-異の仮面-
「他に方法がねぇならグチグチ言ってねぇで動け、ノロマが」
「動くって言っても、何すりゃいいんですか」
「数分後にヤツの部屋に膳が運ばれることが分かった。持っていく兵を適当に言いくるめて、それをかっぱらうぞ」
背中を小突かれ、釈然としないまま協力者の後に続いていた時。暗い廊下の奥で微かに明かりが動いたのが見えた。光源は一つ。兵が群れているようには見えない。ただ、向かいで浮かび上がった黒衣の面には、ひどく既視感を覚えた。
――人の顔のような造形に、獣の牙、そして、竜の鱗を彷彿とさせるまだらな線。
「アレって、まさか」
面の裏で息を呑んだ自分と同時に、先を急いでいた協力者もぱたりと足を止めた。異の仮面をつけた黒衣の裾が十字路に差し掛かると、その姿は灯火と共にどこかへ消える。しばらくして靴音が聞こえなくなった。
「その“まさか”だったなら、ヤツは何を企んでやがるんだろうな」
息を潜めて分かれ道を覗き込んでいると、協力者が横で施設の見取り図を引っ張り出していた。亜久斗に渡された物とほぼ同じ内容だが、いくつか追加で書き込まれている箇所もある。
「今通った道に書庫や備品の保管庫はない。会議室は存在するが、外の動きもないのに軍議なんざしねぇだろ――そうなると、最下層へ向かった可能性がある」
「そんな! それならすぐに追いかけなきゃ!」
「テメェはバカか? こんな好機を逃すなんて阿呆の極みだ。ガラ空きなった作戦室に張っておけば、戻ってきたヤツを奇襲できる」
「でも、見張っておかないと逃げられちゃうかもしれないじゃないっスか!」
「そのつもりならどうして部屋に膳なんか運ばせんだよ。飯を持っていく兵がいるなら、帰ってくるつもりだ」
「……牙雲少佐が地下に連れて行かれたって情報を拾ったんです。もし楼玄がその気なら、少佐が危険かもしれません」
「はっ、それが本音だな? だが、テメェ一人が乗り込んでいって何になる。死んだかもしれない輩を気にするぐらいなら、俺は自分の目的を優先するぜ」
「オレにだって譲れないものがあります。まだ結果が分からないなら、それこそすぐに確認するべきです。白銀さんたちに報告しに行きます」
「じゃあこっちは勝手にやらせてもら、」
「――そこまでにしてください」
死角から刺さった言葉に飆が舌打ちを返す。後ろにいたのは、食事の乗った盆を手にした亜久斗だ。彼が動いたのは白銀の指示だろう。
「亜久斗さん! 実は変な仮面をしたヤツがあっちの廊下に向かったんです。楼玄かもしれないし、すぐに確かめに行きましょう」
「君の話が事実なら急ぎたいところですが、作戦室を確認してからでも遅くありません。手元を見ればすぐに帰って来るかの判断もできますし、仕込みも可能です」
「だから俺はそのつもりで言ったんだ」
「僕たちに黙って勝手をしても、今の台詞で片付けるつもりだったのでしょう?」
亜久斗が協力者を押し黙らせていると、また人の気配が増えた。右手を挙げて近づいてきたのは白銀だ。
「全員無事のようね。顔が見えないのはなかなかに不便だわ」
「大佐、早速ですがご報告があります。まずは一般兵と異なる仮面をつけた人物が施設内で目撃されました」
「それが楼玄だという確認はできたのかしら」
「生憎ですが、素顔までは」
「けどオレ、あの仮面の模様は全軍円卓会議の時に見たのと同じでした。ノーバディの長の横にいたヤツが被ってたのをハッキリ覚えてます」
「もし彼がいるのなら、かなり危ない橋を渡ることになるわね。他に分かったことは?」
「牙雲少佐の消息についてです。こちらは君からお願いします」
先を促され、紅葉は食堂でノーバディの兵から聞いた話を白銀に伝えた。
「食堂で少佐について話を聞いた後、協力者さんとこの辺りで話してたら、仮面をした人が最下層に通じる通路へ向かっていきました。それで、最下層に連れて行かれた少佐の無事を確認したくて」
「死んだかもわからねぇヤツの心配より、親玉を叩く方が先だ」
「――という具合で行動の優先度を決めかねており、大佐のご判断を仰ぎたく」
肘で押し合っている自分と協力者を前に、白銀が伏していた顔を上げた。
「楼玄と対峙する可能性がある以上、無闇な突入は牙雲少佐を危険に晒すわ。まずは情報収集も兼ねて、全員で作戦室へ向かいましょう」
「でも、」
「あなたの気持ちは理解するけれど、わたしたちの死は組織にとって大きな損失となる。長い目で見れば、この作戦は誰の命が欠けても失敗なの。まずはそれを理解して」
「……はい」
「そっぽ向いてるあなたもよ?」
釘を刺された協力者が不機嫌そうに鼻を鳴らす。彼女は楼玄と鉢合わせた際に、協力者が予期せぬ行動を取ることを極力封じたいのだろう。当然、亜久斗も計画外の衝突は良しとしていないため、協力者を泳がせるつもりで一時的に離れた場所へ置いたらしい。
「では、僕が作戦室の前にいる見張りの気を惹いて、隙を作ります。その間に全員で入ってください」
「動き方はそれで決まりね。相手の出方を見て、こちらも体制を整えましょう。二人はわたしについて来なさい」
「今はひとまず話に乗ってやる。文句をつけるなら全部終わった後だ」
「あら、頼もしいわね。ちゃんと生き残ってちょうだい」
黒衣を翻すと、協力者は洋灯を掲げた白銀の後に続く。それに続こうとしたが、靴先の向きとは裏腹に、気持ちは十字路の先にある暗がりへ向かっていた。
「――少佐、すぐに助けに行きます。だから、どうか無事でいてください」
* * *
かしゃん、かしゃん、と金属の擦れる音が止む。囮役となった亜久斗を横目に、紅葉たちは不格好な岩肌へ背中を預けていた。視界には鉄扉の前に立つ兵の姿が確認できる。楼玄の居所というだけあり、警備役が置かれているのだろう。しかし。
「失礼します。お食事を運んで参り、」
「ああっ、待ってたよ!!」
亜久斗が首を垂れるよりも先に、兵が毅然とした佇まいを崩して彼に駆け寄った。
「いつまでココに立たされてるのかと思ってたんだ。用を足して来るから、見張っておいてくれ」
「はあ、それは構いませんが……」
「ついでに飯も食ってくるわ! しばらく頼んだぞ!」
その場から慌てて立ち去った黒衣に、亜久斗は肩をすくめていた。黄色に変わっていた明かりの下、白銀に続いて扉の前まで向かう。横で中に聞き耳を立てていた協力者が一つ頷いた。
「まさか、疑われもせずに入れるなんて。さすがの亜久斗さんでも想定してなかったんじゃ?」
「……そう、ですね。外の者は僕があしらいますので、まずは兵の配置や、交代時間を把握できる資料の収集を優先してください。他に楼玄の活動や、彼らの居場所について記された物があれば、一緒にお願いします」
軽口へ返された声色は冴えなかった。だが、悠長に留まってはいられない。先行した黒衣の裾に続き、紅葉も鉄扉の奥へ身体を滑り込ませた。




