290日目②
主と呼ばれる魔物、それは氷象だ。他の季節では解けかけの小象だが、冬になると氷を身にまとって超大型になる。
「なんか前より大分でかい!2倍くらいのサイズ感!」
ブランシェは記憶の中より巨大化した氷象を見て叫んだ。
その大きさは全高だけなら、地下水路に押しこめられたジャガーノート型に匹敵する。魔導戦車疑惑の深まる巨大な氷象は、自身のテリトリーである凍り付いた湖への侵入者を見つけると、耳障りな咆哮を上げた。
『PGUOOOONN!!』
鳴き声そのものは象に似ているが、痰の絡まったようなガラガラな叫び。音波が地面を揺らした途端、白い暴風が押し寄せた。
視界を奪い、肌を切り裂く氷の礫。
そして氷は、飛んでくるだけでは無い。吹雪の中、鋭い氷の棘柱が次々とせり上がってくる。
エカテリーナは地面を見てそれも避けながら、雷をまとった拳で氷柱を砕き、前進を試みる。しかし、砕いた傍から新たな柱が生成され、一向に距離が縮まらない。
「グゥッ!主と呼ばれるだけありますわね!」
エカテリーナは前進を諦め、距離を取る。
視界が晴れて辺りを見回すと、ブランシェの姿が見えた。
「後30秒!」
エカテリーナはその呼びかけに、もう少し粘るかとジグザグに走りながら、再び氷象へと向かって行く。
再び敵を排除するための吹雪が放たれる。威力はそこまでだが、何分範囲が広い。吹雪が通った後に残る氷壁も邪魔だった。
危険度は低いが、どうにも時間がかかる敵。それがエカテリーナの下した評価だ。ミーシャの救出を目前としたいまだと、どうにも焦らされる。
しかし、今回は時間はかかるが威力はピカイチの仲間がいる。
そろそろ時間か。そう思ったエカテリーナは、頂点を砕いたせり上がる氷柱を足場に、宙へと大ジャンプをした。
「お、合ってましたわね」
「避けて!って、あはは、息ぴったしじゃん!」
上空に避難したエカテリーナを見て、ブランシェは大きな声で笑った。
良い連携が出来た。その事実に、彼女は何よりもホッとする。
そうだよ。こんな相性良いんだから。
自分の不安とは本来無関係なちょっとしたことをこじつけて、ブランシェは指を鳴らした。
エカテリーナは、ただ無謀に突撃をしていたのでは無い。主の注意を引きつけ、ブランシェが壁を形成する時間稼ぎをしていたのだ。
ドッッーーン!
主を半分ほど覆う、半円状の天井が開いたドーム。それが内側に爆破され、硬質化した棘と爆風、熱波が氷象へと押し寄せる。
エカテリーナは爆風に乗り、飛び散る破片を器用に蹴って、ブランシェの横へと着地した。
見立てでは、この一撃である程度負傷させ、魔法の使用頻度を低下させられるはずだった。
しかし爆風が晴れた時。そこには吹雪をまとった氷象が、ほとんど無傷で君臨していた。
「あれー?おっかしいなぁ、昔戦ったときは、これで結構削れたんだけど」
「……悠長にしてる暇はありませんわね。来ますわよ」
首をかしげるブランシェを押し出して、エカテリーナは左右に散会する。
身にまとった吹雪を解放し、再び攻撃手段としてこちらに放ったのだ。
その氷と暴風の奔流を、エカテリーナは足に雷を流し込んで避けていく。吹雪が過ぎた後には、逆さのつららのような、人ほどの大きさの氷柱が何本も生えている。
氷象は執拗にエカテリーナに向けて、吹雪を放つ。ブランシェの脳裏に、あの幻聴の言葉が思い出される。
「この……こっちを見ろ!」
ブランシェは叫びながら、棘球を投げて爆破した。しかし吹雪でガードする仕草は見せても、狙いは変わらない。
エカテリーナだけが、吹雪の標的として追われるだけだ。
「ブランシェ!一旦退きますわよ!」
エカテリーナはブランシェの下に戻ってきて、声をかけた。
ようやくクールダウンに入ったのか、氷象が吹雪を止めたのだ。しかし防御用には魔力を残しているのか、体の表面には氷の暴風が走っている。
とりあえず作戦変更と、二人はウーノを待たせている洞窟へと走って行った。
洞穴に戻ると、ウーノが暗闇の中、豆電球を灯して待っていた。
塹壕での発明をある程度形にした彼は、洞窟の中だし魔導具松明よりはと思い、食事の準備をしつつ待機していたのだ。
「おかえり……って、二人とも、ひどい顔してる。大丈夫?」
エカテリーナは険しい表情で、ブランシェもまたどこか不安げな顔だ。
「大丈夫じゃありませんわ。あの主、普通じゃない。吹雪の出力が異常ですの。ブランシェの魔法も、あまり効きませんでしたわ」
エカテリーナは体についた氷を払いながら、状況を説明した。
自慢の熔鉱爆弾が効かず、気落ちしているのか。そう思ってウーノがブランシェを見ると、彼女は黙ったままその場に座り込んだ。
「異常、ね。もしかしたら……例の」
「ええ、可能性がありますわね」
言葉少なくやり取りするウーノとエカテリーナに、ブランシェは黙ったまま見上げる。
その視線の意味に気が付かないまま、ウーノは荷物を持って洞窟の外に向かった。
「……俺、ちょっと見てくる」
「え、危ないですわよ!」
「大丈夫、直ぐそこから、双眼鏡で見るだけだから。君たちは休んでて」
塹壕戦の多いこの世界でも、遠くを見る道具は……実はあまり、発達していない。何故なら荒い作りの望遠レンズを使うより、目に身体強化魔法を重点的にかけた方が、遠くを見れるからだ。
必要は発明の母と言うが、そもそもその必要が無いので発明も少ない。
とはいえ、氷のレンズで作る虫眼鏡はあるので、双眼鏡や望遠鏡自体もあるにはある。ウーノは魔境の旅に備えて自力で角度を調整して、精度を高めた物を用意したのだ。
「……大丈夫そうですわね。あら、ブランシェ、どうかしましたの?」
ウーノが言葉通り、洞窟の入り口に留まっているのを確認したエカテリーナは、振り向いた先で耳を抑えて縮こまっているブランシェを見て、心配そうに声をかけた。
「……るさい」
「耳が冷えましたの?貴女、火の魔力があるんだから、そう言うの無縁でしょうに」
とりあえずのコミュニケーションで、エカテリーナは手をかざして回復魔法をかけてやった。
別に重傷を負った訳でも無い魔法使いに、回復魔法は不要だ。しかし、気遣いとして態度に表すことは、共に戦う仲間として、重要である。
「……うるさいうるさいうるさい!黙ってよ!ねぇ!」
しかしブランシェは、エカテリーナの手を振り払うように立ち上がり、耳を塞いだまま絶叫した。
「……どうかした?」
ビックリしたエカテリーナと、大声を聞いて戻って来たウーノ。二人の顔を見たブランシェは、泣きそうになりながら蹲った。
「……ゴメン」
小さく呟いて、彼女は再び耳を塞ぐ。
そんなに熔鉱爆弾が効かなかったのが気に食わないのかな?いや、違うと思いますわよ。
そんなやり取りをアイコンタクトしつつ、ウーノは気を取り直して観察の結果を報告した。
「多分あの氷象は、魔導戦車だね。操縦者が中にいるタイプの、アジ・ダカーハ型とかジャガーノート型と同じやつ」
「間違いありませんの?」
「ああ。呼吸動作とかまばたきの回数から言って、間違いない」
ウーノが断言すると、エカテリーナはムムゥと唸る。やはりブランシェに、かい摘んで事情を話すべきだろう。
しかしその決断を下した彼女が口を開くより早く、ブランシェはユラユラと立ち上がった。
「アハハ、アハハハ!なーんだ、これ、幻聴じゃ無かったんだぁ……そっかぁ、全部全部、織り込み済みの命令だったんじゃん……ねえ、二人ともさっきから、何の話してるの?なんかあーしに隠してるよね」
顔を俯かせたまま、調子外れに元気な声で尋ねる。
隠してる、その指摘にウーノは、頭を掻いた。エカテリーナをちらりと見る。
最終的に同意したのは俺だ。それに、話しにくいことを毎回説明させる訳には、いかない。
ウーノは口を開こうとするエカテリーナを押しとどめて、言葉を選んだ。
「あの氷象、魔導戦車なんだ。それで、ビウクニツとか、シュチェンで、超大型……あの氷象より大きな魔導戦車と、戦っててさ。ジャガーノートとか、アジ・ダカーハを模倣した。俺たちはそれを、スーラフ側の工作活動だと、考えてた。まさかここでも、と思ってたんだけど……スーラフの陰謀、って言うのは、俺たちの推測。正しく言うなら、蒸発委員会って言うスーラフに協力している流れ水の民の組織が、この件の主犯なんだ」
ウーノの説明に、ブランシェは顔を上げた。歯を噛み締め、口角を上げた、笑顔と言うよりは野生動物の威嚇のような、そんな表情を浮かべていた。
「それで……スーラフ人のあーしは、信用できないって、思ったんだ」
「そうではありませんわ。いえ、少なくともウーノは、この件を伝えるべきだって言いましたの」
エカテリーナがウーノを庇い、口を開く。しかし、それはブランシェを宥めるより、犯人の自白に聞こえてしまったようだ。
「そっかぁ……それで、信用ならないスーラフ人は……殺しちゃえってことなんだ!」
ブランシェは地面を蹴る。飛び上がった泥が宙を舞い、彼女はそれを掴んだ。棘ボールですらない、ただ掴んだだけの握りつぶされた土。しかしそれは既に硬質化し、赤熱している。
小型の爆弾と化したそれを、ブランシェはウーノの側で、握りしめていた。
エカテリーナは動けなかった。ブランシェとウーノの距離が近すぎたのだ。
無論、エカテリーナとて警戒していた。不和の場面、僅かでもウーノに危険性があれば、直ぐにブランシェを突き飛ばす。
しかし、彼女の想像以上に、ブランシェは事態をエスカレーションさせた。
「ブランシェ、今言ったとおり、ウーノは貴女を、擁護してましたわ。彼だけは、巻き込まないでくださいまし」
しかし、雷縮地は使える。ブランシェを殺すことになるが、ウーノは守れる。
ウーノを人質に取られ、一瞬怒りが沸騰した。しかし最終手段が残されている余裕が、エカテリーナを交渉の思考に切り替えさせた。
「はっ、ヤダよ。あーしじゃ、あんたに勝てない。安心して、ウーノっちは殺さない。殺したらすぐ、あーしも殺されちゃうし……でも、どーしよっか!?アハハ、みんなまとめて吹き飛ぶ?あーしもろともさぁ!」
計画的な犯行では無いようで、ブランシェは不安定に乱高下する声音で笑う。
自暴自棄になった立てこもり犯状態の彼女を落ち着けるべく、エカテリーナは必死に頭を動かした。
「……しかたありませんわね」
エカテリーナは左手に、魔法剣を生み出した。黄金の剣が、空気を焼きオゾン臭を漂わせる。
「ん、なにぃ?やる気?言っとくけど、あーし、3,4発ならやり合えるけど」
戦闘態勢かと思ったブランシェは、破滅の臭いにニタりと笑った。
エカテリーナの不意打ちの拳を、一度は受け止めた彼女。全力でのタイマンでも、一撃で沈まず反撃できる自信があった。それは、近くに居るウーノが巻き込まれることを意味する。
何もかも全部、ダイナシ。もー面倒だし、それでもいっか。
そんな風に考えていたブランシェの歪な笑顔は、想定外の光景を前に凍り付いた。
「……ぐぅ、ああぁ!っふ、っふ、うぅ……これ、で、安心、出来ますかしら」
ドサリ。ブランシェの前に投げ出されたそれ。エカテリーナの右腕。
彼女は自らの魔法剣で、肘から先、自身の利き腕を切り落として見せたのだ。
「え、エカテリーナ!ちょ、待ってくれ!」
突然の凶行に先に悲鳴を上げたのはウーノ。彼は投げ捨てられた右手を拾おうと足を前に出した。
そんな彼の眼前に、ブランシェは即席爆弾を突き出し制止させる。
「動かないで!……いや、良いよ、行って」
一瞬止めたものの、ブランシェは腕をだらりと下して、ウーノがエカテリーナの方へ行くのを許した。
彼は刺激しないよう、両手を上げたまま、そろりそろりと、エカテリーナの方へ歩いた。
「お心遣い、感謝しますわ」
「ふぅん、どうだか……まぁ、その覚悟に免じて、少しは言い訳、聞いたげる。ねぇ、教えてよ。何を隠してたの?あーしのこと、『不安要素』って、聞こえたけど?」
エカテリーナは傷口を雷撃で焼くと、痛みにしかめた顔を鎮める。そして泰然とした、なんてことの無い表情を浮かべ、相槌を打った。
「……聞いていましたのね」
「風に乗って、聞こえてきた。『スーラフ人だから信用できない』『秘密にして』『不安要素は減らそう』……全部、聞こえてたよ」
ブランシェの声が、震えている。彼女はウーノとエカテリーナ、交互に視線を向けた。
しまったな、俺のセリフの方が彼女に不信感、与えてないか?今更ながらにウーノは内緒話を後悔した。
「それは、断片的な情報ですわよ。その言葉には続きが……」
「信じてたのに!あーし、二人のこと、信じてたのに!仲間だって、思ってたのに!」
しかし、ブランシェにエカテリーナの言葉は届いていないよう。彼女は『聞いたげる』と言った己の言葉を取り下げるように、喚きたてた。
「違いますわ、ブランシェ。わたくし達は……」
「……うるさい、うるさいうるさい!あーしに命令するな!黙って、黙ってよ!」
脈絡なく、ブランシェは幼い子供がするように、耳を塞いでうずくまった。
握りしめていた小型爆弾が地面に落ち、赤熱が消えていく。ただのガラス質の土くれに戻ったそれに気が付かず。彼女は耳を塞いで、イヤイヤと首を振った。
何かがおかしい。そう思ったとき、ウーノは風を感じた。それは、洞窟に吹くには奇妙な、強く吹き付けるような、それでいて一定の強弱のリズムのある風。
何となしに、ウーノは風魔法での声の増幅が思い出された。大河川の対岸の声を聴きとったり、タチアナの最期の言葉を聴きやすくしてくれた、あの魔法を。
風で声を増幅できるなら、風に声を乗せて遠くから、特定の誰かにだけ届くように、出来るんじゃ無いか?
「エカテリーナ、あの消音の風の魔導具、使ってくれ」
「今ですの?いえ、分かりましたわ」
疑問を挟むも、信頼関係からエカテリーナは直ぐに魔導具を取り出し、起動した。
洞窟内を風の渦が包み、周囲の雑音を消し去る。
「あれ?消えた……」
不思議そうにブランシェが顔を上げる。そしてこちらを覗き込む、心配そうな二人も。
「大丈夫かしら、彼女」
「落ち着いたみたいだけど……」
そして、ブランシェは気が付いた。自分が今、とんでもない隙を晒していると。殺すなら、絶好の機会だったであろうと。
「何で、あーし……生きてるの?」
小声の問いかけに、応えは無い。ウーノは洞窟から身を乗り出して、双眼鏡を握っていた。エカテリーナも、その背中を見守るだけだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
生きてる。
爆弾を落として、耳を塞いで、蹲って。
あんな隙だらけの状態、殺すなら絶好の機会じゃん。
エカテリーナなら、一瞬で片付けられたはずだし。
でも、生きてる。
……あの男の声は、『奴らはお前を始末するつもりだ』って、言ってた。
でも、殺されなかった。
じゃあ、あれは……嘘?
「洞窟の向き的に、多分あの氷象からだ。風で声を飛ばしてたんだよ」
「なるほど、それならブランシェは、よっぽどひどい内容、聞かされてましたのね。あぁ、ブランシェ!もう大丈夫ですわよ!」
肩を叩かれた、痛い。片手無いのに、なんなん、この馬鹿力。
分かんないだらけの中で、ただその痛みだけが、頭の中にスッと飲み込まれる。
痛い。生きてる。二人はあーしを、殺さなかった。
声はもうしない。誰も、命令してこない。
「ブランシェ、大丈夫?とりあえず、何か飲み物を……って、エカテリーナ、手!手を踏んでる!自分の手、踏んでる!」
「あら、本当ですわ。そう心配しなくて良いですわよ。ちゃんと断面、綺麗に切り……焦げてますわ!?あぁ、これだから魔法剣、嫌いですのよ!火力調整が難しすぎますの!」
「言ってる場合!?あぁ、俺が押さえてるから、回復魔法かけて!ほら、ブランシェも手伝って!」
ウーノっちはあーしを引っ張って、エカテリーナの側に座らせた。
さっきまで、色々やった、あーしを。ただ無防備に、横に置いて。
なんなの。何のつもり?
……でも、手伝って、ってお願いされた。回復を、腕の治療を。
……まあ、いっか。
「……うん。ほら、これどう?いい感じ?」
回復魔法をかける、魔法使い二人でやれば、焼け焦げた断面からもすぐ、肉が盛り上がってくる。
まだ、全部を信じた訳じゃない。
『不安要素』って言われたこと、忘れた訳じゃない。
聞きたいことも、言いたいことも、山ほどあるし。
でも、今は。
少なくとも今だけは、敵じゃない。
それだけ分かれば十分、かな。
あぁ。洞窟の中で、みんなで寄り添いあって、回復魔法かけるの。
塹壕の中で、仲間と助け合ってた時と、似てるじゃん。
何も残してくれなかった、あの戦争を思い返して。
あーしは何故だか、鼻の奥が熱くなった。




