291日目③
イネッサの解放手続きを終え、監獄の外に出た。
冬の空気が、肺を刺すように冷たい。
「……行きましょう。ブランシェが待っていますわ」
二人は連れ立って跳ね橋を渡り、守衛室へと向かう。
守衛室の扉を開けると、ブランシェが椅子から勢いよく立ち上がった。
「おかえり!どうだった?会えた?」
その明るい声に、ウーノは言葉を詰まらせた。
エカテリーナが代わりに答える。
「……1日、遅かったんですの」
「え?」
「ミーシャは、昨日スーラフに連れて行かれましたわ」
ブランシェの表情が、凍りついた。
守衛に少し外してもらうように頼み、風の魔導具で盗み聞き対策をして。
ウーノは重い口を開いた。イネッサから聞いた話を、簡潔に伝える。
スーラフが捕虜を買いに来たこと。ミーシャが売られたこと。そして、人体実験の話。
「人体、実験……?」
ブランシェの声が、掠れた。
「ええ。魔導戦車の材料として、生きたまま体を切り刻まれる。そういう計画ですわ」
「嘘、でしょ……そんな……」
ブランシェは椅子に崩れ落ちるように座り込んだ。彼女にしても、戦いでも無いのに人の体に刃物を入れ、切り刻むというのは、冒涜的なのだ。
これがまだ、快楽殺人なら理解できた。しかし軍事的利用のため、冷徹に国家が、軍が、この非人道的な処置を許し計画したという事実が、耐えがたい。
祖国の蛮行に嫌悪感を募らせ、彼女は唇を強く噛む。
エカテリーナが鞄から書類を取り出し、テーブルに広げた。蒸発委員会の隠れ家で見つけた文書だ。
「これを見てくださいまし。人体実験という前提で読み直すと……この『素材調達』って、捕虜のことですわね、おそらく。他にも色々と……」
ブランシェはエカテリーナの手から書類をひったくり、視線を上下させる。
「『適合率』とか『生存期間』とか……うわ、マジでヤバいやつじゃん」
ブランシェが、震える声で呟いた。
証言だけでは無い具体的な証拠を目にして。表情は青ざめる。
「襲撃すれば、更に証拠書類が見つかるかもしれませんわね。スーラフの、人体改造魔導戦車の、計画が」
エカテリーナは淡々と続ける。しかしブランシェは、突然声を荒げた。
「待って!待ってよ!スーラフ人が全員、そんな……そんな非道なことしてるわけじゃない!あーしの知ってる人たちは、そんなことしない!いや、確かにキメラ魔導車とかキモイけど!こんな、こんなことをするなんて……!」
必死に弁明する彼女を落ち着けるように、エカテリーナは静かに頷いた。
「ええ、分かっていますわ。これは蒸発委員会の計画ですわね。魔導戦車の技術開発に協力し、戦争を煽り各国の対立を利用する陰謀。スーラフ人民国の総意では、ありませんわよね」
「うん……そうだし……だって、こんな惨いこと……!」
捨てた、見捨てられた。そうは言っても無くせない、祖国への愛着。スーラフ人であるという、アイデンティティ。
凄惨な人体実験を、祖国が行おうとしているという事実は、ブランシェにとってあまりにも、受け入れがたい事実だった。
すっかり気が滅入った様子のブランシェだが、しかしウーノは、聞くべきことを聞かねばならなかった。
「ブランシェ」
「……何?」
「俺たちは、これからスーラフの一団を追いかける。ミーシャちゃんを取り戻すために。魔法使いが、5人いるらしい。エカテリーナと俺、ミーシャちゃんの知り合いの捕虜の3人で、襲撃する。君は……どうする?」
手伝ってくれ。そうは頼まなかった。
沈黙が落ちる。
ブランシェは答えない。答えられなかった。
彼女の脳裏に、かつての仲間たちの顔が浮かぶ。一緒に塹壕を掘った戦友。背中を預け合った同胞。
かつて、迫害されるガマニアからスーラフへと流れた。かつての同胞を、国家への忠誠を示すため、戦争で大勢殺した。
そして今、また流れ者になり。似たことが、起きるのではないか。
『でもさ、その戦友が、敵になることもあるじゃん?』
あの時、自分で問いかけた言葉が、今、自分に突き刺さる。
「あーし……祖国の、同胞を……襲うのは……」
声が、震えた。
彼女の手が、無意識に自分の腕を掴んだ。爪が食い込むほど、強く。
奥歯が砕けるのではないか、そう心配になるほど、強く歯ぎしりする。
「ブランシェ……」
苦悩に顔を歪める彼女に、エカテリーナがそっと寄り添った。
無理しなくて良い、正直な自分の気持ちを話してくれれば良い。そんな風に、優しく背を撫でる。
「人体実験なんて、非道だって分かってる。許されないことだって分かってる。でも……」
「えぇ、そうですわね……」
ブランシェの目に、涙が滲んだ。
慰めるように、エカテリーナはただ、小さく頷く。ウーノはじっと、ブランシェを見つめた。
「でも、そいつらだって……命令されてやってるんでしょ?祖国に。あーしと同じように、国のために戦えって言われて……それで……」
「……」
ブランシェは俯いた。膝の上で、拳を握りしめる。
二人は静かに、言葉の続きを待った。
自分は、彼女たちと戦えるのか。
かつての同胞と。
同じ釜の飯を食い、同じ空の下で眠り、同じ歌を歌ったかもしれない、誰かを。
「……ごめん。あーし……戦えない。ごめん、ウーノっち、エカテリーナ……あーし、戦えないよ……」
絞り出すような声だった。
涙が、頬を伝った。
エカテリーナは、静かに息を吐いた。そして、穏やかな声で言った。
「……ブランシェ。報酬の支払いが、まだありましたわね」
「え?」
突然の話題の転換に、潤んだ瞳を見開いて、ブランシェは首をかしげる。
エカテリーナは適当な紙にペンを走らせ、即席の紹介状を書き上げた。
「その報酬ついでに、新しい依頼を受けて欲しいんですの。この文書と情報を、ラシスカ大使館に届けてくださいまし」
「大使館に……?」
「ええ。ビウクニツにあるラシスカ大使館では、色々と情報収集をしていますわ。そこに、この情報を、届けて欲しいんですの。重要な情報ですわ、信頼できる人物にしか、頼めませんもの」
エカテリーナは鞄の中から金の手形を入れていた封筒を取り出した。その中に紹介状、ついでに走り書きの報告書と、押収した文書を入れる。
それを渡されたブランシェは、エカテリーナを見上げた。
「で、でも……これって……」
祖国を貶める行為に繋がるのでは無いか、それを何故、スーラフ人と戦えないと言っている自分に渡すのか。
まだ涙の跡の残る頬をモゴモゴと動かし、困惑した様子で問いかける。
「スーラフ人民国は、大きな過ちを犯そうとしていますわ。この実験が、計画が成就すれば……スーラフは歴史に汚名を残しますわよ」
エカテリーナの紫色の瞳が、真っ直ぐにブランシェを見つめた。その真剣な輝きに、ブランシェは小さく唾をのんだ。
「汚名……」
「阻止するためにも、ラシスカに協力してくださいまし。貴女の祖国の名誉を、守るために」
ブランシェは、目を見開いた。
祖国を、守る。
そうだ。この非道な計画が実行されれば、スーラフの名誉は地に落ちる。
でも、今のうちに止めれば……
「……分かった。あーし、大使館に行く。ビウクニツ、でしょ?ちゃんと届ける」
ブランシェは、涙を拭って頷いた。
エカテリーナは微笑み、ポンとブランシェの肩を叩いた。
「ありがとうございますわ。追加報酬とか経費は、大使館でおねだりしてくださいまし。ラシスカ入国の口利き、こんな形になってしまいましたけど……」
「……アハッ、しょうがないにゃー」
ブランシェは、小さく笑った。まだ目は赤いけれど、その表情には、少しだけ明るさが戻っていた。
彼女は立ち上がり、伸びをする。荷物をまとめ、地図を確認し始めた。早速出発してくれるらしい。
その作業を手伝いながら、エカテリーナはふと思い出したように言った。
「そういえば、貴女のこと、純愛過激派に改宗させたかったんですけれど……結局、上手くいきませんでしたわね」
「あはは、ムリムリ。あーし、結構浮気性だし」
「心まで求めすぎて逃げられる、とか言ってなかった?」
ウーノの突っ込みに、ブランシェは肩をすくめた。
「ベッドにいる時は、相手の男のこと、心から愛してんだけどね?まあでも、ウーノっちとミーシャって人、いつか会わせてよ。二人のラブラブっぷり見たら……考えてあげてもいいかも?」
「あら、それなら改宗確定ですわね」
「……俺たち、そんなにラブラブに見えるの?」
ウーノが苦笑いで口を挟んだ。
「見える見える。ウーノっち、旦那さんの話する時、顔ゆるゆるだもん」
「そ、そうか……?」
照れくさそうに頬を掻くウーノを見て、ブランシェは声を上げて笑った。
その笑い声が、重かった空気を少しだけ和らげた。
「あ、そうだ」
ウーノが、ふと真面目な顔になった。
「途中で見つけた遺体……回収できなくなっちゃったね。ごめん」
ブランシェは目を丸くした。
「え、そんなこと気にしてたの?律儀だなぁ、ウーノっちは」
「律儀なのは、君もだろう」
「アハハ、大丈夫だよ。この前すれ違った、帰るところだった人たち……あの人たちにも話は通してあるから。ちゃんとあの子たちの遺体は、回収してもらえる」
「……そうか。ありがとう」
「ウーノっちがお礼言うことじゃないっしょ。まっ、気にかけてくれてたのは、嬉しいケド。さーて!」
ブランシェは立ち上がった。紹介状と文書を、しっかりと胸に抱える。自分の分の野営装備を担いで、背負い心地を確かめるように揺する。
「もう、準備できましたの?」
「うん。一人なら、こんなもんでじゅーぶん。魔物も、思ったより少ないしね。じゃ、あーしは行くね」
「ああ。どうか気をつけて」
別れの言葉を交わし、守衛室から出る。魔境へと歩いて行くブランシェを見送るが、ふと彼女は足を止め、振り返った。
「ウーノっち、エカテリーナ、その……」
「なんですの?」
言いよどむブランシェに、エカテリーナは首をかしげる。
ブランシェは言葉を探すように、目を閉じて深呼吸した。
そして真面目な顔で彼女は姿勢を正し、右手を額に当てた。スーラフ式の敬礼。
「武運長久を祈る」
それだけ言って、今度こそブランシェは歩き出した。
やはり、冒険者と言うよりは、軍人気質なのだろうか。
軽いようで、義理堅く。薄いようで、情に深い。そんな彼女の、遠ざかる背を。
ウーノとエカテリーナは、しばらく黙ってその場で見送っていた。
しばらくして、監獄の正門が開き、イネッサが出てきた。
囚人服から着替え、旅装に身を包んでいる。その表情には、いつもの人を食ったような笑みが浮かんでいた。
「おや、何かあったのかい?」
「ここまで案内してくれた冒険者に、別れを告げていましたのよ。ラシスカの大使館に、人体実験のこととか、伝えに行ってもらいますわ」
「冒険者?信用できるのかい、そいつは」
イネッサが眉を上げた。
エカテリーナは、遠くを見つめた。
ブランシェが去っていった方向を。
「もちろん。彼女は……優秀な、兵士ですわよ」
目を細め、静かに口角を上げながら。
かつて敵だった女性を、エカテリーナは再びそう呼んだ。
ウーノも小さく頷くと、イネッサは興味を失ったように肩をすくめた。
「ああ、そうかい。で、そっちの準備は?」
「万端ですわ。それなら出発ですわね。時間がありませんわ」
エカテリーナが歩き出す。イネッサがその後に続く。
ウーノもまた、魔導車にまたがって手綱を振るう。
次こそ、助ける。何があっても、絶対に。
来た時とは、また別の道を。ブランシェのゆく道とは、違う道へ。一行は、足を進めて行った。




