-風の向かう場所-
* * *
「久しいな、飆。会えて嬉しいぞ」
対峙した友人の顔を見た時、記憶に強い違和感を覚えた。姿形は確かに犀臥だ。しかし、目の前にいる存在から滲むのは、禍々しさを持つ覇気だけ。
「……テメェの恨みを買ったことは知ってる」
「それなら躊躇わずに構えろ。必ずお前を捩じ伏せてやる」
周囲で砂塵が舞う。淀んだ眼光が注がれる。だん、と強く床を蹴る音。迫る刀身に、腰へ提げていた鎖鎌を引っ掴む。張った鎖を断ち切ろうとする巨大な刃が、きりきりと鳴きながら重く噛んだ。
「俺に力が無かったせいで冬湖は死んだ。俺が強ければ、冬湖もこの手で守れたはずだ。お前も俺を庇ったりしなかっただろう。この頂に上り詰めれば、二度と何も奪われない」
「誰が長になるかなんて、心底どうでもいい。こんな馬鹿げた見世物に加担してやること自体が気に食わないって話だ。あのクソ野郎の言いなりになったまま、兵士として使い潰されるなんて反吐が出る」
「ならば、お前はあの男をどうしたい」
問われて初めて悪趣味な観客へ視線を移す。分厚い硝子を隔てた向こうで、合わせた翠眼がゆっくりと細められた。右耳で光る黒環ごと、相手の素顔を双眸に焼き付ける。施設を掌握するこの男こそが全ての元凶だ。募る憤怒が己の元へ凶風を呼ぶ。
「ヤツだけは生かしちゃおけねぇ。だから、俺が必ず殺す」
「そうか。お前は、あの男を心から害したいと望んでいるんだな?」
犀臥がゆっくりと面を上げた。歪に上がった口角。ぎらついた瞳。笑みというには悍ましく、肌が粟立つ気味の悪さを纏うそれが、友の顔だとは思えない。だが、それを口にすることがどうしてできるだろうか。
「テメェだってあんなヤツに利用される筋合いはねぇだろ。ここを離れるなら今しかない」
「目をつけられている以上、普段のお前は鎖に繋がれているも同然だからな。力の制御を外して動けるとすれば、確かにこの場が好機とも取れる」
「……冬湖の件で今更許しを乞うつもりはねぇ。だが、ここにいても狂うのを待つだけだ」
楼玄に対する怒りはある。だが、常に力の暴走に怯える同郷の者たちも捨て置けなかった。そして、冬湖との約束を果たすためにも、犀臥を外へ連れ出さなければならない。
「だから、テメェも他と一緒に、」
「俺はここへ残る」
ぱん、と音を立てた斬撃が身体を弾いた。魔力干渉を受け、咄嗟に風刃を放つ。だが、犀臥の方が先を読んでいた。沈んだ足元に虚を突かれ、斬りかかる太刀の重量をもろに受ける。
「っ、なぜだ! 力を使うたびに気を違えたヤツらを見てきただろ? そのうち怒りすら奪われて、足掻くことさえできなくなる。テメェはそれでいいのかよ!」
「その程度で消える情であれば、最初から無いに等しいさ。それに、たとえ外へ出られたところでどんな勝算がある? 後ろ盾もなく生き残れると思っているのなら、それは単なる奢りだ」
きりきりと鎖が悲鳴を上げた。彼の中に構えられた刃で貫くべき存在があるのならば。これ以上の会話は不毛だ。
「……腹を決めてるなら、もうくれてやる言葉はねぇな」
「ああ。お前の気持ちに応えられず、すまなかった」
抑揚のない謝罪。それにまた深い怒りが込み上げる。楼玄は手駒を争わせることで、より強大な力の発露を望んでいるだけでしかない。そのせいで犀臥は力に溺れて――いや、そうさせたのは自分自身だ。
「だが、旧情にばかり縋るのも忍びない。飆、この場に立った以上は今の俺と向き合うべきだ。俺は本気になったお前を殺したい。なあ、どうしたらその気になる? お前から何を、どれだけ奪えばいい?」
膝を着いた自分を、砂岩色の瞳が覗き込む。
「生憎、渡せそうなもんはこの命ぐらいだ。だが、ヤツの首を獲るまで死ぬわけにはいかねぇ」
「ならば一つ約束してくれ。いつか俺が迎えに行くまで、決して誰にも殺されるな。お前の命は、いかなる時も俺の物だ」
「ああ、それでいい。そういう約束にしてやる」
瞳孔の開き切った双眸へ不遜な笑みを返した。そう、己に手を下せる資格があるのは他でもない。目の前にいるこの男だけだ。
「さて、お前はどうやってここを逃れるつもりだ」
「最下層の通路に外へ通じる隠し扉があると聞いた。この処分室の裏で逃がす予定のヤツらも待っている」
「それならば――餞別として、皆をこの囲いから出してやろう」
自分を一瞥した犀臥がその場を離れる。彼の掌がおもむろに金属で囲われた壁へ触れた。刹那、そこが一瞬にして砂と化す。ここの裏にある実験室と完全に空間が繋がった。崩落する壁は楼玄にも見えているはずだ。だが、彼はその場から動かない。
「……なっ、」
鼻先を掠める錆鉄の匂い。眼前で上がる血飛沫が晴れると、合図を待っていた仲間の首が落ちていた。悲鳴は聞こえなかった。恐慌に駆られた数人が言葉にならない呻き声を上げる。それを引き金に、魔力の爆ぜる音が連続した。
「くくっ、あっはははは!! どうだ、飆? こうして奪われる側になった気分は」
血塗られた刃を抱えた相手が嗤う。魔力で築かれた不格好な岩の巨腕が、逃げ惑う人体を次々と握り潰していく。砂に混じる血雨が床を汚した。飛び散った血潮が足元をべとりと濡らす。
「俺が吹き込んだ話を、これほどの者が真に受けるとはなぁ。お前が聞けばくだらない義侠心を働かせかねないとは思っていたが、謀反を企てる輩を炙り出してくれたことには感謝しているぞ」
犀臥は自分の思考を理解した上で、出口の存在を他へちらつかせていたらしい。彼がそれほどまでに悪辣な思想へ染まっていたことへ、吐き気すら込み上げる。
「コイツらは仲間だっただろッ! なぜこんな仕打ちをしやがった!!」
「お前が彼らを生かすことを望んだからだ。お前が何かを手にしようとしたからだ」
言い淀んだ自分を前に、歪んだ口元から続きが吐き出される。
「飆、お前は昔からずっとそうだった。力を持っている者には分かるはずがないだろうな。お前に庇われるたび、己に選択肢がない事実を目の当たりにさせられたことを。それを俺がどれだけ悔やんだのかを」
「俺は、」
「『守ろうとしただけだ』とでも? そんな浅い言葉で済むものか。あの時、冬湖を殺したのはお前だ。俺から友を奪ったのもお前だ。お前が、お前自身が、この手から何もかもを奪った……理解できないのならば、いくらでも教えてやるさ」
――強者であれば、弱者をどう扱おうが構わない。からからと笑う砂塵の悪魔に、有象無象が切り捨てられていく。血に酔った歪な笑みが、網膜に焼きついて離れない。
「嗚呼、飆、夢でお前をこうして何度殺しただろうか。ただ、今の俺にはこの力がある。夢で終わらせるつもりはない。しかし、そのためにはまだ他にやることがある」
零れ落ちる砂が溢れる。ぶわりと巻き上がる砂嵐が室内を覆い尽くした。
「あの男を殺すつもりなら、今はお前に生き延びる術を与えてやる。この階層に出口があるというのは本当だ。だから、そうして無様に逃げるといい。虚しさだけを抱え、絶望のままに荒野を彷徨うといい。だが、忘れるな。どこへ行こうとも俺はお前を探し出す。そして次に会う時には、お前が持つ全てを壊してやろう」
――この結末を迎えたのは、誰のせいだろうか。
脳裏に己を指差す人影が浮かぶ。瓦解していく希望に、今になってそんなものを持っていたのかと、渇いた嗤いが喉から漏れる。それでも壊れることができなかったのは、あの時に彼女が“呪い”をかけたからだ。
「……それで済むなら好きなだけ壊せ。時が来れば、俺から会いに行ってやる」
「ああ、約束だぞ。怒りに歪んだお前の顔が見られる日を、楽しみに待っている!」
* * *
「――冬湖は死んだ。犀臥は狂った。同郷の仲間も全員失っている。今更ヤツに復讐したところで、何一つ取り戻せる物なんてない。だが、この怒りをぶつける先がなけりゃ、今度は俺が壊れる番だ。だから、この怒りがまだある内に、何が何でもヤツを殺す」
ぴり、と肌を裂く鋭利な空気が頬に触れた。飆が握り締めた古い鎖鎌がざらり、と擦れた音を立てる。さざめく鱗に触れながら、紅葉は視線を落とした。
「なあ。アンタが本当に許せない相手は、楼玄じゃなくて、自分自身なんじゃないか」
ぎらりと光る山吹の双眸がこちらを睨み据える。ただ、遮られなかったので紅葉は先を続けた。
「澪はオレたちを守ろうとして壊れた。ただ、アンタはあれだけの力を扱いながらも、自分を保ってる。でも、それはアンタが許せない存在を強く意識してるからだ。誰も救えなかった自分が許せないって思ってるんなら、アンタの内側には常に“怒り”がある」
発狂した冬湖が元に戻る見込みはなかった。彼女に手をかけた判断は間違っていない。だが、そのせいで飆は犀臥の恋人を殺し、友という支えすら奪った。きっかけを生んだ楼玄に復讐しても、彼の持つ怒りは消えない。そして、内に向いたその《感情》こそが、鬼になった彼を皮肉にも彼たらしめている。
「緩衝地帯で無関係の人を殺したのも、本当はなりたくない自分にならなきゃいけないと思ってたからだろ?」
「……さぁな。不争の場が荒らされれば、他の軍が騒ぎ立ててヤツらの隙も出るだろうって算段があったぐらいだ」
ノーバディの施設を逃れた後、しばらく泳がされていただけだと分かった時点で、彼も別の手が必要だと理解したらしい。そこにスマイリーから話を持ちかけられ、一時的な共闘を呑んだのだろう。
憎しみを忘れないために、飆がずっと“鬼”になる必要があるのだとしたら。彼にとっては生き続けていること自体が罰になる。だが、咎を負い、冬湖の願いを聞いてしまった以上、死ぬ理由すらも失っていた。
「ただ、『犀臥を守れ』という冬湖の願いは引き継がなきゃならねぇ。どれだけ恨まれたって構わない。誰かに許してほしいとも思ってねぇ。何を踏みしだいても、アイツに会うまでは生き延びてやるさ。どのみち俺を裁ける資格があるのは、犀臥だけだからな」
「……アンタも言ってた通り、起きたことは変えられない。オレも澪が死んだ時にたくさん後悔した。ただ、過去が変えられないのなら、この先にある未来を変えるしかないんだ。アンタの進んでいる道が正しいのかはわからないけれど、今より悪い未来にはならないように祈ってる」
しばらく放られていた缶詰を、飆が思い出したように指の骨でこん、と叩いた。すると、片眉を吊り上げた相手が舌打ちを返す。
「話し込んだせいで、もう冷めてやがる」
「ちょっと温くなっただけじゃないか。そのままでも食べられるのに」
「なら、次は酒も一緒に持って来い。味も気にしないで済むからな」
「そういうのは亜久斗さんに言ってくれ」
「あのカマ野郎が頷くと思うか?」
「思わないね」
「だったらくすねて来いよ。テメェも手癖が悪そうな顔してるぜ」
「人聞きが悪いな。オレだって亜久斗さんほどじゃ、」
「――お二人とも、楽しそうですね? どんなお話をしていたのでしょう」
振り返ると、木立の前に見知った影が立っていた。思わず頬へ鱗を生やした自分を見て、飆がニヤリと笑っている。やたら饒舌だった訳だ。
「帰りが遅かったので心配していたのですよ、紅葉君」
「すんません! ちょっと話が長くなって」
「任務中の私語は厳禁です。内容によっては始末書ものですが」
「あー、それは、ええと、」
「その辺にしてやれ。俺はコイツに“尋問”されてただけだ」
亜久斗の柳眉がぴくりと動いた。が、自分と飆を交互に見た彼は、すぐに口元へ緩く弧を描く。
「そうでしたか。“諜報活動”の一環であれば責められませんね」
「話が済んだのなら、さっさと出て行け。飯ぐらい静かに食いたいもんだ」
「ええ、我々も戻りましょう」
かぱ、と缶詰の開く音と共に、紅葉は洞穴を出た。外はすっかり暗くなっていたが、茂みに囲まれたそこからは、焚き木の明かりも漏れていない。もう一度だけ、茂みの奥を振り返ろうとした時。不意に木立を抜ける風が強く背中を押した。
「……わかったよ。もう邪魔はしないさ」
その呟きへ応じるように、手元に提げていた鈴がちりんと鳴った。




