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-潜入開始-




* * *




 それほど広くもない通路で黒の一団とすれ違うたびに、嫌な緊張感が走る。靴裏を伝ってくるのは、先に抜けてきた岩肌がそのまま露出しているような凹凸の感覚だ。通路は岩窟に穴を開けただけの簡素な造りにも見える。


 しかも、先導する洋灯がなければ様子が何も見えない。他の光源と言えば、天井近くに等間隔で並ぶ朧げな明かりだけだった。


「あの電灯をもっと強くすればいいのに。しかも緑ってあんまり使われない色っスよね?」

「あれは光源として使うものではありません。定期的に色を切り替えることで、時間を把握できるようにしているのです。音だと通気口を伝って外に響いてしまいますからね」

「へえ。オレたちの所は鐘で動いてましたけど、そういう事情があるんスね」


 ノーバディの施設で時間を司っているのはこの明かりだ。一時間置きに色が切り替わり、平時では「緑」「白」「黄色」が順に点灯する仕組みになっている。警戒が敷かれた場合には補助灯が赤く点滅するらしい。


「潜入したタイミングは、見張りの交代からそれほど時間は経っていないはずです。そのため、この緑の明かりを三度見かけたら直ちに撤退を開始してください」


 動けるのは長くて六時間だという話は事前に聞いていた。明け方には水移しの術による施設の水没が試みられるため、安全を考慮しての活動時間なのだろう。手筈では、まず亜久斗と協力者でこの施設にある機密の回収を、自分と横にいる白銀で牙雲の捜索をすることになっていた。


「内部にいる兵の数に変化はありましたか?」

「抜けてきた三日前とほぼ同じに見えるな」

「ふむ。あえてこちらの動向を敵に流してみたのですが、思った反応がありませんね」


 前を歩いていた亜久斗がふと足を止めた。白銀と協力者がそれとなく場所を入れ替わったのを見て、紅葉も聞き耳を立てる。


「早速トラブルが発生したようね」

「はい、作戦の遂行に懸念が出てきました」

「ちゃんと潜入できたのに、どこが問題なんスか」


 思わず口を挟めば、亜久斗が自分に手招きしながら続きを告げた。


「当初、敵の動きとしては二つのパターンを想定していました。一つは、敵の数が減っていた場合です。その時は、楼玄がこの施設を潰す動きを取ると推測できます。ただ、施設内が手薄になったことを逆手に取れば、牙雲少佐を助けられる可能性が高まるでしょう」

「でも、先に少佐の身柄を連れ出されたら、オレたちは無駄足ですよね」

「今の想定であれば、彼らが牙雲少佐の身柄を動かすとは思えません。仮に潜入を手引きした者がいたとしたら、捕虜を囮にして、我々ごと始末するのが一番確実な策です」


 スマイリーを引きずり出す餌にならなければ、楼玄は自分たちを誘き寄せるために牙雲の身柄を使うはずだ。そこで彼が死んだとしても、ドラーグド側に罪を被せれば水神家との関係を悪化させられる。


「ただ、施設を潰すとなると中の兵を巻き込むことになるわね。ノーバディも頭数が限られているはずだし、普通に考えれば使える者は外へ逃がすでしょう」

「そっか! だから頭数や動きを見れば、次の行動を予測できるんですね」

「その通りです。そして、二つ目は兵の数が増えることを想定していました。その場合、ここが敵の重要拠点だと考えて良いでしょう。つまり、こちらを迎え撃つために、楼玄が残っていてもおかしくありません」


 もし楼玄と衝突する可能性があるなら、救出作戦の難易度が大幅に上がる。それを嫌った亜久斗は、敵の警戒が強まっていた場合、すぐに撤退して第二計画へ移行するつもりだった。施設の水没を早めれば、敵の拠点に甚大な被害を与えられる上、運が良ければ楼玄を倒すこともできる。


「しかしながら、今はどちらの状況にも当てはまりません。そこで、まずは楼玄の所在を掴めないかと考えていました。彼が残っているのであれば早期撤退が必要ですし、いない場合は機密を回収した上で、牙雲少佐を見つける流れになります」

「肝心の動向はどうやって掴めるのかしら? 簡単に尻尾を掴ませてくれそうにはないわよ」

「楼玄は一般兵とは異なる模様が書かれた面をつけているようです。第一に、そうした面をつけている者がいるかどうかを調べ、尾行して素性を探ろうかと」

「退路を断たれないよう、彼の居場所は抑えておくべきね」


 牙雲を安全に連れ出すための下準備はしておきたい。頷いた白銀の隣で、亜久斗が協力者を呼び止める。


「楼玄はあまり表に出てこないと聞いています。貴方が知っている範囲で、居場所の心当たりはありますか」

「普段は作戦室に籠ってるはずだ。まずはそこを当たる」


 協力者の持つ洋灯がゆらりと揺れた。道標を頼りにして足早に目的地へ向かおうとした時、紅葉はふと足を止めた。


「どうしましたか、紅葉君」

「いや、協力者さんの声、どっかで聞いたことあるような気がして」

「いっそ面を剥がしてみたらどうですか?」

「そんなことしませんよ!」


 単独でノーバディの施設に潜り込む胆力がある相手に仕掛けたところで、やはり返り討ちに遭う気がしてならない。


「でも、あっさり侵入できちゃったのは意外でした。協力者さんも本職じゃないって話でしたし」

「彼自身にも多少の伝手はあるとして、元々ノーバディは複合的な人族の集まりですから。本来なら厳重な体制を敷くべきですが、難解な決めごとを作ると理解できない者がいたり、慣習の違いから軋轢が生まれるのでしょう」

「だから拠点の場所を秘密にしておかないと、こうして入り込まれちゃう可能性が高いんスね」

「とはいえ、彼らの手口は正攻法とは言い難いものばかりです。油断は禁物ですよ」


 指摘に頷くと、紅葉は前を向いた。こつこつという靴音が三つ。横にいる亜久斗はまるで幽霊だ。音を立てない仕草が癖になっているらしく、たまにその存在を確認しないと実体があるのか不安になってくる。


「今はどの辺りに向かってるんスか」

「目的地は第二階層の中心部にあります。第一階層は物資の倉庫や、捕虜の牢などがあるようです」

「地下施設だと機密区画は一番下に置いてるんですかねぇ」

「今回の場合はそうだと睨んでいます。あれを見てください」


 促された先には、入口と同じような黒い鉄扉がある。掘り進めた穴の形状に合わせた円形のものだ。そこにも門番が立っている。すると、協力者が懐からまた薄い金属板を取り出した。だが、先に見た鈍色の物とは色合いが違う。


「通ってよし」


 協力者が門番に片手を挙げる。扉の色と通行証の色は関連しているらしい。こうした仕掛けが階層の各所にあるのだろう。手順が明瞭な分、区画ごとの監視は数を置いている。区画を行き来するたびに何度も敵の目を掻い潜る必要があるのは懸念点だ。


「第二階層は兵の生活施設が集まっています。この先に階層を移動できる通路がありますので、まずはそこを目指しましょう」

「了解。警戒は緩めずに行くわよ」


 黒衣の袖からわずかに覗く銀の鱗を頼りに、紅葉は長く続く地下道を進んだ。

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