第2話 小さな事業
この数日、俺は毎日のように川へ来ていた。
犬千代は最初こそ理由を聞いていたが、三日目には諦めた顔でついてくるようになった。
「また川ですか」
「そうだ」
俺は草履を脱いで川に入った。
水が冷たい。足の裏に小石が当たる。
かまわず歩いて、膝くらいまで浸かった。
那古野の城から西へ歩いて半刻ほど、庄内川の下流にさしかかる場所だ。
川幅は十間ほど。流れは緩やか。
ここまで来ると潮の匂いが混じる。伊勢湾の入り江はもう目と鼻の先だ。
満潮になると湾から潮が逆流し、海の魚が川を遡ってくる。
干潮になれば水だけが引き、川岸に浅瀬が残る。
(ここだな)
俺は岸に戻り、石を拾い始めた。
「何をされるのですか」
「石を積む」
「なぜ」
「面白いから」
犬千代はしばらく黙って見ていたが、やがてため息をついて、一緒に石を拾い始めた。
理由を聞かない。文句も言わない。
いい奴だ、と思った。
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前世で読んだサバイバル漫画に、似たような仕掛けがあった。
ただし、漫画と現実は違う。
場所を間違えれば、魚ではなく石を並べただけで終わる。
仕掛けはシンプルだ。
浅瀬になる場所に石を並べ、緩やかなV字型の壁を作る。
満潮で魚が川に入ってきたとき、流れに乗ってV字の奥に入り込む。
干潮で水が引けば、魚は浅瀬に取り残される。
V字の口が狭いので、魚は戻り損ねる。それだけだ。
問題は見た目だ。
子供が川で石遊びをしているようにしか見えない。
実際そう見えなければ困る。
「ここに置け」
「こうですか」
「もう少し右。そう」
犬千代は言われた通りに石を並べながら、首を傾げていた。
「これ、何かの形ですか」
「魚を捕る仕掛けだ」
俺が答えると、犬千代は石を持ったまま止まった。
「……これで、魚が捕れるのですか」
「明日の朝、見ればわかる」
犬千代はじっと石の並びを見た。
それからまた俺を見た。
何か言いたそうな顔をしていたが、結局何も言わずに石を置いた。
賢い。
聞いても答えが来ないと、もう学習している。
対岸で農作業をしていた老人が、こちらを見てひとこと言った。
「若君、何をしとるんじゃ」
「石遊びじゃ」
「ほうか。お気をつけて」
それだけだった。
老人は興味をなくして鍬を動かし始めた。
(完璧だ)
誰も気にしない。誰も怪しまない。
うつけの若君が川で石を積んでいる。それだけの話だ。
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翌朝、夜明け前に俺は川へ向かった。
供の者は眠そうな顔でついてきた。
犬千代も連れた。昨夜のうちに「明日の朝、籠を持って川に来い」と言っておいた。
川に着くと、水位が下がっていた。
干潮だ。
仕掛けた場所を見ると。
「……」
犬千代が息をのんだ。
石で囲んだ浅瀬に、魚が跳ねていた。
小魚が多いが、手のひらより大きいものも混じっている。
十数匹、といったところか。
「取り残されている」
俺は浅瀬に入り、魚を手で掴んだ。
ぬるっと逃げる。また逃げる。
(手づかみは無理だな)
「犬千代、籠を持ってこい」
「は、はい」
犬千代が駆け出した。
供の者の一人が口をぽかんと開けたまま、仕掛けを眺めていた。
「若君……これは、石を積んだだけですか」
「そうだ」
「なぜこうなるのですか」
「潮が引けば水が減る。水が減れば魚は逃げられん」
「……昨日、石遊びと仰っていましたが」
「石遊びだ」
俺は平然と答えた。
犬千代が戻ってきた。籠で魚を掬うと、思ったより簡単に捕れた。
籠に次々と入れていく。
犬千代も途中から無言で手伝い始めた。
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帰り道、田んぼのあぜ道で子供の一団と行き合った。
五人か六人。
俺たちの桶を見ると、全員の目が魚に吸い寄せられた。
腹が減っている顔だ。
「おまえたち、この辺に住んでいるか」
俺が声をかけると、子供たちは一斉に身を固めた。
「は、はい。あの田んぼの向こうに」
一番度胸のありそうな子が答えた。
日焼けした顔に泥がついている。百姓の子だ。
「小魚を全部やれ」
俺は供の者に言った。
「よろしいのですか」
「今朝捕れたばかりだ。鮮度はいい」
供の者が桶から小魚を取り分ける。
子供たちは顔を見合わせ、それから恐る恐る手を伸ばした。
「持っていけ。腐る前に食え」
その一言で、子供たちは魚を抱えてぱっと散っていった。
子供は家に話を持ち帰る。
大人を動かすなら、まず子供に顔を覚えさせればいい。
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その日の夕方、台所に魚を届けた。
お鈴は台所を仕切る女だ。
正式な役目の名は知らないが、料理場では誰もがお鈴の顔色を見て動いている。
何かを言う前に食材を見る。
それから話す。
魚を受け取ったお鈴は、魚を手に取り、においを嗅ぎ、腹を軽く押した。
「泥臭い。だが悪くない」
それだけ言って、さばき始めた。
「若君、どこでこの魚を?」
「農村のガキに魚の取り方を教えた見返りだ」
お鈴は小さく笑って納得したようだった。
台所を出ると、犬千代が聞いてきた。
「あの石の仕掛け、ただの遊びではございませんな。第二、第三と作れば、もっと魚が取れるのでは?」
「俺は漁師になる気はない」
魚を増やしても、保存できなければ意味がない。
保存するには塩がいる。
塩を何とかしなければならない。
(まず、材料だ)
塩を精製するには灰汁がいる。灰が要る。麻布も要る。
金はない。だから、持っているものと交換する。
魚なら、ある。
頭の中で、次の手を組み立て始めた。
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