-自我の代償-
「そうか。交渉が決裂したと知ったら、澪も残念がるだろう。貴殿を通じて水神家を懐柔するように言ってきたのは彼だったからね」
「……澪が? どうして、」
「彼に聞けば話してくれるかもしれないよ」
楼玄が鎖を引く。連れて行かれた扉の先には、独房に似た殺風景な白い部屋があった。だが、自分がいた場所よりもずっと広い。壁際には金属製の椅子が等間隔に並んで置かれている。合板を打ち付けた武骨な見た目は、白一色の中で異質な存在にも見えた。天井から垂れ下がる管や配線は何かの装置だろうか。深い階層に置かれていたそれらが、表に出せない用途だというのは容易に想定できた。
「澪、待たせたね」
中央に佇む黒衣がこちらを振り返る。素顔を押し隠す白磁の面からは表情を伺えなかった。
「彼との交渉結果により、計画の変更を確定した。先に伝えた手筈で進める」
「……承知しました」
わずかな間を空けて、澪が顔を上げた。白い面がこちらへ近づいてきたと思った瞬間。
「あ、ぐ……ッ!?」
浅葱色の腕がもろに懐へ入った。抵抗の術もなく硬い場所へ背中を叩きつけられる。ようやく状況を理解した時には、角ばった座面に身体を押し付けられていた。
「僕は水神家の使者と会うために席を外す。それと、彼は軍人でいることを選んだ。もし暴れるようであれば立場を理解させろ」
冷めた号令が飛ぶ。投げ捨てられた鎖を澪が靴先で留めた。膝で押さえ込まれ、脱力した四肢に枷が嵌められた。楼玄の姿が室内から消える。濁った咳を溢していると、澪に髪を掴まれた。
「これから水神家の使者へ我々の要求を伝えます。軍との関係を絶った上で水源地を明け渡さなければ、一週間後にあなたを見せしめに処刑し、水源を実効支配するというものです」
「っ、ここまでされているのに、思ったよりも長く首がつながっているものだな」
「落ち着いていますね。あなたが死んだら、水神家は挙兵するつもりだと聞いていますが」
「楼玄は、やはり我々を根絶やしにするつもりか」
「そうと分かっていながら、なぜ降伏しないのですか。あなたが軍から手を切りさえすれば、事を荒立てずに済んだはずです」
「それで家に戻れたとしても、俺は別の檻に入るしかない。閉じ込めるのがお前たちか、身内かというだけだ」
「将校が辱めを受ければ、軍の求心力にも関わります。水神家の者の前ならより悲惨です。わざわざ無様な姿を晒す必要はありません」
「どうしてそこまで俺を軍から追い出そうとする」
「ここで死なれるのだけは不本意だからです。別にあなたのためではない」
「まるで子供のような言いぐさだな」
「どういう意味ですか」
「以前、お前は自分の価値観を押し付けるなと言った。だが、お前こそ己の考えを押し付けているのに気付いていないのか? 俺は命が惜しいわけではない。己が守るべき信念を選択しただけだ」
「分かっていないのはあなたの方です。最悪、あなたは死ぬだけでいい。でも、残された者はどうしろと? あなたほど影響力のある存在を失えば、永遠に苦しむ者がどれだけいると思っているのですか」
「心にもなく俺を案じるような真似をするぐらいなら、上の命令に従っておけ。お前の立場が悪くなるぞ」
「あの人から何を聞いたのですか」
生憎、気の利いた嘘は苦手だ。澪の声色が露骨に曇ったのを聞きながら、牙雲は先を続ける。
「お前が《心》を失いつつあるという話だ。そうまでして力が必要だったのか?」
「当時はその選択しかできなかったのだと言ったでしょう。慕っていた姉がいなくなった時、おれは確かにこう思いました。喪失がこれほど苦しいならば、いっそ《心》などなくなってしまえばいいと」
「だが、今はその選択を悔やんでいる」
「……たとえそうだとしても、世界の見え方が変わったら、あなただって以前と同じ価値観で戦い続けられないでしょう」
肩を押さえつける手に力が入る。衝動を抑え込む低い呻りが漏れていた。元々魔力を持たず、《覚醒》に満たない器へ、楼玄は無理矢理に力を埋め込んでいる。未熟な彼が精神の振れを受けながら力を使えば、感情の喪失を早めるだけでしかない。
「あなたにはまだ守るものがあるから、そうして己を保てる。でも、それを失った時に残るのは虚ろばかりです。あなたも耐えかねて、おれと同じ選択をするかもしれない。残る選択肢は――口にせずともそのうち分かります」
澪が身体を離した。括りつけられたそこでしばらく身じろいでいると、楼玄が戻ってくる。
「拘束を終えました。おれはこれで、」
「待ちなさい。お前も装置の動かし方を見て覚えるんだ。計画が進めば、装置を稼働させるのも僕の手だけでは間に合わなくなる。だが、下級兵に任せられるものではないからね」
「……はい」
彼を引き留めた楼玄が、天井から吊り下がる線を引く。その先につながる装置が自分の側頭部に押し付けられた。
「っ、何をするつもりだ」
「貴殿には我々を妨害する一切の力を手放してもらう。だが、この段階では命までは取らない。五体満足も保証しよう。まだ表では交渉中ゆえ、人質としての価値は保たせなければ」
ぶわりと浮かんだ頬の鱗を楼玄の爪が撫ぜる。彼が最も避けたかったのは、徒に時間をかけられることだ。自分が要求を呑めばそれで良い。否ならば、水神家の使者に無事を確認させた後で、実力行使に持ち込むつもりだったのだろう。
「もう魔力減衰器は不要だね」
ばちん、と音を立てて、重石になっていた首輪の留め具が外される。抑え込まれていた魔力が体内を駆け巡る感覚が戻ってきた。攻撃として出力できる形にもなっている。牙雲は反射的に水槍を放とうとした。清廉な青い光が肌の上を走る――ただ、それだけだった。
「それで終わりかい? 出し惜しみせずとも、どうせ全て吐き出すことになるが」
狼狽には乾いた嘲笑が返された。どれだけ魔力を操ろうとしても、攻撃どころか空気中の水分を掻き集めることさえできない。ただ、魔法を発動させるたびに自分の付近から低い稼働音がしていた。
「この椅子が魔力を吸収しているのか」
「ふふ、それだけじゃない。この装置の真価は魔力を生むための《核》まで吸い上げられることだ」
虫の羽音のような音で思い当たるのは、ウェスカーが使っていた砲台の動力装置だ。この椅子は魔力を蓄積したり、変換させる仕組みを持った物らしい。ただ、耳慣れない言葉に硬直していると、楼玄が笑みを崩さずに告げる。
「そもそも、魔法を使えるかどうかはこの《核》を保有しているかどうかで決まる。人族によって確率の差異はあるが、何らかの理由で、魔力の源となる《核》が生成されないことがあるんだ。ただ、この装置を用いることで《核》の収集と移植が可能になった。僕が過去のドラーグドから任された《研究》は、この装置の開発から始まったようなものだからね。本来なら魔力を扱えない個体を《強化体》として改良し、魔法を扱えるようにして戦力強化を図っていたんだ。まあ、実際の運用では常に“供給源”に窮しているのだが……ここまで優秀な被験体が手に入るのも珍しい。貴重なサンプルになりそうだ」
まるで罪の意識なく言ってのける相手を見て、スマイリーから聞かされた情報の一端がやっとつながった。これは正義の名を借りた邪悪な人体実験だ。過去のドラーグドでは、捕虜や罪を犯した兵からその《核》ごと力を抜き去り、別の個体に割り当てていたのだろう。
だが、その事実は今の軍にとっての大きな汚点だ。だからこそ、スマイリーは苦肉の策として、味方を不用意に楼玄と接触させないように情報をひた隠しにしてきた。
「ただ、《核》は生成された魔力を完全に吸い尽くさないと出てこない厄介な代物だ。つまり、貴殿のように潤沢な魔力を持つ者から得るには時間がかかるという難点がある。でも、澪の話では若い竜人ながら《覚醒》の経験があるそうじゃないか? 定期的に《覚醒》を誘発する薬を打てば、力の放出を促進できるから、短時間で魔力を集められそうだ。少々苦痛は伴うだろうが、死なない程度にはしておくよ」
「この外道めッ」
「おや、誰も『無傷で帰してやる』とは言っていないだろう。我々が敵の将校を傷めつけもせずにいる腰抜けだと勘違いされても困る」
薬液の入ったアンプルの封が切られ、さっと血の気が引いていくのを感じた。本部で隊員たちを暴走させた劇薬は、魔力の収集を効率化する目的でも利用されているらしい。
「先に忠告しておくが、下手に装置を破壊すれば中の魔力は消失する。正規の方法で力を返して欲しければ、我々に従う他はない」
ぎり、と奥歯が軋む。示された札を払い退けた時点で、自分は単なる捕虜の一人に成り下がった。肉体を傷つけられ、魔力まで奪われれば、戦場に戻ることはほぼ不可能だ。だが、悪い話はそこで終わらなかった。
あけましておめでとうございます。
おめでたいテンションでUPするにはいくらか暗い話だったので、もじもじしながら誤脱修正していたら、既に三ヶ日が明けていました。
今年も頑張って更新しますので、引き続きよろしくお願いします。
(2026/1/4時点)




