286日目③
エカテリーナの語りが終わると、個室に沈黙が降りた。
ブランシェは、目を潤ませていた。
先ほどまでの軽薄な表情はどこへやら。その瞳には、純粋な感動の涙が浮かんでいる。
彼女は大げさに両手を広げて天井を見上げた。
「泣けるわー!思わず純愛過激派に改宗したくなっちゃった!」
「……一応聞きますわね、何派ですの?」
エカテリーナが警戒を滲ませて尋ねる。彼女は当然、純愛過激派。原理主義者だ。他の宗派が存在することを、快く思っていない。
それに対し、ブランシェはさも当然のように答えた。
「え?『NTRも広義の純愛派』だけど」
瞬間、エカテリーナの表情が般若のそれに変わった。
「神敵!神敵ですわ!貴女がスーラフで馴染めなかったの、ハーフだからじゃなくて信仰の問題ですわよ!」
雷鳴のような怒声が響く。顔を真っ赤にして、美しい金髪をパチパチと揺らした。
身を焦がすほどの憎悪や耐え難い殺意の衝動が無ければ使えない、『灰咬む灼舌』。ジャガーノート由来の大魔法を、使えるのでは無いかと思えるほどの怒り具合だった。
「えー?地元でも割と流行ってたし」
「くっ、やはりスーラフ人は野蛮!」
吐き捨てるように言うエカテリーナを、ウーノは制止した。
「ちょっとエカテリーナ」
「ウーノ、言わないでくださいまし!食人とかキメラ魔導戦車とか、陰謀のアレコレとか、全部全部無視しても!『NTRも広義の純愛派』だけは許せませんわ!そこさえ改宗したら、笑顔でハグして差し上げますわよ!」
エカテリーナは両手を振り上げ、天を仰いだ。まるで神に訴えかけるかのように。
国家間の陰謀より、宗派の違いの方が重大らしい。原理主義者は繊細で傷つきやすい厄介オタクなのだ。
「まぁ待ってって。あーし、アンタらのこと、気に入ったし。依頼、受けてやってもいーよ」
エカテリーナと対照的に、ブランシェは軽い調子でヒラヒラと手を振った。
「……エカテリーナ」
「分かりましたわよ……はぁ~……割り切りますわ。それで、報酬ですわね」
エカテリーナは深い、深いため息をついた。まるで魂の一部を吐き出すかのような、重いため息だ。
「それだけど、話聞いた感じ、身代金のために報酬は割り引きたいんでしょ?だから、二つお願い聞いてくれたら、タダで受けたげる」
ブランシェは人差し指を立てた。
「とりあえず、聞きますわ」
「1つ目は、道中で討伐した魔物は、あーしの戦果ってことで。もちろん、余計な寄り道はしないケド。でも、エカテリーナが倒した分も、あーしの儲けにしてちょ」
合理的な条件だ。案内料の代わりに、狩りの成果を譲渡する。悪くない取引である。
「まあ、良いですわよ。それで、2つ目は?」
「ウーノに、ご奉仕して欲しいな!だいじょーぶ。刻印が発動しない範囲で……ぬわっ!?」
稲妻が走った。アレキサンドラの時は、タチアナに詰められていたのもあって、ちょっとシュンとしていたエカテリーナ。
しかし今の彼女に迷いは無い。純愛に横やり入れる不埒者は、即刻処刑対象なのだ。
「今ここで!今ここでその命!」
エカテリーナの口の中に、赤い光が見えた。本当に灰咬む灼舌を使おうというのか。
まずい。あれを使えば、最悪ギルドの建物が崩落するかも。
「落ち着いて、落ち着いて!あー、ブランシェ?まずは、そう。パンツでどうだろう?脱ぎたてパンツ」
ウーノは慌てて両手を振った。
「ウーノォ!ちょ、ダメですわよ!パンツって、わたくしも嗅いだことは……!」
それに対し、エカテリーナが悲鳴を上げた。
確かに、エカテリーナにも嗅がせていない。なんだかんだ言って、結局彼女は、それを求めなかった。越えてはならない一線なのだろう。
それを初対面の相手に渡すのは、不公平かもしれない。
「じゃあ、裸!エカテリーナもさ、俺の裸の写真、見たんでしょ?それならフェアじゃないかな?」
「くっ、でも、それ一瞬でしたわよ!しかも写真!じかじゃ無かったですわ!」
エカテリーナは必死に抗議した。その顔は、怒りなのか興奮なのか、真っ赤に染まっている。
ミーシャはともかく、それ以外の人間が自分よりオイシイ思いをするのは許せないらしい。タチアナとずっと喧嘩腰だったのも、その辺が影響していたのかもしれない。
戦友ミーシャへの嫉妬という、最大の自己矛盾的ネジレは解消したものの、色々こじれたままなのだ。
ウーノは腕を組んで考えた。公平性。それが大事だ。
エカテリーナが納得できるくらいの、サービス。
「うーん……じゃあ、パンツ一丁の生姿、それにしよう。エカテリーナ、君、見たでしょ?初対面のあの日」
「……くっ、仕方がありませんわね」
苦渋の決断、といった表情でエカテリーナは頷いた。
「えー、パンツ一丁のヌード未満を見るだけー?ストリップ一回で雇えるほど、あーしは自分を安売りしてないんだケド」
ブランシェは不満そうに唇を尖らせる。それに対して、ウーノはわざとらしく身を乗り出して体を近づけ、囁いた。
「ブランシェ、自分で言うのもなんだけど、俺、脱いだらすごいよ?よし、そうだ。脱いだうえで、その場で筋トレを披露しよう」
ぶっちゃけウーノは、冬着を着ていてもエロいだの薬を盛られそうになるだのが、理解できなかった。首の太さとか太ももの肉付きに言及されても、よく分からない。
しかしまあとにかく自分はエロいらしい。脱いだら多分、好評間違いなしなのだ。
「ウーノ、それサービスしすぎですわよ!」
「君と初めて出会ったあの時、俺汗かいてたしさ。それくらいがフェアでしょ?どうよ、ブランシェ。鍛えた俺のパンツ一丁生筋トレ」
これなら多分、ミーシャちゃんも許して……くれないだろうけど、一線は越えて無い。多分、きっと。
局部を直に見せてないなら貞操オーケー。ウーノの越えてはならない一線の認識は、だいぶ緩かった。ヘンリクのビッチ(雄犬)評は、残念ながら的を射ているのである。
むしろためらいがあるのは、自分の裸体を価値あるものとして扱うことそのものだ。うぬぼれているように思えて、恥じらいがある。しかし裸を見られるのは、特に気にして無い。
そんなずれた羞恥心は、外から見れば見分けがつかない。はたから見れば今の彼は、堂々としながらも少し恥じらう、なんとも色っぽい表情だった。
「うーん……どーしよっかなー」
ブランシェは悩んでいる様子だった。
冒険者は命がけ。力の安売りはしたくないのだろう。魔境の最奥部まで案内するのだ。パンツ一丁の筋トレ程度では、釣り合わないと思っているのかもしれない。
他に何か報酬になるもの……少しくらいは金銭で出す?あ、そうだ!
ウーノは閃いた。
「そう言えば、ラシスカにもいつか行きたいって、言ってたよね。俺たち、外務省とかビウクニツのラシスカ大使館にもコネがあるからさ。紹介状も書いてあげるから、ね?」
ナジンカやスヴェトラーナの顔が思い浮かぶ。彼女たちなら、きっと協力してくれるだろう。
その提案に対して、ブランシェは顎に手を当てて数秒間考え込んだ。
「ふーむ……しょうがないにゃー。オッケー!じゃあパンツ一丁筋トレと、色々口利き!それが報酬ってことで良いよ!」
破顔一笑、白い歯を見せるブランシェ。ちゃんと納得してくれたらしい。
交渉成立。ウーノは内心でガッツポーズを取った。
「ありがとう。助かるよ」
「それじゃあ、さっそく、お願い!」
「ちょ、今見る気ですの!?」
エカテリーナが素っ頓狂な声を上げた。
「今以外、タイミングないじゃん!だってさー、成功報酬って言うなら、それはつまり、旦那さん助けた後ってことでしょ?」
「まあ、確かに。魔境の中とか、監獄の目前で脱いでる場合じゃ無いだろうしね」
「そうそう。NTRも広義の純愛派のあーしでも、夫婦の感動の再開の後にそれは……いや、むしろソソル!」
一瞬、彼女の目が妖しく光った。
舌なめずり。良くない性癖をお持ちのようだ。
それを見たエカテリーナは諦めたように叫んだ。
「えーい、分かりましたわよ!ブランシェ、大人しくしてくださいましね……ウーノ、やってくださいまし!」
彼女はブランシェの背後に回り、羽交い絞めにした。万が一が無いようにするためだ。そして、固く目を閉じる。
「あれ、エカテリーナは見なくて良いの?」
「見たいですわよ!見たいけど、見る道理がありませんもの!ミーシャに申し訳ねーですの!」
エカテリーナは血を吐くような声で叫んだ。
デカパイバトルこそしたものの、ウーノ自身を性的に消費するのは、ミーシャに悪いと思っているらしい。
義理堅いことだ。
「じゃあ、脱ぐよ」
ウーノは上着を脱いだ。シャツのボタンを外し、ベルトを緩める。
一枚、また一枚と、分厚い冬装束が床に落ちていく。
やがて、パンツ一丁の姿が晒された。
『いい体』と評された、実用的な筋肉で覆われた裸体。
鍛え抜かれた胸筋、引き締まった腹筋、たくましい二の腕。
働くための、そして戦うための、男の肉体だった。
ブランシェの目が、皿のように見開かれた。
「う、ふぉ~~!!ヤッバ!想像以上!言うだけあるじゃん!マジエッロ!」
歓声が上がる。ウーノは、自尊心が満たされるのを感じた。
やっぱり、女性から性的に見られるのは嬉しい。
安全圏にいることが前提だが。流石に襲われると、恐怖が勝って抵抗する。
しかしこうして、エカテリーナという防護柵越しに、自身の雄らしさを評価されるのは、嬉しいものだ。
ウーノへのヘンリクの娼夫に向いているという人物評は、やはり正しいのかもしれない。
ともあれ熱い視線に気を良くしたウーノは、サービスで胸筋を動かしてみせる。
「よっと」
ピクピク!
「きゃーーー!!」
より一層激しい歓声が上がった。
ヘンリクがここにいたら、『ビッチビッチビッチ!』と叫んでいたことだろう。ウーノの脳裏に、貞操審査員として彼の絶叫顔が思い描かれる。ちょっとしんみり。
しかし視線をずらすとそこには、エカテリーナ。ブランシェを羽交い絞めにしている彼女は、唇を噛み締めていた。すごく見たそうだ。
求められている。体を、雄を。そう思うとヘンリクのイメージは消えてしまった。ナムサン!
ともかくウーノは、約束のオプション、筋トレ披露を開始した。
スクワット。
太ももの筋肉が、力強く伸縮する。
腕立て伏せ。
胸筋と三頭筋が、美しく隆起する。
逆立ち腕立て。
全身の筋肉が、バランスを取りながら躍動する。
腿上げ。
引き締まった下半身が、リズミカルに動く。
「フンフンフン!」
「はぁ、はぁ……!」
ブランシェは、血走った眼で口の端からよだれを垂らしていた。
完全にトランス状態である。
「ふー、こんなもんでどうだろう?」
薄っすら汗をかいた体を、手持ちのハンカチで拭う。
吸水性の良い魔物の皮膚を鞣して作られたそれは、海綿のようにウーノの汗を吸い取っていく。
「うおっ!その、そのハンカチ!そのハンカチ頂戴!それで満足!報酬大満足!」
ブランシェが、獲物を見つけた猛禽のような目つきになった。
「え、こんなのが良いの?汗拭いたから汚いよ?」
「良いの!超良いの!汚ければ汚いほど良いの!」
まあ、本人が満足しているなら、それで良いか。ブランシェにハンカチを渡す。
「ありがとう。さてと……エカテリーナ。服着たよ」
「うっ、うぅ……あぁ、汗の匂いが、漂ってきますわね……芳醇なウーノの汗の香りが……」
エカテリーナはブランシェを離すと、鼻をひくつかせた。そしてブランシェは拘束を解かれると即座に部屋を飛び出して行った。
「流石に嗅がれると恥ずかしいな……あれ、ブランシェ出て行っちゃったけど、どこ行ったんだろう」
「一人になれる所ですわよ。2、3回やったら、満足して戻ってくると思いますわ。1時間は、かからないと思いますわよ」
エカテリーナは、どこか羨ましそうな顔で言った。彼女もスッキリしたいのかもしれない。
君も行ってくれば?とは言わない。ミーシャと自分の関係性を愛していると言ってくれた。そんな彼女にそのように言うのは、失礼だと思えた。
妙なデリカシーを働かせてウーノは口を噤んだ。
「ああ、そういう……じゃあ、その間に、作戦とか色々、立てておこうか」
察したウーノは、それ以上追及しなかった。
ギルドから街の地図と魔境の地図を借りた。
監獄で捕虜を解放するには、実際の金でなければならないのか、手形でも良いのか。それによって話は変わってくる。その辺りの調査も、必要だ。
二人で顔を突き合わせて、街ですべきこと、魔境での移動について話していると。
「ふー、すっきりすっきり。あ、何してんのー?」
ブランシェが戻って来た。
その顔は、どこか晴れやかだった。肌艶も良い。
エカテリーナは地図を指差しながら説明した。
「思ったより早かったですわね。先ほど語った通り、目標は監獄に囚われている、ミーシャの解放ですの。解放条件は、捕虜と同じ重さの金、でしたわよね。手形や金糸、宝飾品として、資金は足りてますわ。ただ、手形でも解放してもらえるのか、現物の金でなければならないのか。色々相談してましたのよ」
ブランシェは椅子に腰掛けた。話を聞きながら、思い出すように目を細めた。
「あ、なるほどねー。そーいや、たまに捕虜が解放されてるって、ウワサ聞いたね。確か、ポツカ人の知り合いだか親戚に頼んで解放してもらったー、ってのがあったはずだよん」
「あぁ、なるほど。俺はポツカに頼れる人がいないから、こうして現物持って来たけど、知り合いに代理で頼むって人もいたのか」
「そうそう。あーしも詳しい話は知らないケド。まだ滞在してるかもだし、それか事情を知ってる人、いるかもよ」
ブランシェは指を立てた。
「なるほど。確かに、前例に当たって話を聞いた方が良さそうだ」
「ギルドには魔境関係ない、人探しとか猫探し、みたいな雑用の依頼もあったりするし、出してみれば?その手の依頼は危険度が無い分、安く済むよん。2日分の食費ぐらい、カナ?情報屋もいるし、そっちに当たるのもアリだね!その時は、あーしの紹介ってことにしていーよ」
彼女はウインクした。
「あら、良い提案ですわね。感謝しますわ」
エカテリーナの素直な言葉に、ブランシェはにへらと笑った。
「どーもどーも。あーしも、ウーノっちとミーシャの再会、応援してるかんね。思わず改宗しそうになるくらい、感動したし」
「はは、ありがとう」
ウーノは照れ笑いを浮かべて頭を掻いた。色々な人に、応援してもらってここまで来た。そして今も、また応援してくれる人が増えた。ありがたいし、温かかった。
「それじゃあ、まずはそこら辺の調査をしよう。そうだな、明日の正午過ぎとかに、また会えるかな?魔境を通る、事前相談とか必要な物とか、色々打ち合わせを」
ブランシェは立ち上がり、大きく伸びをした。
「オッケー!じゃあ、明日は相談と準備、で、明後日出発かなん。ギルドの受付に声かけて!じゃ、あーしは今日の食い扶持、稼いでくるから、この辺で!」
大きく手を振って、彼女は部屋を出て行った。
ウーノとエカテリーナも、荷物をまとめた。
「さて、じゃあ情報屋をまずは当たってみようか。それで無理なら、依頼を出してみる感じで」
「そうですわね。思いの外、ブランシェが協力的で助かりますわ。応援してるという言葉、嘘では無さそうですわね」
「ああ。信用できそうだ」
二人は頷き合って、新しい仲間を評した。
さて部屋を出よう。エカテリーナがウーノの手を取ろうとした、その瞬間。
「あっ、そうですわ!ウーノ、わたくし、決めましたわ」
彼女は握るはずだった手で拳を握りしめ、瞳を燃え上がらせた。
「どうしたの?」
「今回の監獄まで同行してもらう道中で、わたくし、彼女を改宗させて見せますわ!」
宣戦布告。
エカテリーナの目には、聖戦に臨む修道騎士の輝きがあった。
「改宗」
「純愛過激派が無理でも、せめて『看取れば純愛派』には!」
「……俺、純愛過激派しか知らなかったんだけど。それはどんな宗派なの?」
「不倫したり色々あっても、死ぬ時に側に寄り添っていれば、最期には一緒になって愛し合ってれば、純愛ってことでOKという宗派ですわね。世俗的ですけど、まあ純愛には変わりありませんわ。この宗派が一番人口が多いですわね」
エカテリーナは腕を組んで、解説を始めた。
「へー、他には何があるの?ブランシェの言ってた『NTRも広義の純愛派』は?」
「『NTRも広義の純愛派』は、何はともあれ心奪われてしまったならそれはそれで純愛、って宗派ですわね。まったくNTRを肯定的に扱うなんて、神敵ですわよ」
エカテリーナは忌々しげに吐き捨てた。
「他には?」
「異端の中では人口の多い、『エロ至上主義派』。エロくて抜ければそれで良いって宗派ですわね。異端の中でも異端扱いされるのは、『寝取られ派』ですわね。寝取るんじゃなくて寝取られることに興奮する、異常者ですの」
純愛以外は異端、そしてNTRを肯定するのは神敵、と言うことか。
「色々あるんだね」
愛と純潔の女神アモリアを信仰する、世界宗教アモリア教。
その教えも、愛や恋についてのものが殆どだ。故に宗派も、色恋がらみの性癖で分かれている。
真面目な宗教の話なのに、なんだか面倒なオタク談義を聞いている気分だ。
そのギャップが奇妙に思えて、ウーノは思わず笑ってしまうのだった。




