280日目①
手荷物検査免除どころか、今後の検問所での自由通行許可証まで貰って。ウーノとエカテリーナは、ワスフ川を越えた。
今回の一件を受け、ウーノとエカテリーナ含めラシスカ人には、シュチェンの名誉市民の称号が送られた。他のポツカの都市に滞在する際も、宿泊費の免除や検問のフリーパスなどの利点がある。
アジ・ダカーハ型魔導戦車を撃破し、スーラフの陰謀を暴いた功績が認められたのだ。死者がラシスカ側のみだったことも、市民の感謝を後押ししていた。
ミーシャを救う旅路への、実りのある滞在だった。そう言えるはずだった。
しかし、ウーノの気分は沈んでいた。
ワスフ川を越え、対岸に足をついた。警備兵から敬礼され、エカテリーナは見事な敬礼を返す。
何時もだったら、それを真似て敬礼の一つでもしてみただろうか。しかし今の彼は、ただただ小さく、頭を下げた。
『わら、て?』
タチアナの最期の言葉が、頭から離れない。
あの瞬間、彼女は何を想っていたのか。何を笑えと、言ったのだろうか。
『Kampf macht frei!』
ヘンリクの最期の言葉も、意味が分からないまま胸に刺さっている。
なぜ彼は自分たちを襲ったのか。そのまま逃げれば、生きていられただろうに。あの場で自分を殺せても、その後捕縛されるのは、明らかだったはずだ。
頭を上げ、遠く対岸を見る。今までいた、ワスフ川東岸。タチアナの棺が、まだあるはずのその土地を。
アレキサンドラと3人娘は、ラシスカに明日帰国するらしい。そしてアレキサンドラ自身が、責任を持ってタイガ森寄り村に、タチアナの棺を届けると。
名誉の戦死。それが彼女の死因だ。スーラフ人民国の陰謀との戦いの最中、仲間を庇っての戦死。
しかしいかなる名誉だったとしても。ゾーヤとエルモライが娘の死を知った時、どんな顔をするだろうか。
想像するだけで、心が暗くなった。
自分の身の振り方が違えば。ヘンリクと敵対せず、タチアナも死なずに済んだのだろうか?
自分のせいで、二人は……
「……少し、一人にさせて欲しい」
エカテリーナに手を引かれたウーノは、その場で立ち止まった。
手を解いて欄干にもたれかかり、今さっき渡った川を眺めた。ダムの水が流れ流量の増した川は灰色に濁り、鈍い光を反射している。
「嫌ですわ。今のウーノを一人になんて、出来ませんもの」
しかしエカテリーナは即答し、彼の横に腰に手を当て仁王立ちした。
ウーノは彼女の方を見ないまま、気だるげに返事をした。
「……大丈夫だよ。ちょっと考え事をしたいだけで」
「ミーシャと同じ顔をしていますわよ」
その言葉に、ウーノは顔を上げた。エカテリーナは眉をひそめて彼を見つめている。
「ミーシャちゃんと?」
「ええ。自分のせいで、自分が居なければ。そう考えている顔ですわね」
図星だった。
ウーノは視線を川に戻し、欄干を握りしめた。
「……俺が一人で飛び出さなければ、ヘンリクも俺を勧誘しなかっただろうし、それを断って敵対もしなかった。俺がタチアナちゃんと踊らなければ、彼女は死ななかった。俺の行動が、二人の死を招いたんだ」
エカテリーナはため息をついた。金髪が冷たい風に揺れる。
「はぁ~……本当に、似た者夫婦ですわね。どうしてこうも、何でもかんでも自分の責任だと結びつけますのかしら。ヘンリクは最初から蒸発委員会の協力者でしたわ。貴方が誘いを断ろうが断るまいが、彼は敵でしたの。そしてタチアナは、ウーノにダンスを断られようと何だろうと、貴方の危機となれば駆けつけて来て庇おうとしてましたわよ。ウーノがどう行動しようと、結果は同じでしたわ」
「でも……」
「それを言い出したら、誰もが同じように責任を負ってしまいますわよ。わたくしも、お姉さまも、リベリカもミディもポリーナも。全員が、あの二人の死の原因ですのよ」
確かにそうかもしれない。自分が違う行動をとれば、あの人は死ななかった。それは関係者全員に、共通することだろう。
しかし、ヘンリクの死を間近で見て、タチアナと最期の言葉を交わしたウーノは、どうしても割り切ることが出来なかった。
「そう、かな……」
沈黙が流れた。橋の近く、人々の行き交う賑わいが、二人の間を埋めていく。
やがて、エカテリーナが口を開いた。
「タチアナは、立派な女でしたわよ」
「……立派?」
「ええ。最期にウーノに向かって『笑って』と、言いましたわね」
「ああ、そうだったね」
ウーノは頷いた。あの瞬間の、タチアナの顔が脳裏に浮かぶ。
霞んだ瞳。動かない唇。それでも必死に絞り出した、最期の言葉。満足げな、しかしどこか悲しそうな、静かな笑顔。
「ウーノ。愛って、何だと思いますかしら?」
唐突な問いかけに、ウーノは少し考えた。
「……俺は、許すことだと思う」
「許すこと?」
「ミーシャちゃんに脅されたり、騙し討ちで刻印をつけられたりしても、俺は許した。改めて欲しいとは伝えたけどね。でも、何をされても、嫌なことがあっても、それを許して向き合うのが、愛だと思う」
エカテリーナは小さく微笑んだ。
「素敵な解釈ですわね」
「エカテリーナは?」
しばらくの沈黙の後、彼女は言葉を選んで続けた。
「わたくしは……自己犠牲を誇ること、だと思いますの」
「自己犠牲を、誇る?」
「ええ。ミーシャの代役を名乗り出た時、わたくしに後悔はありませんでしたわ。戦友のために、ミーシャとウーノの愛のために死ぬことを、誇りにすら思いましたの。二人の関係性を、二人の愛を、愛してましたもの。結局、代役失格でしたけど」
エカテリーナは目を伏せた。長い睫毛が影を落とす。
「エカテリーナ……」
「ミーシャも、色々と辛いことがあったのに、ウーノのために、ウーノの幸せを願って、笑顔で死地に向かいましたわ。あの時の彼女も、夫のための自己犠牲を誇っていましたわ」
「……俺は、望んでなかった。いや、ごめん。続けてくれ」
思わず口を挟んだウーノは、首を振ってエカテリーナに続きを促した。
少し迷いつつも、彼女は言葉を紡ぐ。
「その観点で言うと、タチアナも本当にウーノを、愛していましたのよ。彼女の愛は、わたくしから見ても、本物だった、そう認めざるを得ませんわ」
美しい紫色の瞳が、ウーノをじっと見据えた。
「でも、タチアナちゃんは、俺以外に年上の男の知り合いがいないから。少し優しくされただけで、好きになってしまっただけで……子供時代のちょっと強火な恋、みたいなものでしょ?」
恋に恋する少女、可愛い妹分の幼い暴走。タチアナの語る『愛』を、子供時代に良くある症状だと思っていたウーノに対して、エカテリーナは強く首を振った。
「自分の死を、好きな人が悼んでくれる。それは、とても救われることですわ。ただの恋なら、好いた相手の心に、目の前で死ぬことで永遠の傷を残せると、歓喜すらしたはずですわ。でも……タチアナは、『笑って』と言ったのですわよ。泣かないで、悲しまないで、と。ただ愛する人の幸せを願って」
エカテリーナの声が、少し震えた。ウーノは自分が軽くあしらって来たタチアナの想いが、どれだけ真摯な物だったのか、ようやく理解した。
「ミーシャちゃんが、俺に書いた、手紙みたいに……」
「ええ、まさしく。愛する人のために死ぬことを誇りに思えなければ、そんな立派な言葉は、出てきませんもの」
風が吹いた。冷たい、冬の風が。
いつから、タチアナは、そうだったのだろう。最初から……では無いだろう。相手の幸せを願って手紙泥棒をするとも、思えない。
ふとウーノは、まだ村に居るときにタチアナが自分の沙汰を知らされて、流した涙を思い返した。
あの時は流した涙の意味、それは、『まだ子供』と拒絶されたことに対する涙、ただそれだけでは無く。自分では、相手を幸せにできないと、悟った涙だったのだろうか。
今更ながら、ウーノはもっとタチアナと、愛やら恋やら、大人や子供について、よく話し合っておくべきだったと、深く後悔した。
「タチアナちゃんが、ね……」
「だから、ウーノ。貴方のすべきことは、いつまでもタチアナの死を悲しんでいることではありませんわ。幸せになるために、前を向くことですわよ」
エカテリーナはウーノの手を取った。手袋越しでも、彼女の温もりが伝わる。
ウーノは目を閉じた。
タチアナの顔が浮かぶ。最期の瞬間、自分を守れたことを、誇りに思いながら。それと同時に、どうか幸せにと、笑って欲しいと、祈ってくれていたのだろうか。
「……そうか。そうなのかな」
目を開けると、空を仰いだ。疎らな雲が、冬の高い青空に広がっていた。
「そうですわよ、きっと」
力強く頷いたエカテリーナ。表情に温かみの戻ったウーノを見て、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
「ああ、それともう一つ、聞きたいことがあるんだ」
「何ですの?」
「ヘンリクが最後に言ってたんだ。『かんぷふ、まくと、ふれい』って。聞き取れはしたんだけど、意味が分からなくってさ」
エカテリーナは口の中で言葉を繰り返してから、口を開いた。
「それはきっと、『Kampf macht frei』。『戦えば自由になる』、ガマニア連合の標語ですわよ」
「戦えば、自由になる……」
「アジ・ダカーハを倒さない限り、ガマニア人に真の自由は無い。だから、戦い続けろ。そういう意味の、かの国の国家的標語ですわね」
戦えば、自由になる。
ヘンリクにとっての自由とは、何だったのだろうか。女性からの独立、尊厳の回復……
彼は最後まで、戦い続けた。自分の信じる自由のために。治療を拒み、最期は自ら、命を絶ってでも。
なぜ彼が、自分を襲撃に来たのか。誘いを拒まれた恨みか、組織に情報を漏らしたケジメをつけるように言われたか……そんな風に考えていたが、もしかしたら。
自分を同志と見込んで、親切にしてくれた彼の、最期の教鞭だったのかもしれない。
「……自由、か」
ウーノは呟いた。
自分で決めた、男らしさ。何があっても、辛くても悩んでも、前を向き続ける。
戦って、戦って、戦い続けて。ミーシャを助ける。
それが、自分の自由だ。
ウーノは欄干から手を離し、背筋を伸ばした。
「ありがとう、エカテリーナ。少し、楽になった。ごめんね、辛気臭い顔して」
「構いませんわよ。支え合うのが、戦友ですもの」
エカテリーナは微笑んだ。
「ありがとう。まあ、支えられてばっかりだけどね。もっと頑張るよ」
「あら、それは止めておいてくださいまし。ウーノが気が付かないところで、わたくしもいっぱい、支えられてますもの。それなのにウーノがこれ以上張り切ったら、わたくし、また性欲に目が眩んでしまいかねませんわ」
冗談抜きの、真剣な声音。それにウーノは、笑ってしまった。
「ははっ、そうか。分かったよ。じゃあ、いつも通り、よろしく」
「オホホ、ええ。さあ、行きましょう。ミーシャが待っていますわ」
「ああ」
笑いあう二人は、手を取り合って。新しい地へ、歩みだしていった。




