52
大神官さまが、何か口元で囁くように呪文を唱え始めると、僕はジッと広間中央に視線を送っていた。
蒼く光る床や壁は、僕の心を冷静にしていくように思える。
大神官さまの声が、まるで歌を奏でるかのようにさえ聞えてきて、僕はうっとりとしていたと思う。
時折り光り輝く壁の文様が、その聖域の神秘さを助長させているように見え、また大神官さまの低く囁くような声もそれに拍車をかけているようだ。
そして、段々と大神官さまの声が小さくなっていき、やがて消えてなくなると、辺り一面に静けさが戻ってきた。
けれども―――。
「やはり――竜は深い眠りにあるのか――」
大神官さまの嘆くような声が、その広間に広がり消え去る。
「駄目―だったのですか?」
「残念ながら――私の力不足なのか――」
「……そんな……」
僕とテオ神官さまは、大神官さまの顔が深い悲しみを刻んでいることに気付き、何も口にすることが出来なかった。
だけど――僕の中に、一つだけポツンと浮かび上がってきた言葉。
それは、まるで予期しないままに出てきた言葉で、何故、そんな言葉が浮かんできたのかが判らない程だった。
「裏切り――――」
「え??」
「何ですか?」
大神官さまとテオ神官さまの声が重なって聞えてきた。
その瞬間、僕は自分の言った言葉に目を見開き、自分自身で驚く。
それを見た二人もまた、僕の様子が可笑しいことに気付いてくれたのだろう、慌てて体を支えるように手を出してくれる。
と同時に――僕は意識を手放したのだった。
真っ白な部屋――というよりも、真っ白な空間。
そこに僕は、ただ一人で小さく座っている。
何も、なーーんにもない空間。
感じるのは空虚。
悲しみもなく、苦しみもない。
負の感情も正の感情も湧く事のない。
ただ、そこにあるのは虚しいというものだけ。
誰かが言う。
『私は何の為に存在していたのだろうか。
私は何の為に存在しているのだろうか。
私は何故ここに存在せねばならないのか』
その言葉が、あまりにも自分と同じ物だったからか――凄く悲しく感じるのに――涙も出てくる様子はないほどに空しかった。
自分は何故ここに来てしまったんだろう。
自分は何故ここに居るんだろう。
自分は何故ここにいなくてはいけないんだろう。
考えても答えが出ることはないと知りながらも、何時だって問い掛けてきた。
誰でもいいから、僕に本当のことを教えて――。
僕がここに存在してしまった理由を―――――。
「アンジー!?目が覚めたか!?」
唐突に意識が浮上する――というのは、こういう感覚だろうか。
パッと開いた目の中に、痛いほどの光を感じて数度瞬きを繰り返した。
「おい、大丈夫か?!」
耳元ではガルドが声を掛けてきてくれてるのが判るけれど、喉が張り付いていて声を出す事は叶わなかった。
だけど、視線が合うと安心したのか、顔を歪めて笑顔を作ろうとしてるのだろうことが窺える。
水――と、乾いた声で言えば、ガルドはベッド脇のチェストから水差しを突き出してきた。
って――まさか、そのまま飲めって言わないよな?と、つい苦笑して体を起こせば、ガルドはホッとしたように起き上がる手助けをしてくれる。
「あ、コップ、さっき割っちまった…んだよな…そう言えば」
どうやら、本気で水差しのまま水を飲む事になりそうだと苦笑いをすれば、ガルドが必死に何やら言い訳をしていた。
その時になって、自分が部屋に連れ帰られている事に気付く――。
何時の間に、戻ってきたのだろう。
というか、僕はどうしてベッドで寝てるんだ?
少しの間、僕は記憶を遡りながら、何が起きたのかを思い出そうとした。
そして蘇る記憶の断片に、凄く胸が痛く感じる。
「アンジー?大丈夫か??」
水差しを必死に僕へ突き出すガルドは、けれど凄く心配してくれているらしい。
大丈夫――と口にしたくても、乾いた喉が痛みを発する。
仕方ない――と、僕は諦めたように、水差しを受け取り水を口にいれた。
そして――。
「お前、いきなり大神官に抱えられて戻ってくるから――すっげぇ、心配したんだぞ?」
「ごめん――けど、何があったのか、僕にも判らなくて……」
そう返事するのが精一杯だった。
「うん――大神官とテオ神官が言ってた。突然、倒れたんだって」
「そう……」
「何か、あったんじゃねぇのか?」
「ううん――何も…」
そう、何もなかったのだ。
竜にも会えず、何も起こる事もなく――それなのに……どうして僕は倒れてしまったんだろうか?
ただ、覚えているのは、自分の考えていない言葉が、勝手に浮かび上がって――その後は…真っ白になってて……。
嗚呼、それは夢の中かな?
とにかく、僕は自分で何が起きたのか把握できてないらしい。
「竜にも――会えなかったのか?」
「うん、会えなかったよ――何にも――本当に、何も起こらなかったし…何にもなかったんだ……」
本当に何も――そう、なーーんにも無かった。
あの夢の中には、真っ白な空間だけ。
あまりにも悲しいくらいの白さに、けれどあったのは空虚。
虚しくて、空しくて――辛いとすら感じなかった。
「どうした?」
「え?」
「辛そうな顔をしてる――」
「ガルド?」
「お前の、その顔――あの時と一緒だ……」
「え?」
「デニアの神殿の――あの時と一緒……」
ガルドはそう言い切った後、まるで今にも泣きそうに顔を歪めた。
「なあ、何かあったんだったら言ってくれよ?俺、なんも出来ないかもだけど……出来るようにするから……」
そんな顔、見たくないんだ…と辛そうに言うガルドに、僕は『大丈夫。何もないよ』としか返事が出来なかった。
けれど――それはまた、どこか違う意味も含んでいて――。
なのに、今はその夢の話もする気力はなかったのだけれど……。
「後で、もう少ししたら、話すよ――でも、本当に何もなかったんだ……」
「本当だからな?絶対に、俺にだけは言ってくれよ?」
判ったよ、と返事をすれば、どうにか落ち着いたのか、ガルドは『食い物を取ってくる』と部屋から出て行った。
それを見送りながら、僕は夢に出てきた白い空間の事を思い出していた。
一体、あれは何だったんだろう……と―――。




