第7話 信秀の査定(2)
三日後、と言われた。
だが、三日間何もせずに待つほど、俺は暇ではない。
白塩を作ると、麻布の下に苦みを含んだ液が落ちる。
「捨てるな。小壺に取っておけ」
お鈴は一度だけ眉をひそめたが、すぐに小壺を用意した。
前回の白塩を見ている。
俺が台所で妙なことを言う時、完全な戯れではないことを、もう知っている。
「豆腐に使う」
その一言で、お鈴の手が止まった。
「……京の寺で出るという、あの豆腐でございますか」
「そうだ。明日、大豆を水に浸けておけ」
「今すぐでは?」
「豆が硬い。急げば失敗する」
お鈴は小壺を見て、小さく頷いた。
「承知しました」
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翌朝。
水を吸った大豆は、昨日よりふっくらと膨らんでいた。
「潰せ」
「はい」
大豆を煮て、潰す。
それを麻布で漉すと、白い汁が取れる。
豆乳だ。
お鈴は鍋の中を覗き込んだ。
「これを固めるのですね」
「そうだ」
俺は小壺に取っておいた、苦みを含んだ液をほんの少し加えた。
最初は何も起きない。
犬千代が首をかしげた。
「固まりませぬな」
「待て」
しばらくして、白い汁の表面が揺れた。
ふるり、と形が変わる。
水のようだったものが、柔らかい白い塊へ変わっていく。
お鈴の目が変わった。
「……固まった」
「豆腐だ」
お鈴は箸の先で少しすくい、口に運んだ。
何も言わなかった。
もう一度、ほんの少し白塩を添えて口に運ぶ。
そこで、初めて小さく息を吐いた。
「これは、膳に出せます」
「親父にか」
「はい」
「任せる」
お鈴は頷いた。
白塩だけではない。
にがりも使える。
捨てるものから、さらに一品が生まれる。
(これを見せれば、信秀の目は変わる)
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一方で、信秀もただ待っていたわけではない。
吉法師が市場で何をしたか。
台所で何を持ち込んだか。
庄内川で何をしていたか。
小姓と近習に探らせれば、話はすぐに集まった。
「市場では、魚、米、油、塩を見て回っていたそうにございます」
「買ったものは」
「湿った塩を少し。銭三文にて」
信秀は何も言わなかった。
「庄内川では、石を積んでおられたとか」
「石を」
「はい。翌朝、その石の囲いに魚が残っていたそうにございます」
「魚が残る?」
「潮の満ち引きを使ったように見えた、と供の者が申しております」
信秀の眉が、わずかに動いた。
「続けろ」
「捕れた魚の一部は、屋敷の台所へ。小魚は農の子らに与えたそうにございます」
「農の子らに」
「はい」
信秀はしばらく黙った。
魚を取ったこと自体は、大した話ではない。
だが、六つの子が、市場を見て、潮を読み、魚を取り、子供に配る。
しかも、その魚を台所に入れ、台所の者を巻き込んで、塩を変えた。
ただの戯れではない。
信秀は灯りを見た。
「あやつは、何を作ろうとしている」
誰も答えられなかった。
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三日目の夕餉に、見慣れぬ白いものが出た。
焼き魚の横に、小さな器が置かれている。
白い塊に、細く切った薬味が添えられていた。
信秀は箸を止めた。
「これは何だ」
控えていたお鈴が頭を下げた。
「豆を固めたものにございます」
「豆を」
「はい」
信秀は一口食べた。
柔らかい。
淡い。
だが、白塩を少し添えると、豆の甘みが立った。
白塩が、魚だけでなく豆にも合う。
それだけではない。
あの塩を作る時に出る、苦みを含んだ液。
普通なら捨てるもの。
それが、この白い食べ物を作っている。
信秀は器を見た。
「これも、吉法師か」
お鈴は頭を下げたまま、何も言わなかった。
信秀は小さく笑った。
「下がれ」
お鈴は深く頭を下げた。
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その夜、俺は再び奥の間に呼ばれた。
懐に、茶碗一杯分の白塩を包んだ布がある。
「持ってきたか」
「はい」
俺は布を開き、信秀の前に置いた。
灯りに照らされた白は、市場の塩とは明らかに違う。
信秀はしばらく見た。
それから指でひとつまみ取り、口に含んだ。
目が動かなかった。
長い沈黙だった。
「豆を固めたものも、お前か」
「はい」
「苦い液を使ったな」
「はい」
「捨てるものではなかった、ということか」
「使い方を知らなければ、捨てるしかありません」
信秀は俺を見た。
白塩だけではない。
副産物まで使う。
それを言葉にしなくても、父は理解している。
「……承認する。何か助力は必要か」
「俺はまだ六つです。そんな幼児の命令で、頑固な職人どもが動くわけがありません」
「では、どうする」
「平手殿に見ていただく形にしてください」
「平手を使うか」
「はい。俺は現場でわがままを言います。邪魔をするうつけをします。職人たちは怒るでしょう。ですが、平手殿が見ている仕事なら、勝手には投げ出せませぬ」
信秀はしばらく黙ってから、小さく笑った。
「平手が気の毒だな」
「それができる方は、平手殿しかいません」
信秀はまた黙った。
それから立ち上がった。
「明日、平手に話す。下がれ」
俺は頭を下げ、立ち上がった。
部屋を出る前に、信秀が言った。
「一つだけ聞く」
「はい」
「お前は、どこまで考えている」
俺は振り返らなかった。
「塩の次が、あります」
それだけ言って、廊下に出た。
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台所に戻ると、お鈴がまだいた。
「どうでしたか」
「通った」
お鈴は目を閉じて、小さく頷いた。
「予算も取れた」
「それは……よかった」
「明日から動く」
お鈴は俺を見た。
「他に、私が知っておくべきことはありますか」
「今はない」
お鈴は一拍置いて、また頷いた。
「では、薪を使いすぎないでください」
「気をつける」
台所を出た。
廊下の暗がりで、俺は一度だけ立ち止まった。
(信秀が承認した。平手が盾になる。あとは現場だ)
懐の中には、まだ誰にも見せていない紙がある。
浜の地形と水路の図だ。
それを出すのは、もう少し後でいい。
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翌朝、平手政秀は信秀に呼ばれた。
話の内容を聞いたとき、しばらく黙った。
「……吉法師様が、そのような事を」
「そうだ。お前に頼みたいと、あやつが指名してきた」
「私を」
「矢面に立てということだ。若様のわがままを、しばらく預かれ」
平手はしばらく何も言わなかった。
「……それがうつけの、策でございますか」
「策かどうかは知らん」
信秀は窓の外を見た。
「ただ、あれは六つだ」
それだけ言った。
平手は深く頭を下げた。
「承知いたしました」
廊下に出てから、平手は一人で立ち止まった。
(六つの御方が、私を指名された)
老臣は長く息を吐いた。
(この御方の底が、まだ見えない)
それは、織田家随一の老臣が初めて抱いた感覚だった。
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