-沈む出口-
* * *
「――さあ、誘導に従い、隊列を乱さずに動きなさい!」
最後尾から人々に声をかける白銀の声が響いている。十字路での対立を越えてからは、事の運びも早かった。仁や威吹が呼びかけてくれたおかげで、生存している人族はすべて最下層に移動している。
「明かりを持っている人は、先まで見えるように掲げてもらえますか!」
仄白い明かりの廊下を進む中、黒衣の兵たちが返事の代わりに洋灯を掲げる。先導する自分の背には、何人もの捕虜や兵士が続いていた。すぐ横では囚われていたドラーグドの隊員が、担架で牙雲を運んでくれている。
人手が増えた分、心強さと同時に背負った命の重みも強く身に染みている。獣人たちは流水の音や湿った土の匂いを敏感に感じ取っているせいか、まだ不安げな面持ちだ。人間や精霊族も武器に手を添えたまま、かなり神経を尖らせている。
「あった、五つ目の”印”だ」
明かりを近づければ、鋼の壁面に刻まれた鬼の爪痕が浮かび上がる。入口から進んで行くと、道に沿って引っ掻いたような跡が一つ、二つ、三つと増えていたところから、脱出口を捜索している飆が残した道標だろう。
「……ん? ココだけ形が違うな」
これまでは不格好な直線だけだったが、今回は壁に刻まれた五本線の下に、バツを描くような線が走っている。足を止めていると、隊列の間から亜久斗が姿を現した。
「どうされましたか」
「この目印、他とは違う見た目になってたんです」
「調べてみましょうか」
亜久斗が無機質な壁に耳を当てる。壁を軽く叩きながら移動していた彼が、ある一点を掌で押した。その途端、軋んだ音と共にゆっくりと壁が後ろへ押し込まれる。
「こんな所に通路があったのか!」
「仕掛け扉になっていたようですね。設備点検で使う類の通路ではないかと思われますが」
黒革の指先が素掘り坑の表面を撫ぜる。ただ、篝火で先を照らしても、協力者の気配は見当たらない。
「真っ暗な上に分かれ道が多そうっスね。あの人、予備の燃料も使っちゃってるんで、ちょっと心配です」
「であれば、僕が先行して向かいます。君は誘導に専念してください」
指示に頷くと、亜久斗が暗がりへ姿を消した。しばらくして焚かれた篝火が遠くで灯る。彼が小さな松明を目印にしてくれたのだろう。
「この先に進みます! 暗いんで、足元に気をつけて!」
洞穴の中を紅蓮の篝火が照らす。深い階層へ向かっているのか、緩やかな下りの傾斜が続いていた。肌へ貼り付くような空気がひどく不快だ。点々と続く明かりも、洞窟を満たす湿気に揺らいでいる。
ふと地面から顔を上げると、分かれ道の先で二つの篝火が浮かぶのが見えた。
「近くに出口があったのかな……うわっ!?」
踏み抜いた地面からばしゃん、と水飛沫が上がる。黒ずんだ泥水から片足を引き上げていると、反応した篝火がこちらに近づいてくる。
「まさか、本気でこの人数を引っ張って来やがったのか」
連なる長い隊列を見て、割れた白磁の面越しに飆が呆れた溜息を漏らした。自分の近くにいた何人かが怪訝な顔をしていたが、お尋ね者の面まで剥ぐのはやめた方が良さそうだ。
「紅葉君、我々以外はしばらく後ろへ留めてください。僕は白銀大佐へ報告に行きます」
「一体何があったんですか」
「詳細は彼に聞いていただければ」
秀麗な顔立ちが深い影を帯びる。後列へ向かった亜久斗の代わりに、飆が持っていた洋灯を空間に掲げた。炎の色を反射する黒い水面は、ずっと奥にまで広がっていそうだ。
「この辺りから道が水没してやがる。少し行ったところでも、半身が浸かっちまう程には深い。出口に通じる道はその先だ」
「それ、外に辿り着けるのか?」
「道順を知った上で、十分近く息を止められればな。ついでに夜目が利いて、泳ぎもできなきゃならねぇが」
舌打ちを漏らした飆の横で、蠢く黒い波紋を呆然と眺める。水量は静かに、だが、今も着実に増えていた。水位が上がればさらに出口が遠退くのは目に見えている。
「お二人共、お待たせしました」
しばらくして、隊列の間から亜久斗が現れた。険しい表情をした白銀に加え、威吹と仁も一緒だ。
「亜久斗中将から状況を聞いたわ。脱出口が沈んでいるようね」
「まさかとは思うが、この辺にいるトカゲに裏切られたんじゃねぇだろうな」
「水神家の当主はオレに頭を下げてまで、少佐を助けて欲しいって言ってきたんだ。勝手に約束を破るはずがない」
「子供さえ救い出せれば、テメェらはどうでもいいと思ったのかもしれねぇぞ」
「……最終的には犯人探しも必要ですが、今はどうやって脱出するかを先に考えましょう」
仲裁に入った亜久斗が白銀に視線を送る。それを受け、地図を片手にした彼女が口を開いた。
「この施設は地下へ階層を広げるために、周辺と比べて高い位置に置かれているわ。そして、これまでの道が下り勾配だったことを考えると、ここは底の方だと見ていいでしょう」
「ということは、浸水が始まってからそれほど時間は経ってないんスね」
「ええ。だから、わたしが壁に横穴を空けたら、水を逃すことができるんじゃないかしら。扉付近の水量が減れば、脱出口の水位が減るかもしれない」
「しかしながら、流れ込む水量が想定よりも多い場合、体力のない者の脱出は厳しいと考えられます。加えて、既に緩んでいる地盤に衝撃が加われば、坑道自体が途中で崩壊するかもしれません」
「ここも影響するの? 何もできないのが歯痒いわね」
「実は、別の観点からも気がかりなことがあります」
肩をすくめた相手に、亜久斗が懸念を返す。
「仮に何者かが地表全体に放水を行ったのだとしたら、上の階にある通気口や搬入口からも同様に水漏れが発生しているはずです。しかし、僕が施設を見て回った中でそうした現象は見られませんでした。もしも、以前使われた道を塞ぐ目的で水が流し込まれているとしたら――無事に外へ出られる確率は、限りなく低いと思います」
脱出経路が水没した原因は、飆の知る抜け道を塞ぐための人為的な放水だと亜久斗は睨んだらしい。拾ってきた施設の見取り図を眺める彼の横で、白銀が溜息をついた。
「考えていたルートが使えないとしたら、他に策はあるかしら」
「正攻法で行くなら別の経路を探すべきです。ただ、上層階には人が移動できそうな場所はありませんでした。最下層の造りも同様と思われます。ノーバディ側で他に思い当たる道はありませんか」
促されたことで、顎髭に手を添えていた仁が口を開く。
「候補としては第二階層にある焼却炉の煙突だ。だが、この人数で一人ずつそこを登るのは現実的ではない」
「そうね、それだと施設が水没する方が早いと思うわ」
「威吹はどうだ?」
「一つだけ心当たりがある。この施設は湿地帯にあるから、溜まった雨水を逃がす空間がどこかにあるって話を聞いた。まあ、水を逃すのには使えても、人が出入りできる道に通じてるかは分からないが」
「……いえ、とても良い着眼点かもしれません」
途切れかけた話題に、ふと亜久斗が閃いた表情を見せた。
「先ほどまではここが点検用の通路だと思っていましたが、考えてみれば、全く明かりのない場所で細かな作業はできませんよね? それに、最下層だけに隠し扉があるのも不自然です。もし、ここが最初から人の立ち入りを想定していない空間だったとするならば、今しがた威吹殿がおっしゃった用途に近いのかと。入口となった壁は、一定以上の位置へ水圧がかかった場合、自動的にこの空間へ排水する仕掛けだったとすれば説明がつきます」
「この階層が機密区画だったことを考えると、あなたの話は信憑性が高そうね」
彼の推測に白銀たちも頷いている。通路の役割が分かった所で、ようやく活路が見えてきた。
「あの、亜久斗さん。たぶん、この通路って水を色々な方向へ流すためにあるんスよね? だったら外に繋がってるのは一か所だけじゃない気がします」
ここが他と比べて高台にあるのなら、溜まった水を地表に排出する設備があるはずだ。そして、威吹が言っていた雨水を逃す空間はおそらく貯水槽のことだろう。そこならば大量の水の排入を行う場所があってもおかしくない。
「まずは浮きを作って流してみましょう。それを追えば、水がどこに流れ込んでいるのか分かるはずです」
亜久斗が耐水性のある袋に小石一つと空気を詰め、手際よく口を縛った。それを投擲しようとした時、後ろで威吹が声を上げる。
「ちょっと待ってくれ。この暗さだし、目で見える範囲は限られてるから、浮きを追跡できるようにしたいんだ。こっちで手伝ってくれる相手を連れて来よう」




