-灯火の照らす先-
「白銀さんッ!!」
叫ぶ声を掻き消すように、岩盤を隔てた頭上でごうごうと流れる水が暴れている。直前に通り過ぎた場所が、一瞬にして折り重なる土砂へ埋もれていた。出口の崩落を防いでいた上官の姿がどこにも見えない。動揺からその場に留まっていた時、通路にあった砂利が一斉にがらがらと跳ねた。
「っ、水の重さでここも崩れかけてるのか」
洋灯が照らす壁面に大きな亀裂が刻まれた。瀑布の轟きに交じり、大きな衝撃が何度か足元を揺らす。とうとう付近の天井が崩れ出した。かざした明かりが揺らぐも、白銀の気配はない。ダメだ、完全に排出口までの道が途絶え――
「うわっ!?」
漏れ聞こえた地鳴りに追い立てられ、慌てて鉄格子の奥へ辿り着く。次の瞬間、付近の岩肌が爆ぜ飛んだ。瓦礫の奥から現れたのは、泥水を被った銀の躯体だ。
「驚かせてごめんなさい。あなたを巻き込まなくて良かった」
飛沫で濡れた髪を振るう自分を前に、白銀が何事もない顔で突き破った壁を鉄板で塞いでいる。隙間から水が引くと、紅葉はようやく口を開いた。
「いや、あの、なんで壁から出てきたんスか……?」
「排出口が塞がってしまったから、既に決壊している場所を通って、ここまで来ようと思ったの。水が噴き出している穴を広げたら、水量が分散して流されずに済んだわ」
崩落の直前で飛翔した彼女は、水を吐き出す間欠泉をあえて広げたらしい。そのおかげで空間ができたため、水路を遡れたのだろう。もっとも、岩盤ごと破壊して逃れる発想になるのは彼女ぐらいだ。
「ただ、先を急いだ方がいいわね。貯水槽が満量になれば水がここへ流れ込む可能性がある。それに何度も地盤に影響を与える行動は、さすがにリスクが大き過ぎるもの」
「そうっスね。早くみんなと合流しましょう」
白銀が掲げた洋灯で通路を照らす。彼女の背中を追い、紅葉も暗がりへと足を踏み入れた。鉄格子を潜るまでは身体を縮こまらせていたが、その先は二、三人ほど並んで歩ける道幅だ。
この先の道標は、脱出経路を調査した亜久斗が用意してくれた松明だけだった。しかし、籠る湿気によって炎の勢いも衰えかけている。本来なら、道標の前を通る人員が新たな松明に交換していたが、それもできなかったのだろう。
地下水脈の走るこの場所ではどこが崩れるのか予測不能だ。脆弱になった箇所は白銀が鋼鉄で補強してくれている。ただ、水量の増加があれば、あっという間に道が塞がれるだろう。不安の中、わずかな明かりを頼りに先を進んでいた時。入り組んだ通路の途中で別の篝火が見えた。
「もしかして仁さんたちっスかね」
「なぜあの場に留まっているのかしら」
毅然とした振る舞いを続けていた白銀が、わずかに表情を曇らせる。滞留している篝火の方へ足早に近づくと、仁の率いていた隊列がそこで立ち往生していた。
「仁殿、何があったの?」
先行した白銀が群衆に声をかける。すると、こちらに気付いた仁が洋灯を掲げた。そこにあったのは、柔らかな光には似つかわしくない強張った表情だ。
「悪い報せだ。我々が通過しようとした直前、この道が崩れてしまった。おかげで道標も途絶えている」
「まさか、閉じ込められたんスか?」
明かりに照らされた道の先は落石と土砂によって塞がれていた。今も数人が瓦礫を取り除こうとしていたが、手作業では厳しそうだ。
「この先が当初想定されていた経路だったのかしら」
「ああ。奥に明かりが確認できたので、間違いないだろう」
「わたしなら人が通れる道を作れるかもしれないわ。皆を下がらせてちょうだい」
「その方法しかなさそうだな」
この状況では、地盤が持ってくれることを信じるしかない。仁が土砂の付近にいた人員を隊列に呼び戻した。前に立った白銀が、片腕に鋼鉄の槍を構えている。その後ろで群衆が不安げに様子を見守っていた。
「派手なことして大丈夫なのか?」
「そうでもしないと出られないじゃないか」
「けど、衝撃でこの場所ごと崩れる可能性だって、」
「縁起でもないことを言うべきじゃ――」
腹部へ響く重低音に言葉が途切れた。道を塞いでいた瓦礫に鋼の先端が突き刺さっている。それを引き抜いた白銀の顔がさっと青ざめた。
「……今の行動は、悪手だったようね」
会話の間にぽっかりと空いた穴からごぼ、と泥水が溢れる。隣でそれを見ていた獣人が、全身の毛をぶわりと逆立てた。
「マズい、行く手から水がこっちに来てるぞッ!!」
その叫びを皮切りに、目の前にあった瓦礫の隙間からじわじわと水が染み出した。見えない向こう側でも浸水が起きている。
「どういうことっスか! なんで脱出経路からも水が来て……いや、まさか」
問いの答えは流れ出た水そのものだった。足元を走ったそれが向かったのは、担架に載せられた牙雲の元だ。不自然にできた水溜まりに、彼を運んでいた隊員たちが息を呑む。そして、その事実に気付いたのは自分だけではなかった。
「――そこにいる竜人が水を引き寄せてるわ!」
魔力による影響を感じ取った精霊族が、とうとう牙雲を指差した。絶望的な状況の中で同調した群衆が一斉に殺気立つ。
「ソイツの仕業だったのかッ」
「殺してでもいい、水を止めさせろ! 早く!」
嫌な予感に人混みを掻き分ける。彼の元へ辿り着いた時には、既に黒衣をまとった人間が武器を振り被っていた。咄嗟に伸ばした腕の鱗が小刀の切っ先を弾く。赤い鱗を逆立てると、紅葉は牙雲と彼を運んでいた隊員たちを背中に匿った。
「やめてくれ! この人を殺しても状況は変わらない!」
「水を引き寄せてるのがソイツなら、殺せばこの場の浸水は止まるだろ!」
「トカゲ一匹のせいでここにいる者を皆殺しにするつもり? 正気じゃないわ!」
「所詮は自分たちの組織が大事だってことだ」
「……そうか、分かったぞ。その銀髪のトカゲは、近くに棲むトカゲ共の仲間なんだな? ヤツらが水を流して、ここを潰そうとしてるのか!」
水を被った背中に嫌な汗が伝う。想定外の浸水が起きているのは事実だ。しかも、今の状況に水神家が絡んでいる可能性も捨て切れない。だが、下手な話をすれば、牙雲たちをあらゆる人族の標的に晒すだろう。唇を噛んだまま、言い返す言葉を探していた時。
「――いい加減にしろッ! 仲違いしている場合じゃない!」
膠着を破ったのは仁の一喝だった。だが、群衆は収まらない衝動を彼にもぶつける。
「このトカゲを放置して、増水したらどうするつもりだ!」
「死ぬかもしれないんだぞ!?」
「どのみち、道が塞がれた状況では水が減っても外には辿り着けん。生き延びたいなら、今すぐにここを出る方法を全員で考えるべきだ。余計な時間を使っている暇はないぞ!」
口ごもった一人が武器を下した。それに続くようにして、自分を囲んでいた群れが解けていく。交わされる言葉はなかった。だが、確かに送られた仁からの視線に、紅葉は小さく頷いた。
――この場にいる全員の命と可能性を守りたい。あの十字路での対立を経て、彼は自分が成し遂げたかったことを最も深くまで察してくれた。
「皆、落ち着いて聞け。排出口の先はいくつかに分かれているはずだ。この通路以外にも、まだ他に逃れられる空間が残っている可能性が高い。獣人たちは音を頼りに、水の流れがない場所を見つけ出すんだ。他の者は付近の浸水を留める班と、この場の明かりを維持する班に分かれろ。嘆くよりも先に、生きるための行動を取れ!」
「浸水を防ぐ班はわたしが指揮を執るわ。そこから半分の人員はこちらを手伝ってちょうだい!」
統率者の二人はすぐさま行動に移っていた。この場所に隣接している通路があれば、それを使って外へ出られるかもしれない。白銀なら岩壁に穴を開けることも容易だろう。万策尽きたわけではない。
「オレも、できることをしないと」
弱まりかけていた洋灯の明かりがふと目に留まる。絶やすべきではないその色を見て、紅葉は拳を握り締めた。
「まだ使えそうな光源があれば教えてください! オレの炎を種火にすれば、明るさを保てます!」
その声かけに、消えていた松明が自分の前に差し出された。それを握っていたのは、牙雲に刃を向けようとした人間だ。
「……さっきは悪かった。閉塞した状況をどうにかしたくて、つい」
「謝らないでください。立場が違ったら、オレだって同じ行動を取ったかもしれないし。ただ、戦場でもないのに殺し合う必要はないって思っただけです」
掌へ生んだ熱源を触れさせていると、松明に再び柔らかな炎が灯る。それをきっかけに、自分の元に何人かが同じように洋灯や松明を渡してきた。自分には牙雲のように大きな魔力がない。だが、力が続く限り彼らに応えるつもりだった。
最善を尽くそうと何度も魔力を燃やす。ひどく集中していた状況からふと顔を上げた時。いつの間にか、視界いっぱいに温かな熱が灯っていた。濡れた岩肌を煌々と照らすそれを見て、やってきた白銀が泥を拭いながら口を開く。
「まるでここだけ昼間みたいな明るさね」
「……アハハ、こんなに増やすつもりはなかったんスけど。ちゃんと酸素足りるかな」
「大丈夫よ。皆もずっと留まっているつもりはないでしょうから」
彼女に促されて前を見ると、仁がこちらに向かって手招きをしているのが見えた。どうやら、壁の向こうに目ぼしい場所が見つかったらしい。銀の鱗に映る炎の揺らめきを見て、紅葉は大きく頷いた。




