-絶たれた絆-
「言葉を選ばずに言うのなら、当時の輝月サンはまさに“生きた兵器”だった。善悪も分からないままに殺戮を繰り返す“人形”としての生き方を、常に強制されていたんだ。稀な力を持っていたというだけで、誰に顧みられることもなく、力の行使を命じられる――意思なく戦場へ投げ込まれた彼には、戦う“理由”がない」
紅葉は口を閉ざした。必死に掴み取った力とは違い、初めからそれを手にしている存在にとっては、戦いを避ける選択肢すら与えられなかった。強さが正義だとされた当時の軍の中で「英雄だ」「戦神だ」と祀り上げられることさえ、輝月にとっては何の意味も持たなかったのだ。
「キミと同じことを悪びれもなく言う存在は多いが、輝月サンはその台詞を一番恐れている。ただ、ボクも最初は輝月サンが何を考えているのかなんて知らなかった。率いた兵の前で淡々と大軍を駆逐していく様は、畏怖さえ覚えたよ。正直、何も持たなかったボクにとって、その強さは羨望を通り越し、妬ましいとさえ思えるものだった」
『アナタは強くていいですね』。楼玄の遣いとして輝月の元を訪れた際、スマイリーは何の気なしにそう呟いた。出来損ないだった自分と違い、他を超越した強さを有する彼は、どうせ弱者の痛みなど知らないのだと思っていた。しかし、皮肉交じりの賞賛に返されたのは、諦観にも似た自嘲だけ。
『――力さえ持てば、全てを掌握できると思っているのか。いくら高みに上り詰めた所で、私は、ただ使い捨てられるだけの人形に過ぎない』
過去に己に向けられた言葉を、スマイリーが静かに口ずさむ。武力を持ちながらも、選択の余地さえ奪われていた輝月が強者なのかと言えば、頷くのも違う気がした。
「力を求めていたボクにとって、その言葉は衝撃だった。輝月サンは戦闘に駆り出されるのを本心では望んでいなかったんだ。でも、彼の中では戦に出る以外の選択肢がそもそも存在しなかった。そして、それを知った楼玄は、憐憫から彼にあらゆる知識や人との触れ合い方を教え出したんだ。彼一人に痛みを背負わせないような作戦を中心にしたり、どうしても戦闘に出なければならない時には『これは世界から戦争をなくすために必要なことだ』と慰めていたのも覚えている」
「大総統にとっては、誰かが自分の気持ちに気付いてくれたことが、何よりも嬉しかったのかもしれないっスね」
「多分、望まない行為を続けている間、《心》の痛みをずっと麻痺させていたんだろう。だから、輝月サンは自らを“人”として扱ってくれた楼玄の思想にどんどん傾倒していった。最終的にはあの人と共に『力に支配されてしまったドラーグドを立て直す』と誓い合ったぐらいだ」
当時は楼玄からかけられた言葉だけが、輝月の世界の全てだったのだろう。楼玄は無垢な子供に等しい相手に知恵をつけさせることで、上層部の言いなりになる必要はないと諭したのかもしれない。そうした楼玄の行いは純粋な慈悲からきているようにも見えた。しかし。
「……でも、当時の上層部は、疲弊していく兵のためにドラーグドを導こうとした楼玄を差し置いて、輝月サンを大総統として引き立てた。それが《綻び》の始まりだったんだ。初めは楼玄も軍の意向に従いながら、輝月サンを庇おうとしていた。でも、上層部との衝突が増え出した上に、輝月サンが戦闘要請を受け付けなくなったところから、不信を抱くようになってしまってね」
輝月が大総統になることは、覇権を握ろうとした楼玄の目的を阻むものだった。彼らの間に溝が生まれたのは想像に難くない。同時に、敬愛する友の支えを失い、否応なしに権力の傀儡にされた輝月の立場を考えると、喉の奥に苦いものが込み上げてくるようだった。
「そして、輝月サンが大総統として就任する式典の日に、とうとう楼玄が反旗を翻した。《内乱》が始まっても輝月サンは楼玄を止めようとはしなかった。ただ、対峙した楼玄から上層部の粛清を求められた時も、動かなかったんだ」
友として横にいてくれた相手の願いを裏切りたくない。だが、今は信じていた相手に望まない役割を押し付けられている。そんな葛藤の中で、輝月は選択という行為を諦めてしまった。
「輝月サンが応じなかったことで、あの人も内心では焦っていたんだろう。大総統の座を得られなかった以上、ドラーグドの実権を得るには既存体制の転覆しか道がない。だから、あの人は必要な時に力を振るえなかった輝月サンをボクに殺せと命じた」
「そんな! だって、二人でドラーグドを立て直すって言ったんですよね? 楼玄だって大総統の気持ちは知っていたはずなのに、どうして!」
「……あの人の判断は間違っていないよ。《内乱》がうまくいったら、輝月サン自身も望み通りに軍から解放されるはずだったんだ。でも、上層部を駆逐し切らなければ、楼玄についた者たちと既存体制側の隊員が正面衝突してしまう。だから、最も多くを救うためには、『敵』の統率者となった輝月サンを粛清対象にするしかなかった」
伏魔殿となっていた上層部を粛清し終えた上で、現行の大総統が降伏を申し出れば、楼玄がドラーグドを立て直す基盤が整う。しかし、既存勢力には聖や白銀たちがいた。楼玄は彼らが遠征している隙を狙ったが、帰還してきた二人が計画を知らないまま鎮圧に動けば、犠牲が増えてしまう。そのため、楼玄は輝月の力を借りて、彼らの帰還前に実権を握るつもりでいたのだろう。そして、輝月を処刑せずに軍から逃すためには多少の演出が必要だった。
「《内乱》を終えるためのカギは、輝月サン自身が上層部に明確な拒否を示すことだった。大総統が正義を貫いた上で『諸悪の根源は上層部だった』という結論にすれば、ドラーグドにいた隊員たちの被害も最小限で済んだはずだ。だから、彼も初めは“剣”として振る舞うつもりだったんだろう。でも、結局はできなかった――ここから先はボクの勝手な推測だけど。多分、輝月サンは楼玄から望まない力を振るえと言われたことが、一番辛かったんだと思う」
争いから輝月を永久に引き離すつもりで、楼玄はその力を使うように迫った。だが、これまで争う理由がなかった輝月には、自らの解放のために力の引き金を引くことができなかった。計画完遂の目前まで辿り着いていたのに、理解者だった輝月自身が最後の障害になるとは、楼玄も思っていなかったのだろう。そして、望まぬ行為を強いられたことで、輝月も友との絆を絶たれて深い傷を負った。単なる人形が《心》を持ってしまったがために、二人が胸に誓った悲願は一夜の夢と散ったのだ。
「ただ、そのやり取りを目の当たりにした時、ボクの中にもふと奇妙な考えが芽生えたんだ。楼玄が輝月サンといた理由は、しかるべき時に振るう《脅威》を求めていたからだ。それと同じように、あの人が真に評価していたのはボク自身じゃなくて、ボクが“ズル”をして手に入れた能力そのものなんじゃないかって。もしここで輝月サンを殺したら、ボクはそれを肯定することになってしまうんじゃないかって」
楼玄の本心がどうだったかは定かではない。ただ、彼は力を振るうに値する理由を与えれば、輝月が変わると思っていたのだ。しかし、その願いは彼の想定とは異なるものだった。そして、二人と共に過ごしてきたスマイリーは、彼を信じていた輝月自身の気持ちを否定したくなかったのだろう。
「輝月サンはボクに『躊躇わずに自分を殺せ』と言ってくれた。でも、戦争を止めるために彼へ人殺しの罪を押し付けることも、まして見捨てることもできなかった。輝月サンは誰よりも強くて、弱い。そんな存在を守ることは、過去に力に目が眩んで見捨てた、本当のボクを受け入れることにもつながると思ったから」
力を得ながらも、当時のスマイリーはそれを何のために使うかまで理解できていなかった。だが、彼はそこで初めて『輝月を守る』という判断を下した。楼玄の思想から抜け出したその瞬間、彼の戦いが真の意味で始まったのだ。
「当時、聖サンや白銀サンが想定よりも早くに帰還してきてくれたのは幸運だったよ。そうしてボクたちが抵抗した結果、楼玄は軍を去ることになったんだ。でも、輝月サンが負った心の傷は癒せなかったし、楼玄を知っているせいで軍から引き離すことも難しかった。そして、ドラーグド自体も壊滅的な被害を受けている。唯一救いがあるとすれば、輝月サンを操っていた上層部が全員”いなくなった”ことぐらいかな」
ふわりと相手の口元が弧を描く。あの微笑みのような、それでいて苦痛に歪められたようにも見える顔を、紅葉はしばらく見つめていた。
「ボクは輝月サンのことを今でも尊敬している。力を得ただけですべて解決したと思っていたボクの過ちを、正してくれた人だったから。あのまま楼玄に従っていたら、ボクはありもしない力を得ようとして、一生怯え続けているだけだった。この結末が正しかったのかは分からないけれど、今は当時の選択が最善だったと信じるしかない」
彼が“ズル”をして得た力で、自らの手を汚してきたという事実は消えない。つきまとう劣等感からも逃れることはできなかった。それでも、手にした力を真に振るうべき理由が生まれたのならば、臆している場合ではない。
「以前、キミに聞かれたことがあったね。楼玄が己の間違いを認めたら許すのかと。ボクは今までその宿題の答えをずっと考えていたんだ。でも、あの人の顔を見てやっと分かった――ボクは、やっぱり許せない。輝月サンを傷つけたあの人を見返してやりたくて、ボクは誤った方向に傾いていたドラーグドを立て直そうと尽力してきた。今だって多くの犠牲が出続けているんだ。あの人を許せば、ボクは彼らに顔向けできなくなる。今度こそ彼を討って、竜人たちに対する禍根を絶たなければならない」
スマイリーはこれまで多くの隊員や民の命を背負い続けてきた。同時に上官だったはずの者と立ち向かう苦難も負っていた。しかし、彼は耐え忍び続けたのだ。重圧の壁を突き崩す一点が見つかるまで、ずっと。
誰もが交錯する思惑に翻弄され、最悪の形で幕を閉じたこの《悲劇》を、決して繰り返してはならない。笑顔の仮面に隠された彼の本心が、やっと見えた気がした。
「楼玄は絶対に同じ失敗をしない。《感情》によって以前の計画が頓挫した以上、澪は言葉で説得できる相手ではなくなっているだろう。だから、キミの知っている彼と今の彼は、似て非なる物だと理解してくれ。そして、万が一彼と対峙してしまったら――どんな理由があっても殺すしかない」
彼がわざわざここにまで来て、過去の出来事まで伝えてくれたのだ。今の忠告はきっと自分の身を案じたものだったのだろう。ただ、己にも譲れない信念がある。
「悪いんですけど、簡単に『ハイ』とは言えません。オレは澪に会ったら必ず話をします。たとえ向こうが聞いてくれなくても、答えてくれるまで続けます。何でもいいから、オレはアイツの口から答えがほしいんです。どうしてこんなことをしたのかって」
「キミたちの仲もあるだろうから、一定の理解は示そう。でも、必ずしも目的が果たせるワケじゃない。ボクに言えるのはここまでだ」
「思い出したくないことまで教えてもらって、ありがとうございました。その分、成果で返します」
「……今更になってこんなことを言うなんて、虫が良過ぎるとは思っているけれど。どうか、牙雲少佐と共に生きて帰ってきてくれ」
差し出された手を力強く握り返す。きゅい、と鳴いた細い蔦が袖口から伸びて、一緒に自分の指を握っていた。




