-正義と犠牲-
「忍び込んだ直後は気付きませんでしたが、外の任務ならまだしも、施設内で交代要員が機能していないのは妙です。以前からこのような例が散見されていたのでしょうか?」
答えを促された協力者が腕組みしながらその場で考え込む。
「言われてみりゃあ、全体の統制が取れてねぇ。一見して指示された持ち場に兵が置かれてるようだったが、食堂でヤツの膳を探った時、簡単に情報を聞き出せたのも引っかかるな」
「内部にいる兵が新米ばかりというのは、さすがにあり得ませんね。しかし、事実として交代要員が確保できなかったり、警備が甘過ぎると感じます。この数日で情勢に変化があったとすれば――中央区画への出兵が関係しているのでは?」
「そんな話があれば、俺にも察知できたはずだ。それに兵の数だって大きく減ってなきゃおかしい」
「あの、オレからも一ついいっスか」
懸念について考えているうちに、見聞きした情報が記憶の端を過ぎる。
「実は、この三日間で捕虜のいた牢が空になってたみたいなんです。でも、その話をしてくれた人も今日知ったばかりらしくて。あと、一週間前にはたくさんあったはずの食料の在庫も減ってたって聞きました」
「捕虜を解放しただと? コイツらが訳もなくそんなバカをやるはず、」
「もしかしたら、相応の理由があるかもしれないわ」
噛みつこうとした協力者を掌で遮ると、白銀がきりりとした眉をしかめた。
「まず、拠点内にいる兵の総数はほとんど変わっていないのよね? でも、以前にここへ潜入したあなたたちは、警備体制の脆弱さを肌で感じている。それは、この場にいる兵の『質』が異なるせいじゃないかしら」
「……大佐の見立てでは、この拠点にいる兵士の中に捕虜が混ざっていると?」
「あなたに声をかけられる直前、兵の配置表と思われる記録を見つけたの。今の推測の可能性も含めて、意見を聞かせてちょうだい」
差し出された用紙に目を通した亜久斗が、凛とした声音を曇らせる。
「交代表の更新が昨日で止まっていますね。日を遡ってみると、直近で巡回経路や人員が頻繁に変更された箇所の履歴があります」
「これは中央区画でひと騒ぎあった時期と合致しているわ。当初、楼玄はそこに増援を送るつもりだったようね。ただ、南部にある本拠地から兵を捻出すると、経路上で時平少佐の部隊に妨害されると考えたのかもしれないわ」
「だとすれば、他軍からの干渉が少ない北部にあるこの施設から増援を向かわせるでしょう。紅葉君の言っていた食料の件も、同時期に物資として持ち出された可能性がありますね。ただ、楼玄は僕たちが人質の身柄を奪い返しに来ると知っていた。その双方の対処のために、捕虜を用いたとすれば辻褄が合います」
「外回りに出した兵を戻さずに中央区画へ送って、減った分の頭数を捕虜で補填してたのか。内部にいた俺に動きを悟らせず、人数に変動がないのも理由がつくな。ちっ、そこまで気が回るかよ!」
「巧くしてやられましたね」
大陸地図をなぞりながら、亜久斗が深い溜息を漏らした。そういえば、食堂にいた兵たちも『同じ顔ぶれが揃うのは珍しい』という話をしていた。だが、いくつか腑に落ちない点もある。
「今の話が本当なら、この施設にいる兵士の多くが計画的に解放された捕虜だってことですよね? でも、まさかみんなして一斉に寝返った訳でもないでしょうし。楼玄はどうやって言うことを聞かせたんですか」
自由を得た捕虜が素直にノーバディへ加担する可能性は極めて低いはずだ。しかし、その疑問には亜久斗が口を開く。
「この施設には小規模の牢と独房がまとまっている区画があります。その造りから、別の牢にいる捕虜同士の接触はなかったと見ていいでしょう。それを前提として、異なる牢から捕虜を一人ずつ引き出した班を複数作った場合、どうなると思いますか」
「うーん。面をつけてたら個々の判別はまずムリだし、誰が捕虜で、誰がノーバディの兵士なのかもわかんないっスね」
「施設内で互いの顔を見るのは、点呼や飯の時だけしかない。俺がその隙をついて忍び込んだのと同じで、仕掛ける方も捕虜の中で顔見知りを揃えないように仕組んだはずだ」
協力者が指摘した内容に加え、他の区画に行くために通行証が必要だというのも重要な点だろう。捕虜がその存在を知るはずもなく、下手な動きをすれば簡単に始末される。
「捕虜は行動範囲を限定された上、班の人員同士で相互に監視されている状態だったと考えられます。そして、彼らの行動をコントロールするために、楼玄はあえて中央区画への動員をちらつかせたのではないでしょうか」
たとえ牢から解放されたとしても、敵に囲まれた地下迷宮から脱出するのはほぼ不可能だ。区画の監視が厳しいと理解すれば、外へ駆り出される機会を大人しく待つ者がほとんどだろう。
「楼玄が捕虜の利用を計画していたことは、兵の配置変更がなかった場所を見れば推測できるかと」
「あなたの言う通り、施設の出入口や各階層の関所、機密区画付近の見張りは変わっていないわ。ノーバディに正規で所属している兵士が担当しているのでしょう。そして、変更があった班は区画を跨がない範囲で特定の場所を行き来させている。巡回している班は捕虜たちで組まれているようね」
「今日の段階で残ってる兵の質を考えると、多少の経験は積んだが、施設の細かいところや内情にはそれほど詳しくないヤツらだろうな。使える兵はほとんど逃がしたと見ていい」
「これで現状の把握はできたわ。でも、まだ最大の懸念が残っている」
白銀が卓上に積み重ねられた書類に触れた。自分が手にしていた物だけでなく、彼女や協力者が集めた資料にも、楼玄の計画に関する情報が含まれている。
「《ゲノム・グレース》の詳細や、彼の計画については重要な機密のはず。ただ、それらを隠しもせずに残しているのだとすれば、楼玄は侵入者の口を完全に封じるつもりよ。いつ使い潰してもいい捕虜を用意した上で、兵を逃がし終えた今の状況なら、やはり施設ごと破壊するつもりじゃないかしら」
導き出された答えに肩が強張る。食堂で出会った竜人の彼は、一年前にノーバディへ入ったと話していた。彼も澪と同じ志を描いていたのだ。だが、残った彼は信じていた組織に捨て駒にされたに等しい。頬に生えた鱗がぶわりと逆立つ感覚がする。強く情動をさざめかせるそれが、何度も仮面の裏に擦れていた。
「水神家を庇うための方便だったとはいえ、こちらが潜入するという話を振ったのはまずかったかもしれませんね」
「いいえ、水神家をノーバディと衝突させる方が最悪の結末よ。やむを得ないわ」
「ただ、この段階ならまだ手を打てます。僕たちを始末するつもりで楼玄が残っているとしたら、主要な出入口以外で脱出経路を用意している可能性が高いでしょう。敵を欺くためにも、早急に第二計画への切り替えを推奨します」
亜久斗は組織から課せられた使命の最適解を知っている。協力者が口を挟む気配はない。牙雲少佐を確実に助けるため、白銀も今の策をきっと正しい答えだと判断する。それでも――
「待ってください。この施設を水没させるってことは、中にいる捕虜まで巻き込むことになりますよね? 味方もいるかもしれないのに、それでいいんですか」
「……君の考えは人として大変望ましいものです。しかし、今回の作戦では牙雲少佐の生命以外は考慮されていません。そもそも、今の状況で味方の選別など不可能です」
「だったら全員逃がせばいいじゃないですか。戦場でやり合うならまだしも、オレたちの作戦で無関係の命まで見殺しにするのは、やっぱり間違ってますよ」
「たとえ敵を助けたとして、いずれ相手がこちらに牙を剥く存在になるとも限らないのですよ? 将来の禍根は徹底的に断つべきです。僕たちが生きているのは、そういう世界です」
その解を導き出すまでにどれだけの凄惨な命のやりとりがあったのか。どれだけの悪意を見てきたのか。亜久斗は多くの正解を経験している。一方、自分はまだ戦場の全てを知らない。だが、正解を知らないからこそ、他に探せる道があるはずだ。
「そうやって、この大陸で戦争が起きているのが『当たり前』だってみんなで思い込んでるから、争いが終わらないんじゃないですか?」
今までは、牙雲が無事に帰ってくることが最高の結果だと思っていた。しかし、自分たちの目的達成のために無関係の者を犠牲にするのであれば、楼玄が記したあの悍ましい計画と、自分は何ら変わらない罪を犯すことになる。
「楼玄は今の状況を打開したくて、ノーバディに加わったんだと思います。もちろん、ここに書かれた計画を肯定するつもりは絶対にありません。でも、このままじゃ戦争が終わらないってことだけはオレにも理解できる。だから、やり方を変えないと、オレたちはずっと憎み合わないといけなくなるんですよ!」
「君は戦争というものを分かっていない。たとえ最良の手があったとしても、実現手段がなければ無意味です。それを取れないがゆえに、醜い争いが起きるのですから」
「じゃあ、牙雲少佐を助け出す時に、オレがこの施設にいる人たちにここから脱出しろって言って回ります。それも命令違反だっていうなら、切り捨ててもらっても構いません。ただ、可能性がほんの一つでもあるのなら、オレはどっちも救いたい」
亜久斗が長く天を仰いだ。こんな状況で子どもの我儘だと呆れられたのかもしれない。長い沈黙が続いていた。




