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-崩落-




* * *




 流水の音が止め処なく響いている。不格好な足場の前に隊列が並ぶ。欠けた面から頬の箔を覗かせた飆が、連なる面々をじろりと睨んだ。彼を含めると人間が二人、精霊族、獣人、竜人が一人ずつになっている。


「まあ、妥当な線だな」

「仁さんが周辺の地理に詳しい人を呼んでくれたんだ。脱出した先がどういう位置で、そこから崩落に巻き込まれない方向へ逃げられる道を調べた方がいいって」

「所詮、穴蔵から外へ出るまでの協力関係だろ」


 憎まれ口は彼なりの線引きなのだろう。が、あえて口にしたのは、きっと目的外のことに首を突っ込んでいる自分への当てつけだ。


「第一班、行くぞ」


 巻き上がる旋風が暗い水面をさざめかせる。言い返す間もなく、黒衣を翻した相手が排出口まで飛翔した。それを追う者たちも各々で移動を開始する。


「気を付けて。無事に脱出できることを祈るわ」

「逃げる先はちゃんと見繕っておくさ。だから、あんたらも早く出て来てくれよ」


 歪な階段を上り終えた人間の兵が、縄を引き上げていた白銀や獣人へ声をかける。排出口まで到着した人影は、飆の待つ暗がりへと吸い込まれていった。彼らが外へ辿り着ければ、出口付近に置いていたシェリルの羽虫が戻ってくるはずだ。班の数は十ほどあるので、通路を往復する羽虫が一番の功労者になるかもしれない。


「第二班は階段前まで移動してください。他の班も行動手順の確認をお願いします。また、移動時は竜人数名に空中での待機をお願いできますか。この高さから落下すると危険ですので、万が一に備えましょう」


 排出口まで辿り着く道は三つ。自力で飛翔するか、築いた足場を使うか、手製の縄で引き上げてもらうかだ。体格の大きな者は足場を使い、華奢な者は縄での引き上げを手配している。ただ、それらも全て急ごしらえで、安全面は心もとない。


 水の流れ込む音だけが続いている。脱出が叶うのか不安がる者が多いせいで、張り詰めた空気が漂っていた。しばらく変化しない状況で、浅くなっていた呼吸を落ち着けようとした時。


「――羽虫が戻ってきたわ! 第一班は脱出成功よ」


 声を弾ませた白銀に続き、湧き上がる歓声が空間全体に反響した。揺らぐ水面に呑まれていた活気がやっと戻ってくる。


「無事に出られたんだ! 威吹さん、やりましたね!」

「今日で何よりの成果だな」

「お前たち、まだ気を抜くんじゃない。喜ぶのは皆が外へ出てからだ」


 壁際で水位を測っていた仁が忠告を飛ばした。来たばかりの時に小刀で削った岩肌の線は、既に水没している。浸水が続いている以上、危機が去ったわけではない。


「第二班、速やかに移動を始めてください。三班は足場の下まで移動、四班以降にいる竜人は空中での待機をお願いします」


 亜久斗の指示で、紅葉も空中を旋回する人員に加わった。中層から見下ろすと、移動を始めた中にシェリルの姿が見える。


 今回は斥候らしき小柄な獣人が縄を伝っていたので、彼女は階段で上に向かうらしい。ただ、どことなく動きがぎこちない。飼っている蟲たちを落とさないよう、気遣っているのだろうか。


「大丈夫か? 長いこと壁にへばりついてるけど」

「す、滑らないように慎重になってるだけよ」

「……もしかして高所恐怖症?」

「っ、どうせ羽つきトカゲにはわかんないわよね!」

「ふーん? 後ろに差し支えちゃうし、オレが上まで運ぶよ」

「ケガ人に抱えられるとか絶対にムリ! どうせならあの強そうな女の人にして!」

「白銀さんは引き上げ役だもんなぁ。下が見えないようにするから、とりあえず掴まれって」

「ちょっ、やだ、急に変なとこ触らないでよ!」

「触ってないし! そんなこと言われたら逆に意識しちゃうだろ!?」


 ローブに覆われている膝裏と背中を支えただけなので、断じて濡れ衣だ。暴れるシェリルを抱え直していると、遠巻きに自分たちを眺めていた威吹がニヤニヤしている。手を貸して来ない辺り、自分にとってはイイ先輩だ。


「やっ、やっぱり下ろして! 本当に高い所はダメなの……!!」

「そうやって暴れるとマジで落ちるぞー」


 首元へしがみついた彼女が石像のように固まった。袖口で蠢いている百足は見なかったふりだ。借りてきた猫になった精霊族を抱えると、紅葉は排出口まで羽ばたいた。




* * *




「――第七班、移動を開始します」


 号令がかかった。一つ、また一つと人影が暗がりの奥へ消えていく。隊列の最後尾にいた亜久斗が、誘導を手伝っていた自分に目を留めた。


「お先に失礼します。牙雲少佐も含め、皆が無事に出られることを祈ります」

「ハイ! 亜久斗さんも気を付けて」


 白銀にも小さく頭を下げると、亜久斗が狭い通路へと歩を進めた。飆、シェリル、威吹は既に外に出ている。そして、亜久斗の班も今しがた出口へ向かった。残っている人数もわずかになり、誘導は少人数で十分だ。遠ざかる洋灯の明かりを空中で見送っていると、縄を抱えた白銀が物憂げに下を覗き込んでいた。


「水位の上昇が止まらないわね」


 唇を噛んだ彼女が手招きしている。翼を畳んで降り立つと、紅葉は相手が見つめていた先を望んだ。下にいた時は気付かなかったが、今は牙雲を中心にして渦潮のような流れが生まれている。奇妙なほどに波打つ水面に、担架を運んでいる人員も落ち着かない様子だ。


「次から班を変更して、小柄な人族の避難を優先させましょう。引き上げを手伝ってくれている獣人たちも一緒に逃すわ。仁殿に彼らを率いて脱出するように伝えて」

「ハイ、すぐに行ってきま、――!?」


 翼を広げようとした途端、全身に細かな振動を感じた。地を這う轟き。同時に白銀の表情が引き攣る。刹那、排出口の上にある岩壁から間欠泉が噴き出した。流れ込んで来たのは泥の飛沫ではなく、皮肉なまでに澄み渡る清水だ。


「総員、すぐに退避を! あなたもよ!」


 出口を覆う大量の水を呆然と見つめていると、白銀に背中を叩かれる。排出口の近くにいた獣人も階段まで駆け出していた。それを見て、弾かれたようにやっと宙へ飛び上がる。


「排出口が決壊するぞッ!」

「もう膝まで浸かってるじゃないか! 他に逃げ道はないのか!?」

「ダメだ、もうおしまいだ……!」


 混乱が急速に伝播する。今まで表層に出なかった人々の恐怖や焦燥が、競り上がる水位と共に増幅していく。


「下にいる全員を速やかに移動させて! 穴はわたしが塞ぐわ!」


 焦りの色を見せた白銀が、錬成した鉄球を岩盤の亀裂へ叩きつけた。どうにか応急処置はできたものの、隙間からは細い水流が幾筋も溢れている。地盤が耐えられるのも時間の問題だろう。


「仁さん、急いで他の人たちを排出口まで先導してもらえますか! オレも手伝います」


 滝壺となった水際へ急降下すれば、その場に残っていた仁が自分に頷いた。着水と同時に、惑う群衆へ向けて彼が一喝する。


「皆、落ち着け! ここで騒げば余計に地盤を刺激して、崩落を招く可能性がある。それだと全員巻き添えになるぞ!」


 騒然としていた人族たちが一斉にこちらを見た。全員の耳目を集めたのを見計らい、仁が持っていた高く洋灯を掲げる。多くの者が冷静さを取り戻したところで、統率者の彼が次々と指示を出した。


「状況を理解したのなら隊列を組め! 私に続き、怪我人や体格の小さな者から速やかに排出口へ向かうんだ!」

「この場にいる人たちは、仁さんの指示に従って移動をお願いします。逃げられる時間は十分にあります。上に行けば水嵩も減るんで、安心してください」


 やっと動き始めた人員を導く中で、牙雲を運んでいる隊員たちとすれ違う。


「少佐のこと、よろしくお願いします」

「ああ、任された! 君も早く逃げてくれ」


 頷き合った彼らが急ぎ足で隊列へ加わったのを、紅葉は遠くから見つめていた。波打つ水面はいよいよ膝上まで届いている。猶予はあると言ったものの、この速度で水が増えればいつかは排出口も浸水するだろう。既にこの水量では助走をつけることすら不可能だ。他の竜人たちも、飛ぶことを諦めて次々と鉄の階段を駆け上がっていく。


 最後の一人が出口へ向かったのを見届けると、紅葉も急いで足場へ靴先を乗せた。


「白銀さん! 下は全員脱出完了しました」

「了解。すぐにわたしたちも脱出しましょう。先にそこを潜って」


 塞いでいる穴から、細かな砂利が鉄板へ降り注いでいる。今にも決壊しそうな淵を見る限り、あまり長居はしたくない。彼女の横を通り、慎重に排出口の奥へ身体を滑り込ませた時。背中でぐしゃ、と空間の潰れる音が響いた。

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