-簒奪者-
「そういえば――水神家には代々の当主にだけ引き継がれている《秘術》があるらしいな。貴殿が水神家にとって掌中の珠だと考えると、嫡子やそれに類する血筋でなければ操れぬ何かがあると見ている。どうだろうか?」
確信めいた響きに冷や汗が背中を伝う。水神家に伝わる《秘術》の話は事実だった。しかし、その存在自体も限られた一部だけに伝わっているものだ。嫡子の自分ですら詳細を聞いたことがない。だが、門外不出の話がどうして楼玄の手に渡ったのだろうか。
「まさか、水神家の者を手にかけたのか」
「貴殿をどう扱うべきかも含め、標的の内情は知っておくべきだからね。だが、安心したまえ。貴殿が考えるような仕打ちはしていないよ」
「……その件は俺でさえ知らない話だ。吐き出させようとしても無駄だぞ」
「ふむ。だとすると、当主に尋ねるしかなさそうだ。仮にその《秘術》とやらの存在が水源の統治に不可欠ならば、貴殿の命と引き換えに、それを得るのも悪くない」
「っ、そんなことが許されるはずないだろ!」
「ああ、確かに先にそんなことを要求したら、当主に自害されてしまうね。これまでは我々が統治した上で、飾りでも水神家の血筋を残しておくのが良いと思っていたのだが。貴殿らの協力がなければ、いずれは枯れ果てる池だ。それなら無駄な犠牲を増やさないよう、既存体制を壊した方が民も諦めがつくだろう」
「――ッ!!」
気付けば思いつく限りの悪態が入り混じる咆哮が喉の奥から漏れ出ていた。家に戻れたとしても、自分に危害が加わったと知った以上、水神家は必ず報復に動く。
そして、楼玄は抵抗勢力になった彼らを迷わず根絶やしにするつもりだろう。武力組織であるドラーグドと正面衝突するよりも、私兵に過ぎない水神家を叩いた方が早いからだ。そうなれば、土地も民も彼らの支配下に置かれてしまう。
所詮、自分たちは彼が目的を果たすための踏み台に過ぎない。その事実が、御し難い憎しみに変わる。
「……絶対に、何があっても、貴様だけは生かしておけないッ!!」
「おや、僕たちが良かれと思って持ち掛けた交渉に応じなかったのは貴殿じゃないか。自分が主導権を握れる特別な存在だと思っているのなら、その認識は改めた方がいい。恨むならば、一時の情に惑わされた己を恨みたまえ」
軍人としても、水神家の当主としても、楼玄は自分という存在自体を“消す”つもりだ。この力の喪失が、己にとっての“死”そのものだと知りながら。
「貴殿の魔力はこの先の“平和”のために利用させてもらう。ただ、郷のために命を賭けさせられていた憐れな貴殿にとっては、これも悪くない選択だろう。水神家が滅べば、民も貴殿に全ての判断を背負わせなくなる。戦に赴く必要もない。そうしたくだらない重責から、我々が解き放ってあげるよ」
仮初の微笑みを浮かべた相手が、注入器に劇薬を満たしていく。あれを打たれたら、完全に理性を奪われる。自分の場合は最も力の乗る魔法が破壊の手段として優先されるだろう。本部で暴走した隊員は誰もが我を忘れていた。あんな存在になるぐらいなら、いっそ――
「っが、ふ……!」
「おっと。助かったよ、澪。こんなところで彼に自害されては興醒めだ」
図ったかのような動きで轡を噛まされた。もう己の尊厳を守ることも許されない。銀針が腕に迫る。どれだけ力を籠めても逃れられないのか。まだらに生えた鱗を抜け、皮膚を刺す微かな痛み。それを上回る衝動が襲ってくる。
「――ぐ、ッ、うぅうッ!」
薬液を流し込まれた左腕が急速に熱を持った。増える心拍数が、煮え滾る血を全身に巡らせる。眩暈がするのに、視界が冴えている。吐き気がするのに、強烈な喉の渇きも覚える。
拘束された四肢には肌を突き破るほどに隆起した鱗が次々と生えていた。塞がりかけていた傷がまた裂ける。流れる血で握り締めた拳が濡れた。無理矢理に目を抉じ開けられた《竜》が、持てる力を表にしようと暴れ出す。
「……は、ぐッ! ふ、っ――ッ!!」
痛みを感じると同時に、内から爆ぜる怒りが思考を呑み込んだ。訓練で感じていた悪い“堕ち方”を強制的に引き起こされている。これを与えたのは目の前にいる男だ。憎しみの情動を募らせた心身が、膨張した魔力を溢れさせる。頭の片隅では分かっているのに、力を抑え込めない。
「がっ……ぉ、ご、」
「憐れなものだ。《覚醒》に耐え得る器でなければ、こんな目に遭わなかったのに。まあ、これまでやってきた被験体の《覚醒》制御と同じ工程だから、そのうち慣れるさ」
装置で覆われたこめかみを軽く押されると、脳を鋭く刺激する破壊衝動で何度も身体が跳ねた。噛み締めた轡が軋んだ音を立てている。視界が濁り、長い耳鳴りの狭間で無数の声が響いていた。
『牙雲様、なぜ我々を守ってくださらなかったのですか……!』
『牙雲少佐、助けてください......! ほら、もう、身体がちぎれて……痛い、苦しい……!』
血塗れの亡霊たちが己を苛み、責め立てる。これまで見てきた最悪の情景が何度も頭で繰り返されていた。そのたびに望まない力が呼応して、表層へ引きずり出されようとしている。飆に殺されかけた時に感じた、制御できない怒りが否応なしに魔力の奔流を呼び寄せた。
「貴殿も知る通り、《覚醒》は心理的負荷を引き金としている。だから、対象が最も大きく心を動かされた記憶と同じ刺激を繰り返し脳に与えることで、精神を徐々に麻痺させ、暴走の要因となる《感情》を人為的に希薄にするんだ。《覚醒》した経験のない者でも、この施術で効率的に制御ができるようになる。成功した場合は身体機能や魔力の高まりを得られ、不意に暴れ出すことはない。これなら不要な闘争心だけを排除して、強大な力を適切に操る個体を一定数は確保できる」
ひどいノイズが脳の奥に走り続けていた。この不快感を表す言葉が見つからない。極彩色の視界。そこに鎮座する翠の双眸が、すっと細められる。
「まあ、中には精神干渉に耐えられずに発狂する者も出てしまうが、試行を続ければ成功率は改善されていくはずだ――どうだい、よく考えられた仕組みだろう?」
これほどたちの悪い拷問を他に受けさせていたのかと思うと、また憎悪の衝動に襲われる。視線だけでも人を殺せるなら、すぐにでもこの存在を殺めたい。竜の咆哮が脳裏に轟いた。衝動に引きずられた理性が細切れになって飛ぶ感覚に、それでも耐えろと言い聞かせる。
『ねえ、牙雲くん……どうしてアタシのこと見捨てたの?』
『テメェは本気で部下を守る気なんて、なかったんだな』
『少佐、なんで……あの時、オレのこと守ってくれるって、言ったじゃないですか……!』
違う、目の前に映る者たちはまだ生きているはずだ。自分が守ってきた命もあったはずだ。裏切ってなどいない。惑わされるな。今は耐えろ。耐えろ、耐えろ、耐えろ――!




