-もう一つの未来-
* * *
「良く見つけてくれたわね。こんな抜け道、思いつかなかったわ」
隊列を率いていた白銀が、出迎えた自分たちの前で安堵の溜息をついた。捕虜やノーバディの兵も、誘導役の亜久斗に続いて恐る恐る空間へ足を踏み入れている。これも例の羽虫が外へ通じる道を見つけ出してきてくれたおかげだ。
「全員が揃ったことを確認しました。後は脱出を進めるだけです」
「了解。紅葉隊員もまだ動けるかしら」
「大丈夫っス」
そう強がってはみたものの、出血が少なかっただけで凍傷を負った箇所は数え切れない。ただ、見かねたシェリルが別の羽虫を飛ばしてくれたおかげで、体力は温存できている。白銀たちを呼ぶために、泥水に浸かりながら往復するのは、本音では避けたいと思っていた。
「それと、移動の前に内々で共有したいことがあるの」
不意に声量を落とした白銀が、隊列から離れた場所に自分と亜久斗を招いた。そこに飆が腕を組んだまま近づいてくる。威吹やシェリルを仮面越しにねめつけて追い払うと、やってきた彼が口火を切った。
「テメェらが離れてる間に、良い話と悪い話があった。良い話からいくとすれば――テメェが助けようとしてたあのトカゲの魔力は、恐らく元に戻されてる」
「そうか! なら、少佐はまた魔法が使えるんだ!」
「ですが、なぜそんなことが分かったのでしょう」
亜久斗が怪訝な表情を浮かべている理由はすぐに理解できた。担架の上を覗き込んだが、牙雲はまだ眠ったままだ。意思疎通ができそうな気配もない。
「次は悪い話だ。さっきの通路にいた時、急に俺らの付近で水が湧き始めた」
「え、ただでさえ水浸しなのにどうして?」
「ったく、鈍いヤツだな」
飆が舌打ちを返す。状況を吞み込めていない自分を見かね、亜久斗が代わりに口を開いた。
「……牙雲少佐が傷を癒そうとして、本能的に故郷の水を求めているのかもしれません。ここは水神家の領地にも近く、地下水脈を通じて水を呼んでいるのでしょう。彼を抱えているだけで浸水が早まってしまうのであれば、非常に厄介な状況ですね」
「やたらと水量が増えてんのも一部はコイツのせいだろう。ここまでどうしようもねぇ爆弾だって分かってたら、さっさと殺してやったのに」
「脱出までの残り時間は想定よりも短いわ。そして、今の話に気付かれれば、パニックを引き起こすでしょう。最悪の場所、牙雲少佐に手をかけようとする者が現れるかもしれない」
「けど出口はすぐそこなんですから、順番に飛んで行けば――」
「羽も生えてねぇヤツはどうやって行くんだよ」
「あ、」
ほぼ垂直の岩肌を前にして固まる。翼を持っていない人族のことは考えもしていなかった。風を操る飆は問題ないが、他の人族は無理だろう。
「ま、まあ、オレたちが抱えていけば何とかなるっしょ」
「手負いの癖に随分と元気なもんだな。へばって荷物になったら置いて行くぞ」
「うぐ、」
「大丈夫よ。方法はちゃんとあるから」
口ごもっていると、白銀が待機していた獣人の一人に声をかける。
「そこのあなた、手伝ってくれる?」
「何すりゃいいんだい」
「今からこの岩壁に足場を築こうと思っているの。そのために耐久性や段数の目途をつけたくて」
「足場だって? 資材も無いのにどうすんだよ」
「これから作るわ」
言いながら、白銀が魔力で鉄の塊を生み出した。戦闘時の槍を生み出す要領で資材を錬成することを考えたらしい。武器と比べたら歪な見た目だが、一応は板状になっている。
「急ごしらえだけど、これを岩に突き刺してみたらいけるんじゃないかしら」
「いや、だから、どうやったらこんなの岩に突き刺せるんだって、」
「もちろん――こうするのよッ!」
担いだ板を白銀が持ち上げる。次の瞬間、水面を揺らす重低音と共に、鉄板が射出された弾丸のごとく岩肌へ水平に突き刺さった。壁からはみし、と不穏な音が漏れている。
「この板に乗ってみて。あなたの体重で落ちなければ、他も問題ないと思うわ」
茶色い毛に覆われた耳を掠めていった鉄塊に、呼び立てられた獣人は尻尾を丸めている。まあ、無理もない。こんなパワープレイは自分を含めて誰も予想していなかっただろう。亀裂を見た亜久斗も珍しく苦い顔だ。だが、最後には率先して鉄板を打ち込む座標を示し出した。
「白銀大佐。小柄な人族もいるため、段差の間隔はやや狭めでお願いできますか。加えて足元が悪いので、面に滑り止めの突起を造っていただけると良いかと」
「やってみましょう。作業の間、あなたたちは脱出させる人員の調整を行ってちょうだい」
「了解っス。こっちは任せてください」
上官たちが頷いたのを見て、紅葉は佇む集団の統制にかかった。牙雲が水を呼び寄せているとすれば、この環境で逃れられる可能性が低い者を優先すべきだ。
「竜人は何かあっても飛べるから後にしよう。で、一番先に人間を逃がしてあげた方がいいな。仁さんにお願いすれば他も聞いてくれるだろうし、」
「班は同じ組織で固めるんじゃねぇ。徒党を組まれて裏切られたら終わりだぞ」
立てた算段に飆から横槍が入る。様々な可能性は考えるべきだが、疑っていてはきりがない。
「今は全員で協力するって話が前提だ。そっちこそ、ホントは先に逃げたいって思ってるんじゃないか?」
「俺は他と違って地べたを這いずる必要はねぇからな。何かあれば一人でもどうにかなる」
「だったら、アンタが先鋒隊を率いて脱出口まで行ってくれ」
「……俺が? 何の理由で従ってやるんだ」
「アンタ以外はどこかしらの軍に属してる。でも、アンタは誰かに肩入れも遠慮もしないから、冷静な判断を下せるはずだ。それに地上でノーバディの残党と戦闘になっても対処できる。中立的な立場って意味では適任だろ」
「俺が掌を返すって想定はねぇのか」
「それもゼロじゃないけど、オレたちを裏切ったところでアンタは得しない」
「ふん、少しは損得勘定もできるもんだな」
「ただ、牙雲少佐だけは一刻も早く外に連れ出して、治療させたいんだ」
「だとしても先鋒隊に混ぜるのはやめとけ。運ぶのは最後だ。逃げ道の途中で水を呼び込まれたら、目も当てられねぇ」
「……わかった。オレがちゃんと連れて帰る」
「さっさと出て行くに限るぜ、こんな胸糞悪りぃ場所は」
湿気を払う烈風がぶわりと水面を波打たせる。欠けた面を押さえながら、飆がその場を立ち去った。ここからは他の人族との調整が必要だ。残された捕虜や兵士の方を振り返ると、彼らは目配せしながら言葉を交わしている。すると、中心にいた仁が自分の視線に気付いた。
「何かあったんスか?」
「ちょうど我々でもできることはないかと相談していた。お前たちばかり働かせていては、恩を着せられている気分だからな」
「それじゃあ、脱出する人員の班分けを手伝ってもらえますか。あと、効率的に排出口まで移動する手段を考えたいんです」
「今の話で意見のある者は?」
仁が促すと、最初にシェリルが手を挙げた。
「足場の反対側に結び目を作った縄を垂らしてみたら? それを引っ張り上げれば、一人ぐらい上に運べるでしょ」
「いい考えだ。テッド、縄の引き上げを手伝うよう、獣人たちに声をかけてくれるか。それと、道中の危険感知のために先鋒隊へ入る者を一人呼んでおいてくれ」
「おうよ、手持ち無沙汰も飽きてたところだ! オレの方で拾ってくるぜ」
呼びかけに応じたのは、食堂にいた垂れ耳の獣人だ。体力があり、五感の鋭い彼らがいてくれれば心強い。それを皮切りに、傍にいた精霊族の捕虜が声を上げた。
「私たちで良ければ、縄を編むのを手伝いましょう。数は多くありませんが、弓に張られた弦を編み込めば、強度も上がります」
解放された際、彼女たちは奪われた武器を回収していたらしい。竜人や獣人のように鱗や爪を持たない種族のため、自衛を目的にしていたのだろう。ただ、ふと思考の端に引っかかった話が脳裏に蘇る。
「でも、精霊族の弓は親からの贈り物なんスよね? そんな大事な物を使わせてもらって大丈夫なんですか」
以前、精霊族には親から子へ飛び道具が贈られる風習があると聞いた記憶がある。その問いに相手は一瞬だけ驚いた表情を見せた。
「……おっしゃる通り、我々にとって弓はかけがえのない物です。ただ、この場では人命を優先します。それに弦は張り替えられますので、ご心配なく」
「そっか、確かにそうですよね! すみません、変なこと聞いて」
「いえ、失礼ながら、他の人族が我々の風習について口にするとは思っていなかったので。私たちの文化を尊重いただけたことに感謝します」
一礼した彼女は、淡い色の髪をなびかせながら、他の者へ声をかけに向かった。周囲を見渡せば、同じように各所で協力を募る呼びかけが聞こえてくる。
「こちらには医療班もいるぞ。もし怪我人がいたら、種族を問わずに手当するから言ってくれ」
「明かりは足りそうか? 松明を焚いておけば、脱出して人数が減っても大丈夫だ」
「だったら、こっちでは少しでも水を防ごうぜ。水嚢があれば堰き止めておけるんじゃないか」
「ああ、分かった! そっちの人員にも手伝ってもらおう」
――あるはずのなかった未来を、今の自分は見ている。
いがみ合っていた人族たちが、目の前の危機を乗り越えようと自ら手を取り合っているのだ。だが、信じられない光景だとは言いたくない。
「あって当然じゃないか。歴史では、これまでそうして来たはずなんだから」
遠い過去には、人族たちが協働して築き上げた文明があった。中央区画で戦火に晒され続け、風化して見えなくなっていた人々の営みが、目の前の彼らと重なる。これまで忘れ去られていたのは、栄華を極めた時代の遺物ではない。
それは、きっと、自分たちが歩むべきもう一つの未来だった。




