抱懐
いつもお読みいただきありがとうございます。
犬鳴編も今回で一区切りとなります。
心霊スポットや都市伝説という言葉は、どうしても「恐怖」のイメージが先行します。
ですが、今回描きたかったのは恐怖ではなく、その場所に残された想いや感情の方でした。
悲しみは消えない。
それでも抱えて生きていく。
そんなテーマが少しでも伝われば幸いです。
それでは、第70話『抱懐』をお楽しみください。
澄玲ちゃんは、隧道の方を向いたままだった。
肝試しだとか、都市伝説だとかいろいろ言われているが、澄玲ちゃんは悲しみを示した。
それが何なのかまでは、まだわからない。
ただ、彼女が悲しみを覚えたまま、隧道を見つめている事だけは確かだった。
「何が悲しいんだい?」
澄玲ちゃんはしばらく考えてから、こちらに向きなおして言った。
「皆、色々な悲しみと願いがあったみたい…、ハッキリとは言えないけど…。」
そう言う彼女の顔には迷いというか、理解できないけど感情だけが先走っている感があった。
彼女も見えているというよりは、その感情のようなものの塊と接触している感じだろうか。
何かを見て、話しかけているという雰囲気には見えなかった。
「修験者みたいな人が何かを祈ってる…、そう、悲しみを止めるため…?」
「止める?」
思わず声に出てしまった。
修験者というと俗世を捨てて、修行してというイメージがあったんだけど、何か違う。
実は修験者の修行は、何かを乗り越えるためのものだったんじゃないか。
そんな気さえしてきていた。
「そう、他の人に同じ思いをさせたくない、そんな想い…。」
「その悲しみに、どう向き合ったらいいのかな…?」
何となくだが、何か辛いことがあって、他者にその思いをさせたくないという祈りだろうことは分かった。
でも、その悲しみに向かい合う術を、今はまだ知らない。
そうか、宗玄さんが僕に伝えたかったのはそういう事なんだ。
「寄り添う?」
澄玲ちゃんが首を横に振る。そうではないという事みたいだ。
「きっと、受け止める事なんだと思う。」
口を開いて出た言葉は、相手に何かをするというものではなかった。
共に受け止める、ただそれだけのことだった。
でも、それは凄く難しい。
悲しそうな、辛そうな人を見かけると、思わず寄り添う行動をとろうとする。
何とか悲しみを取り除こうと、慰めようとする。
だけど、求められているのはそういう事じゃないんだと、初めて知った。
「せやな、ワシらの世代も色々あったけど、悲しみは止まらん。せやからな…」
後ろにいた岡部さんの言葉が聞こえた。
年を重ねるごとに悲しみを覚えることも多いのか、凄く身に染みた感じが伝わってきた。
「せやけど、受け止めるだけでも違うで…、受け止めて、抱えて行かんとな。」
直接聞くことは憚られたが、何か悲しいことがあったんだと思った。
それを知る術を持っていないが、今の言葉だけでも、僕には十分だった。
しばらくの沈黙の後、皆で隧道を通り過ぎた。
そこからどう走ったのかは覚えていないが、結果的には車のある所まで戻ってきていた。
「澄玲ちゃん、さっきの隧道のは何だったんだい…?」
あまり聞くべきではないかも知れないと思いながら、でも、知るべきだとも思った。
「多分、何かとの境目があったんじゃないかと思うわ…」
「境目?」
「そう、過去の記憶なのかもしれないけど、何かどこかとつながったような感じがしたの。」
どちらにしても、僕には見えないものだった。
ただ、澄玲ちゃんは、静流さんたちと遠征したときから、こういった感覚が鋭くなったらしい。
陽向さんほどはハッキリ見えないと言っていたけど、それでも感じられるだけ僕よりは鋭い。
その感覚で、何かを識ることができた。
そこにあるものは、何か大きな意味を持っている。そこは確かだと感じていた。
「難しいけど、隧道、トンネルは異世界との境界って、よう言われてるからな。」
車に自転車を積みながら、岡部さんがフォローしてくれた。
言われてみて思い出したけど、確かに、トンネルをくぐると異世界だったみたいな話はよく聞く。
実際には景色が急変することを、そう表現しているだけだと思っていた。
ただ、その言葉を額面通りに捉えて、何か違う世界とつながっていた、というのも説得力があった。
「さて、ちょっと疲れたやろ?折角やで、山頂まで行ってみよか。」
そう言って僕たちを車に案内してくれた。
澄玲ちゃんは流石に少し疲れている様子だった。
岡部さんが気を遣ってくれたと言っても、マウンテンバイクで山道を走ったのだから当然だと思う。
比較的自転車に慣れている側とは違って、随分体力も消耗してた。
わき道から少し戻っていくと、道幅の狭い、曲がりくねった道に入った。
ゆっくりと走ってくれているので大丈夫だけど、油断すると乗り物酔いになりそうだ。
「すごい道ですね…。」
「今は見んようになったけど、昔はヤンチャな車がいっぱいおってんで。」
昔の映像とかで見たくらいだけど、こんなところを凄い勢いで駆け抜けていく車がいる時代があったらしい。
競技でそう言ったものがあるというのは聞いているし、境さんやそのお父さんがそっちの人という噂を聞いたことはある。
朔弥伝いに聞いただけだけど、彼が境さんの情報を間違えることは考えにくい。
それを考えると、ここに境さんを連れて来てはいけないと、内心で誓った。
「もすぐ頂上やで、楽しみにしとき。」
そう言って、岡部さんは少しだけ笑顔を見せた。
頂上と思われるところは、小さな展望台のようなものと、広場があった。
広場は入口をロープでふさがれていたが、歩いてであれば跨げるようになっていた。
「…綺麗ですね…。」
広場から見える風景に、澄玲ちゃんが零した。
確かに、街の営みが一望できるような感じで、凄く心が洗われる風景だった。
先ほど言っていた悲しみ、その向こう側には、この風景を守りたいという思いもあったのだと思う。
そう思えるような、何か染みるものがあった。
「ワシらも、若いころはよく来たもんや。」
「そうなんですか?」
岡部さんの言葉が意外だったので、思わず聞き返してしまった。
「友達連中とな。やるせなくなったら、ここから見下ろしたもんや。」
そう言って街の方を見る岡部さんの表情には複雑なものがあった。
「もう少し、ここの空気を堪能したら帰ろか…。」
岡部さんは街の方を見たままだった。
それに習うように僕と澄玲ちゃんも街を見つめる。
少し、風景に違和感がないわけではなかったが、それよりもこの気持ちを大事にしたかった。
それからどれくらい経っただろうか、岡部さんが手に持っていたコーヒーを飲み干すと、車の方に向きなおした。
僕たちも同じように車の方に向かう。
特に言葉は無かったが、この空間を共有することで、言葉が無くても気持ちが通じている気がした。
車に戻り、麓まで降りたころには、夜も遅くなっていた。
そのあたりで、澄玲ちゃんは眠ってしまっていた。慣れない自転車に疲れも出たんだと思う。
僕は岡部さんと自転車談議をしながら、宗玄さんの屋敷に戻っていった。
—— 悲しみを受け止める。その難しさと、大事さを噛み締めていた。
第70話『抱懐』でした。
今回で礼音・澄玲・岡部さんによる犬鳴編は一区切りです。
当初は不思議な場所を巡る話になる予定だったのですが、書いているうちに「悲しみとどう向き合うか」という話に変わっていきました。
澄玲は悲しみを感じ取り、
礼音はそれを理解しようとし、
岡部さんはそれを抱えて生きてきた。
三人それぞれの立場から同じものを見ていた回だったと思います。
特に岡部さんの
『受け止めて、抱えて行かんとな』
という言葉は、作者自身も好きな言葉になりました。
生きていれば悲しいことは必ずあります。
ですが、それを無かったことには出来ません。
だからこそ、抱えながら歩いていく。
そんな大人の言葉を、礼音達に伝えてくれたのだと思います。
そして次回からは、いよいよ本筋へ戻っていきます。
大阪修行編も後半戦。
彼らが見つけたものが、どのように繋がっていくのかを見守っていただければ幸いです。




