-当主の秘策-
「そちにも志があると見た。当然、息子の勝手な願いを押し付けるつもりはない」
「ただ、少佐が遺言みたいな話までしてきたぐらいですし、かなりマズい状況だってことっスよね」
「どうやら我々に投降を促すように迫られたらしい。だが、蓮雲が赴いた時には『軍とは手を切らず、敵との交渉をできるだけ長引かせろ。必要ならば、自分の身や水神池は捨て置いて、一族の命を優先せよ』という話だった。その考えに至った仔細は聞けなかったが、我々に知らされていないところで一体何が起きていたのだ」
以前にあった嘆願の件も含め、牙雲の命という“逆鱗”を刺激された水神家は、気が気ではなかったはずだ。ただ、楼玄が絡んでいたせいで、スマイリーも書面には多くの情報を記せなかったのだろう。そのため、水神家は頑なに背景を明かさず、仲介に応じない軍の話を取り合わなくなってしまったらしい。
「えっと、細かい説明はできないんスけど……とにかくノーバディはオレたちが持つ機密を奪うために、牙雲少佐と水神家を人質にして、軍をゆすって来てるんです。少佐はそれに気付いたから、オレたちと協力してほしいって言ってきたんだと思います」
「敵の真なる狙いはこの水神池や牙雲の身柄ではないと? それは誠か!」
「牙雲様を使って軍へ要求を迫るとは、何たる狼藉! 当主、彼奴らを許してはなりませぬ! 今すぐにでも八つ裂きにして、」
「気持ちはわかりますけど決起はダメっスよ! 相手は武力組織なんですから、そこはオレたちが引き受けますんで」
宥めはしたが、事実を聞いた彼らはまだ憤りを露にしている。ただ、自分の説明が伝わらなければ、水神家は軍と仲違いしたままだっただろう。それが解消できたのは大きな手応えだ。
「今伝えたところからも、相手の思惑に乗らずに牙雲少佐の身柄を取り戻せることが、お互いにとって一番いい結果のはずなんです。とはいえ、オレたちも襲撃のせいで人手が出せなくて、確実な救出が難しい状況でした。なので、こんな筋書きを考えていて――」
検討した計画を伝え終えると、当主は腕を組んだまま視線を伏せた。軍との関係を断ち切ることは、水神家にとって緩やかな自滅につながる。牙雲はそれを分かっていたので、敵の脅迫に折れず、水神家を救う最善の道を探したのだ。今は当主がその意を汲んでくれると信じるしかない。固唾を吞んで返事を待っていると、冴えを持つ眼差しが自分を見据えた。
「蓮雲よ、この使者と二人で話をさせてくれ。人払いを頼む」
「はっ」
一礼した蓮雲がその場を後にした。仕切りや引戸が全て閉ざされ、傍仕えの者が廊下から一斉にはけていく足音がする。
「紅葉と言ったか。我々が、いや、私が牙雲の身を取り戻したいのには訳がある。彼を取り戻さなければ、どのみち水神家は滅んでしまうのだ」
「一族の血筋がいれば、水神家は存続できるんじゃないんですか?」
「……それは事実ではない。牙雲にはあえて伝えていないことがある。ゆえに、彼はまだ自らの立場を深くまで知らぬのだ」
きょとんとした自分を前に、当主がかけていた布団を脇に押しやりながら先を続けた。
「水神家の当主は、水源を統治するのに必要不可欠な力――『水移しの術』と呼ばれる《秘術》を受け継いできた。これは水神池の水を自由に動かすことができる技だ。この術を授かった者だけが、初めて水神家を率いる資格を得る」
「あの池の水を動かすって、どうやって……?」
「たとえるなら、水神池の水自体が魔力の塊だと思え。その術を使えば、池の水を雨にして大地に降らせたり、枯れた溜池を湧き水で潤すことができる。我々は治水の要を担っているゆえ、干ばつの知らせを聞けば、秘密裏に別の地域へそうした恵みをもたらすのだ」
「知りませんでした。てっきり北部の水源を守っているだけかと」
「諍いを生まぬためにも、表には伏せ続けてきたからな。知らぬのは当然だ」
水神家がこの郷を死守するために手を尽くしている理由には、今の事情もあったのだろう。数百年の争いが続く中でも、こうした秘密を持っている者たちが各所で民を支え続けてきたのかもしれない。軍は事の運び次第で彼らを切り捨てることも考えていたはずだが、やはり彼らの土地は決して奪われてはならないものだ。
「でも、少佐が当主を継ぐことはわかってたのに、なんで今までその術を教えなかったんスか」
「万が一この術の存在が漏れれば、戦の道具として使われるやもしれぬ。水は民の命に不可欠なものだが、それを奪う力に転ずることもある。だが、我らが守る水源だけは清くあってほしい。それが多くの命を奪うようなことを、決して起こしてはならぬ」
軍に行くと言った息子に、当主はあえてその詳細を伝えなかった。それは水神家の秘密を守ると同時に、牙雲自身の心を守るためだ。ただ、そこでふとした疑問が浮かぶ。
「前に少佐から『自分は両親の反対を押し切ってドラーグドに来た』って話を聞きました。ただ、当主さんは最終的に少佐が軍に行くのを認めたんスよね? えっと、責めてるわけじゃないんスけど……今回みたいな件があるかもしれないって知ってたはずなのに、どうして当主さんが許したのかが気になって」
「私がいなくなれば、否が応でも牙雲を一生この座に縛り付けてしまう。たとえわずかな時であっても、せめて私が生きている間は子の考えを尊重したかったのだ。それに、私自身も家の掟や戒律の中で、自由とは程遠い世界を生きていたというのもある。外の経験も身になると思い直し、最後まで首を縦に振らなかった妻を説得したのも私だ。だから、今回の件は、全て私の落ち度でもある」
郷のために牙雲が必死に考え抜いて出した結論と彼自身の覚悟を、当主は拒めなかったのだろう。だが、彼の覚悟と献身で救われた命も、数え切れないほど多くある。
「少佐の性格だと、ご両親がダメだって言ってもいつかは家を飛び出して行ったと思いますよ。一族をちゃんと自分の力で守るんだって」
「そう、だな。妻が折れたのもそんな理由だった。手の届かぬところへ行ってしまうぐらいなら、後ろ盾を設けた方がまだ良いと」
「言ったことは必ず貫く人っスからね。それが少佐のいいところだって軍の人たちも思ってますよ。まあ、行く方向だけは間違えないようにしないと危なっかしいから、オレも苦労してますけど」
当主が小さく笑った。『この不敬なヤツめ』という不機嫌な声が頭の隅で響いた気がする。しばらく顔を見ていないせいか、とうとう幻聴が聞こえ始めたのかもしれない。
「――話を戻すが、水移しの術には大きな制約がある。水を移動させた者でなければ、それを池に戻すことができぬ仕組みになっているのだ。元は最悪の手段を取らねばならない時のことを考えて、編み出されたものだからな」
「つまり、その術を使った人が亡くなったら、水神池は二度と戻らないんスね」
「仇に穢されるぐらいなら、長い時をかけて民に恵みとして届くようにすべきだろう。そして、あれだけの水を動かすには、その質量に応じた魔力が必要だ。強い魔力を遺伝させるために、当主の座は嫡子へ引き継ぐのが慣例となっていた。今の分家にも高い魔力を持つ者はいるが、やはり牙雲には敵わぬ」
「確かに、少佐は魔力を扱える量が人よりも圧倒的に多いですし。だから、少佐が戻ってこないと困っちゃうんスね」
「そういうことだ。前置きが長くなったが、そちが来るまで私が講じようとしていた策は、戻ってきた牙雲に『水移しの術』を授けた後で、その術を使って水神池の水を一時的に分散させようというものだった」
「そっか! 水源から水がなくなっちゃえば、ノーバディが土地を実効支配する利点も消えるんだ!」
「この領地の至るところに溜池や洞穴があるゆえ、全ては探り当てられまい。ただ、この身体では満足に魔力を扱うのが難しい。一部ならまだしも、全ての水を動かすのは不可能だ。下手をすればあらぬ場所で洪水が起こり、無辜の民に被害が出るとも限らない」
「それはさすがに避けたいっスね。だったら少佐に任せた方が確実かもしれません」
「しかし、牙雲もかなり疲労の色が濃いと聞いた。攫われた際に負った傷もあるようだ。術を扱えるかわからぬうちに、迂闊な判断はできぬ」
結局、当主の策も確実な線ではない。牙雲が消耗した状態で帰ってきた場合は、ほとんど打つ手がないようなものだ。しかし、今聞いた話は大きなヒントになる。
「あの、水移しの術って水神家から離れずに使えるんですよね?」
「そうだが?」
「だったら、全部じゃなくてもいいんで、地下施設のある地域にだけでも集中して水を持ってくることはできませんか。最初は水神家の人に施設の近くまで来てもらって、水を流し込んでもらおうと思ってたんスけど、水移しの術なら敵と接触することもありませんし」
「なるほど。ただ、地下施設の場所が分かっているならば、軍が現地に赴かずともこちらで対処できる。我々は牙雲の居所を掴むのに難儀していただけで、共に戦うことも厭わない」
「いや、基本的にはドラーグドだけで作戦を進めるつもりです。水移しの術はオレたちの動きが上手くいかなかった時の保険として考えておいてください。施設の中を調べる必要もありますし、少佐以外にも――その、“誰か”いるかもしれないんで」
ふと脳裏を過ぎた薄氷の面影に、心臓がつきりと痛む。叶うなら、牙雲の無事はすぐにでも確かめたい。だが、それと同じぐらいに顔を見たい者もいる。気兼ねなく自分の仲間だと、呼べなくなってしまった相手が。
「牙雲のことは気がかりだが、そこは策に乗らせてもらう側の私が折れよう。こちらが動く合図はどのようにすべきか」
「日取りはこれから調整するとして、作戦自体は夜間帯の実行を考えています。オレたちが脱出したら、狼煙を上げるつもりです。ただ、もし上がらなかった場合は日の出と一緒に水を流し込んでください」
「承知した」
「あと、水神家からノーバディに対して返事をする場合は、こんな書面を添えて送ってほしいんです。『ドラーグドがノーバディの施設に侵入しようとしているという情報を得た』って。そうすれば、あっちは水神家がオレたちと手を組んでいないと思うはずです」
「危険ではないのか? やるにしても黙っていればいいと思うが」
「今回は無理なお願いしちゃってますけど、本来なら民間人を守るのがオレたちの役目っス。だから衝突には巻き込みたくなくて。それに、せっかく副官の肩書もらったのに人に任せてばっかりじゃ、牙雲少佐にも怒られちゃいます」
「……そう、か」
「よし、やることが決まったんですぐに報告しに戻らないと! 休んでるところに長居してすみませんでした。お身体、大事にしてください」
「――紅葉殿。最後に一つだけ良いだろうか」
それまで布団の上にいた相手が自分の元にやってくる。その場で座り直すと、それまで威厳を保っていた声が、か細く震えた音に変わる。
「水神家当主、この行雲が、不躾ながらにお頼み申し上げる――どうか、どうか牙雲のことをお救いいただきたく」
「わっ、ちょっと、やめてくださいよ! オレは作戦を伝えにきただけなんで、そういうのはせめて少佐を助けた後にしてもらえれば、」
「私はそちの心意気に胸を打たれたのだ。軍にいる立場から牙雲を気遣い、水神家の者にも尽きぬ配慮を与えてくれた。その感謝だと思って受けてくれ」
深々と頭を下げた相手の顔を慌てて戻そうと促すも、当主は頑として動かない。託された多くの願いを示す礼を受けると、紅葉は瘦せた肩へそっと触れた。
「実は、少佐はオレの命の恩人なんです。だから、今度はオレが必ずここまで連れて帰ってきます」
初陣で身を挺して自分を庇ってくれた、あの日の彼と同じように。損得や立場ではないこの想いが、こうも己を駆り立てている。遠かったあの背中が、もう触れられる場所にまで来た。確かな手応えに、紅葉は左胸の隊章をゆっくりと握り締めた。
fin.




