291日目②
「売ったって……どういうことだ」
ウーノの声は低く、硬かった。
イネッサは唇を噛み、視線を逸らす。いつもの飄々とした態度は、影を潜めていた。
「アイツはもう、生きる気が無かったんだよ。アタシがどれだけ回復魔法をかけてやっても、自分じゃ少しも使わない!面倒見切れない……十分、世話したさ!」
吐き捨てるような言葉。しかしその声は、どこか震えていた。
エカテリーナがウーノの肩に手を置き、彼を制した。詰め寄っても、情報は得られない。冷静に、と。
ウーノは拳を握りしめたまま、一歩下がった。
「イネッサ。ミーシャは、どういう状態でしたの?」
エカテリーナの問いに、イネッサは天井を仰いだ。
「禁術で死にかけてた。『狂わしい飴の穢土』、だったかね、あれは。直撃じゃなかったから、生きてはいたさ……でも手足は全部もげて、目も耳も鼻も、全部ガラス化してる。口もだ!」
ウーノはイネッサの言葉を理解するのに、時間がかかった。そのあまりの悲惨な状況に、想像することが出来なかったのだ。
「そんな……」
呆然とするウーノを置いて、イネッサの声が荒くなる。
「だから、アタシが喉に穴開けて、流動食を用意してやってたんだ。毎日毎日、下の世話だってしてやったさ。それなのにアイツは……生きようとしなかった!回復魔法をかけても、自分じゃ使わない。ただ、死ぬのを待ってるみたいに、ぼーっとしてるだけ!」
「感覚器官を喪失、手足も。それを貴女が看護していたと。それも、手厚く」
感情的に、吐き捨てるようなイネッサに対して。努めて冷静な態度を取って、エカテリーナは短くまとめた。そして、ウーノは思考が追いつく。彼はただ、絶句していた。
手足がない。目も、耳も、口も。
ミーシャは、どんな思いで終戦後を過ごしていたのか。暗闇の中、何も聞こえず、何も言えず。生を望まず、死にもせず。きっと未だに、自分は夫を幸せにできないと、手紙に書いたとおり、信じ込んでしまっているのだろうか。
あぁ、それならば!すぐにでも抱きしめたい!何とかして、自分はここにいると、愛していると、伝えたい!
その衝動を必死に抑え、ウーノは声を絞り出した。
「……なのに、なぜ売った?そんなに手厚く、看護してたのに」
イネッサは大きく息を吐いた。苛立ちと、何か別の感情が入り混じった、重い吐息。
「スーラフ人が来たんだよ。5人、みんな魔法使いさ。捕虜を一人、買いたいってね」
「噂話を、聞きましたわね。スーラフ人が流れ水の民の捕虜を、買いたがっていると。でも何故?」
「はっ。知ったら驚くだろうねぇ。奴ら、アタシがスーラフ語を分からないだろうと決めつけて、色々話してた。だから無知なふりして、情報収集してたのさ」
「それで……金に目が眩んだのか?君は」
ウーノの震え声の問いかけに、イネッサは嘲笑するように、とびっきり顔を歪めて大笑いした。
「アッハッハッハ!金か!あぁ、金目当てでアイツを売ったんだったら、アタシはもっと胸張ってたさ!いいさ、教えてやるよ!奴らの目的は……」
「目的は?勿体ぶらずに言ってくださいまし!」
イネッサはまるで喉に何か詰まったように、言葉を止めた。エカテリーナはそれを単なる焦らしだと考えて、苛立たし気に声を高めた。
しかし、イネッサはゆっくり頭を振って、顔を手で覆った。手のひらの間から、細い声が漏れ出て来る。
「……人体実験。魔法使いを魔導戦車の材料にする。買われた捕虜は、生きたまま体を切り刻まれて、死ぬことになるんだよ。あいつらミーシャを見て、笑ってやがった。『心臓が動いたままバラバラにするから、こいつなら抵抗されずに済みそうだ』ってね」
ウーノは背筋が凍った。そしてそれ以上に、エカテリーナは愕然として、ヨロヨロとへたり込んだ。
この世界に、外科手術は無い。ほぼ全ての医学的問題は、回復魔法と身体強化魔法のごり押しで解決される。解剖学などもってのほかだ。
故に、戦争や魔物との戦い以外で人の体が破損することは、極めてまれだ。だからこそ、戦いでも無いのに人の体を、それも生きたまま切り刻むなど。それは現地人のエカテリーナ、そしてイネッサには、ウーノが感じる以上に非人道的な、冒涜的な行為だった。
「……ゆ、許されませんわよ……そ、そんなことは、許されませんわよ!」
想像だけで、気分を悪くしたのか。交渉相手を落ち着けるために、自分で自分の右腕を切り落とす胆力の持ち主のエカテリーナが、顔を青くして呻いた。
今まで自分を見下ろしていた雷女帝が、そうした弱さを見せたことに。イネッサは喜び半分、胸糞悪さ半分で、唇を歪ませた。
「誰が許さないって言うんだい、誰が。誰も許さなくても、奴らはやるさ!戦勝国ってのは、そう言うもんだ!ポツカだって、スーラフの影響が強い!看守の奴らが同情したって、連中が強く求めれば、捕虜の誰かを引き渡さないといけないんだよ!」
「……それでミーシャちゃんを、生贄にしたのか」
ウーノの呟き。怒り、悲しみ、同情。方向性の違う、色々な感情が入り混じった声は、酷くかすれていた。
「ああ、そうさ。ミーシャは回復魔法を自分に使わない。生きるつもりの無い奴の看護は、気力が萎える。それなら……他の奴より、コイツを生贄にする方が良いって、思っちまったんだ」
イネッサは視線を落とした。
「だからって……!」
責めたい、怒りをぶつけたい。しかしウーノの言葉は、続かなかった。
誰かを犠牲にしなければ、生き残れない状況で。死にたがっている物言わぬ誰かの代わりに、自分が生贄になると、名乗り出られるだろうか。
分からない。
沈黙。
誰もが目を伏せ、黙り込む中。イネッサは顔を上げ、ウーノを真っ直ぐ見据えた。
「だから、もうミーシャは死ぬ。もうすぐ、死ぬんだ。諦めな」
その言葉が終わるより早く、ウーノは立ち上がっていた。
「追いかける」
「……は?」
「追いかけるんだ。スーラフの連中を」
イネッサは目を見開いた。
「スーラフの奴らを襲うのかい!?そこらのチンピラや軍人崩れじゃない、スーラフの魔法使いの正規兵だよ!全員で5人は居たはずさ!正気かよ!」
「ああ、正気だ」
「正気じゃない!」
イネッサの言葉を無視して、ウーノはエカテリーナに向き直った。
膝をつき、へたり込む彼女の手を、静かに取る。
「エカテリーナ。危険な道だし、戦いの大部分は君任せになる。それでも……お願いだ。手伝ってくれ」
蛮行を越えた蛮行、非人道的で残虐な計画を知り、へたり込んでいたエカテリーナ。
そんな彼女は、自分の今の状態を理解すると、頬を赤くして慌てて立ち上がった。
取り繕うように頬を手で押さえ、彼女は膝をついたままのウーノの腕を引き上げて、正面から肩をバンッと叩いた。
「もちろんですわよ!聞かれるまでもありませんわ!あぁ、本当に、ウーノにお願いされる前に、自分から言い出したかったですわね!本当に、貴方って殿方は……大した度胸ですわよ」
彼女の声は、いつもの通り穏やかで、しかし力強かった。
「ありがとう」
結局女頼り。心の中で、そんな疑問が聞こえる。しかし、そんなのは気にしてられない。
一番大切なのは、妻を救うことだ。こんな非常時に、男らしさだとかプライドだとか、悩んでいる方が『雄々(女々)しい』のだ。頼れる者は頼る。
「馬鹿だろ、アンタら……」
スーラフの魔法使い正規兵、それも5人。普通、男一人と女一人で挑む相手では無い。にも拘らず、即座に決断し、それを了承した二人に。イネッサは呆れとも、あるいは羨望とも取れる声で、呻いた。
「あら、失礼ですわね。わたくしを誰だと思ってますのよ。勝算は十分、ありますわよ」
エカテリーナは泰然と微笑み、先ほどへたり込んでついた埃を払う。旅装の革のドレスが、固く揺れる。
イネッサはガリガリと頭を掻き、天井を仰ぎ、そして……叫んだ。
「金はあるんだろう!それでアタシを買いな!手伝ってやるよ!」
「……手伝う?」
「ああそうさ!スーラフの連中の行先、アタシは知ってる。魔境の西側の街の、ズドルイだ。しかし今から追いかけたって追いつけやしない、同じ道を通るならね。でも囚人護送用の安全ルートなら、先回りして待ち伏せできる。その道を案内してやるさ。そしていざって言う時の襲撃だって……アタシも、戦力として数えな」
ウーノとエカテリーナは顔を見合わせた。
「……先に教えろ、そのルートを」
ウーノの要求に、イネッサは肩をすくめた。そして、交渉材料にすることもなく、あっさりとルートを説明した。
監獄から西へ向かう街道、途中の分岐点、目印となる岩場。詳細な情報だった。
「何で知ってるんですの?そんな情報」
「へっ、快適な監獄生活には、知ってはいけない情報を知っておいて脅すのが良いのさ。多少ナマ言ったって、アタシら流れ水の民の戦争捕虜は基本、魔法使い。暴動起こされたら困るから、奴らも譲歩してくれる」
エカテリーナは少し悩む素振りを見せた。
「……確認して参りますわ。スザンナ、と言いましたかしら、さっきの看守。あぁ、でもウーノが一人に……」
エカテリーナがチラリとイネッサを見る。彼女は肩をすくめて口を挟んだ。
「アタシはコイツに刻印があるの、知ってるさ。アイツが居ないところで、手なんか出さないよ。さっきだって、触らなかっただろう?」
エカテリーナはそれでも不安げだが、ウーノは少し考え、頷いた。
イネッサは女らしい女だ。プライドがある。曲者で人を揶揄いおちょくるのが好きな性格でも、今この場で、嘘をつくような女では無い。
「大丈夫だ。エカテリーナ、情報の裏取りを頼む」
「……分かりましたわ。すぐ戻りますわね」
エカテリーナは部屋を出て行った。
残されたウーノとイネッサ。沈黙が流れる。
「……一つ、聞いていいか」
「何だい」
「何で、そこまで世話してたんだ?結局売ったとしても、手厚く看護してた。君がミーシャちゃんを大切にするようには……正直、思えない」
イネッサは鼻で笑った。しかし、その笑みには自嘲が滲んでいた。
「アイツにゃ、借りがあるんだよ」
「借り?」
「終戦間際、アタシを禁術から庇いやがったのさ」
イネッサは足を組み、背もたれに深く体を預けた。
ミーシャを助けるのに協力する、そう決めて心の重荷も取れたのだろう。少しずつ、いつもの態度が戻りつつある。
「君も、決死隊とか、殿になるのを強要されて?」
「そんな所さ。流れ水の民への風当たり、きつかったね。最初の方は、アタシはこの持ち前の社交性で、部隊の中でそれなりに居場所作ってたけど……」
「社交性、ねぇ……」
社交性と言うか、弱みを握って脅すのが上手いだけでは?先ほどの言葉を聴いていると、ウーノはそんな感想を持った。
「へっ、ミーシャの奴とは違うのさ。しっかし、ところがどっこい、自分の部隊は篭絡しておいたが、他の部隊から『流れ水の民は最前線に行け』って強要されてね?……いつかあの連中に、煮え湯を飲ませてやる」
イネッサはとぼけた声音で大仰な身振りをする。まるで、なんてことの無かったように語りながら。
しかし彼女の目が、一瞬だけ暗く光ったことに、ウーノは気が付いた。出会った日、ミーシャに押し倒された時も見た、濁った瞳の色。
「……あー、それで?」
「おっと、それで適当に戦って逃げようと思ってたら、ピンチになっちまってね。そこを、あの泣き虫ミーシャに助けられたってわけさ。生意気なことしてくれたじゃないか、って話だよ。だから、借りを返すために看護してた。それと……」
「それと?」
「治ったらイジメて遊んでやろうと思ってたのさ。『看護してやった借り、どうやって返してくれんだい?』ってね」
イネッサの口調が、徐々に軽くなっていく。いつもの、人を食ったような態度が戻りつつあった。
「それは、ミーシャちゃんだって君の命の恩人なんだから……」
「アタシはアイツが居なくたって、何とか生き延びたさ。それに、アイツは一瞬、一度だけ。一方でアタシは何日もずっと付きっ切り。アイツの負債の方が、随分とでかいじゃないかい。さーて、アイツが目を覚ましたら、どうやって取り立ててやろうかねぇ。アンタと一発、やってやろうか?」
まるで取引を楽しんでいるような余裕。人様の夫を値踏みするような目つき。
ウーノは呆れたように息を吐いた。しかし、彼もまた、口元に笑みを浮かべた。
「パンツくらいなら、あげてもいいよ。働き次第で」
「……は?」
イネッサは面食らった。予想外の返しに、一瞬、言葉を失う。
「それとも、ヌード写真の方が良いかな?」
恥ずかしげもなく、いや少し照れながら、しかし堂々と言い放つ態度に。一本取られたとイネッサは舌打ちをする。
「ちっ……あぁ、そうだったよ、アンタは。そう言う男だった。アタシでも揶揄うのに苦労するんだ、ミーシャの奴、これからどうなるか、見ものだねぇ」
皮肉気に、しかしイネッサは楽しそうに笑った。
その時、ドアが開いた。
「何の話をしてますの?」
エカテリーナが戻ってきた。紫色の目が、イネッサを睨んでいる。
「おお怖い。でもこれは、アタシとアイツの問題だよ」
イネッサは軽く受け流した。エカテリーナはしばらく睨んでいたが、やがて諦めたように息を吐いた。
「……まあ良いですわ。確認は取れましたわよ」
「どうだった?」
「ええ、ミーシャが売られたのは本当でしたわね。『英雄ミーシャもついでに買いたい』と言ったら、彼女は売られたと。安全ルートの情報も、正確でしたわ。教えられない、と一度は断られましたけど……すでに知っている、ただの確認だ、って言って情報を小出しにしたら、あっさりベラベラ話してくれましたわよ」
「へー、雷女帝サマも取引がお上手で」
イネッサのヤジを無視して、エカテリーナはウーノを見つめる。裏取りが出来た。イネッサは嘘をついていない。
それを受けて彼は、強く頷いた。
「……分かった。イネッサ、この金で君を解放する。ミーシャちゃんを助けるのを、手伝ってくれ」
「へへ、後悔はさせないさ。じゃ、アタシはちょっと抜けるよ」
イネッサは立ち上がった。
「抜ける?」
「涙の別れってやつがあるのさ、色々と。あの連中にも、世話になったからね」
イネッサは軽く手を振って、部屋を出て行った。
残されたウーノとエカテリーナは、顔を見合わせた。
「……曲者ですわね、本当に」
「ああ。でも、ミーシャちゃんを助けたい気持ちは、本物だと思う」
「そうですわね。さて、手続きを進めながら……ブランシェのこと、どうしましょうかしら?」
ウーノは表情を曇らせた。
スーラフの一団と戦うことになる。ブランシェに、それを求められるだろうか。
「……イネッサが出てる間に、話してこよう。彼女の意思を、確認しないと」
エカテリーナは静かに頷いた。




