292日目①
目を擦った。
瞼が鉛のように重い。指先で無理やりこじ開けると、視界がぼやけたまま、魔導ランタンの火が暗闇の中で橙色に揺れていた。
空の端が、黒から藍に変わり始めている。
ウーノは毛布を剥いで上体を起こした。作業を終えて緊張感が切れると、寝落ちしてしまったようだ。クッションからはみ出て岩肌に寝転がったせいか、背中が痛い。首を回すと、骨がごきりと鳴った。
しかし、それらは大きな問題では無い。彼は寝床の横に置いた、『成果物』を確認する。
朝焼け直前の、薄暗い闇の中。一つの大きな木箱が、そこにある。中身は様々。魔物捕獲用の金属網。火の魔石を過剰に接続した予備の魔導ランタン。攻撃用魔導具、黒鉄のレイピアと氷ナイフからそれぞれ取り外した、伸縮刀身と凍結機構。
揺らせばガチャガチャと鳴る、お手製の地雷。
夜通しで作ったそれを、最終確認で配線や魔導陣の接続を確認する。
最終点検をする内に、藍色の端に、かすかな紫が差し始めた。夜明けが近い。
ウーノは立ち上がり、二人を起こしに向かった。
「これが俺の成果だ」
昨日、エカテリーナとイネッサに頼んで、狩ってもらった魔物。その肉で作った朝食を振る舞ったウーノは、皿代わりの大きな葉を片付けて、地面にしゃがみ込み小枝で図を描いた。
エカテリーナは腕を組んで立ったまま、紫色の瞳を図面に落としている。イネッサは岩に腰を下ろし、片膝を抱えて欠伸を噛み殺していた。寝起きの碧い瞳が、まだ半分閉じている。
「まず踏んで起爆する方式は諦めた。数が無いと不確実性が高いけど、その数を用意する時間もない。そもそも二人も近くで戦うわけだしね。だから、遠隔から起爆できるように細工した」
ウーノは木箱から伸びる導線を振って見せた。
強く引っ張ると、ハンマーが魔石を叩き、起爆するのだ。ハンマーは重いので、ちょっとやそっとで起爆する心配は無い。
「ふぁ~あ……良いんじゃないかい、それで……」
イネッサはどうでも良さそうに呟く。
実際、彼女からすると、男が一晩で用意した兵器なんて、そこまで期待していないのだろう。
魔法使いが大勢いると思わせるハッタリ用。それくらいにしか、思っていない。
ウーノは気にせず、説明を続けた。
実際にどれだけの効果があるのか、自分でも分からない。何しろ威力実験ゼロなのだ。最悪ビックリさせて終わりの可能性もある。
地面に上向きの矢印を書き足して、その先の大きな円を描く。
「三段構えだ。第一段階では、火の魔石を過剰接続した、魔導ランタンを上空に射出する。元がランタンだから、魔石を多くつなげて出力を上げても、殺傷力はほぼゼロ。ただ大きな光が出るだけだ。でもそれでいい。これは目くらまし、対象の意識を上に誘導することだ」
エカテリーナは最後まで聞いてから、感想を言うつもりらしい。ただ黙って、ウーノの説明に耳を傾けていた。
一方でイネッサは眠気を紛らわすためか、チョイチョイと相槌を打つ。
「ふーん、火属性の攻撃に見せかけるのかい」
「そう。スーラフの一団に、火属性の魔法使いは居ないんだよね?それなら、とっさの判断で『攻撃だ!』ってなると思う」
「まあ、そうだろうねぇ。それに自分の属性と違う魔法だと、それが魔法使いが由来か、魔物由来か、魔導具由来か、判別が遅れるはずさ」
エカテリーナも小さく頷いた。ウーノには魔法が何由来かなど分からないが、彼女たちには分かるらしい。
魔法を常用していると見分けがつくのだろうか?
小さな疑問を置いておいて、ウーノは説明を続ける。横向きの矢印を書く。
「第二段階。魔物の捕獲用魔導具、網を射出するやつが、野営セットの中にあった。あれをあらかじめ起動して、網を地面に張っておく。砂や小石、あとは魔物の死骸なんかでカモフラージュしておく。それで、火の玉に気を取られていると、時間差で網が収縮するように仕掛けを作った」
「はぁん……でもひっかけるだけじゃ、大して意味が無い。雷の魔法使い二人、網を焼いて逃げるのは直ぐさ」
イネッサの指摘にウーノは頷く。最後の矢印、木箱を取り囲むように円を描く。
「第三段階が本命だ。網に接続した黒鉄のレイピアの伸縮刀身が、伸びながら足首の高さを回るようになってる。網で足を絡み取ったところを切りつけるって寸法だ。流石に切断までは出来ないだろうけど、走り出すには一回治療を挟んでからじゃないと、難しいと思う。そして第4段階では、氷ナイフの魔導具に大量に魔石を繋いで、並列処理できるようにしたのを使う。これで、流れた血ごと、足元を凍り付かせる。絡めて切って、凍らせる。三重の足止めだ」
ウーノは小枝を置き、二人の顔を見上げた。
エカテリーナは腕を組んだまま、考え込むように目を閉じた。その様子を見て、イネッサが代わりに総括の感想を述べる。
「まあ、そこそこ役に立つかもねぇ。話の通り上手くいくなら。そうでなくとも、気は引けるんじゃないかい?」
あまり期待しては居ない様子。
ウーノはエカテリーナに視線を向ける。しばらくして、彼女は目を閉じたまま、口を開いた。
「昨日、魔物を狩って欲しいと、属性を指定して頼まれたのは、この為でしたのね」
「ああ、そうだ。手間を掛けさせた分、出力は十分だと思う」
エカテリーナは目を開けた。彼女は手を頬に当て、どこか母性的に思える小さな微笑みを浮かべる。
「火柱で属性を偽装して人数を誤認させつつ、本命は物理的な拘束。魔法使いというのは、魔法への対処は訓練していても、こういう物理的な足絡みには咄嗟の対応が遅れがちですもの。盲点を突く、良い発想ですわね」
「ありがとう。考えた甲斐があったよ」
べた褒めに、ウーノは頬を掻いた。
その様子に、エカテリーナは微笑みを崩さぬまま、しかし釘を刺した。
「でも、魔導具に魔石を規定以上に接続するのは、危険な作業ですわよ。目にクマ、出来てますわね。寝ぼけまなこで、こんな設備も整っていない所でするなんて。ウーノ、わたくしと貴方は戦友ですのよ。一声かけて下されば、その作業、手伝いましたのに」
「……ああ、分かった。ごめん、焦ってたから」
「ええ、気持ちは分かりますわ。さて、それじゃあ、この地雷、設置する場所を考えますわよ」
エカテリーナはそう言って、木箱の地雷を持つ。
彼女は優しい。男の自分の気概を認め、良くほめてくれる。しかし、やはり何処か、過保護なのだ。
戦友と呼んでくれても、やはりどこか、対等では無い。
淑女的で女らしい。そんな彼女の優しさが、かえってウーノにはミーシャを強く、想わせる。
「実際の威力はどんなもんだい?」
ウーノがぼんやりとしていると、イネッサの声が聞こえた。
彼女はエカテリーナと二人で、どこに地雷を置こうかと話し合っていた。
頭を切り替えて、ウーノは申し訳なさそうに手を合わせた。
「ああ、昨日、二人に狩ってもらった魔石を大量に並列接続してるから、出力が読めない。稼働テストはできてない。一発勝負だ」
「は?」
イネッサは片眉を上げた。碧い瞳が、呆れたようにウーノを見つめた。
「テストしてない?ぶっつけ本番?」
「魔石を繋ぎすぎてるんだよ。一回でも試したら、魔導回路が全部焼き切れる」
イネッサは鼻から息を吐いた。唇を尖らせ、視線を空に向け、それからウーノに戻す。
「お転爺だね、アンタは。雷女帝サマが心配するわけだよ」
肩をすくめて、イネッサはエカテリーナに視線をやった。それに対して、彼女は苦笑する。
「度胸と胆力に優れる。ウーノの美徳ですわよ。まあ、もう少し、わたくしを頼ってほしい気もしますわね」
これ以上頼ると、ただのお荷物だ。ウーノはそう思ってしまうが、しかし自分の行動でかえって心配と迷惑をかけてしまったら、足手まとい。お荷物以下だ。
「ごめん、気を付けるよ」
ミーシャをもうすぐ救い出せる。プライドだとか気にしている場合じゃ無い。
そう自分に言い聞かせて、ウーノは謝罪を口にする。
「お、こことか良さそうじゃないかい?アタシらもここを通って、岩場の安全ポイントに荷を下ろしたね。岩がスロープ状になってら」
会話の最中でも地面を見ていたイネッサが、声を上げた。
長年、多くの人が通った影響か、岩場の一部が擦り切れなだらかな砂利道のようになっている。
「あら、良いですわね。ここに埋めて、網も隠して……ええ、バレずに済みそうですわね」
エカテリーナが砂利をどかし、下の岩も砕き、木箱を入れるスペースを作る。網も砂利で自然に隠せた。
「で、この地雷を起爆して、連中の意識が上に下にと大慌てになったとこで、アタシが横から水をドン!」
イネッサは声に合わせて、少し離れた湖の水を揺らして見せる。
「そして、さらに混乱したところで、わたくしが荷台に走る。ミーシャを奪って、離脱。戦闘は最小限。それが作戦の骨子ですわね」
エカテリーナが、静かに、しかし強い声で言った。
朝日はすでに高く、空に赤色は無い。
青空の下、3人はそれぞれ位置につき、ターゲットを待った。
そして昼前。太陽が頂上に到達する前の時間。
視線の先に、人影が映った。
ウーノは安全地帯の端の木陰で、導線を握っていた。
手のひらが汗で濡れている。握り直す。また汗が滲む。
心臓がうるさい。肋骨の裏側で、どくん、どくん、と暴れている。呼吸を殺した。口で吸って、鼻で吐く。吐息が白い。冬の空気が肺を刺す。
人影は徐々に大きくなる。
魔導車が一台、その上に一人、前と左右に合計3人。
四人。エカテリーナの偵察通り。五人目、流れ水の民の女の姿は、ない。
荷台にはホロがしてあって、その中身は分からない。
しかし、あの中にミーシャが、追い求めた妻がいるはずだ。
ウーノはより強く、導線を握りしめた。
一団が、安全地帯の岩場へとさしかかる。速度を落とした。先頭の女が手を上げ、何かを指示している。休憩か、周囲確認か。
想定通り、スロープ状の砂利道へと、魔導車が誘導されて行く。
ウーノは別方向の茂みに目をやった。そこにエカテリーナが隠れている手はずだ。こちらからは見えない。つまり、敵からも見えていない。
三歩、二歩……今!
ウーノは導線を引っこ抜き、地雷を起爆した。
一拍の沈黙。
そして轟音。
地面が跳ねた。火柱が上がった。火の玉を打ち上げるはずが、出力があり過ぎて火柱になった。
ただ、範囲が狭い。誰にも命中していない。しかし、元からこれは誘導。
近くで上がった火柱を見て、先頭の一人が叫んだ。
「Tout le monde en état d'alerte !(総員警戒!)」
火柱に目を奪われていた他3人は、即座に視線を周囲に走らせる。上に気を取られて、今回だと火柱で足元がお留守……という計画だったのだが、正規兵らしい彼女らは、そう簡単には釘付けになってくれない。
しかしやはり地雷とは思われなかったようで、地面に視線が向けられることは無かった。
火柱が消える直前、金属網が地面から現れた。砂利に埋め込まれたそれは、スーラフ兵たちの足に引っかかりながら収縮する。
先頭の1人、そして右に居た女性は、反応が早かった。網が起動する瞬間の揺れに気が付き、その場を飛び去った。
しかし左の一人、そして魔導車に乗っていた女性は反応が遅れた。
網が足に、魔導車に、絡みついた。
「なっ——!?」
黒鉄のレイピアの刀身が跳ねる。バネのように伸び、縮み、足首を薙いだ。
浅い。だが、確実に肉を裂いた。
悲鳴。一人が膝をつく。魔導車の足も網の引きずりとレイピアの一撃で、バランスを崩した。
そして第4段階。
氷の魔石が唸りを上げた。
出力が跳ね上がる。魔石同士が干渉し合い、回路が過熱し……
破裂音。
魔石が弾けた。凍結機構が暴走。地面は凍りついた。白い霜が放射状に広がり、網も、岩肌も、一面の氷に覆われる。
だが敵の足は、凍っていない。
地面は凍った。足場は最悪になった。しかし、足そのものを直接拘束するには至らなかった。
実験無しのぶっつけ本番、なかなか想定通りには行かないものだ。
しかし、4人の内2人は魔導車から離れた。1人は膝をついて負傷し、もう一人は魔導車から飛び降りたところで、凍り付いた地面にバランスを崩した。
足止め、攪乱、そして戦力の分散。
お膳立ては済んだ。
「へぇ、まあ、男が考えたにしては、悪くないねぇ」
目に身体強化魔法をかけ、少し離れた湖から現場を観察していたイネッサは、ニィと唇を吊り上げ、そして岩場へと走り出した。
彼女の背後で、湖が揺れ、せり上がる。
小さいとはいえ一つの湖の水が、全てイネッサの後を追って、巨大な津波となって動き出した。
水辺の倒木や土、安全地帯の石や砂利、岩を巻き込んで、津波は押し寄せる。
安全地帯全てを飲み込むような膨大な水量の激流に、スーラフの4人の魔法使いは、反応できなかった。
連携できれば、この津波も対処できただろう。しかし、今は、それは叶わない。
足を切られ網に絡まっていた1人は、為す術もなかった。凍った地面に全身を叩きつけられ、水と氷の中に沈む。バランスを崩した一人も、逃げようと起き上がったが、間に合わず飲み込まれた。
飛び去った2人は、何とか津波を逃れ、距離を取る。
荷台は押し流さないように、腕を振って津波を操るイネッサへ、魔法を喰らわせようと腕を掲げた。
雷。黄金の閃光が瞬いた。
空気が裂けた。雷の矢が、左、右、正面。小規模だが鋭い金色の雷が、魔法使いに向けて無数に放たれる。
スーラフ兵は魔法の矛先を、身を守るため変えざるを得なかった。
そしてその遅れは、大きな隙だ。
イネッサは獰猛に笑みを零し、木や岩が混じる大質量の津波を残る魔法使いへと差し向けた。
スーラフ兵が水壁に手を向けた。氷の魔法使いだ。壁を凍らせようとする……が、遅い。
イネッサの津波は止まっていない。常に中で循環し流れている。凍りかけた端から新しい水が押し流す。
「Merde!(クソが!)」
凍結が意味を為さないと理解して、魔法使い二人は一歩後退する。
飲み込まれても、死にはしない。しかし抜け出すには苦労するであろう、大規模攻撃。
その範囲の大きさから、スーラフの魔法使い二人は更に大きく、後方へと飛び退った。
荷台への注意は、完全に薄れた。
魔導車は膝をつき、荷台の車輪は折れている。無防備なそれを、守る者はもういない。
エカテリーナは飛び出し、荷台へと走り寄る。
ホロに包まれたそれに飛びこむと、中央には布に包まれた塊が横たわっている。
人一人分の大きさには、あまりに小さい。
こんなに、小さかったか?
エカテリーナは膝をついた。手を伸ばす。指先が布に触れる。
めくった。
手が、止まった。
紫色の瞳が見開かれる。
言葉が、出なかった。
一瞬の沈黙。話には聞いていた。戦場でも、血肉は飽きるほど見て、浴びて来た。しかし、この姿は……
強く唇を噛む。血が滲むほどに。
三秒。五秒。
思考を切り替える。耳に身体強化魔法。イネッサの高笑いと、スーラフ語の悪態が聞こえて来た。
まだ時間はある。
ミーシャを抱き上げた。
驚くほど、軽い。
左腕にミーシャを抱え、右手で荷台に積まれていた鞄と書類の束をひったくった。革の鞄。紙の束。何が書かれているかは分からない。だが、人体実験の計画なりが1枚でも混ざっていれば。こんな姿になった人間の尊厳を、さらに貶めようとした、非人道的な企みを。挫く一助に、なるかもしれない。
エカテリーナは雷を3回、足で地面に打ち付ける。パーンと言う轟音。それが撤退の合図だった。
イネッサが動いた。様々な不純物を含んだ津波を、水壁としてその場に固定して視線を切る。
制御できる距離の限界まで、それを維持して走って離れる。
ウーノは地雷の起動を終えるとすでに、事前に決めていた安全ルートへと走っていた。
付近の魔物は、魔石入手ついでに全て殲滅済み。安全ルートまでも離れていないので、安全に退避できた。
大荷物を抱えたエカテリーナ、そしてギリギリまで敵の視界を塞いでいたイネッサも、相次いで合流する。
「C'est qui, ceux-là !?(どこの勢力だ!?)」
後方から聞こえてくるスーラフ兵の悪態を他所に、ウーノは魔導車に飛び乗り、すぐさま手綱を打って走らせる。その荷台にイネッサが追いつき、エカテリーナもジャンプして飛び乗った。
ウーノは振り返る。エカテリーナはミーシャを、布に包まれたまま静かに横たえる。
その手つきが、妙に丁寧だった。壊れ物を扱うように。触れれば砕けるガラス細工を置くように。
「イネッサ、代わってくれ!ミーシャちゃん!ああ、やっと……!」
「……まだ、まだですわよ、ウーノ。魔境を出てから、ドズルイについてからに、してくださいまし」
魔導車の鞍から無理やり荷台に移ろうとするウーノを制止して、エカテリーナはミーシャを抱き寄せた。
とっさに抗議の声を上げようとした。しかし、ウーノは気が付いた。
紫色の虹彩を囲う白目が、うっすらと充血している。唇を噛んだ跡が、かすかに赤黒く残っている。
反論の言葉を飲み込んだウーノを見て、イネッサも静かに頷いた。
「……分かった」
ウーノは前を向いて、手綱を握りしめた。
グラニの六本の足が凍った地面を踏み、安全ルートを西へ走る。
冬の乾いた寒風が、ウーノに吹き付ける。
誰も、何も話さなかった。
魔導車の重たい足音だけが、冬の森に響いていた。




