-協力者-
* * *
沈みゆく斜陽が照らす森林の中で、紅葉は木立に身を潜めていた。水神家との交渉を経て、ようやく牙雲の救出にまで漕ぎ着けたのだ。ここで失敗したら後がない。
「少し落ち着いて、紅葉隊員。副官なのに焦って見える振る舞いはダメよ」
「うっ、ハイ、すんません」
乗り出していた身体を白銀に引っ張られる。敵の拠点に近づくにつれて、逸る気持ちが出ていたのだろう。
この日を迎える前、水神家からは蓮雲を通じ、裏で自分たちにも密書が回っていた。どうやら当主とノーバディが書面で交渉の上、牙雲の身柄の引き渡し時期を調整する目的で、三日間の猶予を得られたらしい。おかげで自分たちも多少の準備ができた。
「そういえば、中央区画で大規模な砲撃があったって聞いたんスけど、大丈夫なんですかね」
「わたしたちの行動に合わせてスマイリーが仕掛けていたみたい。ただ、想定よりもいくらか派手な“花火”だったせいで、全軍が反応して混戦状態になっているそうよ。これで楼玄が動いてくれたらいいんだけど」
竜のとぐろに留め置かれた軍帽の将が、苛立ち任せに特大の魔導砲を打ち上げた姿が目に浮かぶ。着弾地点が拠点から離れた場所だったというのがせめてもの救いだ。蒔いた火種が大きかった分、結果的に敵も寄り付かなかったのかもしれない。そんなことを考えていた時、不意に柔らかな声音が耳朶に触れた。
「お待たせしました」
「わっ!?」
「少し声が大きいですよ、紅葉君」
「いや、だから、距離感おかし……んぐッ」
振り向きざまに黒革の指先で唇を塞がれる。まったくもって理不尽だ。足音どころか、背後にいても空気の揺れさえ感じないなんて。浮き出た真紅の鱗をすり、とひと撫でしてから、偵察に出ていた亜久斗が上官の前で恭しく首を垂れる。
「敵の動向はどうだったかしら」
「外の警備は通常通りの体制です。ただ、竜人だけで行動している班に対しては警戒せよという通達が出ていました」
「あれだけ犯行予告みたいなことしてたら、そりゃそうなりますよ」
「もちろん敵の目を掻い潜る手は用意しています。さあ、こちらへ」
先導する彼に続くと、夜の帳が落ちる地表に一人の黒衣が立っていた。こちらを睨み据える白磁の面だけが、闇の中でいやに浮かび上がっている。
「あちらが僕たちの《協力者》です」
身構えた自分たちを前に、その黒衣が木立の奥から姿を見せた。体格は自分と似ているが、佇まいは遥かに堂々としている。仮面の奥では不遜な表情を浮かべていそうだ。強者然とした振る舞いに応じ、まずは白銀が歩み寄った。
「初めまして。わたしはドラーグドの白銀よ。まずは作戦に協力してくれたことに感謝するわ」
「……女か?」
わずかに空いた面の穴から吐き出されたのは、それだけだった。白銀が手を差し出すも、組んだ腕を解く様子はない。
「すみません、“彼”も少々気難しいタイプでして」
「そういう相手には慣れっこよ。教育的指導も身内だけにしておくわ。ただ、本作戦の指揮を執る者として、わたしはこの場の全員の帰還を約束する。もちろん、あなたも含めてね」
ふ、と笑うような吐息が返される。協力者とはいえ、愛想まで振り撒くつもりはないらしい。肩をすくめた彼女に続き、紅葉も恐る恐る手を差し出した。
「どうも、紅葉です。少佐の救出が終わるまで、よろしくお願いしま、」
言い終えるより先に相手が背を向ける。これは前途多難だ。引き合わせた亜久斗も苦笑している。
「ホントに協力してくれるんスかねぇ、あの人」
「利害の一致で手を貸してくれていますが、過度な期待はしない方が賢明ですね。さて、時間が惜しいのでそろそろ動きましょうか」
亜久斗が目配せすると、協力者が付近の茂みから袋を引っ張り出してきた。投げて寄越されたのは、彼が身に着けているのと同じような黒衣だ。白磁の面も用意されている。
「ベタな潜入調査って感じっスね。長時間ってなると上手くできるかな」
「こうした任務が本職でない彼が潜り込めているぐらいですから、大丈夫ですよ」
協力者が不満げに鼻を鳴らした。亜久斗に言いくるめられでもして、厄介な役を買わされたのかもしれない。
黒いローブを頭から被り終え、揃って白い面をつける。体格で仲間を識別することはできるが、混戦になったら敵と見間違えそうだ。まあ、うっかり攻撃したところで白銀には傷すらつけられず、亜久斗には軽々とかわされるのだろうが。
「さあ、牙雲少佐が待っているわ。早く行きましょう」
銀の籠手は暗がりでも目立つ道標だ。それに続き、紅葉は闇の奥へ向かう上官たちの背中を追いかけた。
* * *
「いてっ! ああもう、狭過ぎだろココ……!」
階段を降りていく靴音に交じり、張り出した岩肌に勢いよく頭をぶつける。一人がやっと通れる幅の通路と低い天井が延々と続き、身を縮こまらせているのが辛くなってきた。
荒削りな岩盤で築かれた坑道の入口は、地表にある何の変哲もない樹木の根本だった。周囲の苔と泥で巧妙に隠された跳ね扉は、そこにあると知っていても見落としてしまうほどだ。そして、協力者が上で見張っている間、紅葉は亜久斗たちと先を急いでいた。
「第七班が外周の警備から戻りました」
「通行証は?」
「一番後ろにいる者が持っています。少々お待ちを」
ぼんやりとした燭台の明かりが見えてくる。ようやく開けた場所に出ると、紅葉は小さく呻きながら背中を伸ばした。自分だったら、気持ちまで滅入りそうな地底で長々と暮らせる自信がない。すると、既にやりとりを進めていた亜久斗に門番が怪訝な声音を上げる。
「何だ? そこにいるのも全員竜人か」
この見た目で個々を識別するのに嗅覚はとても有効だ。門番は獣人なのだろう。ピリピリとした空気にそっと腕の鱗を逆立てる。協力者はまだ来ない。
「もう少し“待って”いてくださいね?」
亜久斗の忠告には白銀が頷いた。殺気は抑えつつ、機を見計らえということだろう。
「門番一人にここまで時間をかけるなんて、面倒ね。任務だから我慢してるけど、裏でコソコソするのは苦手なのよ」
「白銀さん、絶対こういう仕事向いてないっスよね」
彼女の場合は正面から乗り込んでいくのが勝ち筋だ。それを可能にする実力がある分、動けないのはもどかしいのだろう。やきもきしていた時、狭い通路から最後に入ってきた協力者がやっと現れた。
「通行証だ」
促された彼が懐から薄い金属板を差し出した。訝しんだ門番がしげしげとそれを眺めた後、もう一度協力者の方を見る。首を傾げている相手の前で亜久斗が囁いた。
「通達の件もありますし、無用心なことはしませんよ」
「まあ、それもそうか」
扉から門番が脇に退く。協力者は何食わぬ顔、ではなく面のまま先へ進んだ。その後ろで亜久斗が軽く会釈をし、白銀が相手を労うように片手を挙げながら中へ向かった。潜入が苦手だと言っていたのは多分嘘だ。
「早く入れよ。忘れ物でもしたのか?」
「あっ、いや、大丈夫っス! それじゃお邪魔して……じゃなくて報告に戻ります!」
いつの間にか白銀たちの背中が暗がりの向こうに消えかけている。ひやりとした空気が流れる洞穴の通路で、紅葉は慌てて三人の後を追った。
「――それにしても、昨日から持ち場も当直も変更ナシだなんて。指示役はドコをほっつき歩いてんだかなぁ」
がちゃん、と鉄扉の閉じる音と共に、ぼやく門番の姿が闇に消えていった。




