるらしい。
「たまたま見かけたんだけど、長野の方をちょっと調べてみてくれる?」
「ん?…とりあえず分かった。一度調べてみる。」
野乃花ちゃんは静流のフォローに、澪は自分のフォローに入ってくれた。
静流に言われた、長野県の方の情報を調べてみることにした。
あまり詳しいわけではないが、日本は各地に神話や伝承がある。
その中でも、何か気になる事があるということなんだろう。
地図を辿ると、諏訪湖の近くに諏訪大社という神社があった。
建御名方神を祭神として祀る神社らしい。
資料の中に、民間伝承の話があり、建御名方神からのお告げのようなものを聞ける人物がいたという話がある。
こういった伝承は創作であることも多いが、先日の龍神の件もある。
それを考えると、この民間伝承をヒントに諏訪の方に行ってみても良いのではないかと考えた。
「澪、この諏訪の件、どう思う?」
「詳しくは分かりませんが、先日のダムの件もあるので、一度行ってみませんか?」
自分が切り出そうと思ったところで、澪の方が先に口を開いた。
その澪からの提案を承諾する形で、諏訪の方への遠征を企画することにする。
ただ、先日から家に帰っていない期間が長いので、一旦自宅に戻って、家の事を済ませてもらうことにした。
親御さんも色々と話したい事、聞きたいこともあるだろう。
しばらくして、静流たちとも合流した。
その時に、諏訪の話をしたら、遠征自体には賛成だったようだ。
「だけど、今回は真琴さんと陽向はお休みさせた方が良いかもね。」
「…結構やばかったのか、昨晩は。」
「そうなんだよ。一週間くらいは引きずると思うよ…。」
静流の話を聞き、二人にメッセージを送る。
今回は自分たちだけで行くので、体調を戻すことを優先してもらうように伝えておいた。
他にも気になる伝承があれば調べておいてほしい、と付け加えた。
「じゃあ境、明後日くらいに出発でいいかい?」
「そうだな、静流も親と話しておくこともあるだろ?」
「そうだね、今回の大阪遠征の土産話とかもしてくるよ。着替えも整理しないと。」
そう言うと、野乃花ちゃんを伴って帰って行った。
此方も澪を自宅まで送り、事務所に帰ることにした。
久々に一人の事務所だ。
少し寂しい気もするが、自分も一度リフレッシュする必要があると思ったので、一人で近くの銭湯に向かった。
いつもいる、半世紀くらい年上の先輩と、どうでもいい世間話をしてから事務所に帰った。
—— 日常は音もなく流れていき、新しい非日常が顔をのぞかせ始めていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は、大きな事件が起きる回ではなく、次章への橋渡しとなるお話でした。
大阪遠征を終え、いつもの事務所での賑やかな朝や、大学図書館での調べものなど、久しぶりに「日常」を多めに描いてみました。
事件がない時間だからこそ見える、それぞれの関係性も楽しんでいただけていたら嬉しいです。
そして、次回からはいよいよ諏訪方面への遠征。
龍神との出会いを経て、今度は「土地」にまつわる物語が少しずつ動き始めます。
新たな出会いが、彼らに何をもたらすのか。
引き続き、お付き合いいただければ幸いです。




