279日目①
翌日。雲一つない青空の下、式典は無事に開催された。
シュチェンの中央広場には、ポツカ、ラシスカ、ガマニアの三国の旗が翻っていた。
昨日、街中に晒されたアジ・ダカーハの首は、スーラフの陰謀の証拠として、広場の一角に展示されている。
式典の観衆の反応は様々。
拍手を送る者もいれば、怪訝な顔をする者もいる。
しかしガマニアとラシスカを、直接罵る者はごく少数派だった。一番多かった反応は、スーラフの陰謀に関する噂話だろう。
アジ・ダカーハの首は、直近の憎悪を棚上げさせるくらいの力は、あったらしい。
関係者席の端っこで、ウーノはエカテリーナと並んで、そんな観衆の反応を見ていた。
「一件落着、なのかな。アレキサンドラさん、すごいね。3国の代表団の中心人物、みたいな感じだ」
ポツカで開催しているのだから、ポツカの代表が中央で仕切ってしかるべきだろうに。アジ・ダカーハの首を獲って見せた成果を、存分に活用したのだろう。アレキサンドラが式典の中で、もっとも目立っていた。
「お姉さま、政治的駆け引きとかそう言うのだけは上手いんですのよね。責任を取らず、しかし利益だけは搔っ攫っていく。女らしくないったらありゃしませんわよ」
「まあまあ、内政ならともかく外交では必要な能力だよ、それは。そういう意味では、アレキサンドラさんは外国と交流する宗教の窓口としては、優秀なんだと思うよ」
「お姉さまのこと褒めるくらいなら、わたくしを褒めてくださいまし」
唇を尖らせつつ、エカテリーナはウーノの肩を小突いた。ウーノが苦笑しつつ、口を開こうとしたら、後ろから声が聞こえた。
「……泥棒猫」
ぼそり。振り向けばタチアナが立っている。貴族で魔法使いなエカテリーナ、そして一応その夫ということになっているウーノは椅子に座っていたが、お付きの3人娘とタチアナは、二人の後ろに控えていた。
「なんですのよ、急に」
「またウーノ兄さんに色目使ってた。反省が見れない」
『頼る気になれない』と言うウーノの言葉と、エカテリーナの話題でウーノがより笑顔になっていたことで、自尊心がズタズタになっていたタチアナ。
しかし最終的にはウーノを守ることができた、という事実によって完全に精神が復活していた。
彼女は超人的な戦闘を繰り広げていたエカテリーナに対し、一歩も引かず、ジト目でルール違反を指摘した。
「ちょっと待ってくださいまし!今のは違いますわよ!お姉さまが褒められてるのが気に食わなかっただけですわ!」
「ふんっ!どうだか、昨日もすぐ立ち直ってたし、なんだかんだ理由をつけてウーノ兄さんを……もごもご」
「今は式典中よ」「静かにするやんな」「ほーら、エカテリーナも前向ーく!」
3人娘はヒートアップし始めたタチアナの口を塞ぎ、エカテリーナの頭を掴んでグルッと顔を正面に向かせた。妙に手馴れてる。以前もこんなことがあったのだろう。
それからは真面目な顔を維持して、式典を見届ける。鐘の音が鳴り響き、氷や土の魔法で作られた花吹雪が、会場に舞った。
そして夜。舞踏会の会場となったダンスホールは、華やかな装いの人々で溢れていた。
カラフルな窓ガラスに街灯の光が滲んで、磨き上げられた床に反射し、幻想的な雰囲気を醸し出している。
楽団が奏でる優雅な音楽に合わせて、紳士淑女たちがダンスを踊っていた。
「さあウーノ、参りますわよ!」
エカテリーナは、ビウクニツで着たのと同じドレスに身を包んでいた。毛先が赤い金髪を優雅に結い上げ、漆黒に深紅を差したドレスが彼女の美しさを際立たせている。
ウーノもまた、正装に身を包んでいた。黒のタキシードは、彼の鍛え上げられた体格を引き立てている。
「あ、ああ……でも俺、あんまり上手くないよ?」
「大丈夫ですわ。わたくしがリードしますもの」
目的は私服警備。しかし目先の脅威を排除した今となっては、純粋に踊りを楽しんで良いだろう。直前に参加した警備の会議の方でも、そんな風に言われていた。
一人の淑女として、エカテリーナはウーノの手を取った。
二人がダンスフロアに足を踏み入れると、周囲の視線が集まった。
金髪の美女と、そそる体をした男。その組み合わせは、否が応でも目を引く。
「いくつかステップを教えましたけど、本番は初めてですわね。緊張しますかしら?」
「まあ、ちょっとね。でも、エカテリーナと一緒なら、大丈夫だと思う」
「オホホ、嬉しいことを言ってくださいますわね」
音楽に合わせて、二人は踊り始めた。
エカテリーナのリードは完璧だった。ウーノの拙いステップを、彼女は巧みにカバーしていく。
「あら、思ったより上手いですわね、ウーノ」
「昨日のレッスンのおかげかな。エカテリーナに連れ去られる前に、少しだけ練習できたから」
「あの時は、申し訳ありませんでしたわね。でも、ウーノったら、あまりにも無防備だったんですもの」
くるりと回転しながら、エカテリーナは微笑んだ。楽しげで、弾むような、そんな心からの喜びに満ちた笑顔。
ウーノを欲しいとは、思わない。彼はミーシャの男であるべきだ。しかしそれはそれとして、好意を持った相手と踊るのは、胸が高鳴る時間だった。
「……楽しそうだね、エカテリーナ」
「ええ、とっても!オホホ、子供のころにダンスレッスンを受けた時は、こうして楽しんで踊れる日が来るとは、思ってもみませんでしたわ」
ふと、エカテリーナの視線が、フロアの向こう側に向けられた。
そこには、アレキサンドラの姿があった。彼女は、若い男性と踊っている。
「あれは……」
「シュチェンの市長の息子ですわね。政治的な意味合いもあるのでしょうけど……お姉さまったら、楽しそうですわね。ヘンリクでしたかしら、彼の事なんかすっかり忘れたって顔ですわ。まったく……少しはメソメソして悲しんだらどうかしら」
恐怖で涙するのはともかく、失恋や悲しいことがあって泣くのは、感情を表に出す女性らしさに含まれる。元の世界と違って、女性に強さが求められるこちらの世界では、泣いても慰めてくれる人は少ないが。
ともかくエカテリーナからすると、アレキサンドラの今の表情はだらしなく、もう少しショックを受けて辛気臭い顔をしていてしかるべきものだった。
「まあまあ。外交では必要……ああ、エカテリーナの方が綺麗だよ?」
「意図が見え透いた賛辞ですわね、今の!まあ、素直に受け取っておきますわ。オホホ、ありがとうございまし」
ウーノはアレキサンドラを擁護しようとして、一緒にエカテリーナを褒めておいた。バレバレだったが、彼女は上機嫌に笑う。
それはそれとして、エカテリーナは再びアレキサンドラに視線を向かせた。
確かに、姉は優雅に踊っていた。彼女のパートナーである若い男性は、緊張した面持ちながらも、懸命についていっている。
式典の中心人物のダンスを、会場の皆が注目しているようだった。
「どうかした?ああ、もしかして、アレキサンドラさんが踊ってる相手の顔が好みとか?後で交代する?」
「馬鹿言っちゃいけませんわよ。ウーノ以上に格好いい殿方なんていませんもの。そうじゃなくて……ちょっと良いこと思いつきましたわ。ウーノ、少し激しく、行きますわよ!」
「え?何を……おっと」
エカテリーナは足先から雷光を輝かせ、大きく、素早く、峻烈な足さばきを披露した。
ウーノも身体強化魔法を駆使して、何とか動きについて行く。思った以上にフォローがいらないので、エカテリーナは感心したように目を丸くした。
「あら、ウーノったら体さばきが見事ですわね。これなら、勝利はこちらの物ですわ!」
「なんだい、勝利って?いつの間に勝負になってたの?」
「昨日の喧嘩の続き、ここで決着をつけますの!ダンスバトルで、お姉さまより目立って見せますわ!さあ、飛びますわよ!」
「ちょ、まっ……おおぅ!?」
彼女はウーノの腰を引き寄せると、その場で一緒に宙返り、バク転。ダンスと言うより体操だ。
エカテリーナは雷のような速さで回転し、ウーノを振り回す。もはやウーノはエカテリーナにしがみつくしか無い。しかしエカテリーナは、優しく、ソフトに、ウーノを振り回しながら、ステップを踏み宙を舞った。
曲が終わり、エカテリーナはウーノを床すれすれまで下し、上から微笑んだ。
「ふぅ……動きましたわね。ウーノ、楽しんでいただけましたかしら?」
「ああ、うん。ジェットコースター……あー、ともかくすごかったね、うん。次やるなら、紐で君と括っておいたりしてくれると、安心できるかも」
「あら、次だなんて、ウーノったら。それじゃあ、検討しておきますわね」
エカテリーナはウーノを抱き上げ、軽く抱擁をする。激しく動いて、汗の匂いが立ち上った。
彼女は、男の首筋に顔を埋めたい衝動を我慢して、そっと手放す。それはやり過ぎだと、分かっているから。
パチパチパチ
周囲を見れば、当初の目的は達成できたらしい。周囲の視線は釘付けで、誰もがこちらを見ながら拍手をしている。
最初はダンスバトル、より目立つために始めた物だが、いつの間にかウーノが驚いたり目を回すのを見ているのが、楽しくなってしまっていた。ともあれ、姉より目立てた。
エカテリーナがアレキサンドラの方をちらりと見ると、彼女は煩わしそうにため息をついていた。視線に気が付いたアレキサンドラが、親指をクッと振って、個室の方を差す。
「え、えっと、美しい夜の花、私と一曲、どうでしょう」
よそ見していたエカテリーナの元に、タチアナがやってきた。
つっかえながら、定番の誘い文句を口にして、ウーノに向かって手を伸ばす。
彼女もまた、見習い修道服ではなく、淡い緑色に金の刺繍がされたドレスに身を包んでいる。胸元の金の花飾りが豪奢な印象を与え、幼さがわずかに残る少女を引き立てていた。
「あ、タチアナちゃん。その服、似合ってるね」
「……ありがと。先輩に借りた」
伸ばした手を引っ込めて、モジモジと胸の前で組んで照れくさそうに俯くタチアナ。年齢不相応な言動の多い彼女だが、その様子は年相応に可愛らしかった。
向こうを見ると、3人娘がキャイキャイしながらこっちを見ていた。彼女らの差し金らしい。
「……そうですわね。ウーノ、わたくしちょっと用事が出来ましたの。タチアナと一曲、踊っていてくださいまし。タチアナ、分かっていますわよね?」
「言われるまでも無い。私がウーノ兄さんを守る」
フンス。タチアナは腰に手を当て、鼻息を吐いた。
エカテリーナも、大切なウーノを一時なら預けてもいい、そう思う程度には、タチアナの気概だけは信頼するようになっていた。
「はは、よろしく……用事って?」
「お姉さまと、少し」
エカテリーナは目を細めた。以前見せた、酷薄な貴族の微笑みを湛えて。
彼女は手袋越しに、名残惜しむようにウーノの汗の伝う首筋を一撫でして、その場を去って行った。
そんな彼女を目で追っていると、裾をクイクイと引かれた。振り返ると、頬を膨らませたタチアナ。
「今は、私!」
「はは、ごめんごめん。さあ、タチアナちゃん。一曲、踊ろうか」
タチアナに向けて、ウーノから手を伸ばすと、彼女は慌ててその手を握った。
「うん……お手柔らかに」
「こちらこそ」
二人は、ゆっくりとしたテンポの曲に合わせて、踊り始めた。
ホールの個室。アレキサンドラとエカテリーナは、向かい合って立っていた。
アレキサンドラはエカテリーナも知る、消音の魔導具を発動させた。ダンスホールのざわめきが消え、室内が静かになる。
「何のつもりですか、あれは。ここは交流会の場。あのような動きは……」
「昨日の喧嘩の続きですわよ、お姉さま。ダンスバトルですの。わたくし達の方が、目立ってましたわね」
エカテリーナの悪びれない態度に、アレキサンドラは鼻を鳴らした。
「ふん……相変わらず、目立ちたがりですね。お前のそういうところが、昔から嫌いでしたよ」
嫌な記憶を思い出したかのように、彼女は苦虫を噛んだ表情を浮かべた。
「あら、目立ちたがり屋な所が?わたくしの記憶だと、お姉さまったらわたくしが物心つく頃にはすでに、意地悪だった気がしますわね」
エカテリーナは肩をすくめて答えた。幼児の内から悪意を向けてきていた姉、目立ちたがり屋だから嫌いと言うのは、なんとも納得できない理由だった。
「……お前は生まれた時から、目立ちたがりでしたよ。当時、次期当主としての正式な指名を受けるため、勉学に励み訓練に明け暮れていた私より、ずっとお前は、目立っていた」
アレキサンドラは、過去を振り払おうと首を振りつつも、あふれ出て来る記憶に片目を歪めた。
「あら、それは失礼しましたわね。でも赤子より目立たないって、それはお姉さまの存在感の問題ですわよね。わたくしに当たられても困りますわ」
エカテリーナは、積年の想いをこめて言い放った。姉が自分を恐れている。それは知っていた。しかしその本質的な理由は、6歳の時、婚約者の前でボコしてやったからだと思っていた。それ以前から仲が悪かったのは事実だが、生れた時から、何て言われても困ってしまう。
「……覚えてないでしょうね。生まれてすぐ、母の乳房に吸い付いたお前は、その場で小規模ながら、『灰噛む灼舌』を放って見せたのですよ。お陰で母は、先代伯爵は、乳房を失いました。まあ、回復魔法で元には戻りましたが……当たり所次第では、死んでいたでしょう。分かりますか?お前は生まれた時から、魔法使いを殺せる力を周囲に見せつけた。それが何を意味するか……!」
アレキサンドラは髪を掻きむしりながら、吐き捨てた。エカテリーナはその話を聞いて、正直驚いた。
姉との喧嘩で1回、ウーノを守るために1回。しかし生まれたての乳児の時に、すでに1度使用した経験があるというのだ。
「あら、わたくしったらお姉さまどころか、お母さままで殺しかけてたんですのね……我ながら、逸材でしたのね、わたくし」
「逸材なんて表現で足りる物か!当時、私は13歳。『灰噛む灼舌』は発動が感情の高ぶりに左右されるとはいえ、使ったことすら無い!いえ、今の年になっても、使ったことは無い……お前はその場で直ぐ、私を追い抜いて後継者指名の1位を獲得した!スペアとして生まれたお前が、ずっと努力して来た私を差し置いて!お前が……私を、スペアにしたのです……あの日の屈辱、恐怖は、今でも忘れません」
アレキサンドラの声が、震えていた。
エカテリーナへの悪意、嫉妬、恐怖。すでに目当ての伯爵位を継いで時間の経っている彼女は、その根源の記憶を思い出し、両手で己を掻き抱いた。
「はぁ~……お姉さまが真に貴族足らんとするならば、その時に覚えるべき感情は歓喜でしたわね。優秀で才能あふれる妹が生まれ、優秀な自分を軽々と超えて当主になり、家を更なる栄光に導く……己の幸福より一族の繁栄を優先すべき、貴族の主家の血統、その末端であれば。ようはお姉さまは貴族としての気概に欠けてましたのよ」
エカテリーナは突き放したように言った。しかし、彼女の理論は、特別冷酷な物ではない。どこの貴族の家庭でも、『己の利益より家の利益』と後継者には教育する。多くの場合、『当主の利益』=『家の利益』なので問題は無い。
しかしこの場合、その当主になるはずの人物が生まれて間もない妹に座を蹴落とされたのだから、そう簡単に飲み込めない。しかも当時のアレキサンドラはまだ子供だった。
「……ええ、そうだったのでしょう。お前の言うように、今までの努力も、苦労も、全てが無駄だったことを、私は大喜びするべきだったのでしょうね……出来るか、そんなことっ……!」
アレキサンドラはエカテリーナを睨んだ。正しいことを、完全であることを、さも当然であるように語る、自分より『強い』妹を、17年分の怨念をこめて、睨みつけた。
嫉妬。何故お前が、何故私じゃない。そんな意味の無い感情。つい最近まで、エカテリーナが知り得なかった感情。
しかし、つい最近。彼女はその感情と向き合い、そして折り合いをつけた。だから目の前の10歳以上年上の姉に、まだ嫉妬の感情を克服できていない姉に、少しアドバイスをくれてやることにした。
「お姉さまは、自分の本当に望んでいる物が何か、よく考えるべきですわね。わたくしに意地悪したいだとか、わたくしより優れていると思われたいだとか……それはお姉さまの、根本の望みでは無いと思いますわ。大方、努力が報われて欲しいとか、お母様やお父様に認められたいとか、そんな所ですわよね?」
「知った風な口を……!」
「あら、違いまして?」
大仰な動作で肩をすくめるエカテリーナを、アレキサンドラはしばらく睨んでいたが、ふと力を抜いて壁にもたれかかった。
「……本当に、お前は嫌な妹です。私より目立つばかりか……私の心にまで、土足で踏み込んできて……っく、私はずっと、認められたかった……お前に、認められたかった……!」
「あら、わたくしに?」
意外な言葉が飛んできて、エカテリーナはキョトンとする。
「お前が私に、素直に屈服してくれれば!お前が私を恐れ、敬ってくれていれば!私がどれほど心の重荷を捨てることが出来たか!分かりますか、私の気持ちが!10歳以上も年下の妹より、劣等であると思われる私の気持ちが!でも周囲がどれだけ、お前と私を比較しても、お前さえ、お前さえ私を認めてくれていれば、それで……!」
「……別に、わたくしお姉さまのこと馬鹿にした覚えは……あ、待ってくださいまし。あっ、あぁ、そう言えば、意地悪なお姉さまをギャフンと言わせてやろうと、何かにつけてお姉さまを優越しようと、色々努力しましたわね、わたくし……はぁ、それなら簡単なことですわね。お姉さまがわたくしに、優しくしてくだされば良かったんですのよ。まあ、確かに色々と思う所はあったかもしれませんわよ?でも年長者なんだから、それくらいの度量は合って欲しかったですわね。結局お姉さまの器の小ささ故の、自業自得ですわよ」
自分でもその辺のことは分かっているのか、アレキサンドラは直ぐに反論することは無く、弱弱しく呻くだけだ。
「……分かっている。それくらい、分かっているのです……」
「んもう!そこで、『今までごめん、これからは優しくするから、仲良くしてね』って言えないのが、器が小さいって言ってますのよ。少なくともお姉さま、外向けの政治はそこそこお上手なんですから、家内政治も自分が譲歩して丸く収めるくらいの器量を見せてくださいまし」
エカテリーナは助け舟を出しこそすれ、自分から頭は下げる気は無かった。そう言う意味では、似た者姉妹なのかもしれない。
「……ぃえ、いいえ。もう良い、もう良いでしょう。はぁ、取り乱しました。エカテリーナ、伯爵位を継いだ今、お前にどう思われようが、もはや関係ない。お互い不干渉、今まで通り。それで十分でしょう」
「はぁ~……それなら一つだけ。不干渉と言うなら、軍の方に口出しするのも、止めてくださいまし。今思い出しましたわ、お姉さま、わたくしの部隊の司令官に、『エカテリーナを死なせないように』とか何とか、口添えしてましたわよね?お陰で死に損ないましたの。そう言うの、無しにしてくださいまし」
「……お前は私のスペアです。私に子供ができるまでは、必要です。殺してやりたいほど、憎くても」
「そういう所で家を考えることは出来ますのね。ならさっさと奥様と励んでくださいまし。他の男に鼻の下伸ばしてないで」
「分かっています。この一件が終わったら、彼とも話してみましょう。あのウーノと言う男を見ていると、私も温もりが恋しくなりました」
性欲と言うのは優秀な起爆剤だ。先ほど萎え切っていたように見えたアレキサンドラだが、今では舌なめずりする程度には気力が回復していた。
そんな姉を見て、呆れるとともに、自分も似たような物かと、エカテリーナは小さく笑った。
ダンスホール内は広いものの、暖房が良く効いている。歓談するには適温だろうが、ダンスをすると少し汗ばむ。2曲連続で踊ったウーノは、胸元を掴んでパタパタとしていた。
「っは!ウーノ兄さん、それダメ!セクシー過ぎ!」
好きな人とオシャレして踊れた余韻に浸っていたタチアナは、ウーノのその無防備な仕草に気が付くと、慌てて彼を掴んで壁際に連れて行った。
「どうしたのさ、タチアナちゃん?」
「ウーノ兄さんは危機感無さすぎ!女は狼!」
「君が言うの、それ?」
「大丈夫、ウーノ兄さんの貞操は私が守る!」
「君が言うの、それ?」
ウーノは呆れ口調だが、タチアナは大真面目だった。ウーノの方を見る参加者がいると、視線を遮るように移動してシッシッと追い払うジェスチャーをする。
なんか面倒な子供はいる、近寄らんとこ。そんな心の声が聞こえてくるように、ウーノとタチアナの周囲は人が寄り付かなくなった。
「ふぅー……安全確保!」
「まったく……まあ良いか。どうだった、ダンスの感想。楽しめた?」
ウーノが声を掛けると、彼の前に立ちはだかって警備に勤めていたタチアナは、くるりと振り返って満面の笑みを浮かべた。
「うん!すっごく楽しかったし、幸せだった。ウーノ兄さんが、私の手を握ってくれて、ホッとした。多分、人生で一番、楽しい時間だった」
「大げさだなぁ」
苦笑するウーノに対して、タチアナは大まじめな様子。彼女は背筋を正し、しっかりとウーノの目を見つめて、上目遣いで口を開いた。
「私はウーノ兄さんとミーシャさんに、本当に酷いこと、したから。だから、ウーノ兄さんが私に手を差し出してくれて、良かった。救われた」
「タチアナちゃん……」
「ウーノ兄さんは、手紙で『許す』って言ってくれたけど……ミーシャさんには、まだ謝れてないし、許してもらえてない。だから、私、何でも協力する。ウーノ兄さんが必要としてくれるなら、例え火の中、水の中、修道騎士団を脱走してでも、駆けつける。駆けつけて、ウーノ兄さんを、守るから」
本人なりに、色々反省したらしい。タチアナは殊勝な顔つきで、深く頭を下げ、そして誓った。
「……気持ちは嬉しいけど、脱走するってことは、アレキサンドラさんの顔に泥を塗るってことだよね。大丈夫?」
「……だ、だ、大丈夫!いざとなったら、祭祀長様を殴り倒してでも、駆けつける!」
一度怯んだ様子を見せたタチアナ。普段からアレキサンドラを恐れるような仕草があった。しかし彼女は、それでも気を張って大口を叩いて見せた。
ウーノはチラリと視線を横に逸らす。3人娘が例の収音魔法の小型セットを作って、こちらに向けていた。先ほどの言葉も聞こえていたのだろう、意地の悪い顔をしていた。
ウーノはタチアナの未来を憂いて、静かに祈った。
「……まあ、うん。とりあえず殴るのは止めておきな?でも、タチアナちゃんの覚悟は伝わったよ。ミーシャちゃんが許してくれるかは、分からないけど。口添えはするからさ」
「ありがとう。ミーシャさんを助けて、許してもらって……それから正々堂々、ウーノ兄さんを寝取るから!」
「それを一回棚上げしないと許してもらうのは無理かな、うん」
ジッ……ガシャン!
これからの未来について、笑ったり真面目になったり、話していると。ガラスの割れる音が、ホール内に響いた。
ホール中の視線が、そちらに向けられる。
カラフルなガラスの天井を割ったのは、それ以上にカラフルな、しかし水に浮いた油膜のように汚らしい、虹色の細長い何か。
それが何か、この会場の皆ほとんどが、少しして気が付いた。
それは頭だ。あのアジ・ダカーハの、頭。何かのイベント?
観衆の疑問を他所に、首の途中から千切れた蛇の頭は、一人でに首をもたげ、周囲を見渡した。そして、ある方向を向いて、ピタリと動きを止める。
蛇は、口を大きく開けた。
ウーノはタチアナより一拍早く、その意味を察した。次に起きる事態を想像して、彼女を抱えて逃げ出そうとした。しかし瞬間、それは放たれた。
「Feuer!」
聞きなじみのある声音で、そんな言葉が聞こえた。蛇の口から、稲妻が一閃放たれる。それはタチアナを抱えたウーノに直撃した。
「ガァッ!?」
全身を裂く熱が骨に噛みついた。電流が流れた瞬間、神経が焼き切れ、息が詰まる。全身の筋肉が混乱し、痛みだけが遅れて全身を支配した。
「ウーノ兄さん!?あっ……あぁぁ!」
崩れ落ちたウーノに、タチアナは慌てて回復魔法をかけた。魔法使いでない上にまだ成長期の子供のそれは、エカテリーナと比べると雀の涙ほどだが、それでもウーノの心臓の鼓動を安定させ、多少の体の自由を取り戻させる程度の効果はあった。
しかし、その治療行為は途中で取りやめになった。雷撃に遅れ、真っ赤な炎が、二人に向けて押し寄せて来たのだ。
タチアナはとっさにウーノに覆いかぶさり、そして風魔法を駆使してその火炎を追い払った。しかし以前は岩陰に隠れて、回り込んでくる炎が相手だった。今度は直撃。なけなしの風の防護壁はすぐさま破られ、灼熱が少女の背中に殺到した。
雷撃が当たっていないタチアナは、その場から逃げ出すこともできた。しかしウーノを守るため、彼女は歯を食いしばって、身を焼く灼熱に耐えた。
頭だけの状態のブレスは、完全体のブレスに比べれば、だいぶ規模が小さいらしい。雷は初激の一発、炎もそう長くは続かなかった。
タチアナは背中を、骨が見えるほど焼き焦がされたが、それでも耐えきり、ウーノを守り切った。
「たち、たちあ、なちゃん?だ、だいじょ、ぶ?」
麻痺が残り、呂律が回らない。そんなウーノを見たタチアナは、膝をついて身を起こし、自分の背中を後回しで彼に向かって回復魔法をかけた。
「グッ、はぁ、はぁ、はぁ、わ、私は、平気!ウーノ、兄さん、こそ……ぐぅっ……」
痛みをこらえて、残る全ての魔力をタチアナはウーノに注ぎ込んだ。お陰でウーノは体を動かすのに支障が無い程度には回復した。
身を起こした彼は、決して背中の傷を見せないようにするタチアナを訝しんで、声を掛けようとした時……
彼女の胸元、若草色のドレスの中央に施された、金の花飾りを。
刃が貫いた。
「っえ?た、タチアナちゃん!?」
「あ、え……?ウーノ、兄、さん……」
背中側から、少女の胸を、刃が刺したのだ。その刃が引き抜かれ、タチアナはその場に崩れ去る。
「ウーノォ……失望したヨ。結局、女に守られテばかりネ」
その声の主は、先ほど蛇の頭から這い出て来た人物、黒髪にベッタリと血肉を張り付けた男、ヘンリクだった。




