第9話 火を捨てぬ炉
そら豆を植えてから、十日が経った。
与一の田も、太助の田も、見た目は何も変わっていない。冬の田は静かだ。土が乾き、刈り株が白く枯れ、風だけが通り抜けていく。豆が芽を出すのは、もう少し先の話だ。
待つしかない仕事は、待つだけでいい。
俺には、次がある。
田の作業をしている間に、浜の空き家では釜の製造が終わっていた。今日からは炉だ。
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「火口はそこだ。もう一尺下げろ」
土工の男は、すぐに鍬を入れ直した。
反論はない。ただ言われた通りに動いているだけではない。こちらの言葉を、土と石の形に直している。
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借り入れた空き家の土間は、一部が掘り返され、石と粘土で火口と煙道の下地が作られていた。炉職人、土工、左官の三人が動いている。
設計書は俺が書いた。だが設計が革新的なぶん、任せきりにはできない。伝わらない部分が必ず出る。だから俺が指揮を執る。
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塩を作るだけなら、難しくない。
火を焚けば、水は飛ぶ。水が飛べば、塩は残る。
問題は薪だ。
薪は山から来る。山の木は無限ではない。切る者、運ぶ者、乾かす場所、買う銭。白塩が高く売れても、薪を食いすぎれば銭は残らない。
この事業の肝は、塩ではない。
火だ。
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従来の炉は、火を一度使って捨てる。火口で薪を焚き、釜を熱して、残りを煙として逃がす。それだけだ。
着想は、登り窯から来ている。
明の書に、丘の斜面を使った窯の記があった。火が下から上へ登りながら、複数の窯室を順に熱していく。一つの火が段階を踏んで仕事をする。あの構造を、横に寝かせて塩釜に転用した。
俺の炉は違う。
火口に最も近い一番目の釜——ここが最高温になる。白塩の仕上げ場だ。塩水を煮詰め、みぞれ状の白塩を絞り出す。その熱を逃がさず、煙道に沿わせて二番目の釜の下へ走らせる。ここでは強火が要らない。広い底面に熱を当て、塩水の水分をゆっくり飛ばす。濃縮する場だ。さらに残った熱で、奥をぬるめる。沸かす必要はない。次に使う水を温めておくだけでいい。
薪を倍焚けば、誰でも倍煮える。俺が欲しいのは、同じ薪で倍働く炉だ。
火を強くするのではない。火を捨てない。
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指示を出しながら、職人たちと細かい調整を繰り返した。
煙道をどこで広げ、どこで絞るか。煙突の高さと口の形。灰を掻き出す隙間の位置。奥の予熱部に直火を当てず、煙道の背で温める方法。
職人たちは、こちらの意図を汲みながら手を動かした。火が当たる場所の土は自分たちの判断で厚くした。煙道の角は指で撫でるように丸め、煤が溜まらないよう整えた。掃除のための隙間も、言わずに開けてあった。
俺が道筋を示す。職人が使える形にする。
その分業が、指示を出すうちに自然と決まっていった。
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炉が形になったところで、水だけで火を入れた。塩はまだ入れない。火の流れを見るためだ。
火口に薪が入った。火が一番目の釜の下を舐めた。熱はそのまま煙にはならず、煙道に引かれて二番目の釜の下へ走る。さらに弱くなった熱が、奥へ抜けていく。煙は迷わず煙突へ上がった。
職人の一人が、奥に置いた椀へ手を近づけた。
「温まっております」
炉職人が、煙道を目で追いながら言った。
「火が、奥まで走った」
狙い通りだ。炉は動く。
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職人たちは、しばらく炉を見ていた。
釜の出来を確かめているのではない。火の道を、頭の中でなぞっている。そういう目だ。
最初に口を開いたのは左官だった。瓦窯に使えないか、と言った。
使える。だが塩釜とは違う。瓦は熱で包む必要があるから、窯の腹で火を回さなければならない。俺はそれだけ答えた。
次に土工が、炭焼きへの応用を口にした。炭は空気を絞ることが肝だ。火を見る仕事ではなく、煙を見る仕事だと伝えた。男は火口ではなく煙突を見た。何かを摑んだ顔だった。
さらに別の職人が、石を焼く窯について呟いた。石灰のことだと分かった。
石灰は塩より厄介だ。石の表面ではなく、芯まで焼かなければならない。そのためには強い火よりも逃げない火が要る。壁を厚くして熱を閉じ込め、石の隙間に火の道を通し——
「若様」
平手の声が割って入った。
俺は口を閉じた。
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平手は職人たちを見ていた。いや、その目を見ていた。
先ほどまで炉を仕上げていた者たちの目ではない。新しい仕事を見つけた者の目だ。
「その先は、この場で語るには早うございます」
職人たちは黙った。
俺は少しだけ笑いそうになった。止めたか。
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平手が俺を土間の外へ促した。
職人たちは残って炉を見ていた。
「若様」と平手は低く言った。「石灰の話。どこでお知りになりましたか」
俺はすぐに答えた。
「明の書に、登り窯の記があった。火が段階を踏んで複数の窯室を熱していく構造だ。それを塩釜に転用した」
平手はしばらく俺を見ていた。信じているのか、疑っているのか、分からない顔だ。平手がその顔をするときは、たいてい両方だ。
「……書物に、そこまで細かく」
「製法の記は詳しい。読み解くのに時間はかかったが」
平手はもう一度、土間の中を見た。職人たちの背中を。
「なるほど」
それだけ言って、平手は口を閉じた。しばらく何かを考えていた。
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平手が職人たちに向き直り、静かに話した。
織田家御用の炉方として抱える、という話だった。塩釜だけでなく、炭、瓦、石灰、焼き物。火を使う仕事は多い。仕事を切らさず、手間賃を厚くする。他家の仕事を受けるなら織田家を通せ。
「縛るのではなく、仕事で囲うか」と俺は言った。
「その方が、逃げませぬ」
なるほど。口止めするだけでは不満が出る。仕事を与えれば、職人は自分から留まる。
俺は頷いた。
職人たちは顔を見合わせ、一人が頷くと、他の者も続いた。
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水は塩にならない。
だが、水で分かることはある。
火は走った。煙は抜けた。奥はぬるんだ。そして職人たちは、もう塩釜だけを見ていなかった。
技は、広めるだけでは力にならない。囲い、使い、銭に変えて、初めて力になる。
「次は、並塩を入れる」
白塩は火で作る。
だが、織田の力は、火を扱う者を抱えることで作る。




