-罪深き真実-
燃え尽きかけた洋灯の炎が、がらんとした室内を仄かに照らしている。視界に映ったのは壁一面を覆う大陸地図だ。しかし、継ぎ接ぎだらけのそれは、自分がこれまで目にしてきた物とは大きく異なっていた。竜人の統治する東側の地域は認識できるものの、他は見たことのない言語が書かれている。
「中を見て回ったけど、危険な物はなかったわ。兵の動きが分かる手がかりや、楼玄に関する情報を探しましょう。目ぼしいものがあればすぐに報告を」
首を傾げていると、先行した白銀に肩を叩かれた。向かいの床では、胡坐をかいた協力者が資料を片っ端からめくり始めている。他に気になる場所と言えば、中央に鎮座する執務机だろうか。卓上には分厚い書類が開かれたまま、置き去りにされている。
「難しそうなことばっか書いてあるし、読めない文字も多いな……こっちは経歴書か?」
古びて端の黒ずんだ帳簿をパラパラとめくる。読み取れたのは、何かの番号や日付、地域、種族名、性別といった人に関する内容だ。しかし、保有する魔力が書かれる横には『移植済み』という記載がある。そこへ自分の知る情報を照らし合わせた途端。ぞわ、と背筋に嫌な悪寒が走った。
「っ、こんなにたくさんの人が《実験》に使われてきたっていうのかよ!」
割り振られていた数百を超える番号は、禁忌による犠牲者の数だった。名もなき命の軌跡を辿っていくと、別の情報が書かれたページに辿り着く。記されているのは人物名らしき文字だ。しかし、人族ごとの言語で記されているせいで、半数以上が認識できなかった。だが、公の目に触れない場所へ置かれていたことから、楼玄の手で書かれた物である可能性が高い。
「白銀さん。この資料、一緒に確認してもらえませんか。さっきはこのページが開きっぱなしになってました」
「かなり古い日付の記録ね。文字も新しく書き加えられたようには見えないけれど、中身の概要は分かる?」
「たぶん、スマイリーさんが言ってた《実験》の犠牲者の記録なんだと思います」
手を止めた白銀が同じ資料を覗き込む。彼女も語学に詳しい様子ではなかったが、眺めているうちに気づきを得たらしい。
「《実験》の被験体は番号で示されていて、移植先の人物名と対応する番号が書かれているようね。そして、被験体の番号が記録されてから、およそ数日以内にはそれと紐づいた名前の者に移植されているみたい」
「つまり、後ろのページには《強化体》になった人物の名前が書かれてるってことですね」
「この資料があれば、《覚醒》を人為的にコントロールする計画が当時から進んでいたことを示す証拠になるわ。それと、古い記録になるほど移植先の人物名に取り消し線が引かれているのも気になるわね。そうでないものは、魔力が適合した上で、まだ生存している者じゃないかしら」
「だったら澪の名前があるはずです。詳しく調べてもいいですか」
「……生存する《強化体》の情報は、今後必要な情報に当たるでしょう。ただ、あまり時間をかけ過ぎないでちょうだい」
「はい! ありがとうございます」
白銀がわずかに躊躇ったように見えた。だが、最後には頷いてくれた彼女へ頭を下げると、紅葉は急いで友の名前を探した。普段は枕にしてもおかしくない文章量だ。それでも目的さえあれば、望んでいた情報が不思議と浮かび上がるように視界へ滑り込んでくる。
「あった!」
辿り着いた証拠に小さく息を呑む。以前にスマイリーたちと澪の経歴書を見ていたので、記載された内容は彼の物に違いない。しかし。
「なんで澪の番号だけこんなに古いんだろう」
白銀は『被験体の番号は数日中に移植先の《強化体》へ紐づけられている』と言っていた。だが、彼の番号は他と異なる不自然な並びをしている。どことなく悪い好奇心が掌を勝手に動かした。
「あれ、元々開かれてたページに戻ってきちゃったな。被験体になったのは竜人の女性か。属性や年齢は……いや、これって、」
澪が得た魔力の元になったのは、およそ十年前に用意された番号の個体だった。しかし、彼に紐付けられたのは、用意されてから三年も経った後だ。備考には『ドラーグド所属、諜報員、機密窃取により中央区画付近で拘束』と書かれている。
「まさか、澪は自分に与えられたのがお姉さんの力だと知らないまま、人殺しに使ってたのか?」
彼女の情報欄には、澪に魔力が与えられた日と同じ日付が残っていた。記載された情報を突き合わせていくと、さらに考えたくない事実が浮き彫りになる。
「澪は『自分の誕生日にお姉さんが死んだのを見た』って言ってたから、この日付はきっと澪の誕生日だ。だとすると、三年間も紐付けられずにいたのは――そうか、澪が軍の養成機関に入れる年齢になるまで待ってたんだ!」
養成機関へ入るには独り立ちできる年齢を迎える必要がある。しかし、当時の澪はまだ一人で集落の外を出歩けない年齢だったはずだ。
「楼玄は、お姉さんから奪った魔力をわざと澪に渡すつもりだったってことか? そんな、そんなのは、あんまりだ……!」
楼玄は戦争を望まなかった彼から全てを奪い去っただけでなく、殺された姉の魔力を使って生体兵器に仕立て上げた。彼は子供だった澪を救ったはずだ。それなのに、どうして彼をそこまで追い詰めたのだろうか。
込み上げる吐き気を抑えながら、澪の名前が記されたページを再び見つめていた時。履歴の枠に書かれていた文字がふと視界に流れてきた。
『――《ゲノム・グレース》の投与、及び適合を確認。本個体を《粛清者》として選別した。訓練課程で魔力行使と《覚醒》行使における特別教育を施し、各課程修了後は他組織の動向調査を中心とした任務を――』
喉の奥にどろりとした物が落ちた。記載を読んだ限りでは、移植された魔力に適合した個体が《強化体》とされ、《ゲノム・グレース》を投与されて適合した《強化体》が《粛清者》として選別されているらしい。
しかし、備考欄に同じ記載が残された名前の多くには、既に取消し線が引かれている。この《ゲノム・グレース》と呼ばれる存在が、《覚醒》を操る能力を人為的に操作するための要素なのだろう。そのせいで、彼はあらゆる力と引き換えに感情を奪われている。
「なんだよ、このふざけた計画! 人から感情を奪って、兵器に造り替えて……それだけでも信じられないのに、それを使って人族の軍事機関を全て破壊するのが楼玄の目的なのか?」
――どうして。呟いた疑問の答えは、心の中にあった。
「……そうでもしなきゃ、この世界の未来は変わらないんだ」
《ゲノム・グレース》の情報を探っていくと、この戦争の要因は人族の持つ負の感情だという結論が記されていた。楼玄は武力組織を滅ぼし、人族の中に争いを生む根本を消そうとしている。それがこの戦争を止めるために最も効果的な手段だという理解はできた。彼の計画が成功すれば、かつてのような栄華を極めた時代と同じく、異なる人族が互いに手を取り合う世界になるはずだ。
先に見た食堂での光景やノーバディの在り方こそが、まさに楼玄が描いていた理想郷なのだ。そして、澪のようにその命や心を代償に力を得た者たちが、楼玄の理想を体現するための手足として動くのだろう。たとえ今ある生命を全て燃やし尽くしたとしても、彼はその先にある永劫の平和を求めようとしている。
『――君たちが大きくなる前に、きっとこの戦争は“終わる”。怖い思いをするのは今だけだから』
楼玄は志半ばで諦めたのではない。本当にこの戦争を終えるために、途方もない規模の戦争を、最小限の犠牲で実現しようとしている。しかし。
『もし、おれがズルをしそうになったら――紅葉がおれを止めてくれ』
兵器になってしまった存在は、きっと誰にも顧みられることはない。いずれ、彼もここに刻まれた名前の者たちと同じ運命を辿るのだとしたら。澪がこの終わりを望んでいないのだとしたら――
「……紅葉君、聞こえますか?」
ぐるぐると回っていた思考が現実に引き戻される。いつの間にか亜久斗が隣にいた。ここで知った事実をどう説明すべきかと固まっていると、先に相手が袖を引く。
「集中していたところに申し訳ないのですが、全員で確認したいことがありまして」
後ろでは既に白銀と協力者が作業を止めて待機している。急いでその輪に加わると、亜久斗が口を開いた。




