290日目④
「愛国心、かぁ……」
最後の休憩ポイントに到着し、体を休ませている最中。ウーノはふと呟いた。
「どうかしましたの?」
「いや、俺も流れ者だから、ラシスカへの愛着と言うか、愛国心に欠けるんだけど……子供を育てる上では、やっぱり帰属意識と言うか、アイデンティティの形成に、重要なのかなって」
荷物を背もたれに座っていたブランシェは、唐突な発言に半笑いで反応した。
「アハハ、どしたん、いきなり。あーしのこと言ってるん?」
「いや、そう言うつもりじゃなくてさ。その、ミーシャちゃん、妻が徴兵を受け入れたのも、愛国心と言うか、そう言うのが関係してるんだ。彼女も幼少期は母親と色々旅してたらしくて。自分の子供には、同じような苦労をさせたくない、ちゃんと居場所を作ってあげたい、そう言って出征したんだ」
「うーわ、ご立派!色々考えてたんだね、旦那さん」
「ああ。だから俺も、村で居場所を、妻が帰ってくる場所を作ろうと、頑張ってたんだけど……ちゃんとラシスカ人としての意識とか、愛国心とか。俺も、持たないとなって。でも愛国心ってさ、何だろうね」
自分も元日本人として、日本と言う国の文化や歴史に、少なからず愛着もあるし郷愁がある。しかし、ブランシェの話やエカテリーナが以前話した戦争観を聞くと、どうも自分の思う愛国心と彼女らの愛国心は、定義が違うのではないかと思えた。
まあ、日本にいたころは、戦争と愛国心を結びつけることが半ばタブー視されていたから、考える機会も少なかったのだが。この世界、あるいはラシスカでは、戦争と愛国心は密接な繋がりがあるように思えた。
色々な意味を込めて、エカテリーナに視線を向ける。色々と戦争観について深い洞察を持っている彼女なら、何かいいアドバイスをくれるのではないかと。
雷女帝の語る愛国心の意味に興味があるのか、ブランシェも身を乗り出した。
しかし視線を向けられた当人は、困り顔で口元を覆い、首をかしげた。
「愛国心、ですの……?難しいですわね……そりゃあ、わたくしだってラシスカ人としての民族意識はありますし、ラシスカそのものを馬鹿にされたら怒りますわよ?でも……ラシスカは帝国。多くの異民族を吸収し巨大化した国家。文化や伝統も地域差が激しいですの。そして、それをまとめる皇帝や貴族……特に貴族を、わたくしは嫌ってますわ。だから、一言で愛国心とは何か、って言うのは難しいですわね」
明言を避けるエカテリーナに対して、ブランシェは首をかしげる。
「それならなんで、あんたは戦争で戦ったん?あーしはまあ、言った通りスーラフ人として認められたいとか、そんな理由だったけど」
「戦友のためですわよ」
今度は即答。
「戦友、ねぇ?その心は?」
ブランシェの更なる問いに、迷いない調子でエカテリーナは言葉を紡ぐ。
「何のために戦ってるか、人それぞれでしょうけど……戦友がそこに居るなら、わたくしだけ逃げ出すわけには、行きませんもの」
「うーん、それってプライドが許さないってこと?」
「遠からず、ですわね。塹壕と言う家で、殺人と言う罪を共に犯し、地獄の日々を支えあう……血縁よりも濃く、友情以上に呪われた、戦友と言う関係を。わたくしは、愛してますのよ」
どこか遠くを見るように語るエカテリーナ。ウーノからすると、彼女の口ぶりは、どこか戦争を美化するような、そんなある種の郷愁があるように感じられた。
同じことを感じ取ったのか、ブランシェがポツリと口を開いた。
「エカテリーナは、もう一度、戦争したいん?」
その問いに、エカテリーナは大きく苦笑した。ウーノの心配そうな眼差しを見て、自分の言葉が色々と想像の余地があったと、自覚した。
「嫌ですわよ!まあ、わたくしにとって、戦場がただクソッタレなだけでは無かったのは、事実ですわね。塹壕の中には、貴族も平民もありませんわ。魔法使いかそうでないか、その差はあれど、皆ただの兵士。家名も、血筋も、関係ありませんの。わたくしが、ただのエカテリーナで居られる、強者として自己を肯定できる、戦場にはそんな思い入れがあるのは、事実ですわ。でも……やっぱり戦争は、悲劇ですもの。どうしようも無くならない限り、起こすべき物じゃありませんわよ」
戦争をどこかで愛しつつも、明確に否定するエカテリーナ。それを見て、ウーノは少し安堵した。
「俺は、もうミーシャちゃんに戦争には行って欲しく無いね。娘が生まれても、行って欲しく無い」
「誰だって、そうですわよ。でも、行かざるを得ない。世間体なり、なんなりで。だから、もしもの時は……わたくしが、面倒を見て差し上げますわよ。ミーシャも、二人の子供も」
頼もしい言葉だ。しかし、あまり受け入れたくもない言葉。
だが、それはしょうがないのだろう。彼女と自分では、生まれ育った価値観が、違い過ぎる。ここで頷くのも、愛国心には必要なのだ。
「……そうだね。よろしく頼むよ。でも、ミーシャちゃんがエカテリーナのこと、大切な友達だって言ってたけど……君にとっても、そうなんだね」
「オホホ、そうですわね。ナジンカとも色々あって、戦後になって彼女を戦友と呼びましたし、ウーノも戦友と言いましたけど……前の戦争で一番長く、一緒に戦場を渡り歩いた戦友は、ミーシャですもの。色々と、格別ですわ」
自分とエカテリーナは、色恋抜きで良い関係を築けていると思っていたが……ミーシャとエカテリーナは、また違う、より深い友情が、あるのだろう。
自分以上に妻と長い時間を過ごした彼女に、ウーノは今更ながらに、少しだけ嫉妬した。
「ふぅー、あーしも、そうだったのかも。国のためとか、認められたいとか、色々言ったけど……でも戦い続けたのは、隣で一緒に戦ってる奴らを、見捨てられなかっただけでさ。あーしの戦友は、今頃何してっかな。スーラフって国自体とは、アレコレあったけど……みんなどうしてっかな」
「今は、ガマニアとスーラフは休戦状態と聞きますわ。元気にやってるんじゃなくって?」
エカテリーナの言葉に、ブランシェは小さく笑う。しかしその後、少し暗い顔になった。
「でもさ、その戦友が、敵になることもあるじゃん?国が違えば、昨日の友が今日の敵。あーしが会いたい奴らも、次に会う時は……殺し合いかもしんない」
重い沈黙が落ちた。
ブランシェは大きくため息をつき、伸びをした。体を伸ばし、立ち上がる。喋っている間に、体は十分、休まった。
ウーノとエカテリーナも立ち上がり、最後の1割の道のりを、歩き始めた。
少し暗い空気の中。わざとらしい軽薄な態度を取りながら、ブランシェは観光ガイドを始めた。エカテリーナも、それに乗ってアレコレと質問をする。
ウーノもちょくちょく突っ込みを入れながら、先ほどの会話を反芻した。
愛国心とは何か。その答えは、まだ出ない。
でも、一つだけ分かったことがある。
エカテリーナは、必ずしも国のために戦ったんじゃない。
ブランシェも、認められたいという気持ちはあっても、戦友のため、という動機もあった。
ミーシャも……村に居場所を作りたいと言っていたけど、結局は夫のために、未来の子供たちのために、戦場に行った。
愛国心は、抽象的な『国家』への愛じゃない。
具体的な『誰か』への愛が、積み重なって、国に向けられるようになるんだ。
現代日本で生まれ育ち、ラシスカ人であることがアイデンティティに関係ない自分が、ラシスカに愛国心を持つとしたら。
それは、ミーシャを愛し、村の人々を愛し、エカテリーナを始めとしたこの旅で世話になった人々を愛し……その積み重ねの先に、あるのかもしれない。
ウーノは日陰に残る霜柱を踏みしめながら、チラリと振り返る。
凍り付いた大地に、自分たち3人の足跡が、確かに続いていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
まただ、またイネッサの声。正直うっとうしい。いい加減にして欲しい。
もしかして、耳が聞こえるようになったのかな?一瞬そう考えた。でも、他の音は何も聞こえない。だから多分、違うと思う。
「アンタともそろそろお別れだ。清々するね」
「こちらのセリフです。最近うるさいですよ、イネッサ。もう少し静かにして下さい」
大声で言ってやった。大声と言っても、頭の中でだけど。
返事は無い。ずっと、一方的に話しかけて来るだけ。幻聴なら、もう少し面白味が欲しい。
でも今日は、あんまり声が聞こえない。もう終わったみたい。
肌に張り付く、ガラスの感触。触覚も馬鹿になって、押されてるとかそれくらいしか、分からないけど。でも最近、お腹の方にまで、ガラスが侵食して来た。
私は少し身じろぎして、お腹のガラスを割った。
お腹は、綺麗なまま、死にたい。刻印があるから。この刻印だけは、汚したくなかった。
それに……ここは、赤ちゃんを産むための場所。自分でも呆れるけど、浅ましいと思うけど。それでも私は、そうしたかった。
もう生きている意味は、無いというのに。それでも私が、まだ死んでないのは。
たぶん、この未練のせいだと、そう思う。
叶うことは、無いのだけれど。




