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-語り手の妙-

「当主は会わぬと言ったが、代わりに私が用件を聞くように言付かった。ゆえに、そちらの話は私が聞こう」

「っ、ホントですか! ありがとうございます!」


 長く降りしきる雨音がふと遠のいていく気がした。だが、安堵の溜息を溢した自分の横で、亜久斗が冷めた視線を覗かせている。


「本来ならば、こちらは当主殿だけにお伝えすべき機密として預かっているのですが。どう伝えたものでしょうか」

「――申し遅れたが、私は蓮雲(レンウン)だ。水神家からの使者として、囚われた牙雲様にもお会いしてきた。牙雲様から軍の者に向けた伝言も預かっているゆえ、先はドラーグドへ発つところだったのだ」


 『蓮雲(レンウン)』と名乗った彼から差し出された書状を亜久斗が眺める。すると、しばらく視線を伏せていた彼がようやく言葉を返した。


「ふむ、こちらには確かに当主殿の判がありますね。大将宛の書面というのも確認できました。貴方が水神家の遣いとして各所へ向かわれたのなら、当主殿から信頼があると見受けます。今は貴方のお話を信じましょう」

「あの、だったら先に聞いておきたいんスけど、牙雲少佐は無事だったんスか?」

「……気丈に振る舞われておられたが、酷い扱いを受けている。それを伝えたこともあり、家の者も戦の用意を始め出した。しかし、ここだけの話、牙雲様は我々に軍を頼れとおっしゃっていたのだ」


 普段なら自ら解決を図る彼が、あえて助けを待つような言動を見せている。自身ではどうにもならない状況下に置かれているのかもしれない。ただ、その判断は彼の水神家に対する情と、軍に対する信用の現れだ。


「少佐はドラーグドが水神家を守るための策を練っていると考えたから、郷の人にも早まらないように伝えたんだと思います」

「ふむ。実のところ、当主は牙雲様の身柄さえ取り戻せば《勝算》があると踏んでいたようだ。そのせいで軍と関わることを良しとしなかったのだろう」

「おっしゃる通り、疲弊したドラーグドからすぐに水神池の奪還へ人手を割くことはできませんからね。牙雲少佐の身柄が戻れば自力で対処できるというのなら、我々の手は不要だと思われたのでしょう。ただ、気になるのはその手段です」

「それについては私の口からも説明できない。当主のみが知る策なのでな」

「さすがは水神家ですね。幾度も敵の侵攻を退けた北部の領主として、様々な知恵をお持ちのようで」

「とはいえ、今回は一筋縄ではいかぬ相手だ。話がこじれてしまえば、こちらも流血は避けられないだろう。我々も、身内を刺激せずに軍と話し合うことが難しかったのだ」


 蓮雲によれば、水神家の使者としてノーバディに赴いた時には、数日がかりで移動をしたという。おそらく土地勘のある彼に、距離を測らせないためだったのだろう。そうしたところから、ノーバディは周到な計画を練っている。


「それで、ドラーグドはどのような策を検討していた? 場合によっては当主を説得することができるかもしれぬ」


 亜久斗が自分に視線を送ってきた。促されるまま、拠点で話し合った計画を口にする。


「実は、オレたちの方でノーバディが出入りする地下施設を発見しました。そこに牙雲少佐が捕まってる可能性が高いんです。施設の場所はここからも近いので、まずはオレたちがそこに入って少佐を探すつもりです。けど、絶対に成功するとは言い切れません。だから、もし最初の作戦が失敗しても少佐を救い出せるよう、次の手として地下施設を水没させようと考えてました」

「なるほど、敵の根城が我々の近くにあったとは。それで水神家の助力が必要だったのだな」


 蓮雲が黒い笠を胸に抱えたまま、長く視線を伏せていた。水神家が個別で解決を図れるならいいが、それだと軍と彼らは仲違いしたままだ。そうなれば、間にいる牙雲が板挟みに遭うのが目に見えている。


「……オレは、少佐にこれ以上辛い思いをしてほしくないんです。たとえ水神家の人に庇ってもらって家に戻れたとしても、自分のせいで故郷を失ったと後悔します。それに、いくら策があるとはいえ、みんなが傷つくのは少佐が一番望んでいないことだと思うんで。本当ならオレたちがノーバディとの交渉を受け持つべきだったんスけど、相手の要求を呑めば竜人全体に危険が及ぶかもしれないから、どうしてもできませんでした。でも、オレ自身は軍の意向とか関係なく、少佐を助けたいと思ってます。どうか協力してもらえませんか」


 亜久斗の柳眉がわずかに動いた。軍人のくせに、上官の前で堂々と己の立場のまましゃべっているのだ。咎められても仕方ない。だが、そうでもしないと想いが伝わらないという頭もあった。耳元ではずっと雨の降り続く音だけが響いている。縋りたい掌を握り締めていると、不意に相手が一つ頷いた。


「分かった。確約はできかねるが、当主に掛け合ってみよう」

「ありがとうございます! じゃあ、オレたちが一緒に、」

「いや、軍からの説明は紅葉殿に任せたい」

「……ん?」

「問題があるだろうか」

「あ、いえ、全然! じゃあオレが行ってきます」

「長引くかもしれぬゆえ、連れの方も別の部屋を用意しよう。こちらへ」

「ご配慮に感謝します」


 回廊の向こうにある門を蓮雲が開く。外廊下の屋根を打つ雨音に紛れ、紅葉は隣にいた麗人にふと尋ねた。


「亜久斗さん。変なこと聞くんスけど、蓮雲さんの前でオレの名前って伝えてましたっけ?」

「いえ、記憶にありませんね」

「じゃあなんでオレのこと知ってたんだろ? あの人とは面識ないのに」

「よく考えてみてください。その情報源はとても限られた範囲の方からではありませんか」

「……もしかして、少佐が?」

「その口が紡ぐ言葉に《心》が見えれば、自ずと人は動きます。聞き手にとっては何を話すかよりも、誰が話すかの方が往々にして重要なのですよ」

「ってことは、まさかオレにしゃべらせようとして、わざとあんな冷たい態度を?」

「こういう場では、牙雲少佐と縁のある君の説得の方が向いていると判断しただけです」

「ひどいじゃないっスか! あの時はホントに帰っちゃうのかと思って、死ぬ気で引き止めたのに」

「時間がないのは事実でしょう? まあ、君が僕の話に頷いていたら、この策は完全に失敗でしたが」

「こんなに重要なタイミングで賭けみたいなことしないでくださいよ」


 交渉と説得は、似て非なるものなのかもしれない。唖然とする自分を前に、亜久斗はまだ掴めない笑みを浮かべていた。




* * *




「当主、私の独断でドラーグドの使者をお連れしました。お目通りを願います」


 戸惑いながらも、薄暗い座敷の中へそろりと足を踏み入れる。蓮雲に連れられて辿り着いたのは本丸にある楼閣の一室だった。がらんとした土壁に囲まれたその中で、女性が仕切りの前で正座して控えている。洗練された輪郭や、少し眉間に皺を寄せた時の表情は牙雲にそっくりだ。ただ、品良くまとめられた銀の髪は艶をなくし、淡雪の肌は疲労でくすんでいた。


「どういうことですか。当主は使者に会わないとおっしゃっていたのですよ」

「無礼は承知の上です、奥方。しかし、彼は牙雲様を助け出すための策を持ってきております。敵についての情報も有しておりますので、どうか話を耳に入れていただくだけでも」

「ここ数日、お身体に障る出来事ばかり起きていたというのに。せっかくお休みになられたところを邪魔するとは、」

「……構わぬ、通せ」


 仕切りの裏から響いた声に、牙雲の母親が渋々といった様子でそれをどけた。


「――その軍服は、見たくありません。わたくしは別のところへ行って参ります」


 自分を一瞥すると、牙雲の母親はその場から姿を消した。改めて部屋の奥を覗くと、床の間に敷かれた布団の上で瘦せた男が身体を起こす。少し癖のある長い銀髪や、深みを持ちながらも澄んだ青を湛える切れ長の眼差しは、牙雲と血のつながりを強く感じさせる。しかし。


「面食らったような顔だな。水神家の当主が、こうも覇気のない者だとは思わなかっただろう」


 やつれて落ちくぼんだ瞳から視線を逸らすと、相手の白い唇から自嘲が漏れた。すると、蓮雲が横から耳打ちする。


「当主が長患いをしていることは秘密にしてもらいたい。傍にいる者以外は、ここまでお身体を壊されているとは知らぬのだ。でなければ分家の者からの反発を招いてしまう」

「わかりました。ただ、なんでこんな状態に?」

「昔、宗家の方々が視察で付近の集落へ訪れていた際、道中で敵の斥候と鉢合わせてしまったのだ。その際、当主は幼い牙雲様を庇って毒矢を受けた。毒は何とか抜けたものの、家から離れていたせいで処置に時間がかかり、結果として臓腑を痛めてしまったようでな」


 牙雲があれだけ武功を焦っていた事情がやっと理解できた。彼は、父親の寿命がそう長くないと知っていたのだ。血筋が問われる家柄で嫡子が彼だけだったのも、今の話が関係しているのだろう。自身の存在が今の当主の寿命を縮めてしまったことを、彼は常に心苦しく思っていたはずだ。


「軍の若人よ。先は家の者があのような態度を見せたが、大目に見てやってはくれないか」

「気にしてないっス。少佐のお母さんも水神家の人たちも、牙雲少佐のことを心配してるだけですよね」

「かたじけない」

「むしろ、オレたちの方こそ少佐の救出作戦を進めるのが遅くなってすみません。その計画の中で水神家の人に協力してほしいことがあったんで、今回は無理を言って来ました」


 蓮雲に促された紅葉は、寝具の上にいる当主の前で頭を下げる。


「改めて、オレはドラーグドの第五部隊に所属する紅葉です。牙雲少佐の部下で、今回の救出作戦で副官を任されました」

「ふむ。ドラーグド本部の襲撃は聞き及んでいるが、まさかそちのような若人が副官とは。救出には人手が割けぬということだな」

「た、確かにオレは頼りないかもしれないっスけど! 今回の作戦ではめちゃくちゃ心強い人たちが揃ってるんで、安心してください。それに、少佐のことはオレも絶対に助けたいと思ってますし」


 白銀と亜久斗はともかく、残る一人は素性すらも知らないが。将校のお墨付きがあるなら申し分ない人選のはずだ。


「蓮雲。この者を寄越した理由は、牙雲の“伝言”の件か」

「左様です。仮に牙雲様が亡くなられた場合、水神池を我々と共に守ってほしいという話をこの者へ伝えよと言付かっておりました」

「誰に似たのか、牙雲はとても頑固な性格でな。私の身体のせいもあってか、普段は我々を頼ろうとしない。だが、身内でもない者にそこまでの言葉を託すぐらいだ。己の代わりにそれを果たしてくれる者だと思っていたのだろう」


 彼から頼りにされていたことは素直に嬉しい。だが、縁起でもない話は聞きたくなかった。


「……悪いんですけど、オレは誰の代わりにもなりません。オレがやるべきなのは、少佐が必ず帰って来られるように力を尽くすことだけです」


 自分はひたむきに前へ向かう彼を支えるために来ただけだ。だから、託された望みは牙雲自身がやり遂げなければならない。膝の上でぎゅ、と拳を握り締めた自分に、水神家の二人がゆっくりと頷いた。

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