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-憎悪の矛先-

「――昔、俺のいた集落付近でノーバディとトカゲ共の争いが起きた。その時、若い衆が兵士として動員されたことがある。俺もそのうちの一人だった」


 飆によれば、人間たちは他の人族からの侵略により住処を追われており、多くは地図にも載らない貧民窟で暮らしていたのだという。そのため、集落の存在を知らない者たちが、意図せず資源を求めてやってくることがあった。


「けど、民間人が加勢したところで、結果なんて見えてるじゃないか」

「テメェの言う通り、ほとんどは戦の素人だからな。元の集落は敵に奪われ、一部が犬死にしただけだった」

「そこにいた人はどうなったんだ」

「避難の名目で、全員ノーバディの管轄下にある地域に連れて行かれた。ガキや年寄りも多かったし、選択肢なんてあってないようなもんだろ」


 この世界で流浪の民となれば、飢えと襲撃の恐怖に怯えながら、あるかも分からない安住の地を探すことになる。多くが行く宛もなく荒野を彷徨うことを考えたら、組織の手を借りるというのも生存戦略の一つだろう。


「生き残った者は別の土地で生活基盤を取り戻した。ただ、飯や寝床は兵士になった奴らの命と引き換えだ。俺も他の連中と戦へ出るつもりだったが、その中には犀臥と、アイツの恋人だった冬湖(トウコ)もいた」

「民間人の女性まで? 訓練なんかしてないのに」

「その時は後方支援の人員っていう名目だったな。人が足りてないのは今に始まった話じゃない。ただ、移動の途中でなぜか一部の人間が選別されて、ヤツの前に連れていかれたんだ」



『――君たちの集落を守れなかったことは謝りたい。だからこそ、今後こうした争いを無くすために、力を尽くしてもらえないか』



 いつか見た、慈悲の掌だけがぼんやりと脳裏に浮かぶ。しかし、差し出されたそれを掴むべきではなかった。


「当時、ヤツは『特殊な任務を行う精鋭部隊を組みたい』と言っていたな。短期間で力をつけられるが、過酷な訓練を積むので強要はしないって話だった。つっても、帰る場所がない以上は断る理由もねぇだろ」

「そう言われたらオレも志願すると思う。上手くいけば、自分たちで元いた集落を取り戻せるかもしれないし」

「……そんな期待から最初に手を挙げたのが犀臥のヤツだった。戦地に行くなら冬湖を守る力を持たなきゃならねぇ。アイツ、前から腕っ節が強くないのを気にしてやがったからな」


 その口ぶりから、貧民窟では小競り合いや略奪なども日常茶飯事だったのだろう。集落内で流れ者や悪人が揉め事を起こした時は男衆がそれを追い払っており、飆も荒事を片付ける一人だったらしい。そして、過去の犀臥は彼らに庇われる側だった。


 ――正直に言えば、ノーバディの長にまで上り詰めた存在が、虫も殺せない人物だったとは信じたくない。ただ、実際に妹を殺されかけた時に彼は言っていた。『弱者が手にするのは虚無のみだ』と。


「犀臥の行動は理解できない。でも、誰かのために少しでも強くなりたいって思う気持ちだけは、オレにもわかるよ」

「今思えばきな臭せぇ話だったが。とはいえ、俺も冬湖もアイツを一人で行かせたくなかったから、結局揃って志願することになった……だが、実際にはこのザマだ。ヤツの言葉に頷いてさえいなければ、」


 険しい顔を見せた相手に、紅葉は視線を伏せた。楼玄の目に留まった飆たちは、《実験》のために北部の地下施設へ収容された。そこで魔力と《ゲノム・グレース》の付与が行われ、精神に対する拷問に近い過程を経て《粛清者》に仕立て上げられたのだ。


「例の《実験》の中で、与えられた力に最も高い適合率を出したのが俺だった。次点が冬湖、それ以外は適合者と不適合者が半々だ。犀臥も適合者にはなったが、その段階では魔力や身体能力の変化はなかった」

「けど、ノーバディの長を決める時にいたのは犀臥だったはずだろ。それなら冬湖さんはどこに?」


 飆の口元が歪んだ。言葉を探して、噛み潰して、また呑み込む。火の粉の向こう側で、憤怒を燃やす双眸に深い影が差した。


「――冬湖は俺が殺した。収容施設の中で不意に暴走して、犀臥のヤツを襲ったんだ」

「事故、だったのか」

「《ゲノム・グレース》の影響で狂った相手に加減が無理だってのは、テメェでも分かるだろ?」

「……アンタは楼玄の手で望まない選択をさせられた。そのせいで全てを失った。だから殺したいほど憎んでるんだな」


 飆が頬へ刻まれた傷跡に触れた。しばらく口元を覆っていた彼が、ぼそりと続きを告げる。


「冬湖からは『犀臥を守って欲しい』と頼まれていたが、その出来事のせいでアイツは完全に人が変わっちまった。風の便りで聞いた話じゃ、俺と同等の実力になるまで、取り憑かれたように力を求めていたらしいからな」

「けど、冬湖さんの願いを伝えてれば、犀臥だってアンタの事情を理解してくれたんじゃないか?」

「それだと死んだヤツに罪を押し付けることになるだろ。言われた犀臥も納得しない。どっちにしろ、アイツはノーバディの中枢に入っちまったから、しばらく顔を合わせる機会もなかった」


 冬湖が亡くなってから、飆は懲罰用の独房でしばらく過ごしていたという。しかし、その間に彼は楼玄の首を獲ろうと画策していた。


「ヤツを殺すにはいくつも壁があった。まず、集落にいた民間人はノーバディの手の内だ。下手に謀反なんかしたら、そいつらの命がどうなるかも分からねぇ」

「それじゃあ、当時のアンタは自分の復讐に他を巻き込むつもりはなかったってことか?」

「最初はそう考えていた。だが、俺が施設から逃げた時、ヤツらは民間の情報網まで使って居所を調べ出しやがった。だから人目についた時点で、直接手を下すしかなかったんだ。今思えば、それもこっちが隠れる場所を潰すための策だったんだろうがな」


 直接的な戦闘行為ではないため、ノーバディがこれまで支援してきた民間人から情報を募るというのは自然な行動だ。


 一方で、飆も生き延びるのに必死だった。ノーバディの管轄にいる民間人を頼れないとなれば、戦闘を避けられる緩衝地帯に潜伏するのが一番だ。しかし、多くの人族が行き交う場所に出くわせば、居場所が割れかねない。彼が仇敵へ矛先を向けようと足掻くたびに、望まない方向へ力が波及してしまう事実も見え透いた。


 ただ、その口から出た答えにはまだ納得していない。飆によって失われた命の数はあまりに多過ぎる。そこからも、彼が手を汚し続けた理由がまだ他にあるように思えてならなかった。


「それで、集落の状況について探りを入れたんだが――ヤツは避難民たちへそれなりの衣食住を与えていた。しかもガキ共に至っては、読み書きの教育までさせてたって話だ」


 彼は集落の民がノーバディの兵に脅され、怯えながら暮らしていると想像していたらしい。しかし、実態はそこからかけ離れたものだった。


「楼玄が昔から孤児院へ個人的な寄付をしてるって話を聞いたことがある。オレだって子供の時に助けられたんだ。それぐらいしててもおかしくないよ」

「……そいつが事実なら、俺たちをここまで貶めた上で、他には善人面してやがるってことかよ。あの野郎、百回殺しても足りねぇな」


 情動を剥き出しにした相手の気持ちは理解できる。しかし、楼玄が真に狙っているのは軍事組織の解体だ。その過程で民に満足な生活や教育を与えれば、戦争に対する忌避感が強くなる。過去に聖が話していたように、楼玄は自らの思想を広めるための活動を続けていたのだろう。


「ただ、そこで民間人が軍の内情とは切り離された環境にいると理解できた。仮に謀反があったとしても、その事実を公にする利点はねぇ。そうと分かった段階で、俺は実際にヤツへ手を下す準備を始めた」


 独房を出た後から、彼は楼玄の動向を観察し続けた。時折駆り出される戦で爪を研ぎながら、その時を待ち構えていた。


「とはいえ、殺すのは簡単じゃない。ヤツは俺が能力を試すような小規模な争いには姿を現さず、施設にいる間は付け入る隙がなかった。そもそも、下級兵の前では面すら外さない野郎だ。動向を掴むのも骨が折れたぜ」

「楼玄は警戒心が強いって言ってたもんな」

「ああ。最終的には、ヤツの方からこっちに接触してきたところで仕掛けることにした」


 楼玄が定期的に実験体の能力を確認しに来ることは、飆も理解していた。彼はそこに照準を定めたのだ。


「あの施設に《処分室》があったのを覚えてるだろ。ヤツは俺らの力を確かめる目的で、完全に自我を失った失敗作の処分を命じる時があった」

「待ってくれ。自我を失った者同士で殺し合わせるとは聞いたけど、アンタは人としての意識が、」


 山吹の双眸が細められる。笑みとも睨みともつかない視線に、紅葉は口を噤んだ。


「……冬湖を殺した時点で二人目も三人目も大差ない。他から見れば、所詮は化け物同士の争いでしかないだろうしな。そういう場でもなきゃ、抑えつけられた魔力を自由に使えなかった。だから、俺は能力が使えなくなったふりをして、楼玄が確認しに処分室へ入るように仕向けたんだ」


 千載一遇の機会を得た以上、それを逃すつもりはない。飆が仕組んだ罠は正しく動いた――はずだった。


「案の定、ヤツは中へ足を踏み入れた。先に失敗作の処理を行おうとして背中を見せた隙に、首と胴を分断してやろうってな。だが、不意を突いたはずなのに、鱗一枚も剥がせやしねぇ。それどころか、ヤツは俺に攻撃されたと理解した上でこう返してきた」



『――ふふ、腕試しでもしたくなったのかい? 君が満足する相手を用意できない点は、確かに僕の落ち度だね。力を持て余しているのなら、いつでも言ってくれたまえ』



 露骨な魔力干渉を受けたわけではない。だが、楼玄の身体に触れる直前で、鎌鼬が透明な膜に阻まれるように霧散したのを飆は見たという。


「ヤツの持つ何らかの力が働いているのは分かった。だが、俺は本気で殺すつもりだったんだ。攻撃が一つも通らないのはおかしい」

「アンタの鎌鼬は目で見えないし、至近距離で回避できる速度じゃないもんな。白銀さんみたいに装甲が硬いなら分かるけど、鱗も出てないんだとしたら――いや、どうやって倒すんだ?」

「それが分かったら苦労してねぇよ。何度か試せる場があれば確証も取れたが、殺意に気付かれた時点で間違いなく次はねぇだろ」


 それ以来、常に監視の目がついたことを自覚した彼が取れる方法は、一つしかない。


「アンタがあの施設から逃げたのは、楼玄を殺す方法を探すためだったのか」


 飆が小さく頷いた。その衝突以来、楼玄に近付くことさえできず、拘束が強まるばかりの時を過ごしていたのだろう。しかし、そこからしばらく経ったある日。彼はノーバディの長となる候補として、己と犀臥が選ばれたことを知った。


「犀臥と争うことになった時、生き残っていた他の仲間から『この施設を逃れる道がある』と聞かされたんだ。争いに臨むなら拘束が全て外される。俺はそれに乗じて、ソイツらと外へ向かう算段になっていた」


 攻撃した時点で始末されなかったのならば、楼玄はおそらく自分(作品)を殺さない。その確証があったからこそ、飆は次の手を取ることを決めた。


「でも、犀臥は戦いの途中でアンタを逃がしたんだろ? もし冬湖さんを殺された報復がしたいんなら、それこそ絶好の機会だったのに」

「俺に対する恨みは確かにあったはずだ――だからこそ、アイツは“俺だけ”を逃がしたんだろう」


 自嘲めいた声音で吐き出された言葉の意味を、紅葉は黙って聞いていた。

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