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-奇策-

「作戦内容を変更するわ。牙雲少佐の救出は大前提として――楼玄を除き、この施設にいる者は全員逃がしましょう」


 不意に白銀から下された判断に、亜久斗はまだ口を噤んでいた。それを見た白銀が裁定の理由を告げる。


「軍で生きるわたしたちにとって、あなたの言うことは唯一の正解よ。ただ、紅葉隊員の話も一理ある。わたしたちは、長く自分本位の戦争をし過ぎたのかもしれない。何のためにこの戦いをしているのか、今の彼の方が、わたしたちよりも理解している気がしたの」

「確かに、この作戦ではより多くの敵を駆逐することが最重要ではありません。しかし、今後の可能性を考えると……」

「ソイツを言うなら『敵の敵は味方』だろ? ここにいるヤツらを都合よく引き込めるんなら、それに越したことはねぇ。そもそも俺を連れてきた時点で、テメェに今の意見を否定する道理はねぇぞ」


 彷徨う思考に一つの道標が示される。協力者の話に、亜久斗がようやく頷いた。


「ふむ。これまでもらった言葉の中で、貴方の台詞が一番腑に落ちました」

「互いに信用ねぇからな」

「まったくもってその通りです」

「全員が納得してくれたようで良かったわ。牙雲少佐の救出を進めつつ、脱出に向けて皆で最善を尽くしましょう」

「指図されるのは御免だ、と言いてぇところだが。こんな所で死ぬ方が割に合わねぇ。今回は乗ってやる」

「これはとんだお人好しの集まりだったようで。まあ、紅葉君の言う通り、ここで全方面へ恩を売っておくのも悪くないですね」

「ありがとうございます!」


 ふ、と仮面越しの笑みが漏れたところで、白銀から指示が下される。


「まずは脱出経路の確保を優先すべきね。あとは捕虜やノーバディの兵を動かす役割が必要だけど、妨害を避けて彼らを誘導する手立てはないかしら」

「入口の見張りの様子からも、僕たちが忍び込んでくる話は施設全体に伝わっているでしょう。ドラーグド側が仕掛けてきたと伝えれば、彼らを動かせるかもしれません。僕に任せていただけますか」

「了解。貴方の“策”が功を奏したわね。もしかして、こうなることも折り込み済みだったのかしら?」


 尋ねた彼女に亜久斗が恭しく首を垂れた。彼が上層階の統制を図るのであれば、自分がやることは決まっている。


「少佐の救出はオレにやらせてください」

「あなたに任せるつもりだけど、楼玄らしき人物の動向も探る必要があるわ。戦闘の可能性があるとするなら――」

「右も左も分からねぇヤツが行ってどうする」


 協力者から最下層へ向かう申し出があることは分かっていた。ただ、彼女は先を言い淀んでいる。


「白銀さん、大丈夫です。オレはこの人が裏切らないって信じてます」

「はっ。根拠もねぇのに、何を抜かしてやがる」

「だって、協力者さんは目的があってココに来たんですよね? 自分の手でやらなきゃいけない、誰にも譲れないことがあったから」


 白磁の面が自分を睨んだ。だが、紅葉はねめつける視線を真っ直ぐに見つめ返す。


「どうしてこんな所に一人で来たのか、そろそろ教えてくれてもいいんじゃないですか」


 自身の《目的》のために彼は口を閉ざした。代わりに、白銀が続いていた沈黙を破る。


「もしも向かう先が同じなら、紅葉隊員のことを任せてもいいかしら」

「コイツが俺の邪魔さえしなければな」


 その時、部屋の扉を何度か叩く音が響いた。追い払っていた見張りが戻ってきたらしい。


「長居し過ぎたわね。これからわたしは亜久斗中将と管制室へ向かうわ。指揮系統を掌握した後で、彼に退路確保をしてもらう手筈で進める。完了の合図は補助灯の点灯にしましょう」

「了解っス」

「状況によっては、他への被害を防ぐために第二計画への移行を早める可能性もあるわ。だから、点灯を確認したら一時間以内に脱出するようにして。皆で生きて帰ること――これは『命令』よ」


 最下層がどれだけの規模を持つ空間なのかはわからない。楼玄が待っているのなら、無事に帰れる保証もないだろう。ただ、横にいる協力者は腹を括っている。最も危険な役に手を挙げた以上、同じ覚悟を決めるべきだ。


「準備は宜しいですか」


 全員の頷きを機に、亜久斗が扉に手をかけた。押し開けられた隙間から黒衣の裾が覗く。


「おい、部屋の前を見張ってろって言ったじゃな、――ぐぎゃッ!?」


 鳩尾へ入った肘にノーバディの兵が短く呻いた。よろけた身体が床へ転がる。伏した頭巾が引き剥がされ、その頸部へ容赦なく手刀が叩き込まれた


「……この人、ぴくりともしませんよ?」

「ご安心を。彼には『侵入者に襲われた』という実績づくりに一役買っていただかないとなりませんので、加減はしました」


 亜久斗の脳裏では既に策が練られている。自分たちの侵入を理由に、施設の破壊が行われるという話を吹いて回るつもりだろう。ノーバディも、まさかこの場にいる兵を逃すために自分たちが動いているとは考えていないはずだ。


「仕込みは済みました。後は彼の働きに期待して、先を急ぎましょう」

「紅葉隊員、牙雲少佐をお願いね。そっちのあなたも無謀なことは厳禁よ」


 自分が頷いた横で、鬱陶しそうな溜息が漏れる。


「行ってきます」


 揺れる灯火が左右に別れる。ここから先は時間との戦いだ。遠ざかる足音を耳に、紅葉は協力者の背中を追いかけた。




* * *




 何個目かもわからない十字路を、黒衣の背が堂々と進む。変わらない岩肌ばかりの道中で階層を上り下りしているせいか、方向感覚が狂ってきた。すれ違う人影はない。体感では随分と長く歩いた気がしている。


「そろそろ最下層だ。下手なことはするんじゃねぇぞ」


 辺りを見回していた自分へ低い警告が飛んでくる。前を向けば、わずかな洋灯の明かりが遠くでちらついていた。足を踏み出すたび、湿った冷気が立ち込める。近づく灯火に境界の門番が反応を見せた。


「ここは立入禁止だ。立ち去れ」

「用でもなきゃ来るかよ、こんな場所」


 協力者が相手に何かを投げて寄越した。門番が見つめているのは、通行証に似た金属板だ。しかし、黒い表面に赤い印が刻まれている。


「急報? 上層で緊急事態が起きたのか」

「正しくは“これから起きる”って話だがな」


 訝しげに首をひねった相手へ、協力者が呻るように告げた。


「通達があった通り、トカゲ共がここへ侵入した。ヤツらを潰すために、この伝令を受けた者は管制室に向かえという指示だ」

「勝手に持ち場を離れろと?」


 門番が見上げた先にある電灯の色は緑だった。既に二巡目だとすれば、動けるのは長くて二時間だ。警告を知らせる赤い補助灯はまだ光っていない。


「今の段階でこれを点けたら敵にも気付かれるだろ。対処が面倒になるから逐一足で動けってことだ。で、作戦室まで報告へ出向いたら、参謀総長が最下層へ向かったと聞いた。こっちはクソ忙しいんだよ。さっさと通せ」

「ふむ、そういった理由なら通れ。中に参謀総長もいらっしゃるはずだ」


 それらしい口上で、協力者は楼玄の存在も聞き出した。きっとこの先に牙雲もいるはずだ。ただ、それ以外にも気がかりはある。


「あの、他にも残ってる人はいませんか?」

「この場を行き来したのは参謀総長だけだ。交代したのは一時間前だが、人の出入りは前任からも特に聞かされていない」

「そう、ですか。ただ、もし近くに人がいたら声を――」

「テメェは与太話してる場合じゃねぇだろ。そっちも伝令を受けたなら、さっさと管制室まで行け」


 協力者が門番を追い払うように割って入った。扉から退いた黒衣が廊下の向こうへ気配が消える。隙間から漏れた空気は一段と冷えていた。


「どうして余計なことを口走った」


 先へ踏み出そうとした時、白磁の面がこちらを振り返った。苛立ち交じりの言葉に、紅葉はこれまで胸の内に閉じていた本音を吐き出す。


「オレと一緒の部隊にいた澪ってヤツが、少佐を連れて行った可能性が高いんです。だから、楼玄や少佐の近くにアイツもいると思ってます。ただ、アイツは頭が良いし、楼玄に利用されてるんだって伝えたら、こっちに応じてくれるかもしれない。とにかく、オレはアイツに会って話をしたいんです」

「……この組織に加担してるヤツらは全員狂ってる。そんな相手に話が通じるはずねぇ」

「澪は戦争を止めたいって言ってました。しかも、仲が良かったお姉さんまでノーバディに殺されてるんですよ? それなのに、楼玄の計画に同調するなんて考えられません」

「だが、ソイツはテメェらの組織を襲撃したんだろ」


 明確な悪意を覗かせる相手を前に、紅葉は唇を噛んだ。だが、ふとあの日の些細な約束が蘇る。



『もし、おれがズルをしそうになったら――紅葉がおれを止めてくれ』



 澪自身は、与えられた力をやたらと振るう素振りはなかった。むしろ、それを卑下して、使うことを恐れていたぐらいだ。あの時から、彼は自分自身を騙し続けなければならないことに苦しんでいたのだろう。ただ、牙雲が澪を生かす方向で決着をつけようとしていたのであれば、自分の選択はきっと間違っていない。


「……それはきっとアイツの本心じゃない。事情があったんだと思います。それに、人なら誰でも間違うことだって、」

「その一つの過ちが引き起こした結末がこのザマか? はっ、笑えるな」


 売り言葉へ言い返そうとした気勢を、瞬時に満ちた威圧が跳ね除ける。息を呑むと、呻るような声が四肢の鱗を波打たせた。


「一つ聞いてやる。目の前にいる“それ”を、テメェはどんな基準で“人”と判断するつもりだ。こうして口が利けることか? 鱗を生やせる“トカゲ”だってことか? 中身次第では、この場で叩きのめして捨てていくぞ」

「……正直、基準なんてものはわかりません。だけど、もしも間違ったことをしてたなら、澪を止めなきゃならない。アイツはオレの仲間で友達だから」


 協力者は首を縦にも横にも振らなかった。嫌な沈黙の合間に、懐で眠っていた藍の耳飾りを握り締める。スマイリーも寝返った者は「殺せ」と言っていた。当然、対話だけですべて解決できるとは思っていない。だが、真実を知らぬままの彼が物のような扱いを受けていることだけは、どうしても許せなかった。


「テメェの考えは、話にならないほど甘い」


 喉元へ見えない刃が突きつけられた。誤れば、抵抗の術もなく殺される。続く威圧に頬の鱗がぶわりと逆立っていた。


「だが、その花畑みたいな思考回路で、断定を避けたところだけは勘がいい。命拾いしたな」


 ふつ、と呼吸が楽になる。張り詰めていた空気が戻った。


「たとえそれが人の形をしていたとしても、ソイツがソイツであるための《中身》がなければ、ただの物に過ぎない。来るなら今の件を肝に銘じろ。仮にその時が来たならば、テメェにくれてやる機会は一度だけだ。無理だと判断した時点で、俺は真っ先にソイツを殺す」

「なら、今はこうして忠告してくれる協力者さんみたいな存在が、“人”なんだっていう定義にしておきます」

「ったく、口の減らねぇガキめ」


 面の裏で笑った自分に舌打ちが返ってくる。黒衣の裾を翻した協力者と共に、紅葉は深い闇の中へと足を踏み入れた。

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