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「大神官が、この王城へ足を踏み入れるのは、何百年ぶりか――」
王が疲れたように言うと、大神官さまはコクリと頷くだけで一切口を開くことは無かった。
今、僕らは随分と落ち着きを取り戻した王城の、王の私室に足を踏み入れている。
まだ、完全じゃない体で、ベッドから出るには力が足りないらしい王は、それでも僕らとの対話を受け入れてくれた。
そんな王と、この城の状態を補うように、神殿騎士とアロウ、そしてブレアン達が奮闘している。
僕らは、そんな彼らを知りながらも、手伝いらしい手伝いは出来なかった。
もちろん、その気持ちがないわけじゃないのだけれど、僕には僕の使命がある。
それを知ってる彼らは、決して僕に仕事をさせてはくれなかったのだ。
『お前の為にも、何かしらの手掛かりも探さなくちゃいけないからな――その辺は、ヤズが手伝ってくれるってことだから』と言うアロウは、今、王の代わりに政務の勉強と王城の建て直しの真っ最中。
けれど、合間合間で僕の手伝いもしてくれているところだ。
キリク達の処分は、今のところ、王がこの状態なので保留中。
だけれど、今までやってきた事がやってきた事だけに、簡単には開放されることはないだろうとのこと。
また、後宮の方のこともまた同じく――で、同じ大陸ではあるものの、他の国から嫁いできた王族や貴族もいるため、そう易々とは答えが出せないらしい。
今はまだ、女性の警備隊がいるため、またその人達に掛かっていた術が解けたため、どうにか持ち堪えているという感じらしい。
「いつの時代に、大神官が王城から締め出されたのかは、王城の奥にある今は誰も使っていない書庫に何かしらの手掛かりがあると思うが――その他の事は私も知らぬ……」
疲れた顔をしながらも、そう教えてくれた王は、その書庫の鍵を僕らに貸してくれた。
自由に使うと良いと、付け足した王の言葉により、僕らはその書庫へと向かった。
セイは、ファースの事を心配していたけれど、彼女の心が癒えれば勝手に籠が開くということから、今は自分の村に戻ってしまっている。
なので、この仕事は僕と大神官さまとテオ神官さま、そしてガルドでやることになったわけだけれど……これが、凄く大変な作業だと知ったのは、その鍵を使い書庫を開けた時だった。
何しろ、その中にある書物ときたら、僕らにも判別のつかないような並べ方をされているし、いつの時代のものなのかも判別不能。
あまりにも膨大な量に、僕らは閉口してしまう程だ。
けれど、ありがたいことに、使えるヤズと他にも城で働いていた文官達が手伝ってくれると申し出てくれたので、随分と気が楽になった。
だって、これだけの量を一人で見ることなんて、まず無理。
何日掛かるか判ったものじゃない――というよりも、何年掛かるか判らない…。
けれど、ある程度の人数で、それぞれ分担して探せば、どうにかなるはずだ。
まずは、古い物を探し出す事から始めた僕らは、それでも数日の時間を費やしてそれらを探す事になった。
五日後、僕らは漸く求めていた書物を探し出す事が出来た。
けれど、そこに書かれていたのは凄く簡潔なもので、僕らの欲しているものとは程遠いものだった。
「これは――」
「書いてないのと同じですね」
大神官さまが大きな溜め息を吐いたのに対し、僕はそう答えるのが精一杯だった。
皆が皆、がっくりと肩を落とす結果に終わったそれは、ただ『神殿に城を支配されるつもりはない』としか記述されていなかったのだ。
一体、どういう意味なのかすら判らないそれに、大神官さまも頭を抱えていた。
彼の住まう大神殿にも残っていないという、その時代に起こった事件は、一体どういうものだったのだろうか。
その頃の大神官さまが残したという書物にすら、それは書き記されていないらしい。
そちらでも、『王には失望した』みたいな事が書かれていただけという。
「何かさ〜、こういうのって、隠し部屋とかにあったりするんじゃねぇの?」
というガルドの言葉に、けれど僕らは頷く事が出来なかった。
だって、この部屋には隠し扉もなければ、隠すような場所もなかったのだ。
仕方なく、他のところから何かしらの手掛かりを探そうということになり、僕らはその前の時代まで遡ることにした。
そうして、数時間掛けて見つけたものは――。
「これが――もしかしたら、手掛かりになるかも知れませんね」
という大神官さまのお言葉だった。
その書物――というか、その時代の王が記したものの中にあったのは、竜との契約。
今では行われなくなったという儀式を記したそれには、大神殿でもおよそ知られていない事が書き記されているという。
何しろ、それは――大神殿で行われる儀式とは別のものだったのだ。
大神殿で行われる儀式は、竜とその王の顔合わせに過ぎなかったらしい。
竜の契約は、本来、大神殿で執り行われるものなのだけれど、この城にも竜に関する部屋があるということは、大神殿でも記されているけれど、何に使うのかは王と竜にしか判らないものだった。
それが――ここには詳細に書かれていたのだ。
簡潔に説明すれば、竜と王の間で交わされる契約は、血の契約という。
そちらの契約は大神殿にて執り行われる。
もう一つの契約は、竜と王の意思を疎通させるもの。
こちらは、血の契約とは別に王が自ら竜に血を差し出すのだと書かれていた。
と言っても、王が血を流すわけではない。
血の契約で使う、竜の血で作られた玉から一部を取り出し、それを王の耳に嵌めるというもの。
それには、竜と王の心が一つにならねばならないという。
それまでは、竜との対話が不完全にしか出来ず、けれど、その契約を完了させる事により、竜と初めて対話が出来るようになるのだと記されていた。
けれど、ここで疑問だ。
何故、それをしてきただろう王が、いつからしなくなったのか――と言うこと。
どうして、そうされなかったのか――。
その秘密を解く鍵が、もしかしたらココに書き記されているかも知れないと、僕らは必死になって読み耽った。
それこそ、隅から隅まで――隈なくだ。
けれど――どうしても、判らない。
「何故なのでしょう――」
「――王と、竜の間で何か問題が起きた――ということでしょうか?」
大神官さまと僕は、二人で頭を付き合わせるように書物を覗き込みながら頭を悩ませる。
その中にあるのは、竜が次代の王と決めるとあること、そして竜との契約のことくらいなのだ。
この中に、なにかヒントでもあれば良いのだけれど――と、必死に読み漁りはしたものの、僕にはそれらしい答えが見つからなかった。
そんな時、ふと浮かんだ疑問。
竜が王を決める――というところだ。
何故、王が次代の王を決めるのではなく、竜が決めるのだろう。
そこに、何か隠されたものがあるのじゃないだろうか?
僕は、不安に思いながらもそれを口にすると、今度は歴代の王たちを調べる必要が出てきた。
そして――それは、意外な所から、しかもガルドが見つけてきた日記によって、僕らに真実を知らせてくれたのだった。
『私は、何故、王にならなくてはいけなかったのか、今も判らない。
私の兄は、才覚もあり、王としての資質も備わっている。
だというのに、私が王に任命された。
それなのに――私は、竜から拒まれてしまったらしい。
血の契約は交わされた。
けれど、本来の契約が行われていない。
前王は、私が戴冠式を迎える前に、病でこの世を去っている。
そのせいで、何故なのかを教えてもらうことすら出来ない。
竜は、私を選んだから王にしてくれたのではないのだろうか?
何故、竜は、未だ私を認めてはくれないのだろうか?
私は――王になるべく、今まで学んできた。
それなのに――竜は、私を拒み続けている。
竜の間に、何度足を運んだ事だろう。
それなのに、一度として竜が私の前に姿を現した事はない。
大神官に問い質せば、私の努力が足りぬと言う。
一体、どうすれば良いのだろうか?
どれだけ努力をすれば良いのか――。
民の為、城の為、歴代の王達の為
私は、ずっと努力を続けているのだ。
どこか悪いというのか?』
そうして、綴られた日記の最後には、『もう竜も神官達も信じない』と、殴り書きのように記されていた。
僕は――これこそが、この城の、竜と王が契約を交わすことが出来なくなった秘密の鍵なのだと、そう知った。
何が理由で、竜は王との本来交わす筈だった契約をしなかったのか、そこに問題があるのだろう。
「大神官さま」
「ええ――これが鍵なのでしょうね――歴代の王の名を記したものも見つかりましたが、そこには何も変わった事は記されていませんでした」
大神官さまの言葉に、その場に居た皆が頷いて返事をする。
「ガルドが、この日記を見つけてきた場所にも――何か秘密があるのか?と見てみましたが、他には何もありませんでした」
「うん、無かったなぁー。他の王とかがつけていた日記もあるか調べたけど、ねぇもんなあ」
「そのようですね……王の日記――本来ならば、皆、どこかに置いてあるはずなのでしょうけれど、それすらも見当たらないというのは……」
「それらは、他の場所に置かれている?」
「と思わざるを得ないでしょうね――けれど、今の王もそれを知ってるとは……」
「あの……」
「ヤズ、何か知ってらっしゃるのですか?」
思わぬところからヤズに声を掛けられて、皆がそちらに注目した。
すると、少し躊躇いながらも彼は口を開いた。
「表向きの日記でしたら、我らでも見られる場所にあります――ですが、心情などを書かれているものは……王が変わったと同時に焼かれています――」
そう、小さな声で告げたヤズは、まるで自分こそが悪い事をしているかのように体を丸めて僕らから視線を逸らした。
「焼く――全て、ですか?」
「多分――全てだと思われます。けれど、王になった人が、それを取り置きたいと望めば、残しておくこともあるらしいのですけれど、王が亡くなられると同時に――その手のものは、全て焼かれると聞きました」
ヤズの言葉に、皆が愕然としていたと思う。
だって――歴代の王の記したものを、どうして焼き捨てるというのだろうか?
信じられない気持ちの方が大きくて、持っていた日記を凝視してしまった。
「これは――そうされない為に、隠されていた――ということでしょうか?」
僕は、気付けばそう呟いていた。
それにガルドが唸りながらも声を掛けてくる。
「何か――手掛かりにするために――か?ありえねぇよな…そんなの……それとも、怨念が篭ってるとか……も、ねぇな」
僕らは、ジッと手許にある本を見つめ、そして大きく溜め息を吐くしかなかった。




