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-水神家-




* * *




 ざあざあと降り続く雨がぬかるみを広げていく。覚えのある湿地帯に足を踏み入れてから程なくして、曇天から水滴が落ちてきた。降りしきる白帯は外界の干渉を拒んでいるようにも見える。それでも、自分たちの歩みを止めるには至らない。


「そろそろ到着します。視界が悪いので、水神家の方と衝突しないように注意してください」

「了解っス」


 雨除けの外套を閉じ直すと、紅葉は先を行く亜久斗の影を追った。苔むした地面が徐々に砂利道に変わる。獣道を掻き分けて進むと、ようやく開けた湖畔が覗いた。清廉な色を湛えているはずのそこは、打ち付ける雨粒で煙っている。くすんだ景色の先には白い外壁を持つ天守閣が静かにそびえていた。


「前に来た時はバタバタしてて良く見てなかったけど、水神家ってお城に住んでたんスね……」

「彼らは北部方面の領主ですからね。大規模な拠点を構えていても不思議ではないでしょう」


 青みがかった高い石垣に圧倒されていると、亜久斗が自分に手招きする。慌てて後に続けば、湖畔の道沿いの向こうに正門が見えた。前に立っている着物姿の竜人は水神家の門番だ。左右に侍る彼らがぬかるみを進む自分たちに気付いた。


「そこの者、何用か」

「突然ですみません。オレたちはドラーグドからの使者です。牙雲少佐の救出の件で、水神家の人に協力してもらいたいことがあったのでココまで来たんスけど、」


 用件を告げている間、門番たちの顔がどんどん険しくなっていく。何とか信用してもらうため、紅葉が被っていた頭巾を外した時だった。


「……牙雲様は己の身を投げ打ってまで、ドラーグドへ尽くしてきたのに。軍は牙雲様を表立って助けようとすらしなかった。それが今更になって協力などと、どの口が言えた台詞だ?」


 予想はしていたが、やはり風当たりが強い。先を言い淀んでいると、横にいた上官が自分の後を引き継いだ。


「拙いご挨拶で大変失礼いたしました。遅ればせながら、僕はドラーグドで《中将》を務める亜久斗と申します。まずは牙雲少佐の救出において、早期の対応が取れなかったことを軍の代表としてお詫びします。申し訳ございません」

「謝って済むような話ではない。それでなくとも、ここにドラーグドの者が留まっているとノーバディに知れれば、牙雲様の身を脅かすことになる!」

「……返す言葉もありません。水神家の方々が置かれた立場のことは、我々も大変心苦しく感じております。ただ、ドラーグド側で人質の救出作戦を実行する目途が立ちましたので、今回はその報告と今後のご相談で訪れた次第です」

「書面でやり取りしていた時には確実な方法がないと言っていただろ。まさか、当主の判断を引き留めるための時間稼ぎではあるまいな」

「機密の仔細を外でお伝えするのは憚られます。また、先ほどのお話からも、僕たちと水神家が接触していることを敵に知られるのは危険です。なので、まずは中へ通していただけないでしょうか」


 流暢な要求に門番の表情が強張った。だが、彼らは黙したまま動かない。軍人を中へ招こうものなら、水神家の者から批判の目に晒されるのだろう。嫌な膠着状態が続きそうだと身構えた時だった。


「――どうした。問題があったようだな」


 閉ざされていた門が軋みながら開く。雨粒に紛れた人影に門番たちが首を垂れた。黒い笠を外した相手は、牙雲と似た銀髪と青い瞳を持っている。濃紺の上等そうな着物を纏っていることから、水神家でそれなりの地位を持つ者なのだろう。初老の相手が立ち尽くす自分に怪訝な目を向けると、門番の一人が経緯を告げた。


「今しがた、ドラーグドの使者から牙雲様の救出について話があるので、ここを通りたいと言われまして」

「判断は当主に伺うしかなかろう」

「ですが、既に牙雲様の御身を優先すると意を固めていらっしゃるのでは?」

「心痛された奥方を見ているのでそうおっしゃってはいるが、私の前では水神池を明け渡すことにも強い懸念を示しておられる。ゆえに、牙雲様を連れ去った不届き者たちへの返事はまだ決めかねているようだ」


 話に聞き耳を立てると、当主は牙雲の身を案じているが、多くの民の暮らしを支える水神池を手放すことも不本意なのだ。そして、ノーバディがドラーグドの将校でもある牙雲に、何の危害も加えずに帰すとも思えない。


「……何にせよ、当主には使者の来訪を伝えねばなるまい。私が向かうゆえ、使者の方は中でお待ちいただくように」


 門番たちが自分たちに向けていた武器を下げる。促されるままに先へ向かえば、降りしきる雨に霞む外回廊と、白い砂利の敷き詰められた庭園が自分たちを迎える。苔むした大岩の奥には、入口よりも一回り小さな鉄門がそびえていた。


「水神家の人が、オレたちの話をちゃんと聞いてくれればいいんスけど」

「今は大人しく待ちましょう」


 牙雲を救い出す札は水神家が握っている。一つはノーバディの要求を呑むこと。もう一つは自分たちと手を組むことだ。前者であれば、郷を犠牲に牙雲だけは取り戻すことができる。しかし、後者を選んで失敗すれば、牙雲も郷も失うことになるだろう。そして、軍はスマイリーの意向で水神家の肩を表立って持つことはしない。


 来るまでは簡単に考えていたが、この段階で自分たちが出せるのはやはり不確実な札だ。どうしたらそれに水神家が頷いてくれるのか。答えが見つからず、紅葉はぎゅっと唇を結んだ。




* * *




 降りしきる天の慟哭の下、どれだけの時間が経っただろうか。この天気では外を行き交う者もおらず、世界から隔絶されてしまったかのようにも思える。柱に背中を預けた自分の隣で、亜久斗は相変わらず凛とした立ち姿だ。


 無為に過ごす時間が惜しくなって、身じろいでいた時。石造りの回廊からこちらに向かってくる人影が見えた。門を通してくれた相手を迎えるように、亜久斗が進み出る。


「当主殿へのお目通りは叶いそうでしょうか」

「すまないが、使者には会わぬという話だった」

「ちょっと! 話も聞かずに追い返すなんてあんまりじゃ、」

「構いません。ならば、ここは一旦引きましょう」


 問い質そうとした自分の隣で、一礼した亜久斗が濡れた外套を羽織り直す。このまま引き下がるしかないのか。牙雲が己のために水神家を犠牲にすることは決してない。一方の水神家も牙雲の命を一番に考えている。だが、水源を渡してしまえば、彼らには故郷がなくなってしまうのだ。その二つを守れるのは、軍にいる自分たちしかいない。


「水神池がノーバディの支配下に置かれるんだったら、少佐が戻ってきても結局は危険なままじゃないっスか」

「ノーバディと水神家が交渉した結果なら仕方ありません。そこには部外者の僕たちが関与できる立場にないのですから。水神家の方々にとって、牙雲少佐の命が最優先事項という判断ならば、無理強いはできませんし」

「水神家の人だって、オレたちだって、牙雲少佐を助けたいと思ってるはずなのに。竜人同士でいがみ合っても解決しないっスよ」

「君は軍を信じているからそう思うのでしょう。ただ、もし君が水神家の立場なら、組織に利する結果へ導こうとする僕たちの話を素直に聞いてくれるでしょうか? 我々も水神家と仲違いしたくはありませんが、ここで協力関係が切れるのであればそれまでです」

「だけど、今考えてる策が一番確実なんですよね? 少佐を無事に助けられるかもしれないのに、それを頼みもせずに帰るなんてできません!」

「君は重要な作戦要員です。見込みのない説得に時間を割くよりも、他にやるべきことがあります」

「より多くを守るために、オレたちはこの作戦を考えたんじゃないですか! 少佐だって、故郷を犠牲にしてまで自分を助けてほしいなんて思ってないはずです。両方を助ける方法があるのに、オレはここで諦めたくない……!」


 一族が長い時と多くの犠牲を払って守ってきた水源を、自分のせいで失ったとしたら。牙雲はきっと心を壊すまで己を責め続ける。故郷を守ることを己の信念にしてきた彼にとって、それがどれだけ辛いことなのか。その背中を追ってきた自分は十分過ぎるほど理解していた。


 だが、訴える自分に亜久斗は黙って背を向けた。これは無言の“命令”だ。彼の忠義もまた、軍へ誓った固い信念に違いない。


「――待たれよ」


 踏み出した足を止める。振り返った自分に、初老の相手がゆっくりと口を開いた。

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