-新たな問い-
* * *
天井付近を照らす明かりの色がふつりと白に変わる。探り探り進んでいたせいか、体感している以上の時間が経っていたらしい。白銀や亜久斗は常に位置を変えながら情報を集めている。
「この階層も外周は調べたわね。そろそろ中心部を探りに行く方向でいいかしら」
「分かりました。では、先に僕が様子を、」
その時、亜久斗の言葉を遮るようにして、協力者が明かりを掲げた。自分がその役を担うと言いたいらしい。予備の灯りも人数分以上は用意があるので別行動は可能だ。しかし、彼一人を危険に晒すのは躊躇われる。
「だったらオレが協力者さんと一緒に周囲を見て来ますよ。最悪、騒ぎがあればどっちかがこの場所に戻ってくればいいんで」
「足手まといはいらねぇ」
相変わらずの態度を貫く相手に、とうとう白銀が声を尖らせた。
「さすがに単独行動はさせられないわ。あなたを犠牲にしたくないという情もあるけれど、今のわたしの立場として、仲間と同じ信頼を持つことはできない。あなた自身もそうした扱いは望んでいないようだし」
「僕もそれに同意します。施設の内部を具体的に把握しているのは僕と貴方だけです。そうした観点からも、二手になるなら今の人選が最良だと考えます」
「……勝手にしろ」
「だから待ってくださいってば!」
鼻を鳴らした協力者が先に動き出す。白銀たちへの挨拶もそこそこに、紅葉は急いで遠ざかる光を追った。しかし、突き当たりの角を曲がった途端、ふつりと光源が消える。暗闇の中で恐る恐る壁伝いに気配の方へ向かうと、低い悪態が聞こえてきた。
「クソ、こんな時に」
「しばらく使ってたせいじゃないですか。油差しといた方がいいっスよ」
予備の燃料を差し出したついでに、片手に生んだ小さな朱色をかざす。礼がないことは分かっていたので、洋灯に元の明かりが戻るのを横で待っていると、黒衣がわずかに身じろいだ。
「もういい、無駄に力をひけらかすな」
「大げさっスねぇ。便利だから羨ましいんでしょ?」
「ヤツらがこの施設でどういうことをやってるのか、知ってんだろ。忠告を聞かずに捕まるのは勝手だが、こっちまで巻き込むな」
「そっちだって危険を知ってて、亜久斗さんの話を呑んだんじゃないんスか」
「だからって心中するつもりはねぇ」
「ハイハイ、わかりましたって。白銀さんたちには迷惑かけられないし、今は大人しくしてます」
それからは足音だけでのやりとりだった。灯火が止まれば、自分も止まる。時折、岩肌の合間に覗く金属の扉に目を凝らしながら、続く廊下をまた進む。
「この先に行けば中心部だ。左手に行くと例の作戦室がある」
「そういえば、オレたち以外にはあんまり他の気配がなかったっスね。一時間前なら、廊下でも他の班とすれ違ってたのに」
「だからこの時間帯を狙った」
「狙った? ……あ、」
不意に訴えた腹の虫に、仮面の裏から短い笑いが漏れる。
「この穴蔵じゃ兵を一度に飯処へ集められねぇから、基本的に持ち場まで飯を運ぶ要員がいる。そして、標的はいつも先に兵から飯を食わせていた。この時間になれば晩飯を部屋まで運び込ませるはずだ。そこで確認を進めりゃいい」
「けど、まだ白銀さんたち来てないっスよ。勝手なことしたらマズいんじゃないっスか」
「施設の中で仮面を外すのは飯時ぐらいしかねぇ。仕掛けるにしても、避けるにしても、話はそいつのツラを見てからだろ」
明かりの漏れている空間に協力者がするりと身体を滑り込ませる。それに続けば、食材を煮炊きする音や、保存食に使われる香辛料の香りが五感を刺激した。眩しさに目が慣れてくると、十人ほどが各々の時を過ごしている姿がある。今は非番の者だろう。
「ここが食堂? 確かに狭いなぁ」
「キョロキョロしてんならついでに辺りを見張っておけ。ヤツの膳を探してくる」
相変わらず勝手を働く相手に辟易しつつも、壁際で談笑する兵たちに視線を移す。近くの席で他愛のない会話をしながら食事を採っているのは、人間と獣人の集まりだった。その奥では、精霊族の男性と竜人の女性が隅の二人席で仲睦まじそうに寄り添い、小声で囁き合っている。
「オレたちのいる場所と、ここは何も変わらないんだ」
白い面を外していても、種の異なる彼らの間に隔たりはない。だが、この蒼い軍服には躊躇わずに刃を向けてくるだろう。その事実に、得体の知れない大きな塊が胸につかえていた。
「おい、どうしてこんな所に突っ立ってるんだ? 飯は食ったのか」
「わっ!?」
不意に肩を叩かれて声を上げると、素顔を晒した相手が不思議そうにこちらを見つめている。尖った耳と、身体が泳ぐ黒衣でも分かる体格の良さから、自分と同じ竜人だろう。
「あー、実はまだなんです。新入りなんで休む暇もなくて」
「なら取り置きしてた缶詰やるよ。食っておかないと持たないぞ」
「イイんスか? ちょっと高級そうなやつじゃないですか」
「前に飯炊き係だった時にくすねておいたんだ。こんな穴蔵じゃ、楽しみなんか飯と雑談ぐらいさ」
「まあ、そうですよね」
曖昧な返事をしている間に、隣で椅子を引き出される。食卓の上には他の缶詰や乾いたパンが並んでいた。その近くで温かな汁物が食欲をそそる匂いを漂わせている。協力者がまだ戻ってくる様子はない。下手に突っぱねるよりも、会話に応じる方が得策だろう。
「センパイはここに入って長いんですか」
「んや、一年前ぐらい。昔は中央区画の近くで暮らしてたんだけど、家が戦火に巻き込まれてさ。生き残ったのは自分だけだった」
「もしかして、元はノーバディの捕虜だったとか?」
遠慮がちに食器へ手を伸ばしていると、黒衣の相手が首を横に振る。
「ははっ、まさか! ノーバディが本気で『戦争を止める』って掲げてるのを知って、そこから色々な伝手を辿って入ったんだ」
これまで自分が見聞きした話では、ノーバディは多くの悪意に塗れた組織のように語られていた。特に飆やスマイリーから聞かされていた内容は、人道に反するものばかりだ。しかし、志願兵となった彼は、この組織の標榜する正義を心から信じている。
「初めはドラーグドに行って集落を襲ってきた奴らに報復しようと考えた。でも、自分がやるべきことは争い続けることじゃない。それを止めるべきだと思ったから、あえてここに来たんだ」
『――だったら、おれは一体何のために戦っているんだろう』
仮面を脇に置くと、紅葉は途端に味のしなくなった食事を飲み込んだ。突きつけられた問い。それは、過去に澪の口から出た話そのものだった。当時、自分は彼に「そもそも戦争などない方がいいに決まっている」と言った。だが、“争い”を鎮めるための争いで、今も多くの命が失われている。
思えば、ノーバディは争わずして勝つことに重きを置いていた。それはこの世界で弱者が生き残るための戦略だと考えていたが、兵の話を聞く限りでは、彼らの――いや、ここを指揮する楼玄自身の根源にある思想そのものなのだろう。
「しばらく慣れないと思うが、志があるならお前さんもがんばれよ。竜人や獣人が食うにはちょいと少ない飯の量も含めてな」
「……はは、オレも同じこと考えてました」
正直、置かれているのは目に見えて質素な食事だ。横にいる彼もおそらく満足にはなっていない。
「一週間前の当番の時までは保管庫にかなり食料が残ってたし、捕虜がいなくなった分が浮いてるはずなんだけど。皆して飯くすねてんのかな」
「ん? どういうことっスか?」
「いや、この三日でいつの間にか牢が空になってたらしいんだよ」
協力者や亜久斗が施設を離れていた間に、何かしらの動きがあったらしい。そして、気になるのは消えた捕虜の動向だ。その中に牙雲が含まれているのだろうか。
「なんで捕虜を逃がしちゃったんですか?」
「さっきおれも知ったばっかりだから、事情までは」
「けど、牢に入ってたのを全員出したってことは、」
「――全員とは限らないわよ? 私、最下層の方にトカゲが一人だけ連れて行かれたのを見たもの」
斜向かいに座っていた相手がふと声を上げた。伸びた淡い緑の髪と、長耳に整った横顔をした精霊族の女性だ。出かかった口説きを呑み込み、紅葉は乾燥させた木の実をつまんでいる相手に尋ねた。
「その人、どんな雰囲気だった? 見た目とかも覚えてたりしない?」
「この付近で領主をしているトカゲたちに似てたわね。どうしてそんなこと聞くの?」
「あ、いや、昔そんな見た目の相手にボコボコにされて、ヒドい目に遭ったっていうか」
日々の訓練でこってり絞られた記憶はある。断じて嘘は言っていない。眉をひそめた彼女に取り繕っていると、背中からまた別の声がかかる。
「へえ、昨日今日とほぼ同じ顔ぶれが揃うなんて珍しいもんだ。オレも混ぜろよ」
「お前さんもいたのか」
「そろそろ戻るところだったが、ちょいとそこの新入りの話が気になってな」
綺麗に肉を剥ぎ取った骨を弄びながらやってきた獣人が、近くの椅子を引き寄せる。軽く会釈すると、彼は垂れた犬耳をパタパタと動かした。
「そのトカゲ、ドラーグドの将校って話らしいぜ。オレの班にいたヤツが捕虜の独房で監視役をしてたみたいでな。そこでちょっとした騒ぎがあってたんだが、知ってるか?」
「いや、ぜんぜん」
「どうにも監視役のヤツが許可なくそのトカゲに手ぇ出したんだ。それで参謀総長の腰巾着にぶっ飛ばされたんだと。文字通り鼻っ柱を折られた上に、懲罰房行きだ。お前も調子に乗って下手なことするんじゃないぞ」
参謀総長とは楼玄のことだろう。そして、彼が懇意にしている配下であり、牙雲の監視を任された者なら大方の想像がつく。ただ、その噂話に周りの黒衣たちが苦い顔を見せた。
「一般兵同士なのに? 捕虜をどついたぐらいで、さすがにやり過ぎじゃないか」
「彼、参謀総長のお気に入りだから見逃されてるのよ。監視役の方こそ勝手なことして、首が落ちなかっただけマシでしょ」
「つっても、捕虜の方が拷問するまでもなく傷だらけだったしなぁ。アイツより先に死体になって転がってるかもしれないぜ」
「やめてちょうだい、せっかくの食事がまずくなるわ」
「何回も涼しい顔で別の捕虜を拷問してたくせに良く言えるなぁ」
「アンタ、いい加減にしないとその邪魔な耳を蟲に食わせるわよ?」
「へへ、キレイな顔して相変わらずおっかねぇや」
冗談を交わしながら別れた彼らを見て、紅葉は静かに息を呑んだ。今の話を信じるなら、牙雲は瀕死の状態で最下層に置かれている可能性がある。
「あの、センパイ。最下層にはどうやって――いっ!?」
焦燥に駆られた言葉がこぼれかけた時だった。痛みを感じるほど強く腕を掴んできたのは協力者だ。
「こんな所で油売ってんじゃねぇ」
「うっ、すんません! すぐ行きます!」
「悪い、彼を引き留めたのはこっちだ。新入りみたいだし、あんまり怒らないでやってくれ」
庇った相手を仮面越しに一瞥すると、協力者は無言でその場を去った。引きずられるようにして食堂の外へ向かうと、苛立ちを含む声が届く。
「テメェ、まさか“敵”に情なんて移したんじゃねぇだろうな」
その言葉には、頷いても首を横に振っても違う気がしていた。今の己の中に生まれたのは、情けとはまた異なる感情だった。
厳しい任務の合間にふと誰かと触れ合いながら、空腹が満たされていくあの場所は、ノーバディの兵にとって幸福な時間の一つだ。だが、彼らの属する組織はドラーグドにあったその時を壊した。多くの者を絶望の淵にまで追い込んだ。
何もかもを奪われた憤りはある。だが、数時間後になれば、今度は自分たちが彼らの幸福ごとその命を奪っていく。仕方がなかった。たったそれだけの理由で。
「少佐を助けたい気持ちは変わってません。でも、よく考えたら、この作戦はどこか間違っているんじゃないかって思えて」
「違うならどうだっていうんだ。その選択をしないで済む力がテメェにあるとでも?」
協力者の言葉は確かに正しい。それでも、今の気持ちに折り合いをつけられるほどの正義ではなかった。




