第5話 うつけの実験
台所の隅を借りた。
桶を抱えて引き戸を開けると、料理人たちが顔をしかめた。
「若様、昼餉の支度中でございます。今日は——」
「お鈴に聞いてる」
お鈴がため息をついた。
「昼餉が終わるまで待ってください。それ以降なら、台所の隅を使っていただいて構いません。ただし」
「なんだ」
「薪の量は私が決めます」
「わかった」
桶を隅に置き、その場に座った。
料理人たちがちらちら見てくる。構わない。
お鈴は包丁に戻った。
手が止まらない。昼餉が終われば台所が空く。それまでだ。
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昼餉が終わると、俺は動き始めた。
灰を水に溶かし、麻布で漉す。灰汁ができる。できた液を塩水に少し加え、火にかける。
お鈴が一歩近づいた。目が鍋を追っている。
上澄みを別の鍋に移し、もう一度ゆっくり煮詰めた。
(底から白いものが出てきたら、そこで止める。塩だけが先に固まる。にがりはまだ液のまま残っているはずだ)
理屈は知っている。
だが、知っているのと、できるのは別だ。
最初の試みは失敗した。
欲張って煮詰めすぎた。みぞれの段階を過ぎ、水が全部飛んだ。にがりまで結晶に混じっている。
舐めると、ひどく苦い。市場の塩より悪いくらいだ。
(みぞれで止めなければならなかった。通り過ぎた)
二度目、火を落として慎重に観察した。
みぞれが出始めたところで火を止めた。まだ結晶が十分に育っていない。掌に乗るほどの量しかない。麻布で漉すと、白みがかった細かな粒が布に残った。
舌に乗せた。
(まだ苦い。結晶が小さすぎる。粒と粒の隙間ににがりが残ったまま漉し切れていない)
犬千代が横から覗いていた。
「……白い。いつもの塩と違う」
「試作だ。まだ雑い」
俺はお鈴に目をやった。
お鈴が布の上に残ったものを指先でひとつまみ取り、なめた。
しばらく、何も言わなかった。
それから、もう一度なめた。
「……これは、並塩とは別物です」
お鈴は白い粒をじっと見た。それから俺を見た。台所の隅の小さな鍋を見た。灰汁の残りを見た。漉し布を見た。
「どこで覚えましたか」
「港をうろついていると、いろいろ聞こえてくる」
お鈴はしばらく黙っていた。
それから深く息を吐いた。
「薪を使いすぎです」
声が、少し低かった。
さっきとは違う声だった。
お鈴なりの、最大の評価だと俺は思った。
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まだ完成していない。
二度試して、二度とも失敗した。方向は見えている。あとは火加減の精度だ。
だが、問題はそこだけではなかった。
たとえ完成したとしても、今の規模では意味がない。掌に乗るほどの塩では何も変わらない。設備が要る。職人が要る。材料の継続調達が要る。それは一人でできる仕事ではない。
(金と、権限が要る。だから次は、父だ)
俺はお鈴の背中を見た。
台所に戻って包丁を動かすお鈴の横顔は、何事もなかったかのように平静だった。
一人、仲間が増えた。
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