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-蟲の一生-

 しばらくして、隊列に戻った威吹が探し人を引っ張り出してきた。透き通る淡い緑の髪を持つのは、食堂にいた精霊族の少女だ。フードを被っていた時には大人びて見えたが、よく見たら歳は自分とそう変わらない。


「いきなり何なのよ」

「この浮き袋を追跡して欲しいんだ。頼むよ」

「これから出口に行くんじゃなかったの? っていうか、この水浸しの空間はどういうこと?」

「あー、話すと癇癪起こされそうだから、まずは黙って従ってくれないか」

「……都合の悪い内容みたいだから、今は聞かないでおいてあげる。それで、この袋がどこに行くのか分かればいいのね」


 精霊族の彼女が黒衣の袖から小瓶を取り出す。蓋を開けると、キラキラと光る羽虫が細い指先に止まった。彼女がひそひそと何かを呟けば、亜久斗が手にしている袋の周辺を羽虫がくるくると旋回し始めた。


「協力に感謝します。差し支えなければ、お名前を伺っても?」

「私はシェリル。《蟲使い》の端くれよ」


 『シェリル』と名乗った彼女は、あらゆる蟲を使役できる力を持つらしい。飛翔できる個体であれば、水にも影響されずに動けるはずだ。


「この子が戻ってきたら、浮袋がどこにあるのか案内してくれるわ」

「では、しばらくお借りします」


 綺麗な放物線を描いて着水した浮袋を、シェリルの蟲が静かに追いかけていった。その帰りを待つ間、仁と白銀が手分けをして、待機させていた人員へ状況の説明を進めている。その間に少しでもできることを探して、紅葉は毛布の上に横たえられた上官の元へ向かった。


「少佐、大丈夫ですか」


 手持ちの飲み水で口元を湿らせる。まだ冷たい彼の掌を握っていると、微かに握り返してくれた気がした。暗がりへ灯る明かりの数へ救うべき命を重ねる。背負った以上は、どの灯火も最後まで絶やしてなるものか。


「もうちょっとで帰れますんで、頑張ってください」


 牙雲に声をかけていると、残っていた亜久斗と飆が黒い水面の手前で言葉を交わしているのが聞こえた。


「そういえば、貴方はこの通路の存在を理解した上で表に出たのでは? てっきり詳細もご存知かと思っていたのですが」

「まさか。当時、この階層から外へ通じる道があると聞いただけだ。入り口も適当に壁をブッ壊して見つけた」

「……その後、この分かれ道の中から勘で当たりを引いた、と」

「風の流れを頼りにすりゃあ、どっかしらで外に出られるって踏んだんだよ。こっちだってそう簡単に死ぬ訳にはいかねぇしな」

「ふふ。この苦難を共にした好として、お互いの“復讐”が遂げられることを祈っています」


 そんな皮肉を吐き出した唇を、飆がじっと睨みつけていた。




* * *




「――眉唾物だと思ってたが、噂は本当だったんだな」


 滴る水を払いながら、横にいた威吹がぼそりとそう呟く。シェリルの誘導の元、足首まで浸水した隘路を進んだ先にあったのは、がらんとした広い部屋だ。内部は正方形の箱状にくり抜かれている。別の分かれ道の先にもこうした空間が設けられているのだろう。


「汲み上げ装置もありますね。ここが水量をコントロールするための貯水槽だと見ていいでしょう」

「高さなんて本部の三階と同じぐらいじゃないですか。造るの骨が折れそうだなぁ」


 苦無で壁に水位を記した亜久斗が、到着早々に室内を調べ始めている。その後ろをついて回っていると、反対側を調べていた威吹が声を上げる。


「おい、左側の壁の途中に横穴があるぞ。排出口ってのはアレじゃないか?」

「確認してみましょう」


 軽く助走をつけ、壁を蹴り返した亜久斗が翼を広げた。滑らかな皮膜の張られた翼は羽音を立てず、垂直の岩肌を駆ける影を宙へ押し上げる。


「亜久斗さーん、様子はどうですか!」

「……微かに空気の流れを感じます。ただ、問題がありまして」

「ひとまずオレもそっちに行きましょうか」


 フラップを外し、横穴から顔を出した亜久斗の元へ飛翔した。横穴の入口には数人が留まれそうだ。ただ、奥には土砂や瓦礫などの流入を防ぐための鉄格子がある。先も曲がり道になっていて見通せない。


「あー、この鉄格子、かなり頑丈そうっスね。でも白銀さんなら壊せるんじゃないっスか」

「いえ、まずはシェリルさんから羽虫を借りてきてもらえますか? この先に出口があれば、残してきた皆さんを呼びましょう。その時に大佐に手伝ってもらった方が良いかと」

「そうっスね」


 頷いた紅葉は急いで揺らぐ水面へ降り立った。そして、上がった飛沫に顔をしかめているシェリルへ声をかける。


「キミの羽虫、もう一回借りてもいい? 出口がありそうなんだけど、鉄格子があって先に進めないんだ。ただ、その羽虫なら通れるから手伝ってほしくて」

「絶対に乱暴なことしないでね? この子、お気に入りなんだから」


 細い指先から飛び立った羽虫が、透き通った翅を煌めかせながら横穴へ向かう。遥か高くに佇む亜久斗がそれを受け止めた。シェリルに感謝の礼を見せると、彼が羽虫と共に暗がりへ姿を消す。


「協力してくれてありがとう」

「なによ。こっちだって、いつまでもこんな所にいたくないだけだもの」


 シェリルがむくれた顔で水浸しになった裾をたくし上げた。ローブの裏から這い出てきた百足が、慌てて彼女の腕によじ登っている。


「でも、オレたちに大切な虫を預けてくれたじゃん? キミって結構優しいよね」

「懐柔できるかも分からない敵の前で、丸腰になってたアンタに言われたくないわ。それに、お礼ならあの子たちに言ってあげなさいよ」

「はは! じゃあ、戻ってきたらいっぱいお礼言うよ。『羽虫様、ありがとうございます!』ってさ」

「……あの子たちが人から感謝されるのは、きっとこれが初めてね」


 仰々しく首を垂れれば、むすっとしていたシェリルの口元がわずかに緩んだ。その艶やかな桜色の唇から、ふとか細い声が漏れる。


「私、ここでは捕虜の尋問役だったの。蟲たちを使って拷問するのが仕事だった。おかげであの子たちも立派な“嫌われ者”よ。私だって本当は好き好んで人を傷つけようだなんて思ってない。でも、今日になるまで、私はあの子たちに人を傷つけるように命じることしかできなかった」


 ――あの子たちの一生は、人よりも儚く短いのに。


 俯いた彼女の姿につきりと心臓が痛む。ああ、きっと彼女は、澪と同じ道を進もうとしている。自分の大切な物で、誰かを傷つけている。それも、彼女自身が深く望まない形で。


「……キミはどうしてノーバディに来たの?」


 友が残していった《棘》が、疼きと共に口を動かす。しばらく背を向けていた彼女は、流れ込む水の狭間で静かに零した。


「精霊族は《女王》が統治してるって話は知ってる?」

「うん。全軍円卓会議で《女王》や、側近の近衛兵も何人か見かけてるし」

「――私の父は《女王》の近衛兵に殺された。彼らは《女王》の犬よ。つまり、私の家族は“国家そのもの”に殺されたに他ならない」


 シェリルの父親は精霊族の軍に所属しており、複数の小隊を率いる地位にいたという。しかし、彼は近衛兵の一人が、他軍の兵と密会する現場を目撃したのだ。《女王》を強く信奉する忠臣だった彼は、その事実を上奏文としてしたためた。ただ、その後に起きた作戦の最中に不審死を遂げたのだ。


 当時、赤子だったシェリルがそれを知る契機となったのは、かつて父親の部下だった軍人が渡してくれた封書の存在だった。


 ただ、部下も軍から目をつけられており、ほとぼりが冷めるまで迂闊に動けなかったらしい。結局、真実が彼女の手元に届いたのは、十年近くの時を経てからだった。


「軍で起きた出来事を知った時、いつか父を殺した者に報復してやろうと思ったわ。でも、《女王》は例外を許さない。この恨みを抱えたまま集落にいたら、それこそ虫けらのように潰されてしまう。だから、この子たちと一緒に外へ逃れてきたの」

「……そんなことがあったんだ」

「やめてよ、そういう顔。これは私が選んだ道なんだから、憐れまれても迷惑だわ」


 ノーバディは拠り所を失った人族たちを受け入れてきた。“現状”に対する拒絶――生まれも育ちも異なる人族たちの間で、唯一共有できるその価値観こそが、この組織を形作っているのだろう。何者でもない彼女たちは、今も居場所を探して戦火の中を彷徨っている。


「でも、罪のない蟲たちに人を傷つけさせるのは、私がやりたかったことじゃない。そう考えると、私の行くべき場所はもっと他にあるのかもね」

「歩き続けたらいつかは辿り着くよ。けど、疲れたんなら、少しはどこかに留まってもいいんじゃないかな」

「こんな世界に留まれる場所なんてある?」

「んー、たとえばオレの隣とかさ」

「……は?」


 きょとんとしたシェリルの近くで、それまで黙っていた威吹がとうとう噴き出した。


「くくっ! お前さん、なかなか度胸があるじゃないか」

「だ、だって、湿っぽい空気はイヤだし」

「だったら口説いてないでさっさとこの水を何とかしなさい! バカトカゲ!」

「いや誤解だよ、オレは妹とか家族の間柄みたいな意味で言ったんだから! それに本気で叩かれると傷に響くんだってば」

「な、なっ、何よそれ!? そういうのは先に言いなさいよ!」


 口調は変わらず素っ気なかった。だが、そっぽを向いた彼女の横顔には、どこか晴れた表情が浮かんでいた。

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