279日目②
ウーノは倒れこんだタチアナの背を見た。
酷い。骨が覗くほどの火傷。赤黒く焼け爛れた肉。自分を庇って、この傷を負ったのだ。
そして、ヘンリクの持つ凶器を見る。ベッタリと血の付いた、黒鉄のレイピア。魔法の効果で伸縮性のある刀身を持つ近接用魔導具だ。氷のナイフより重量とサイズがあるので持ち運びに難があるが、戦闘力では勝っている。
事態を理解した瞬間、ウーノの意識は深く沈んだ。
怒りでは無い。塹壕で経験した、あの感覚。惑えば死ぬ、それを心から理解した、極限の集中状態。
今すべきことは、タチアナからヘンリクを遠ざけて、誰かに治療をしてもらうこと。
眼球だけ動かして、周囲を一瞬見る。ブレスの余波で他にも怪我人が出ている。会場は混乱状態。悲鳴と怒号が飛び交い、逃げ惑う人々と、治療に奔走する者、抜け殻になったアジ・ダカーハの頭に攻撃する警備員。それらが滅茶苦茶に動き回っている。直ぐに助けは、呼べないか。
いや、あの3人がこちらに向かって走って来た。3人の内1人、風の使い手リベリカは、個室にいるであろうアレキサンドラとエカテリーナの方へと方向転換して、走って行った。
シュンッ!
ヘンリクがスイッチを押し、刃が伸びた。ウーノの喉を狙った一閃。
体を沈めて、避ける。
その僅かな一瞬で、ウーノは護身用で持ち歩いている氷のナイフの魔導具を取り出した。タチアナのおかげで、体はもう動く。
「タチアナちゃんを頼む!」
声の届く距離まで走って来たミディとポリーナに叫びながら、ウーノは足に強化魔法をかけて、沈めた体をばねの様に跳ね上げてヘンリクに向かってナイフを振るう。ヘンリクは後ろに下がってそれを避ける。
狙い通り。タチアナから引き離す。それが最優先だ。
「了解やんな!」「任せて!」
2人が倒れたタチアナの元に駆け寄る。彼女たちが回復魔法をかけ始めたのを横目で確認しながら、ウーノはヘンリクの黒鉄の刃を氷の刃で受け止めた。
ギィン!カシュン……
金属と氷では硬さが違う。魔法の氷は普通の氷より頑丈で硬いが、それでも氷は氷だ。レイピアの鋭利な刃先に、氷のナイフの剣腹が抉られた。
ウーノはスイッチを再度押して、新たな刃を作り出す。古い氷の刃が刃先から外れて地面に落ちる。彼はそれを蹴り上げて、ヘンリクに放った。
ヘンリクのレイピアが、蛇のようにしなった。伸縮させる一瞬は、金属部が柔らかくなるらしい。文字通り鞭のような動きを見せて、目くらましの氷は砕かれる。
隙をつこうとナイフを構え突進しようとしていたウーノは、その場で踏みとどまる。彼の鼻先を、伸びて来たレイピアが掠めていく。
突き。横薙ぎ。また突き。
伸縮自在の刃が、予測不能な軌道を描く。剣道の経験が生きて、何とか剣筋を目で追えた。
ウーノは後退しながら、氷のナイフで必死に捌く。
キンッ、カラン……ズシュッ、パラパラ……
金属と氷がぶつかり合う音が響く。
ミディとポリーナの二人は、タチアナの治療の傍らでウーノに援護しようと魔法を構えるが、ヘンリクはまとわりつくような動きでそれを許さない。ウーノを盾にするように位置取りし、攻撃の射線を塞ぐ。近接戦闘に慣れた者の動きだ。それか、人質を取る誘拐犯か。
「なぜ彼女を刺した!」
ナイフがヘンリクの前髪を切り、黒髪がパラパラと宙を舞う。レイピアがウーノのダンス衣装のマントを捕え、体勢を崩させる。
剣劇の中、ウーノは叫びながら、氷のナイフを振り下ろした。ヘンリクは半歩下がってそれをかわし、返す刃でウーノの脇腹を狙う。
「あの子、ウーノに色々シタって、アレキサンドラから聞いたネ」
ヘンリクから教わった身体強化魔法を、元の世界の医学知識と組み合わせ、彼以上に使いこなす。戦い慣れた動きを見せるヘンリクに、ウーノは剣道部時代の経験と勝る身体能力で食らいついた。
「もう許した!」
叫びに合わせて腹に力を籠め、ナイフでフェイントをかけ左ジャブで顎を狙う。喧嘩動画で見たことのある動きを真似してみたのだ。
ナイフの防御にレイピアを傾けていたヘンリクは、とっさに左手を曲げてガードする。ウーノの拳がヘンリクの肘に命中した。
ウーノは拳に痛みを感じるが、ヘンリクの方は左手全体に痺れを受けたようだ。レイピアを伸ばし反撃してくるが、彼の左手はダランと体の横に垂れた。
今度はガードさせない。心臓を狙う突きを左に大きく避ける。そして距離が開いた隙をついて、ミディの氷のダーツがヘンリクを襲った。
そう大きな傷では無い。戦闘に支障は無いだろう。しかし一瞬、それに気を取られた隙をついて。ウーノはヘンリクのレイピアに右腕を巻き付けるようにしながら、踏み込んでナイフの刃先をヘンリクへと突き出した。
伸縮するレイピアは刃先しか研がれていない。剣の中腹はただの金属棒だ。巻き付けた腕は傷つかず、武器を振るのを制限したまま。
ナイフがヘンリクの肩に刺さる寸前、ヘンリクはレイピアを手放し、後ろに下がった。想定外の動きに虚を突かれたウーノは、一瞬判断が遅れた。
半歩分の距離を取ったヘンリクは足を高く蹴り上げ、ウーノの手からナイフを跳ね飛ばした。
ウーノもまた後ろに下がり、距離を取る。一瞬の隙でタチアナをチラ見。容態が悪いのか、二人は治療にかかりっきりだ。もう援護は望めない。
ウーノは絡めとったレイピアを手に取る。同じ瞬間、ヘンリクも自身が蹴り上げた氷のナイフをキャッチした。
武器を入れ替えた二人は、新しい獲物の重心を確認しつつ、対峙した。
「許したっテ、パンツ泥棒に手紙泥棒ヲ?ハッ、やっぱり性根が娼夫ね」
ヘンリクが踏み込み、ナイフを振るう。ウーノはレイピアの延長スイッチを押して、刀身を引き延ばす。
急激に変化する重心に手が追いつかず、刃先が下に垂れる。ヘンリクはそれを踏みつけ固定すると、ウーノに連撃を仕掛ける。
ウーノはとっさに縮小スイッチを押した。刀身が柄に飲み込まれて行く。刃先を踏んでいたヘンリクは体勢を崩し、ナイフは宙を割いた。
攻撃を避けるため、身を引いたウーノと、足を取られ体勢を崩したヘンリク。二人は再び距離を取り、にらみ合った。
慣れない武器の特殊機能なんて、使いこなせない。そう判断したウーノは、レイピアを伸縮させたままにして、少し長めのナイフ程度の刀身で構えた。
「失礼だな、俺は純愛過激派さ。妻一筋だよ」
「エカテリーナに、さっきのタチアナとかイウのまで、女ばっかりはベラしてるネ。女をその気にさせたまま、気を引いたママ、キープし続けル。マジモンの大淫夫ネ」
「その気は無いんだけどね。女性に甘いのは、俺の悪とこか、確かに」
さっきのは危なかった。一歩間違えれば負けていた。慎重に、想定外は無しだ。
二人は同じ思惑から考えるための時間稼ぎを欲し、刃先を向け合ったまま会話をした。
先に決断したのは、ウーノだった。最後の一瞬まで、短いままのレイピアで戦う。そしてここぞという瞬間で、延長スイッチを押してリーチを伸ばし、不意を突く。
ウーノはレイピアを振りかざし、ヘンリクに向けて踏み込んだ。氷のナイフがそれを迎撃する。
突き、払い、退ける。
筋力と身体強化の精度で勝るウーノは、力とスピードを活かしてヘンリクを押し切ろうとする。一方でヘンリクは剣術と体術の技量で勝っており、力強く素早いながら単調になりがちなウーノの攻撃を、鮮やかに捌く。
キィンッ!カランッ……
しかしやはり、氷は脆い。ヘンリクのナイフから刃が零れる。スイッチを押せば、直ぐに再出現する。しかし、それまでの一瞬、防ぐものは無い。
ウーノはスイッチを押した。黒鉄の刃が伸び、ヘンリクの太腿を突き刺そうと風を切る。
「ハッ!かかったネ!」
しかしヘンリクには、それは想定内の事だった。絶好の機会、奥の手の切り札としての、レイピアの伸縮。それを使ってくると読んでいたヘンリクは、無理やりつま先を上げて、レイピアの伸びる刺突を受け止めた。
ヘンリクの靴を貫通し、足の甲も貫通する。しかし、それによって刃は拘束された。伸縮スイッチを押すより早く、足先が引き裂かれる痛みも無視して、ヘンリクは足を踏み下ろし、その衝撃でウーノはレイピアを取りこぼした。
足を負傷させたものの、武器を取られた。
絶体絶命。しかし、ヘンリクは無理な踏み下ろしにより、バランスが崩れていた。
やるなら、今。
ウーノは学校の授業で習った、柔道を思い出し、ヘンリクの襟を瞬時に掴んだ。
足を払う。腰を落とし、体を捻る。
大外刈り。
ヘンリクの体が宙を舞った。
ドンッ。
ウーノは落としたレイピアを拾い上げ、切っ先をヘンリクに向けた。
「動くな」
しかしヘンリクは、床に叩きつけられる衝撃でもナイフを落とさなかった。
彼は地面に叩きつけられ、肺から息が漏れた状態でも、剣の切っ先が向けられた状態でも、ウーノに襲い掛かろうとナイフを振るった。
「甘いネ、ウーノォ!」
「クッ……」
反射的に、ウーノはレイピアの延長スイッチを押した。刃先は伸び、狙っていた通りヘンリクの左胸を付いた。
「ガァッ……」
血が溢れた。ヘンリクの左胸から、ドクドクと血が流れ出る。太い血管が傷ついたのだろう。しかし、心臓そのものは免れたようだ。まだ息があった。
「ヘンリク!投降しろ!今ならまだ、治療が……!」
「ヘッ……女に体の中まで、回復魔法でマサグラレルくらいなら、死んだ方がマシね……それに、イッヒの心配してる場合カ?」
ヘンリクの言葉に、ウーノはタチアナへ視線を移した。二人は水で火傷を湿潤させ、氷で血をせき止めていた。しかし、タチアナは呼びかけに反応する様子はない。
「……っ」
歪んだウーノの顔を見て、ヘンリクは捻じれた笑顔を見せた。
彼は未だに手にしたままの氷のナイフを、自身の喉元に向けた。
「あぁ……ウーノォ……覚えとくが良いネ……Kampf macht frei!」
最後にガマニア語で叫ぶと、ヘンリクは自身の喉に、ナイフを突き立てた。
そして彼は、目を開けたまま、黒い瞳を広がらせ、静止した。
「ああ、クソ、ヘンリク……」
最後、彼は何を想い、何を伝えようとしたのか。ガマニア語を学び始めて半日のウーノには、最後の言葉は聞き取れても、意味は理解できなかった。
慰安夫として尊厳を穢され、女性に恨みを見せていた彼は、目を見開いたまま、こと切れていた。
ウーノは首を振って、タチアナの下に走り寄った。混乱の中、個室にたどり着くのに苦労したらしい。リベリカと共に、アレキサンドラとエカテリーナもようやく到着した。
「タチアナちゃん!」「タチアナ、しっかりしてくださいまし!」
ウーノはタチアナの手を握りしめ、エカテリーナも呼びかけながら回復魔法をかけている。
アレキサンドラも、真剣な表情で回復魔法をかけていた。しかしその表情は暗い。
「心臓がもう動いてない……!」「タチアナの魔力空っぽ……!」
氷と水を駆使して、回復魔法以外の方法でもタチアナを救護していたミディとポリーナが、悲し気に呻く。
ウーノへの回復魔法と、火を防ぐための風の防壁。昨日魔力をすっからかんにしてからの、再びの魔力枯渇。それによって普段は寝てても無意識下で働く、最低限の身体強化魔法や回復魔法が機能していないのだ。
男以上に脆弱な体になったタチアナに、胸の一刺しは完全な致命傷だった。
「タチアナちゃん!お願いだ、どうか……!」
ウーノは彼女の手を取った。小さな手。冷たくなりかけている手。脈を確かめようと、手首に指を当てる。そこには、あるべき鼓動が感じられなかった。本当に、心臓が止まってしまっているらしい。
タチアナは呼びかけに反応しない。目を閉じたまま、胸の上下もない。
「どいてくださいまし!一か八か……ハァッ!」
バチッ。
エカテリーナは雷撃をタチアナの胸に叩き込む。
電気ショック。
戦場でも、回復魔法が間に合わず心臓が止まった兵士を、救えたことがある。成功率は高くないが……回復魔法では埒が明かないと、やってみた。
タチアナの体が跳ねた。ウーノの指に脈拍が伝わって来た。
弱弱しい、不規則な鼓動。しかしそれでも、動いている。
「タチアナちゃん!」
ウーノは歓喜した。目が開いた。意識が戻った。
しかし、アレキサンドラは首を振った。
「……血を失いすぎています。死の間際、一瞬意識を取り戻しただけです」
「そんな……!」
「リベリカ。風で声を増幅しなさい。この子が……最期の言葉を、残せるように」
アレキサンドラの声は、静かだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ぼんやり、ぼんやり……寒い。でも、熱い?背中が、熱い。痛い、のかな。よく、分からない。
何か、見える。誰か、いる。
ウーノ、兄さん?
何で、泣いてる、の?痛い、の?
「怪我、は?」
声が出た。出たと、思う。聞こえた、かな。
「大丈夫……タチ……が……守って、くれ……ら……!」
声が、とぎれ、とぎれ。でも、聞こえた。
守れた、んだ。
「よか、った……」
頭、かすむ。考えるの、疲れる。
でも、守れた。ほんとう、に、よか、った。
でも、ウーノ兄さん、すごく、かなし、そう。
何で?私、守れた、のに。ウーノ兄さん、怪我、ない、のに。
「……かり!……ちゃん!」
何か、言ってる。もう、聞こえ、ない。
けど、泣いてる、のは、分かる。
なか、ない、で?
私、がんばった、よ?ウーノ兄さんを、守れた、よ?
だから……
「わら、て?」
おねがい。




