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-想定外の筋書き-

「――ッ、……、」


 混濁した意識から覚めるたびに頭痛が増していた。逃れようのない心身の苦痛に醜い呻きが漏れる。痛みが広がると分かっているのに。磔にされた身体を揺すり、牙雲は投薬を催促した。


「最初はあれだけ拒んでいたくせに。すっかり落ちぶれましたね」


 淡々とした声音が空間に落ちる。浅葱色の鱗が生えた手がおもむろに轡を外した。


「澪……は、やく、早く、薬を……っ、頭が、割れそうだ……!」

「投薬は連続して行うことができません。あと一時間は間隔を空けろという指示です」

「……ぅ――、……た、のむ、」

「できません」


 魔力を引き抜かれていく感覚は、全身から血を搾り取られるようなものだった。だが、それでも今は理性が戻ってくる方が辛い。錯乱でもしていなければ、持っていたはずの魔力のほとんどが既に失われているというのを嫌でも理解させられる。何もできないまま、こうして徐々に力を奪われていく絶望と、永遠に続く苦痛。それが己を蝕み切っていた。


「だったら、もう、……殺し、……が、ふッ」


 解放の懇願は再び塞がれた。苦しみを訴える術がない。頭痛が戻ってくる。


「これは――です。おれがあなたに与えられる、唯一の――」

 

 澪が耳元で何かを告げた。だが、強過ぎる痛みに気が遠退いてきた。視界がホワイトアウトする。夢か現かの判別がつかずにいた時、不意に部屋の扉が開いた。


「――、ぁ、」


 覗き込む影にわずかに自我が戻る。あの黒環の耳飾りは、今の自分にとって――




* * *




「ふむ、思った以上に大きな魔力を抱え込んでいるようだな。優秀な素材というのも困りものだ。期限までに予定していた全工程を終えられるだろうか。澪、お前の見立ては?」


 最下層にある実験室を訪れた楼玄が、捕虜の頬を軽く叩く。ぴくりとも動かない彼を横目にしつつ、澪はゆっくりと口を開いた。


「既にほとんどの魔力を吸収した頃と思われます。ただし、心身を保つ必要があるため、投薬の間隔が空いている状況です。全工程の完了は期限直前になると見込んでいます」

「経過は悪くないな。ただし、懸念もある」


 物言わぬ捕虜に興味を無くしたらしい。手慰みに垂れ下がる線の束に触れながら、楼玄が並ぶ武骨な装置の一つにふわりと腰掛けた。


「これを見たまえ」


 受け取ったのは水神家の判が押された封書だ。ざっと目を通してみた結果、分かったことは三つ。


 まずは水神家が牙雲の身柄と引き換えに、ドラーグドとの関係を断つことを承諾するという点だった。そして、二つ目は牙雲の引き渡しに場所のやりとりや、家の者や領地にいる民へ詳細を伝えるため、書簡の到着から三日間の猶予を乞う話が書かれている。


 この程度の条件であれば、捕虜の回復を考えると呑んでも支障はないだろう。ただ、最後の内容については自分も首を傾げる内容だ。


「『ドラーグドの者がノーバディの施設に侵入しようとしているという情報を得た』とありますね」

「間者の話によれば、ドラーグドの使者が直近で彼らに会いに来たらしい。そのうちの一人が当主とも話をしたようだ。若い青年だったと聞くが、心当たりは?」

「……特には。ただ、このような記載を入れてくるということは、恐らく罠かと思います」

「お前も勘がいいね。そう、これは照からの“宣戦布告”さ。今の流れであれば、解釈次第では『ドラーグドが一方的にノーバディへ仕掛けた』という見方もできる」

「こちらの動向をコントロールする目的で、彼らは水神家を通じて情報を流している可能性があると? 仲違いと見せかけ、水神家を庇うつもりなのでしょうか」

「相手も少しは知恵を絞ってくるようだね。今の動きはこの報告との関連もありそうだ」


 握っていた物とは異なる紙が渡された。南部に置いていた伝令兵から届いた書簡だ。


「中央区画で大規模な砲撃があったという報せですね。この時期に例の脱走兵が現れたのですか」

「いいや、飆がわざわざ《竜のとぐろ》を標的にする理由がない。これこそ分かりやすい罠だ。だが、罠と受け取れるのは、照が持つ札を知っている者だけだろう。つまり、これも僕たちへ宛てられたメッセージさ」

「ドラーグドが砲撃を指示したとすると、彼らの狙いはどこに?」


 また首を傾げていると、楼玄が書面を折り畳みながら仮面を外す。すっと細められた翠の瞳が自分の面を捉えた。


「事情を知らない各軍から見れば、砲撃で動かない軍は何か企んでいると捉えられる。そこで犀臥の率いる先鋒隊が、中央区画まで様子を確認しに行ったところ――獣人と精霊族との戦闘に巻き込まれたらしい」

「ドラーグドは我が軍の長を狙った、と」

「停戦協定がある上、足並みを揃えなければ、あらぬ疑いをかけられると現場は考えたようだ。しかし、今回はそれが裏目に出てしまった。あの場でノーバディの長が出向いたとなれば、砲撃の動機に“信憑性があった”という印象を他軍に与えるだろう」


 スマイリーもただでは転ばない男だ。あくまで飆の討伐を目的とした争いの発生ならば、この協定には抵触しない。獣人も精霊族も長い膠着で痺れを切らしている。そのため、彼は砲撃を囮に彼らを引き寄せ、偵察に出てきた犀臥の部隊と衝突させたのだろう。計画の深度が切り替わる直前で、ドラーグドが大きく動き出したのは捨て置けない。


「確実な勝算がなければ、照は捕虜の救出を諦めるはずだ。これまで動きがなかったことからも、水神家はほとんど見捨てたものと考えていた。ただ、彼らは秘匿していたこの施設の存在を嗅ぎ当てたと主張している。しかし、単独で組織を相手にした機密奪取はほぼ不可能だろう。我々の内情を深く知る《協力者》でもいない限りは、ね」


 言いながら、その思考の中では目途がついているのだろう。楼玄が溜息交じりに先を続けた。


「想定外の筋書きはいつでも起こり得る。全軍円卓会議が開催された頃から、放った斥候たちが帰って来ないのは妙だと思っていた。これらの件には我々の本拠地を暴いた者が一枚噛んでいそうだ」

「中将の亜久斗ですか。長期の外部任務に出ていると耳にしましたが、そこまでの手腕だとは」

「彼は照が懇意にしている直属の部下だ。裏の手口を熟知しているのだろう。以前、我々の兵をけしかけて始末を試みたが、その時も出し抜かれている」

「では、今回も彼がここにやってくるということですか」

「そこがまったくもって判断に悩む部分だ。僕が捕虜と一緒にいると分かった上で、照が懐刀を寄越すと思うかい?」


 ノーバディを強襲する計画を立てていたスマイリーが、多くの情報を握っている亜久斗を犠牲にするとは考えにくい。少佐一人のために、己の腹心を失う方が惜しいはずだ。一方で、軍としては水神家と所縁のある牙雲の救出で、民心を買うという大儀がある。そして、彼や水神家を決して見捨てられない者が何かしらの働きかけをしているという確信が、自分の中にはあった。


 ――だが、全ては定められた筋書きだ。決して覆ってはならない。


「正直、我々も手が足りない状況だ。ただ、長として引き立てた犀臥をここで失うのは実に痛い。しかし、南部では襲撃した集落周辺でドラーグドの部隊が張っている。本拠地からの増援は妨害されるだろう」

「昨日、鎧らしき物を纏った人影が夜間に空路で中央区画に向かったという報告もありました。重量を考えると通常の竜人では不可能かと」

「ふむ、犀臥と刃を交えている白銀が動いたか。今の話で優先順位が変わった。中央区画へ急ぎ援軍を送るため、使える兵はそちらへ向かわせよう」

「水神家の対応はどうしますか。このまま捕虜を返せば、相応の反発が予想されますが」


 装置へ磔にされた相手は、激痛での失神と投薬による強制覚醒を繰り返している。正気を保つように調整はしているが、いつ死んでもおかしくない。それに、彼の魔力が奪われていることに水神家の者が気付けば、面倒になりかねないだろう。すると、捕虜へ視線を移した楼玄が口を開いた。


「事を解決するのは簡単さ。四肢は千切れていないから問題ないとして、奪った魔力を補填する細工だけすればいい。そうだな、引き渡しの前日に適当な魔力の《核》を埋めろ。その《核》には必ず複数の属性を混ぜておけ。それ以外は向こうの要求通り、五体満足のまま返す」

「適合しない属性を入れるのですか? それだと元には戻りませんが」

「構わない。《核》を埋めた上で彼を水神家に送ってやれば、何かしらの魔力行使をした瞬間に発狂するだろう。自分が魔力を奪われたと認識しているし、試さないはずがない。そうなれば、後は狂った“竜”が家を滅ぼすか、一族が唯一の子息を殺すかという判断だけだ」

「……つまり、水神家内の問題に持ち込むのですね」


 人体に《核》を付与する場合、例外的な個体を除き、異なる属性を体内に共存させることはできない。肉体の中で魔力を使用する際にそれらが反発し合うからだ。引き出された魔力は良くて相殺、悪ければあらぬ影響を生身に及ぼす。だが、牙雲や水神家はその事実を知る由もない。


「僕は何度も忠告した。だが、この結末を選んだのは彼自身だ。負けた方は一つの主張すら許されず、全てを捻じ伏せられる。“戦争”とはそういうものさ」


 この白磁の面をしていて良かった。頬に浮かんでいた鱗を押し隠すそれに、幾度とない安堵を覚える。楼玄は戦争を憎んでいた。それは、こうした不毛な命のやりとりを知り尽くしていたからこそだ。時々、彼はそれに取り憑かれていると思うほどの執着を見せる。その時の眼差しは誰よりも慈愛に満ちていて、吐き気がするほど残酷だった。


「おれは、戦争をしたくありません」

「お前の言う通り、戦争は決して起こしてはいけないことなんだ。それが始まってしまった時点で、人類にとっては救いなき結末(バッドエンド)だからね」


 憎しみが次の憎しみを生む。その連鎖を断ち切るには、憎しみの芽そのものを抹消するしかないのだ。人は決して変われない。時を超え、同じ過ちを幾度も繰り返す。たとえどんな選択肢があったとしても。


「どうせ彼らがここまで来るつもりなのだとしたら、壊す予定の捕虜一人を使って、最大の成果につながる策を考えるべきだろう。さあ、客人をもてなす準備をしようか」


 自分の肩へそっと触れた手に、澪はこく、と頷いた。

新章から再開します。

ここ数カ月、急に執筆以外のことがやりたくなってしばらくお休みしていました。

でも熱量が戻ってきたので、やりたいように続けてみます。


2026/06/20 時点

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