51
結局のところ、ガルドの言った事は、その場に居た皆の中に疑問を増やしただけのような気がしたけれど、一度植え付けられたそれは疑惑へと変わっていった。
いや、ガルドを疑っているのではなく、その占術師を、だ。
「でも、もしも――そのせいで王様の性格や性質を変えたり出来るものなの?」
「判んねぇ……俺達半妖や妖魔は、精霊と仲が悪いんだよ…だから、あんまり付き合いはないらしいし……ついでに、俺なんか会ったこともないしな…」
苦笑しながら言うガルドに、僕は呆れてしまうしかなかった。
けれど、大神官さまは違ったようで――。
「確かに――陛下の態度は、昔と比べて随分と変わってしまわれた。私は彼の弟として随分と可愛がってもらっていたし、正妃との関係もよく見ていた――それが、急に態度が変わったのだ」
宰相さまもまた、ガルドの突拍子もない話に何か感じるものがあったみたいだ。
ただ、僕だけは今も信じられなくて……。
「私も子供の頃に聞いた事があります――精霊の力と妖魔の力。随分と違うものだと、そう思ったことがあります――けれど、それを考えれば少しだけ納得してしまえる部分もある――あの今の王城を取り巻く空気は、決して人間の力では有り得ないものだと――」
そう言い切った大神官さまに、ガルドが大きく頷き、そしてまた宰相さまですら同じようだった。
「取り合えず、調べてみる必要がありそうだ」
「そう、ですね――ですが、私達では王城へ行く事が出来ません――」
「それなら、俺が行く!」
「へ?!」
あまりにも、みっともないくらいに間抜けな顔をしてたと思う。
だけど、それは皆一緒で――。
だって――ガルドのその言葉は、予想すら出来なかったものなのだから。
「俺一人なら、自分を隠す事も出来る――それなら、誰にも見られないで、そいつのとこまで行けるだろう?」
「って、ガルド!それって、長い時間は無理だって言ってたじゃないか!」
「だけど、他に出来るヤツが居ないじゃないか」
途端に僕は口を塞ぐしかなかった。
確かに――宰相さまですら、後宮には近づけないとなれば、他に手はないのだけれど……。
「ガルド――それは、たぶん無理ですよ」
その沈黙を破ったのは、テオ神官さまだった。
「私が知る限り――妖魔と精霊は元が同じ――ということは、確かに、その力を使う事が出来れば王城へは入ることが出来るでしょうけれど、貴方が後宮へ入り込めば、相手に気付かれてしまう事でしょう」
テオ神官さまの言葉に、ガルドが小さく呻き、そして項垂れた。
「いい考えだと思ったのに――」
「いや、気持ちだけは貰っておこう、ガルド。君は勇敢な男だ」
そう言いながら、宰相さまがガルドの肩を叩く。
僕は――僕だけは、ホッと胸を撫で下ろしていた。
だって――そんな危険な事をガルドにさせたくは無い。何よりも、彼を傷つけたくないのだ。
勝手な言い分だけれど、王族がどうなっても僕には痛くも痒くもないけれど、ガルドが傷つく事はとても辛くて悲しくて…嫌だと思えるものなのだ。
とは言っても、このままで良いとも思ってはいないけれど――。
「とにかく、この話はまたゆっくりすることにしよう。それまでに私は王城で色々と調べてみる――それで良いだろうか?」
宰相の言葉に、僕達は小さく頷き了承した。
けれど、ガルドだけは、やっぱり悔しいみたいで――最後まで頷くことはなかった。
何とも言いようのない一夜が明けて、僕は少し戸惑っていた。
ガルドは、どうやら後宮へ忍び込むという事だけは諦めてくれたみたいなのだけれど、僕が王城へ行く時には絶対に付いて行くと豪語した。
まあ、それは良いと思う。
それよりも――今日、僕が行く事になっている聖域の事だ。
あの時には、丁度良いキッカケがあったから話題にもしたし、聖域の話を聞いて小さな希望すら感じていた。
だけど、今更だけれど、急に足を踏み入れることが怖くて仕方ない。
実のところ、僕には覚悟なんか一つも出来てないのだ。
「ガルドは、ご一緒することが出来ませんから、部屋でお待ち下さい」
「えええ!?駄目なのか!?」
「残念ですが……」
テオ神官の言葉にガルドが文句を言いながら口を尖らせているのを見ても、今は心が落ち着かない。
いつもなら『まったく、子供みたいだな』って思いながらも、笑う事が出来るのに、今はそれどころじゃないのだ。
色んな事が頭に浮かんでは消え、消えては浮かぶの繰り返し。
動悸が激しくなり、時には頭痛までしてくるのに、恐怖と期待が入り混じった感情が出てくる度に心臓が激しく音を立てるのだ。
「では、大神官さまがお待ちですので、参りましょう」
とテオが声を掛けてきた途端、僕の思考はここで途切れてしまった。
大神官さまの所へ行くと、既に彼は準備が出来ていると言いながら、神殿奥深くへと足を進めていく。
前には大神官さまが、後ろにはテオ神官さまが、僕はその二人の間に挟まれる形で歩いていた。
聖域とは地下にあるらしく、大神官さまの部屋の隣りにあった大きな扉を潜り階段を下っていく。
一人一人に手渡されたランプの明かりだけが頼りで、足元が覚束ないものの、それでも広めに作られた道と階段のお陰で、転ぶ事はなさそうだ。
階段を降り切ると、少し開けた場所に出て、その突き当りには先ほどの扉よりも一回りは大きいだろう扉があった。
扉の左右には、広間にあった竜の石像と同じものが二つ――まるで、扉を守るかのように置かれている。
その石像に大神官様が近づくと、胸元からマッチのようなものを取り出し、火を点ける。
そして、その火を石像の目に翳すと、反対の石像にも同じようにした。
すると――その石像がまるで生きている竜の目のように、煌々と光りだす。
「では――参りましょう」
大神官さまの声が、広間に広がり反響している。
僕は、小さく頷き、そして彼の後を歩き出した。
扉は、彼が押すだけで難なく開いき、その扉の重厚さが信じられなく感じられる――というか、本当にそこに扉があるのか?と聞きたくなるくらい簡単に開いたのだ。
実のところ、ちゃんと見ていたわけじゃないけれど、どうやら術が施されていたようで、先ほどの石像に火を灯す時にも、解除の術を唱えていたみたい。
そして、中へ入った途端、目に飛び込んできたのは、大きな、大きな広間。
左右の壁には何か細工でもしてあるのか、僕達が足を踏み入れると松明に火が灯り始め、辺りを明るく照らし始めた。
ゆっくりと広がっていく視界に、僕は圧倒されっぱなしだった。
扉を抜けて、数十歩ほど歩いた辺りには祭壇のようなものが置かれており、その先には大きな空間が広がる。
その先、突き当りには光り輝く蒼い水晶のようなものがあった。
大きな広間は、天井が凄く高い位置にあり、その天井には何か呪文のような文字が描かれている。
部屋は――何ていうか、蒼光りしているかのような白い部屋で、壁には文様のような複雑且つ神聖な模様が描かれており、光の加減で時折光って見えた。
そして、中央の大きな広間の真中には、まるで昔の世界で見たことがあるような魔方陣。
と言っても、残念ながら文字が書かれているわけでも、絵が描かれている訳でもない。
ただ――円の中には複雑な形がいくつも重なって描かれている――という感じ。
でも、それだけでも充分に魔方陣に見える。否――もし、僕と同じ世界の人が見たら、十中八九、魔方陣だと答える事だろう。
「今から竜を呼ぶ為の儀式をします――と言っても、古の言葉を唱えるだけですけれど――その間、こちらの祭壇付近でお待ち下さい」
大神官さまに優しく誘われ、僕はその場に足を進めた。
けれど、ここにきて、また恐怖が沸き起こってくる。
竜に会うのが怖いというのではない。
ただ――真実を聞くのが怖いのだ。
「心を静めて……」
後ろからテオ神官さまが、優しげに囁いてくれる。
なのに、僕は呆れるくらい弱腰になっているらしい。
「大丈夫――私達が共に居ります――貴方の心の中には、仲間も居てくれますよ」
そう言われた瞬間、僕の胸の辺りが温かくなった気がした。
単なる気のせいと言われればそれまでのこと。けれど、間違えなく、僕の胸の辺りがポワッと温もりを感じたのだ。
自分でも信じられない気持ちがあった。
それでも、何故だろう――彼の言葉が心の中に入り込んできて、ふわりと浮かんだ、いくつもの顔。
僕は、ゆっくりと息を吐き出しながら、目を瞑った。
母とガルド、そしてローデンの村の人達に、セイの村の人達、そして王女にエイル――最後には、ヴェスリー神官さま。
そして、また感じる胸の温もり。
嗚呼、そうだよね――。
僕は一人ぼっちじゃないから、だから大丈夫。
もし、自分の真実を聞いたところで、僕が変わる訳じゃない。
そう思ったら、何だかとても楽になってきて――。
テオ神官に向かい笑顔を見せれば、彼もまた僕に笑顔をくれた。




